週刊ヤングジャンプ 2017年24号(特大号)
今週は特大号だ。
だから19円高い。
でもその特大要素がラブライブ声優のグラビアと「君は淫らな僕の女王」のソフト化パクリみたいな読みきりだというのはいただけないぞ。
まあ新連載もあるけど。
helveticaヘルベチカ(新連載)
静和大学1年生、黛旭は「異界の魔女子」と呼ばれるアニメを愛好するオタク男子。ある日、黒猫を連れた謎の美少女に押し入られ、スタンガンを当てられるという数奇な経験をする。その日の夜、バイト先のアニメショップで女性が忘れ物をしたため届けようと後を追ったところ、ナンパされているところに遭遇。そこから救おうとしたために因縁をつけられる。ナンパ男に首を絞められ「ここが異界ならこんなやつ僕の特殊能力でぶっ飛ばしてやるのに…!」と考えた次の瞬間、旭の手から炎が噴出し、ナンパ男の撃退に成功する。そして旭は警察を騙る集団に連れ去られるのだった――。
なんちゅうか、あらすじの時点でもう完全にジャンプでよくある話じゃないだろうか?
異界に憧れる「平凡な」主人公、突如現る美少女とDQN、ちょっとした勇気、覚醒する異能、、、。
一応あらすじに含めない部分で攻めた展開だったり絵的なインパクトはあるのだが、そこで得点を稼ごうというのもまさに昨今青年漫画でありがちな風潮だな、と感じる。
絵も同じく。新人らしくパースが狂っている部分が多くてデジタルっぽい。コマ割りは妙に細かくてごちゃごちゃしている。というか下手だと思う。
とはいえ、まだ一話である。
「謎の美少女」と「異界の設定」、そこに「helvetica」(※)というタイトルがどう絡んでくるかが、今後の面白さを左右することになるだろう。
※…1957年にスイス人タイプフェイスデザイナーのマックス・ミーディンガー(英語版) とエドゥアルト・ホフマン(Eduard Hoffmann)が発表したサンセリフのローマ字書体。(wikipedia)語源は「スイスの」。スイスの話なん!?
作中作で旭がはまっている「異界の魔女子」(イカジョシ)のストーリーに沿った展開となっていくのだろうというのはほぼ確定であるが、正直「異界の魔女子」ってタイトルはダサくてとてもはやるようなものとは思い難い。
ここら辺に作者(たち)が自覚的かどうかで、今後の期待度は占われるなあ。
うらたろう
悟り坊主キャラとしてうらたろうを生まれ変わらせたのかと思ったが、
(当たり前だが)結構1部と地続きなキャラであった。
それゆえ抱えている憂いと悟りキャラで乖離が生じて、愛しにくいなあ。
うらたろうの中に1部の千代の要素を無理やり押し込めるのはやはりバランスを崩す要因となる。
そのバランスをとるためにもがりを出しているんだろうが。
しらたまくん
最近、この漫画はほのぼのどころかすごく狂気的な何かを描いているなと感じた。
普通にまず絵が怖い。
童顔なのに無理やりひげをつけさせられてお父さんという役割を演じらさせられているキャラの悲鳴が聞こえてくるかのようである。
これは、トイストーリーでビフが魔改造したおもちゃを見たときに見た目のインパクトとは関係なく感じた、命あるものを描くアニメで命があると感じられていて、それでも命がないんだなあと感じさせられた時の奇妙な恐怖と似ている。
ああ、このほのぼのしたしらたまくんワールドでこのお父さんは生きているように描かれていて、明らかに生きていないなあと思う。
念のため、これは下手だとかそういう批判ではないと断っておく。
アニミズムの綻びが垣間見えるさまが怖いのだ。
今回は、しらたまくんが両親とともに進路相談を兼ねた三者面談に出向き、友人鈴川葵の母と遭遇する、という話である。
三者面談で親同士があいさつし、それが子どもには恥ずかしい、というのはあるあるシチュエーションではある。
鈴川母は娘以上のマイペースキャラで話がどうもかみ合わない。
それも理解できる。
だが、そのかみ合わなさに対するしらたま父の反応が
・あ……いやこれは別に
・えぇそうですね
・あ…ヒゲの…
と受けに回っているため、ここでもなんとも奇妙に人格が感じられないのだ。
この怖さはなんなのだろう。
だからオタクじゃないってば(読み切り)
優等生オタク隠し女子をテンプレ通り描いただけのまんがだった。
描き方は全く予想を逸脱しないスタンダードなもの。
まあでも、それはみんなの期待通りということなので、あしたのヤングジャンプで少し人気が出るのはわかる。
でも、ここまでオリジナリティがないと、読み切りどまりでしょう。
友だちからの急なライン
今日は高校時代の友だちから急に俺の通信環境について尋ねるラインが来た。
すわ、乗っ取りかと思った俺はすかさず「あ、怪しいな…、君、三年何組やったかいうてみい」と訪ねる。
すると、意外にも正しい答えが。
本人であった。
wifi業者の社員となったようだ。
良かったのか悪かったのか
友だち幻想―人と人の“つながり”を考える (ちくまプリマー新書)
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「怒りの日」、どんな映画の予告編もワクワク物に出来る説
古来から、映画は予告編が一番面白い、と言われている。
予告編が面白い理由には、「名シーン・セリフがちりばめられている」「時間が短い」「テロップやナレーションなど情報量が多い」などが考えられるが、曲がその面白さの大きな要素を握っている気がする。
あなたも、映画の予告編でなんてことのないJPOPが落涙ものの名曲に聴こえた経験はないだろうか?
