「お前それ、デカルトに向かって同じこと言えんの?」と思っていたがデカルトの生涯あんまり楽しくなさそう
就活の折、よく「素直であるのが一番だよー」と言われた。
(ほんとは一回だけだったかもしれないが、「よく」に感じた)
そのたびに思ったのが、「お前それ、デカルトの前に向かって言えんの?」だ。
俺は哲学科ではない。
だから哲学は詳しくないし、間違っている知識だらけ。
それでも、デカルトが素直な人間だったはずがない。
言われたことを疑って、周りの存在を疑って、自分自身も疑って、
最終的に、我思うゆえに我あり)Ⓒデカルトにたどり着いたんだよ。
素直な人間がそこまでの賢人になれるか???
バカたれ!
お前らはオツムが足りないからすぐ洗脳されてパッパラパーになってるだけだろうが!
なぜなら読みやすいから!
そう思っていた。
すごく中学生的というか、むしろ、大卒で音楽の才能が無い尾崎豊が持ちそうな考えだが、いまだに俺が間違っているとは思わない。
ただ、今思うのは、あのとき「素直は楽だよー」と言ってくれりゃあ良かったのになということだ。
「正しくはない」が「楽」なのだ。
そして、実は、この世に、「正しい」はない。
楽に生きることは素晴らしく楽だ。
すぐに「不道徳教育講座」とか「不良のススメ」とかに目が行く
文系男子には「良い」ではなく「楽だ」ですすめて欲しい。
「良い」と言われると、「ムムッ、良いものなんかこの世にはないぞ!良いと思うお前がいるだけだ!嘘つきめ!」となるが、
「楽だ」と言われると「ほんとに楽なのか???」となる。
どちらも似たようなものに見えるが、後者はこちらの提示する価値に乗っかっている時点で大きく前進だ。
このように彼らであり<僕>に対処すれば、この世の陰惨な事件はもう少し減ると思うのだ。