裸で独りぼっち

マジの日記

バズマザーズ『普通中毒』-①「時代をくれ」 

このアルバムで(いや違うな)

ここ最近の状態として、

バズマザーズGtボーカルの山田亮一は

意図的にロックスター然しようとしている。

 

その傾向が如実に表れた曲。

 

前アルバム『怒鳴りたい日本語』の一曲目「怒鳴りたい日本語」は

使いたい日本語を自由に怒鳴るという曲だった。

 

この「時代をくれ」は

ある種同じシステムで、

今の邦楽ロックという状況について、

厚顔無恥なほど自由にいいたいことをいい、

旧時代のロックスターのように、新時代を自分等が掴むと怒鳴っているわけだ。

 

あんたの歌は、毒にも薬にもなりゃしないさ

目を逸らすな、声高いだけの優男さん

「時代をくれ」

 などはあまりにロコツだが、それだけに本気感が伝わる。

 

こっから全部俺のターン

「時代をくれ」

なんて、冷静に考えると<遊戯王やんけ>といいたくなるが、

もちろんロックスターもバンドマンもにちゃんまとめやジャンプを読むわけで、

実際に耳に残るこのフレーズがインプットされているのはおかしくはない。

至極当然である。

それなのに使わないことを、きっと山田はやめたのだ。

時代を呑むためには、清濁併せ呑む気概が不可欠だ。

どんなフレーズも使うし、どう思われてもよい。

そんな骨太の思想がこの一曲から香り立つような気がする。

 

余談だが、7/8拍子というおかしな拍子が「時代をくれ」と「怒鳴りたい日本語」

ともに共通している。

 

ちょろっとよんだ『葉隠』を引用

「怒鳴りたい日本語」

新免無二斉の太刀筋さえ止まって見えるぜ

「時代をくれ」

新免無二斉…宮本武蔵の実父

 のような剣豪モチーフのフレーズも両オープニングナンバーを双子のように思わせる。

 

何か山田なりのブームがあるのかもしれない。

 

その前の3rdアルバム『THE BUZZ MOTHERS』の一曲目「東京デマイゴ」にはみたところ前2曲と共通項はないようだ。

 

(終わり)

いってらっしゃい

いってらっしゃいのちょうどいい敬語がない。

 

「いってらっしゃいませ」だと執事かメイドみたいになる。

「いってらっしゃい」はため口だ。

「いってらっしゃーせーお気をつけて」は距離の近い居酒屋だ。

 

だから俺は

「じゃあ外回り行ってきます」という

上司を見送るとき

「はいぃ」

という微妙な返事しか返せない。

 

日本語は不自由だ。

『パージ』ネタバレ感想

一言でいうとアメリカ人の山田悠介が考えたんかな?ていう話だった。

 

設定めちゃ外連味あっておもろい。

話の展開消化不良。

 

以下、おおまかなあらすじ。

殺人を含むすべての犯罪が年に12時間だけ合法化されるパージ。

その当日、セキュリティ会社に勤めるジェイコブは青い花を持って帰宅する。 

それはパージに協力するという証。

それを玄関に飾って自社のセキュリティシステムを作動させておけば、一夜がすぎるのを安全な我が家にこもって待つだけのはずだった。

しかし、息子のチャーリーが助けを求める黒人の男をかくまったことから、一家は恐怖におびえる夜を過ごすことになる――。

映画のポイント①抜群に面白そうな設定

映画のポイント②息子が腹立つ&親父が有能、なのに…。

映画のポイント③テーマに引きずられてる

上記3つについて詳しく述べたい。

 

ポイント①抜群に面白そうな設定

設定はすごく面白そう。

全国の佐藤さんが殺されるとか、クラスの誰を殺すのか投票で決めるとか、そういうたぐいの発明。

ティーン大喜び。

話の展開はいくらでも考えられる。

例えば今回のように「完璧だと思っていた金持ちの家の牙城が崩されて戦う」とか、あるいは「貧乏人が狙われるあまり蠱毒のような状態が発生して最強のホームレスが生まれそいつとパージ支持民が戦う」とか。

 

