喧嘩稼業7巻 感想ー戦術と大喜利
木多康昭のマンガ、『喧嘩稼業』(ヤングマガジン)が俺は大好きである。
昨日、7巻を一気に読んだ。やはり安定の面白さであった。
喧嘩稼業は、大まかに言うと天才的な頭脳を持つ高校生佐藤十兵衛が格闘技で戦う話だ。
前章にあたる喧嘩商売は少年ジャンプの異端ギャグマンガ『幕張』や『泣くようずいす』の作者である木多康昭らしいパロディ・下ネタ・悪意に満ちあふれたギャグマンガとして始まった。
しかし、小学生時代いじめられていた十兵衛がそれを救ってくれた空手師高野と戦う4巻のエピソードから話は大きく頭脳格闘戦に傾いていく。
因縁の相手となる不死身の喧嘩師、工藤や卑怯きわまりない金メダリスト金田との戦いはどれもジョジョとバキを同時に読んでいるような満足感を与えてくれる。
まぁ実際その2作(とくにバキ)の影響は大きいだろう。
主人公のキャラはデスノートのライトが卑俗になった感じである。
喧嘩稼業になってからは「最強の格闘技とはなにか」というテーマを追究する一大イベント陰陽(インヤン)トーナメントが開始された。
アシスタントの情報によるとすでにしっかりとその答えは用意されているという。
この7巻はそのトーナメントの1回戦、十兵衛と、天才日本拳法師佐川徳夫の対決の始まりを描く。
バトル漫画における戦術とは、大喜利に近いものだと思っている。
通常の場合、戦術とは決して面白くはないことがほとんどだ。
オリジナルの対策を個々人が生み出せたらそんな楽なことはなく、指導者が教えてくれた技のかけ方、外し方をどれだけ鍛錬で自分のものにできるかが見ものとなる。
しかし、漫画ではそうはいかない。
戦術は、効果的である以上に「面白い」ものでなければならない。
この場合の面白さは予想のつかなさと同義である。その予想のつかなさが戦闘上の効果につながる説得力を与えられたとき、漫画的ベストバウトが生まれるのだ。
木多先生はさすがギャグマンガだけあってその面白さ=予想のつかなさを生み出す技術=大喜利力が高い。加えて、分析力があるため、戦術に説得力を持たせられるのだ。
彼の有名なエピソードとして「遊戯王の高橋和喜先生に頭脳バトルとは何たるかを教えるためカイジを勧めた」*1というものがある。そういったアドバイザー的な資質、漫画を俯瞰してみる能力が喧嘩商売の戦略策定に生かされていると俺は思う。
6巻もその大喜利的戦術センスが大きく生かされた内容であった。
ネタばれは良くないかなと思うのでしないが、
ヒントは「自分より強い相手に一方的にダメージを与えるには?」という問いへの見事な1つの回答がここで出されているということである。