恋人以上、友達未満という言葉が好かん
恋人以上、友達未満という言葉が嫌いである。
蛇蝎のように、というわけではないが、蚯蚓や蚰蜒(げじげじ)のようには嫌っている。
その理由は、以下の通り。
1.友達を恋人の下に置いている
この場合の「以上」「未満」というのは親密度という尺度から見てどうか、という意味だと思うが、それでも恋人のほうが友達よりも親密だという前提がある時点で気に食わない。
「恋人は友達の進化形ではない」と俺は思う。
恋人と友達の違いは自分にとっての役割の違いである。友情を取り交わすのが友人であり、愛情を取り交わすのが恋人なわけだ。
それを一つの尺度で測って優劣をつけるのは「小説」と「漫画」の間に優劣をつけるくらい的外れなことだ。
これに付随して、「恋人と親友が崖からぶら下がって今にも落ちそうなときどっちを 助ける?」といったような質問もくだらないと思う。
「小説と漫画どっちが面白いと思う?」と言って答えられるだろうか。
答えられる奴は狂信者かバカである。
2.友達を恋人予備軍として見ている
俺は正直、一回友達フォルダに入れた人間を恋人フォルダに入れなおせる人間の気が知れない。
これはいささか純情すぎて気持ち悪い発言だが、俺も友情を語った相手と同衾をもくろむ君を気持ち悪いと思っている。
俺は、友情をきれいかつ絶対不変なものと思いすぎているのかもしれない。
でも、そうであれと思し、「我々の道徳はそうであれ」と願うことを基盤の一つとしているような気がする。
だから、幼馴染と付き合い、結婚した、なんて漫画の設定を見ると正直若干引く。
タッチもちょっと引く。
みゆきは逆にいける。
意外と2つしか理由が出なかった。
ともかく、友情をもっとみんな重視してほしい。
どうも友情の歌は少ないような気がするし、映画や小説、ドラマでも友情をテーマにしたものは親子モノや恋愛モノに比べてまれだ。
みんなが友情を重視するようになれば、ある種沖縄のもやいのような関係性を築けて、結婚や子育てなどせずとも孤独死せずに気楽に過ごせる気がする。
でも、人類減るからあかんか。あーあ。