映画の予告編、という場は、曲のポテンシャルを増幅させるこの上ないステージである。
ある種、信じられない予算がかかったMVだともいえるわけだ。
そんな音楽の隠れた楽園。秘密のみゅーじっく花園でひときわ輝きを放つのが、
「怒りの日」という教会音楽だと思うのだ。
上に並べた動画のようにパニックムービーで用いられることが多いこの曲。
否応なしに気分が高揚して、映像に見入ってしまう。
映画どころか、底辺Youtuberの飯食い風景やゲーム実況風景でもこの曲を流せば
ワクワクものにできる気がする。
いずれ検証したい。
有田ジェネレーションはもはやワンピースだ
有田ジェネレーションという番組がある。
バナナマン設楽いわく、最も芸人としての能力のバランスが取れた男。
コントヤマグチ君とタケダ君の付き人からスタートし、ボキャブラ天国でスターダムに乗り上げ、それでも邁進せず笑いに熱心に取り組み、着実にスターダムに乗り上げた賢さとマネキン漫才やおとぼけキャラ、リチャードホールやくりぃむナントカ・くりぃむしちゅーのオールナイトニッポンなど伝説のお笑い番組をクリエイター・ショーマン両方の立場から生み出してきたセンスを兼ね備えたスーパー才能人間。
くりぃむしちゅーコンビとしては主にテレ朝系のバラエティを席巻し、上田ピンとしては司会業にまい進してきたイメージがあるが、有田はというとずっとピンでもお笑いに携わってきた。
それは、いつぞやの24時間で飛び出した上田の「有田にはずっとバカやってもらいたい」という言葉を忠実に守ってきた証拠だ。
その結果として、シュール深夜バラエティの嚆矢アリケン、設楽の司会の才能が抜群に発揮された唯一無二の突発コントバラエティむちゃぶり、くくり素人集め系番組(昨今では「さんま×東大生」や「好きか嫌いか言う時間」のフォーマット)の元祖有田とマツコと男と女など超名作が生まれてきた。
そんなテレビバラエティ界の鬼才有田の番組、有田ジェネレーションが面白い、というのは、もちろん周知の事実ではあるだろう。
そもそも有田チルドレンが惜しまれつつも終わってしまった(というかリニューアルだが)、その後継として生まれた有田ジェネレーション。
チルドレンの時点で狂言回し小峠とTBS的にいえばあらびきな芸人たち、それをいじり、評価し、躍らせる有田やケンコバたち審査員といったバランスは相当完成していた。
今、○○な芸人というくくりで、無名芸人を集めるという趣向は言うまでもなく押しも押されぬ人気バラエティアメトーーク的であるし、有田とマツコと男と女的でもある。
彼らに対してむちゃぶり、いじりが行われるPPRタイムはむちゃぶり的だ。
そういう過去の名作の幻影を見ることができるのも、有田チルドレンの大河的楽しみ方であった。
そして、その大河的面白さは、実に計算高く有田ジェネレーションに吹き込まれているのだ。最初の約半年は、有田チルドレンの形式そのままに芸人オーディションが行われた。
オールナイトヘビーリスナーが登場するなど、有田(くりぃむ)大河に目を奪われてきた視聴者には非常にワクワクする始まりである。
そして、半年の時をかけて、ついに有田ジェネレーションが選び抜かれたわけだ。
ここでは彼らの名前は割愛するが、選び抜かれ、また有田のアドバイスによって磨かれてきたというドラマがあるため、非常にかけがえのない人物に、ずっと見てきた視聴者(われわれ)には思えるのである。
そして、別れもある。
ネタバレになるが、ザ・忍者は解散して1人になってしまうんだぜ。
舟からあの愉快なギャガーは降りてしまったのである。
そして、死人も出る。
せつこは死んだ。数週間前から出ていた死亡フラグは、きれいに回収されたのだ。
この面白みは、もはやお笑いではなく、ジャンプ的だ。
友情があり、努力があり、勝利があり、別れがあり、ドラマが生まれているのである。