また、こういう設定勝ちの作品では矛盾がわんさか出てくるもんですが、意外とそこへの気遣いはある方だと思った。

・玄関に青い花を飾ればパージに賛成しているという印

→「家閉じこもっても放火されたら終わりやん」というツッコミ対策

・パージは経済的な面でも国を良くしてきたというテレビを映すシークエンス

→「パージ貧乏人大損の法律やん。どこが国にとって良いねん」という指摘対策。まあ、どうやって法案が通ったのかという疑問はあるけど、富を独占したい金持ちが賄賂を出して……みたいな脳内補完は可能。んで、世の中を動かしてるのはセキュリティが出来るアッパーミドル以上だから、国はめちゃくちゃにならないのかなー。

 

とはいえ、以下のようなツッコミどころはあるが。

・なんで娘の彼氏忍び込めてん。そんなんできたらそれこそかくまったホームレスみたいなやつが略奪し放題隠れ放題やんか。

・パージ後の死体処理でめちゃくちゃ金がかかりそう。

・やっぱり貧乏人が存在するから金持ちが存在できるわけで……。やっぱおかしいな。なんじゃこの法律。

 

ポイント②息子が腹立つ&親父が有能なのに

息子のチャーリーがめちゃくちゃ腹立つ。

これはYahoo!映画等でもたくさん指摘されている。

どうして腹立つかというと、無能なのに正義感だけはあり常に事態を悪化させるからだ。

 

戦犯チャーリーの7つ大罪

①ホームレスを許可なく勝手に家にいれた。

②ホームレスを家に入れてからもかくまおうとした。

③パージ賛成派が家を取り囲んで家族を皆殺しにするって言ってるのに対策も考えずホームレスを守ることばかり主張する

④そのくせ家族がエドウィンをとらえて突き出そうとしているときは止めようとせず口で止めるだけ。

⑤銃をすぐ取られる。

⑥赤外線カメラで周りを探れる改造ラジコンを持っているのにパージ賛成派が押し入ってからは使いもしない。

⑦なぜかラストドヤ顔で遠くを見る(お前のせいで親父が死んだんだぞ!)。

 

さらに腹立つのが初めはめちゃくちゃ有能の空気を漂わせていたことだ。

ガジェットに詳しく隠れ場所を知っている無口な息子。姉はバカ彼氏とイチャイチャしてばかりの明らかな殺され要員(殺されんけど)。

そうなれば、チャーリーが家族を救うとみんな思うはずだ。

だのに、なあ。。。

 

一方親父のジェイコブ、この作品の主役?はめちゃくちゃ有能だ。

絶対に取り乱したりしない。

娘の彼氏に殺されかけても、息子が家族を危険にさらしても、妻がすぐふらふらどっかに行っても常に冷静に「落ち着くんだ…!」といえるのはすごい。

しかも強い。侵入してきたパージ推進派をガンガン殺す。

 

それなのに、あっさり敵の親玉に殺される。

二人係で斧を持った敵を銃一丁で全滅させたのに、「よっし一丁上がりだ」と角を曲がりかけたところで腹をぶっ刺される。

敵の親玉(名前最後までわからん)は「なぜ君が弱者を生かすことにしたのか、理解に苦しむよ……」と美学ある敵っぽいセリフを吐いて去る。

 

とまあ、有能っぽいチャーリーが頭にくるほどの無能だったり、有能覚醒親父のジェイコブがあっさり死んだりする。

イコール脚本家はお約束をあえて外しに来てる。

 

でも……なんでだ??

「生かされたホームレスがジェイコブの代わりに助けにくる」というお約束は外してこなかったし。

なんでほかの気持ち良いところだけ外したんだよ!

せっかくの設定なのだから、観客の気持ち良いを優先してほしかったぜー。

 

映画のポイント③テーマに引きずられてる

気持ち良いところを外してきた理由をあえて類推するなら、

観客に理不尽を味わわせること自体がテーマと密接に結びついているからだ。

 

テーマは「人間の悪意」。

・パージ推進派のホームレスをいたぶって殺す相手としか考えない思考。

・パージ推進派を殺してくれる救世主が来た!と思いきや近所の嫉妬民で、この騒ぎに乗じていい暮らしをする主人公一家を殺しにきただけ、という展開。

・そして、世の秩序のため人間の悪意(野生)を一日だけ開放するというパージという法律。

 

人間は理不尽で、法が許せば悪意を向ける。まともな法律のある秩序だった日常ありがとう…!

