竹内真『文化祭オクロック』のセカイ系論について
目次
1.廃れたセカイ系と終わらない問題
「元はアニメやマンガの評論から出てきた言葉らしいんですけど、簡単にいうと、自分の身の周りの出来事とか感情とかを、そのまま世界の崩壊なんかに繋げちゃうような作品のことを指すんです。二十世紀の終わりごろまでは個人と世界の間に社会ってものが存在してたけど、今じゃあ社会ってものを抜きにして個人の自我と世界が直結しがちだってことで、そういう考え方もセカイ系って呼んだりもしますね」
竹内真『文化祭オクロック』p122
「セカイ系」という言葉はもはやかなり古い。
宇野常寛の指摘を待つまでもなく作品数、という意味でのムーブメントは「セカイ系」というワードが広まった時点で終結していた。
そして今では……。
例えば、シンゴジラ。〈現実〉は〈虚構〉に、つまり「日常」は「大きな物語」に勝利した。
「君の名は」。興行収入60億の大ヒットスタート。
ちびちびメールを送る必要なんてないし、急に山崎まさよしのリリックビデオにならない。
「きみとぼく」なんてのは、汲々と没入するためではなく、エンターティメントとして消費するためのもの。
bumpもradもMステに出た。今のバンドは紅白目指すって言う方がかっこいいぜ。
きみだけのものじゃない。
きみの「セカイ」じゃない。
しかし、「セカイ系の問題」は結局解決されていない。
これは別に、東浩紀がシンゴジラにセカイ系を求めたからではなく、
言いしれようのない反社会的なセカイ系のセカイが、事件を引き起こしつづけているから。
職場やネットで誰からも相手にされないからって人込みに車で突っ込んだ殺人犯とか、親に叱られてむしゃくしゃしたから赤の他人を指した通り魔とか、そんな類の人がいっぱいいるじゃないですか。
竹内真『文化祭オクロック』p123
例えばちょっと前に話題になったこの
意見陳述、犯罪の質こそ違うが、2008年の秋葉原の連続殺傷事件の加藤智大と似ている。
と思ったらこういう記事があった。
やはりシンパシーを感じているらしい。いや、こんな類似性の指摘、腐るほどされてるだろうけど。
2つの事件に共通するのは、やはり、社会でうまくやっていけないのなら、セカイ=世間的に認められた目の前の幸せな存在、を壊してしまえ!という考えだと思う。
そういう人たちって、社会ってものを意識しないで、自我の外側がそのまま世界全体になってると思うんです。
竹内真『文化祭オクロック』p123
2.『文化祭オクロック』とは?
ここからは本の感想。
何度か引用してる『文化祭オクロック』 2012年に創元推理文庫から出版された小説。表紙は節度を保ったラノベって感じ。
内容も大人も楽しめるとは思うものの、ティーン向け。ジャンルは青春ミステリ。
だから、近いのは米澤穂信の『文化部シリーズ』とか、あとよりみちパンセ系。
作者は竹内真。『粗忽拳銃』で小説すばる新人賞、『カレーライフ』で京都水無月大賞を受賞している。ちゃんとした作家だ。
※『パーフェクトブルー』の作者で北野誠のラジオ『サイキック青年団』(大手事務所の悪口言って終わった)の放送作家の竹内義和と混合しないよう注意。俺はエセサイキッカーだから誤解していた。
ストーリーは、文化祭の学校を舞台に、校内ラジオを取り仕切る謎のDJネガポジの正体を巡って様々な視点が交錯し、学校の止まった古時計とともに真相を暴くラストへ向かっていくというもの。
ちょくちょく入れてた引用は、そのストーリー自体にはあまり関わりのない数ページ。
DJネガポジと、文芸部員一年の村上の会話だ。
「思索」が趣味だという村上は、ラジオで、最近思索していることとして、冒頭のようにセカイ系を語る。
セカイ系と反社会的な事件を結びつけるのは、珍しいことではない。
むしろ王道の文脈。
でも、この後のDJネガポジの発言は、割とセカイ系解釈としては珍しいものだと俺は思った。というか、ずれている感じ。DJネガポジはセカイ系に詳しい人間ではないという設定なのだから仕方がない。
だが、それが妙に今示唆的である気もするのだ。
3.世間におもねるネオセカイ系
今年、相模原の障がい者施設で19人が死亡、26人が重軽傷。
犯人は、元半グレだし、殺意の対象が「世間」ではないし、なんか大したことないやつが妙に大胆な事件を起こした以外は先にあげた事件との共通点はない。
『例えば仲間で遊んでるときに、一人のケータイが鳴り出して、そいつがでかい声でお喋り始めて、みんなが引いてるとするでしょ。そいつに向かって、「もっと小声で話せよ。空気読め」だったらわかるんだけど、そいつに注意したら反対に「うるせえな。今大事な話してんだよ。空気読め」って逆ギレされたら、ちょっと待てよって思うじゃないですか。そんなの空気でも何でもない、お前の勝手な都合だろって。極端な話、そういう奴って自分の感情を空気って言葉にすり替えてると思うんですよ。自分と世界を混同してる感覚っていうか』
竹内真『文化祭オクロック』p124-125
これは先ほどずれているといったDJネガポジのセカイ系の話。
作中で
『そういうのもセカイ系って呼ぶのかな?』
「いや……呼ばないと思います」
といわれているようにセカイ系の定義や文脈とはずれるが、どちらかといえば相模原の事件には当てはまる気がする。
犯人による殺害をほのめかすメモの中に、「努力しない人間は生きていてもしょうがない」といった内容が
前触れなく発症か 相模原殺人容疑者の“精神疾患” 〈週刊朝日〉|dot.ドット
なんというかこの犯人の主張で「世の中はこうあるべきだ!」っていうセカイに閉じこもっている感じ。
やっぱり、セカイ系は2005年あたりに批判されたように、現実から目を背け、幻想に逃げ込む甘えの思想なんだと思うんだけど、あまりにその〈虚構〉への逃避がうまくいかなくなりすぎて、「お前ら」〈現実〉のいう通りだよ!努力できないダメな奴は死ぬべき!」という「空気読め」を逆手に取った逆ギレみたいなものが事件を起こした気がする。
これを「世間」におもねるネオセカイ系と呼びたい。
そこにある気持ちは「認められないなら壊してしまえ!」じゃなくて、「これはお前らが普段言ってるやつだから壊してるんじゃなくて通常営業だよな!」という気持ちが、根底にあるセカイ系。
まあ、「世間」から目を背けるTHEセカイ系も逆切れでやってはならないことを起こしてるんだけど、主張がまだ内向きで、まったく賛同の芽もないものだったと思う。
それが、相模原の事件では多少同調意見が極々少数ながら見られたわけで。
こういう事件が後に続く可能性もずっと高いような気もする。
それを防ぐ方法もDJネガポジが教えてくれるのではないかと思って、この本を読み返すわけだが、彼は唐突にこの話題を打ち切り、曲を流して放送を中断してしまうのだ。
後に流れるのは、レディオヘッドの『Inside my head』だけ。
この曲の歌詞、暗い。。。
It won't let go, it won't let goー自由になんてなれやしない
You're inside my headーお前は私の頭の中
Radiohead(レディオヘッド) - Inside My Head Lyrics 洋楽好きのための洋楽歌詞・動画専門サイト WEB-SONGS.COM