例えばラーメンズのコントはお笑いの裏に技巧的な伏線回収や演劇的愉しみがあるからこそ独特の評価を得ていると思うのだが、それでいうと、有田ジェネレーションはお笑いの裏にジャンプ的熱さを醸成した革命的番組としてひとかどの評価を得るべきである。
いや、おそらく受けているのだろう。
受けているからこそ、人気番組として続いているのだろう。
しかし、もっとみんな騒いでもいいと思うのだ。
ジェネレーションズカードダスとかも出せばよい。
買わんけど。
早坂吝『○○○○○○○○殺人事件』―バカミスを馬鹿にするバカにはなりたくないが…
第50回メフィスト賞受賞作。
京極夏彦、森博嗣、清涼院流水など錚々たる面々を輩出してきたこの賞の
第50回の作品としては最低ラインは超えているものの期待値は超えていないというのが、正直な感想だ。
目次
- 良いところ―ミステリ的キャッチーさと小説的サービス精神
- 好きじゃないところ―スケールの小ささ
1.良いところ―ミステリ的キャッチーさと小説的サービス精神
タイトルのケレン味が抜群の小説であることには間違いがない。
タイトルをあえて隠して読者に当てさせるというのは、まず新本格以降のミステリ以外ではありえない発想だ。
・フーダニット―誰が殺したか?
・ホワイダニット―なぜ殺したか?
・ハウダニット―どうやって殺したか?
この3大要素で大半のミステリは構成されている。
加えて、
・ウェアーダニット―どこで殺したか?
・フーズニット―誰を殺したか?
・ウェンダニット―いつ殺したか?
が少ないながらも見られるだろうか。
※法月倫太郎の短編集で以上の6要素を1篇づつ取り扱ったものがあった気がする。
その地平に、新たな視点を付け加えたという点は大きく評価できる。
加えて、文章の軽さも称賛に値する点だ。
「ラノベっぽすぎる」という文句を読書メーターかどこかで見つけたが、この軽さはラノベよりも東山篤哉や赤川次郎などのユーモアミステリに近い。
登場人物のキャラも常識の範囲にとどまっており、同じメフィスト賞作家でも西尾維新や汀こるものの作品のほうがよっぽどラノベっぽい。
ともかく、あくまでミステリの範囲で読みやすいようにする工夫がみられる点、実際読みやすい点は大変好印象だ。
こうでなければ売れはしまい。
2.好きじゃないところ―スケールの小ささ
とはいえ、前代未聞タイトルあて―ワッチャネームダニット?―という設定の期待感に反して、どうにも小ぢんまりとした話だった感は否めない。
タイトルあてという隠れ蓑を利用して、大きな叙述トリックも仕掛けられており、それもまた一風変わったもので、それ自体は評価に値するのだが、特にタイトル宛てとリンクし、驚きの連鎖が起こるような仕掛けは全くなかったといっても差し支えないだろう。
この作品は「読者への挑戦状」に始まる尖った趣向ながらバカミス―メフィスト賞作品でいえば「6枚のとんかつ」レベルで―なのである。
俺はバカミスに顔を真っ赤にして真剣に切れるようなバカではないと自負している。
だが、そうはいえども少し鼻白んでしまうのも事実である。
だって小説ではめったなことがなければ笑えないからね。
バカミスは、壮大なスカシなわけで、そこを「ばかばかしいww」と笑い飛ばせる笑いの強度がなければならない。
しかし、今回はそこまでではなかった気がするなあ。
なぜかと考えると、ラノベっぽくなさ過ぎたせいではないか。
つまりは、キャラが薄すぎたせいではないか。
南国に入ると人格が変化する主人公というのは非常にとがっていたが、そのほかの人物は最低限の特徴しかなかった。もっと奇人同士のやり取りを描き、それ自体の裏で精緻な論理を展開したほうが驚きもより深くなっただろう。
ほかの作品は表紙もラノベっぽいしもう少しキャラが立ってきているような気もしないでもないので、
一読してみたい。
鴨川不当感覚
鴨川のすぐそばに位置する小川珈琲で時間をつぶしている。
そもそもここに入ったのは、free wi-fi があると思ったからである。
「京都 無料 wifi」。