と思わせてくれた。

 

でも、そんなん知ってるしな。

それに矛盾するようだけど、普通に気持ちいいところを抑えていても表現できたと思う。

それでもテーマのために制作陣は気持ち良さを犠牲にしたのかもしれないが。

 

以上。

 

 

パージ (字幕版)

パージ (字幕版)

 

 

「目を覚ましてふみカス!」の理由

宗教の話は面白いなあ……とネットサーフィンしていたら

このブログが「はてなブックマーク」のホッテントリになっていた。

 

ninicosachico.hatenablog.com

内容は以下のものである。

宗教の話を表だってすることは 世間的にタブーとされている。だけど、宗教に入っている人はたくさんいるわけで、その話をしないのは「なんか変なの」と感じる。

その話をタブー視する風潮もあって私は「宗教」について深く考えて来なかった。それは、世間一般の人もしかりだと思う。

だから、今回の清水富美加さんの件で「目を覚ましてふみカス!」などという人がいることには違和感がある。

その人たちはちゃんと自分の宗教観を持っているのだろうか。

宗教にも「死を受け入れられる」「良心の仕事を肩代わりしてくれる」という利点がある。

そういった点も含めて日本人は宗教ともっと向き合うべきではないか。

極論ではないし、全然受け入れられる議論ではある。

 

でも、「「目を覚ましてふみカス!」っていうのは変なんじゃないの?」という意見には俺は首を縦に振ることはできない。

それは、これが宗教をタブー視するゆえに発せられているだけの言葉ではないと思うからだ。

 

「目を覚ましてふみカス!」の理由はもっとシンプルだと思う。

単純に、若めの新興宗教に入るやつはダサいのである。

ひいては、そういう見下しの視点が入ってしまうからみんなで宗教の話はしづらいのだ。

ファッションのダサさはすぐ改められるけど、宗教のダサさは一朝一夕で変えられるものではないから。

 以下、理由を述べていく。

 

①神が死んだらどうするのか

「教祖が死んだらどうするのか」という部分を全然考えてない浅はかな感じがする。

いや、教祖じゃなくて神に帰依してるんだよ!神は不滅だろ。

という反論が予想されるが、あの人ら絶対教祖に帰依してる。

長井秀和も「池田大作先生は生きてるのか死んでるのかわかりませんけどねー」

FACEBOOKに書いていたが、教祖を偶像としてあがめている信者が多いからこそ

教祖が死んだか生きてるかうやむやする方向に持っていているのではないか?

 特に幸福の科学大川総裁のイタコ芸で成り立っているので

総裁が死んだら終わりだ。

それとも何か?

また別の霊能者が出てくるとでもいうのか。

しかし、2作目が駄作というのは世界の常識なのである。

まあ、ターミネーター2になれればいいけど、難しいんじゃないの。

 

死んだら神格化される説もあるが、それは一部の濃い信者だけの話であって死後教団は縮小すると思う。

「天国にいけるよ」といわれたところで、現世で熱狂する主体としての人柱がないとなあ……。

だから正直麻原彰晃を生かしてるのもおかしな話だなあと思う。

だってほっといてもどうせ寿命で死ぬし、死刑で死ぬのと寿命で死ぬのにそこまで実は信者さんたちも違いを見出してないと思う。

こじつけるやつは寿命でも神聖性を見出すし、こじつけないやつはどっちにしろ目を覚ますはずだ。

 

②「尊敬」を無批判に受け入れている

「尊敬」はあからさまであってはならない。ダサい。

例えば、「感謝」系日本語ラップとか

就活の面接で「尊敬しているのは両親です」っていう回答とか。

なんかそれで媚びてる感じがしないか?

媚びる奴はダサい!

(なんか、この物言いも近いダサさがあるのは自覚している)

いや、まあ清水さんがそんなに大川総裁を尊敬してるかは知らないけど、

ブラック労働環境から逃れられる教団というシステムに乗っかってるだけかもしれないけど、

教団入りするということは

大川総裁を尊敬しています?」

と聞かれたら

「はいorYES」

と答えるしかないということだ。

好きだった女優がそんなんなっちゃったらそりゃ幻滅でしょう。

 

だから「目を覚ましてふみカス!」はわかるぞ。

 

じゃあ結局かっこいい宗教はなんなのか

 

なぜだか中島みゆき天理教に入ってるのは

あんまりダサくない。

もちろん無宗教に越したことはないんだけど、

創価学会幸福実現党よりは大分ましだ。

 

