凶悪(2013)感想 脚色が足を引っ張った
AmazonPrimeで『凶悪』を見た。
TSUTAYAで新作だったころはレンタルランキング上位に入っていたなーという思い出とリリーフランキーの『SCOOP!』でのアウトロー演技が良かったことがその理由。
結果としては予想していた面白そうポイントはそのままあったけど、結構ダメなところも多い映画だという感想だ。
以下、理由を述べる。
あらすじ
史上最悪の凶悪事件。その真相とは? ある日、雑誌『明朝24』の編集部に一通の手紙が届いた。それは獄中の死刑囚 (ピエール瀧)から届いた、まだ白日のもとにさらされていない殺人事件について の告発だった。彼は判決を受けた事件とはまた別に3件の殺人事件に関与してお り、その事件の首謀者は“先生”と呼ばれる人物(リリー・フランキー)であるこ と、“先生”はまだ捕まっていないことを訴える死刑囚。闇に隠れている凶悪事件 の告発に慄いた『明朝24』の記者・藤井(山田孝之)は、彼の証言の裏付けを取る うちに事件にのめり込んでいく……。
「凶悪」(amazonビデオ)
予想していたとおり面白かったところ
①役者陣の演技
ピエール滝とその情婦役 松岡依都美が良かった。
ピエールは特に死刑囚としての抑えた演技が。壁一枚隔てても礼儀正しくても「こいつ殺人犯だな」と思わせるムードがあった。
松岡はうらぶれた人間感がこの作品からいい意味で花を取り去り、リアリティを加えていたように思う。「ありふれたクズ人間がうまいな」と登場時に感じたのだが、結果、思った以上に悪い奴だった。
リリーフランキーも良かったけど、出番が思ったより少なく、『SCOOP!』で見たときほどハマッてなかったように思う。それに、キャラが思ったより薄い……(後述)。
範田紗々のパイオツも映画冒頭にもかかわらず記憶に残ったという意味でよかった。
R15と言えど、AVと一般映画ではやはり違う。人間はやはり社会的にエロを捉えているのだなあ…。
②ノワール描写
凶悪というタイトル通り、ピエールらが人を人とも思わず暴力性を発揮する様が、語弊を恐れず言えば楽しかった。
アウトレイジが興行収入1位をたけし映画で初めて獲ったように、暴力性は原始的な楽しさと結びついていることは間違いない。
発明はなかったが、人を殺すときの暴力に「怒り」がないのが特によかった。
作家の朝井リョウが「怒り」とは感情があふれ出したというのが最もわかる状態だと言っていた。
その理論で行くと、怒ってふるう暴力=コントロールできない感情にあかせた暴力ということになる。
その点この作品では基本楽しそうもしくは作業っぽく暴力をふるい、怒りの暴力は舎弟にふるうくらいのものであった。
予想していなかったダメなところ
①リアリティの欠如
なぜあんなに適当に殺人を犯しているのに放火を犯したときまで罪が発覚しないのか?なぜやくざの組長にボディガードの1人もいないのか?また、組長に暴力をふるったのにピエールやその舎弟の五十嵐は殺されないのか?
などピエールらに都合よく話が回りすぎな感じがした。
加えてひどいのが山田孝之演じる記者の仕事描写。
あんなにほかの仕事を放置して取材ができるほど記者は甘い仕事なのか?記事をまとめて提出したとたん編集長が味方になったのも特に強い理由がなく、納得いかない。お前、最初に「殺人犯と不動産ブローカーがつながってるなんてありふれた話しすぎて記事にならない」いうてたやないか!パパラッチとして二世議員と女優のキス写真を職務放棄して逃したことのお咎めもないならあの描写の意味が分からない。
新潮社の協力を受けているということで、あえてファンタジー的な記者の描き方にしたのだとは思うが、俺は乗れなかった。
②テーマのわからなさ
この原因も、山田孝之演じる藤井記者にある。
藤井の母は痴呆の症状のある状態であり、池脇千鶴演じる妻はその介護で疲れ果てている。しかし、藤井記者は家庭を顧みず、事件にのめりこんでしまう。
そして、ネタバレになるが、ここがメインではないので言ってしまうと、最終的に離婚届を持ち出された山田記者は、今まで抵抗をしていた老人ホームへ母を送るという選択をとる。
この部分とピエール・リリーらの話を結びつけてテーマを抽出すると、「老人とそれを邪魔に思う家族」というのが浮かび上がる。
ピエール・リリーらは老人に保険金をかけて殺し、保険金代や奪い取った土地代をせしめるのだ。それは、老人の家族の依頼によるものだったりもする。
確かにそれと山田家の状況は重なるだろう。
しかし、その問題に対する解決策は「老人ホームに連れていく」しか示されないのだ。借金まみれの老人も出てくるのだが、それに対する解答は見られない。そもそも金や地域の都合で老人ホームに入れない家族もいるだろう。その場合どうするのか。
ここまで考えて、タイトルを 鑑みると、やはりテーマは「悪とはなにか」だという真説が浮かび上がる。
そうなると、藤井記者の家庭の設定は蛇足に過ぎない。というか、老人に目を向けさせてしまう分、大きくテーマを描きにくくする余計な部分だと思う。
しかし、「悪」についてもはっきりと回答が出されたようには感じられない。
それは、リリーフランキー演じる「先生」にそこまで「悪のカリスマ」が感じられないからではないか。
何せ、冒頭から人を殺し、女を犯し、生きたまま火をつけるピエール滝が「先生」と慕っていた人物である。俺は、彼の何枚も上手を行く極悪だと予想していた。
しかし、実際は単なるサイコパスの金持ちといった感じで、むしろピエールの役より悪さや怖さという面では目減りするのだ。
制作陣は、先生が率先して死体の焼却炉に火をつけたがったりスタンガンを使いたがったりする様子で「悪」を伝えられると思ったのかもしれないが、不十分である。
ピエールは死体をノコでバラバラにし、少し前まで友人としていた相手を縛って川に突き落とすのだ。こっちのほうがよっぽどである。
では、ピエールが真の悪かというと、舎弟や情婦には本当に情をかける人間だという部分がそのノイズとなってしまう。
それとも、結局人は悪と善を併せ持っている。悪は人の心の中にあるという結論なのだろうか?
だとしたら、凶悪というには陳腐な結論である。
以上、凶悪の感想であった。
実際の話を下敷きにしているということなのだが、
こちらのほうが「先生」の得体のしれない怖さは強い。
そういう意味で、暴力団員 須藤(ピエール滝)に少しフォーカスしすぎたのではないか。
藤井記者へのフォーカスも逆効果だったように思う。
つまりは、もう少し元の事件に忠実で良かったと思うのだ。