婚活パーティにおける第一声で年収を尋ねるくらいに、露骨で品のない検索ワードでぐぐってたどり着いたのだ。
遊牧民必見!というちょうど恥ずかしい古さの惹句が添えられたnaverまとめのナビに従ってたどり着いたわけだ。
しかし、KYOTO wi-fi に繋がらない。
KYOTO wi-fiでググると、普通に問題なく使えるという情報しか出てこないのに。
そもそもあると思っていた小川珈琲独自のwi-fiがない。
くそー、なぜ運命からこんな不当な扱いを受けなければならないんだ。
wi-fiが見つからなかったり、電源があると思ってマクドにはいったら電源がある席は埋まっていたり……。
もちろん、ルーターを持ち歩けばこんな問題は起こらないのは分かっている。
ということは、俺が悪いという結論になるけど。
しかし、「KYOTO wifi 繋がらない」の露骨ワードでもさしたる情報は掴めないのだ。
もう手はない。
こういうとき、自分はスマホを持った原始人だと強く感じる。
小説『七帝柔道記』感想― 体育会系のリアルな良さがわかる
北大、東北大、東大、名大、京大、阪大、九大の七校で年に一度戦われる七帝戦。北海道大学に二浪の末入った増田俊也は、柔道部に入部して七帝戦での優勝を目指す。一般学生が大学生活を満喫するなか『練習量がすべてを決定する』と信じ、仲間と地獄のような極限の練習に耐える日々。本当の「強さ」とは何か。若者たちは北の大地に汗と血を沁みこませ、悩み、苦しみ、泣きながら成長していく。圧巻の自伝的青春小説。
―角川文庫
体育会系のいやなところ、理不尽なところ、無意味なところをこれでもかと煮詰めた描写が幾度も出てくる。
例えば、「カンノヨウセイ」という儀式について。
これは、いわば1年生をいじめて上級生が溜飲を下げるための無意味な慣習である。
柔道部なOBが押し寄せうカンノヨウセイの日、学生たちは体を張って彼らをもてなさなくてはならない。
白いブリーフいっちょに身をつつみ、「嫌いな上級生は誰か」など理不尽な質問に答え、いびられ、こづかれ、怖がらせられる。
しかし、それは上級生による狂言だったと、すべての儀式が終わってから知らされることになる。
1年生に必ず与えられる通過儀礼であり、自分たちがやられたことを後輩にぶつけるチャンスなわけだ。
これは理不尽なことだ。きっと、体罰やいじめとも地続きになっている部分がある。
―しかし、作中の描写を読むと確かに1年生を仲間へと迎え入れる「イニシエーション」の役割を果たしており、道理が通ってはいないが、意味がないわけではない、と次第に思えてきてしまうのだ。
ほかにも体育会系の理不尽、僕た文科系にとっての不可解が作中では幾度となく活写される。
明らかに根性論にのみ基づいた乱取り稽古。
オーバーワークによる致命的なケガ。
打ち込んでいること(柔道)以外の軽視。
頑張ってもどうにも追い越せない歴然とした差を埋めようとすること。
これらは大変不可解な行為だ。
世界にとって害悪といえる場合が多々ある。人を殺してしまうことだってないとは言えない。
しかし、「こういった理不尽な要素を潜り抜けることによって得られる成長はある」とみずみずしい文体と登場人物の細かい心情描写で納得させられてしまう。
この漫画、一丸先生によってビッグコミックオリジナルで連載されていた。
ちなみに、一丸先生は、かわいらしい人物像をリアルとデフォルメが取れ、かつユニークな絵柄で描く漫画家さんだなーと思っている。
発信のしかたさえよければ江口寿史や窪ノ内英作のようなデザイナーとして頭角を現す漫画家となれるのではないだろうか。
ネタバレになってしまうが、増田たち北大柔道部は最後まで一勝もしない。
描かれるのは努力だけで、勝利はない。
あれだけやっても、勝てない。悔しくて、涙がでる。弱音が、吐きたくなる。
そんな気持ちがよみがえり、しかも確実にそれらの思いが自分を成長させて来たということがふっと実感される。
それらをキチンと昇華(消化)できたかはともかくだ。