その理由は、以下の3つだろう。

①歴史が長い

新興宗教とはいえ、さすがに100年以上続いたら大したもんだと思わざるを得ない。

ぶっちゃけ三大宗教も信用に足る理由の大部分は有名で歴史が長いからだ。

②教祖が死んでる

「教祖が死んだらどうするのか」問題をクリアしている。

関係ないけど「中山みき」ってめちゃくちゃ現代っぽい名前だ。

③地方の宗教である

やはり東京に本部があると金のニオイがすごい。

奈良だとなんか許せる。

まああんなお堂いっぱい作ってるんだからえらい寄付集めてるんだろうなあとも思うけど。

 

これらに加えて、やはり中島みゆき自体が歴史ある権威である種「教祖的な」魅力を備えているのも強い。

清水さんはまだそこまでじゃないでしょう。

 

まあほんとは芸能人なんて小さな教祖みたいなもんなのだから

「私が神だ!」というスタンスであってほしいし、そうでないと

カリスマ性は保てないと思う。

だから宗教には入らないでほしいものだ。

みなさんは熱狂する側でなく、熱狂を与える側でしょう?

カルト宗教の話はなぜこんなに面白いのか(答えなし)

女優の清水富美加が芸能界をやめて幸福の科学に入るという話。

 

レプロがブラック労働環境かどうかの真相は知らないけど(たぶん黒だと思うけど)

幸福の科学が絡んだおかげでぐっと面白くなったニュースだ。

 

俺は親戚にも友人にも幸福の科学信者はおらずレプロの人もバーニングの人もおらず、

「どこの町にも協会があるなあ、金持ってんなあ」と羨み

天理教の道場とどっちが多いのかねえ」と心中比較したくらいしか幸福の科学との思い出がない。

あと簡単に思いつく接点といえば、朝日新聞にちょくちょく大川総裁のイタコ本の広告が載ってたくらい。

……しかし、「公共の新聞にあんな広告載せていいのか」は疑問だった。中学のときに聴いてた伝説のラジオ番組「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」のスポンサーも一時期創価学会オンリーだったけどあれも「まさにカルトラジオやんけ」と、そこだけ不満というか違和感があった。

 

ともかく、それくらいしか知らないのに宗教がらみで人気女優が引退というのはわくわくである。

桜田淳子統一教会だってわかったとき、そんなにファンじゃないやつらは同じくらいわくわくだったのだろうか。

 

長井秀和のメッセージ

それに対して「間違いない」でおなじみの長井秀和FACEBOOKで送ったメッセージが話題になった。

www.sankei.com

長井秀和創価学会だったとは。創価学会だからってTVにたくさん出られるわけじゃないんだね。

まあ、学会や池田大作を茶化してるからか。

f:id:hadahit0:20170216230833p:plain

本人FACEBOOKより引用

これとかスーパー悪口だな。

本物の信者なんだよね?

それと池田大作とか協会のおかしなところを茶化すノリはどうして両立してるんだろうか。

ううむ……不思議だ。

 

エホバ脱出記から学んだこと

最近「あーカルトがらみの話は面白いなあ」と思ったきっかけがもう1つあって、

『カルト脱出記-エホバの証人元信者が語る25年間のすべて』という本なんだけど

面白かったー。

 

現在は東京ガールズコレクションやLAセレブのプロデュースを行うファッションプロデューサーが家族ぐるみで信者だった日々を回顧する話なんだけど、

まあ「宗教の話の面白さは結局人間の面白さ」だね。

 

純粋に聖書に準拠しているといいながら、権力を乱用する上級信者がいたりくだらない信者内のカーストで嫉妬したり、どうしようもない。

そして、そのどうしようもなさはカルト特有のものではなく、「こちら側」と全く変わらないものだ。

あるいはこちら側もカルト?

「などと考えてるとカルトに堕ちて行っちゃうぞ」と自分に言い聞かせねば。

こういうぐるぐる思考の末、上祐とか頭のいい奴らもカルトに入信することになったに違いないのだ。

そのくらいには僕らの立ってる足場は危うい。

「なんだか理屈はよくわからんけどやっといた方が絶対に良い」とされているものに乗っかることは、圧倒的に楽で気持ちいいのだ。

 

 

 

M-12016決勝進出コンビの動画を見て無責任に思うことー③相席スタート

「ちょうどいいブス」というフレーズで世に飛び出した山崎ケイ(34)と

「イケメン風男子」というキャッチフレーズで世に飛び出していない山添寛(31)のコンビ。

 

山崎は、アメトーークの『イイ女の雰囲気出してる芸人』からプチブレイクをはじめ、現在もフジ『超ハマる!爆笑キャラパレード』などで、露出しています。

 

準々決勝のネタが馬鹿みたいにウケており、出色の出来と2ちゃんなどでも評判だった気がします。

gyao.yahoo.co.jp

 

この漫才のストロングポイントは大きく2点あると僕は思います。

1つは、2ストライク3ボールというこの上ないクライマックスのタイミングで、最初にさんざん振っておいたフレーズ「振ってもうた~」が出されるという、構成の妙

1ストライク→モデルで気遣いもできる超いい女

2ストライク→可愛くて話も合うが元カレのタトゥーが入った女

1ボール→自称佐藤しおり似のぽっちゃりブス

2ボール→結婚願望アピールがすごい女

3ボール→可愛いが彼氏もちの女

 

ときて、「可愛くはないが、妙にエロく見える」「振ってもうた~」の女がこの上ないタイミングでやってきます。

 

忘れかけていたフレーズを、この上ないタイミングで上手に使う、というのは、明石家さんまをはじめ言語感覚にたけたお笑いプレーヤーが良く使う手法です。

おそらく、人間には忘れていた存在を再び直視させられると快感を感じる本能があるのではないでしょうか。

「いないいないばあ」しかり、「ウォーリーを探せ」しかり。

あるいは、狩りや採集の時代、見失いかけた獲物・収穫物を再確認したときの喜びが根付いているのかもしれません。

 

とにかく、この人間の本能に根差した笑いの取り方を、漫才というパッケージに乗せて完璧に再現したわけです。

その結果、あれだけの拍手笑いが起きるのも納得です。

 

さらにうまいのが、

「さぁ~山添選手今日は女の子を何としても家に連れて帰りたい」

「うまいこというなあ!」

(動画の3:20-)

 のくだり、野球の再現に入って以降、一貫してボケだった山添が、ここでは一瞬ツッコミに戻っています。

ここでいったん流れを切っておいて、

「ピッチャー、投げました」

「よーし!」

「可愛くは、ない…(略)」

 (動画の3:25-)

 の流れに持ってくることで、それまでの流れから分離させてよりクライマックスが際立つ構成なのです。

おそらく、このネタは決勝でも披露されるでしょうし、このクライマックスでの会場ウケは、まず約束されたものだと思います。

 

さて、2つ目のストロングポイントは、山添もボケに回るネタだということです。

動画を見れば一目瞭然なのですが、観客の笑いがはじけるのは、山崎の説明ではなく、ヒーローインタビューにおける山添のコメントや演技なのです。

山添「でも、振るってことで意思表示はできたんで、ういっす、ういっす」

(動画の1:44-)

山添「いや、途中でコースが変わりましたね」

(動画の2:03-)

山崎「いやー危険球でしたねえ」

(山添幹事をにらむ)

(動画の2:47-)

 特にこのあたりでは噴出したような大笑いが響いていました。

 

・美人には手を出せなかったけど、意思表示できたらまあいいかと言い訳している

・女に好感を抱いていたが、タトゥーに引いた

・ブスを連れてきた幹事にきれている

 

いずれもこのような複雑な感情が、山添の演技力と山崎の「いかにもいそうな」女の描写の力で、読み取れます。

単なるいるいるネタではなく、それに対しての感情描写という域にまで踏み込んだ、ゴージャスともいうべきネタの練りっぷりが感じられます。

やはり、このネタは完成度が高く、素晴らしいものです。

3回戦のネタは山添が完全にボケに回ったもので、「だと思った」というフレーズを色々な場面で再現するというものでした。

この準優勝のネタはそれにいつもの山崎のいるいる女描写と、フレーズの温存を加え、完成度を抜群に高めたものだといえるでしょう。

 

ここまで、相席スタートの準決勝のネタの完成度をほめちぎったわけですが、それでも僕はどうしてもこのコンビが決勝の3組に残る、ましてや優勝する絵は見えません。

なぜなら、このネタのストライクが、「20代~で恋愛あるあるに大きくうなづける男女だけ」だからです。今年の審査員が昨年のように歴代m-1王者であれ、0年代m-1のように松本人志オール巨人などの大御所であれ、ストライクにはほど遠い。

もちろん、審査員はみなプロの漫才師である以上ネタの完成度を見抜きそこだけを取り出して評価する力はあるでしょう。

しかし、まったく同じ完成度だった場合は、やはり己のストライクが優先されると思います。

全国3503組の中から選ばれた他7組と、完成度の面でそれほどの差をつけられるとは考え難いかなと…。

また、オチ前の「球さばき」のくだりなど、下ネタがあること。

今年のKOCでだーりんずの「童貞」というフレーズが頻発するネタが、やはり会場に受け入れられていませんでした。

茶の間が受け入れることのできる下ネタはうんこ・しっこまでで、少しでも性のにおいを感じさせるフレーズはきついんだろうなあと思います。

 

とはいえ、波乱が起きるのが賞レースの常。

このネタが相席スタート勝負球であり、全国大会で披露するにふさわしい出来であることには、間違いないでしょう。

M-12016決勝進出コンビの動画を見て無責任に思うことー②カミナリ

アキナについて書いた前回の文章を読み返して、「なにさまやねん、素人が、俺がアキナやったら腹立つなあ~!」と思いました。

 

でも書く(やる)んだよ!Ⓒ根元敬

…どうせ目に入ることはないのです。

 

今回は、カミナリです。

gyao.yahoo.co.jp

m-1の舞台に盛夏の雷のように現れたニュースタイルどつき漫才

なのになぜか、懐かしいにおい、泥臭さを感じるのもお笑い好きの心をくすぐるでしょう。

 

竹内まなぶと石田たくみの高校同級生コンビ。

表層的には、見てるこちらが思わず顔をしかめてしまうほどの迫力で放たれるツッコミがこのコンビの顕著な点。

バチ!という音に思わずしかめつつも目が吸い寄せられてしまいます。

 

2016年9月10日放送名古屋のバラエティ『本能Z』のネタ祭りにおいて、今田耕司に現在のネタの形が出来た経緯を尋ねられて

「地元で単独ライブをやったとき、あまりに受けなさすぎで石田が本気で竹内をひっぱたいたのがきっかけ」

と本人たちが説明していたことから、彼らもそれが一番の特徴だと考えているようです。

 

しかし、カミナリの漫才の本当の特徴は、いったんボケを見逃してから100のテンションで突っ込むという、オンオフの切り替えと、それによって生み出される独特のリズムです。

・「あのさあ、たくみくん」「なんだい、たくみくん」といういかにも紳士的で安心感のある入り

・電話でアルファベットを伝える方法、という日常的なテーマ

・石田の7:3わけの髪型

すべてが、ツッコミがオンになる瞬間に向けての伏線です。

そこまで些細な違和感を感じつつも、ツッコミがないため、展開を待ちわびていた観客に、いきなりぶつける100%のツッコミ。それによってたまっていた笑いたい気持ちが解放される瞬間には、たまった尿を流しだすときのような快感すらあります。

 

通常の、会話の流れという直線があるとします。

その流れの乱れが、ボケです。

そして、その曲がりくねり方の形や歪さを際立たせるのがツッコミです。

 

通常の漫才の場合、1ボケが放たれれば、すぐにツッコミがなされます。直線のたとえを使うと、直線に歪みが生じた瞬間、そこにスポットが当てられるということです。

 

カミナリの漫才の場合、1ボケが放たれても、いったんは見逃されます。そして、そのまま会話は流れ、客が違和感を感じつつも忘れかけたそのとき、いきなり100%のあのツッコミが放たれます。直線のたとえを使うと、直線に歪みが生じるが、まったくフォーカスされず、「気のせいか」と思ったところで急に近くにカメラがドアップで寄せられるような状況です。

 

そのインパクトたるや……。

 

出番は2番手と、不利と言われる序盤ですが、一発目のインパクトで、決勝の3組に残ることが出来ても何らおかしくはありません。

ただ、心配なのは2本目でしょうか。未見の一発目と比べると、システムを知ってしまった2本目に対してはどうしても衝撃は薄れてしまうと思います。

(まあそもそも、審査員の芸人はカミナリがどういう漫才をするかは当然耳にしているでしょうし、見たこともあるでしょうが、会場や茶の間の受けとして)

ですから、やはり2本目に勝負ネタを残しておくことが優勝には、不可欠ではないかと思います。

ただ、そうなると1本目をインパクトだけで乗り切れるのかという問題は発生するのですが、……。

 

以上です。