小説『七帝柔道記』感想― 体育会系のリアルな良さがわかる
北大、東北大、東大、名大、京大、阪大、九大の七校で年に一度戦われる七帝戦。北海道大学に二浪の末入った増田俊也は、柔道部に入部して七帝戦での優勝を目指す。一般学生が大学生活を満喫するなか『練習量がすべてを決定する』と信じ、仲間と地獄のような極限の練習に耐える日々。本当の「強さ」とは何か。若者たちは北の大地に汗と血を沁みこませ、悩み、苦しみ、泣きながら成長していく。圧巻の自伝的青春小説。
―角川文庫
体育会系のいやなところ、理不尽なところ、無意味なところをこれでもかと煮詰めた描写が幾度も出てくる。
例えば、「カンノヨウセイ」という儀式について。
これは、いわば1年生をいじめて上級生が溜飲を下げるための無意味な慣習である。
柔道部なOBが押し寄せうカンノヨウセイの日、学生たちは体を張って彼らをもてなさなくてはならない。
白いブリーフいっちょに身をつつみ、「嫌いな上級生は誰か」など理不尽な質問に答え、いびられ、こづかれ、怖がらせられる。
しかし、それは上級生による狂言だったと、すべての儀式が終わってから知らされることになる。
1年生に必ず与えられる通過儀礼であり、自分たちがやられたことを後輩にぶつけるチャンスなわけだ。
これは理不尽なことだ。きっと、体罰やいじめとも地続きになっている部分がある。
―しかし、作中の描写を読むと確かに1年生を仲間へと迎え入れる「イニシエーション」の役割を果たしており、道理が通ってはいないが、意味がないわけではない、と次第に思えてきてしまうのだ。
ほかにも体育会系の理不尽、僕た文科系にとっての不可解が作中では幾度となく活写される。
明らかに根性論にのみ基づいた乱取り稽古。
オーバーワークによる致命的なケガ。
打ち込んでいること(柔道)以外の軽視。
頑張ってもどうにも追い越せない歴然とした差を埋めようとすること。
これらは大変不可解な行為だ。
世界にとって害悪といえる場合が多々ある。人を殺してしまうことだってないとは言えない。
しかし、「こういった理不尽な要素を潜り抜けることによって得られる成長はある」とみずみずしい文体と登場人物の細かい心情描写で納得させられてしまう。
この漫画、一丸先生によってビッグコミックオリジナルで連載されていた。
ちなみに、一丸先生は、かわいらしい人物像をリアルとデフォルメが取れ、かつユニークな絵柄で描く漫画家さんだなーと思っている。
発信のしかたさえよければ江口寿史や窪ノ内英作のようなデザイナーとして頭角を現す漫画家となれるのではないだろうか。
ネタバレになってしまうが、増田たち北大柔道部は最後まで一勝もしない。
描かれるのは努力だけで、勝利はない。
あれだけやっても、勝てない。悔しくて、涙がでる。弱音が、吐きたくなる。
そんな気持ちがよみがえり、しかも確実にそれらの思いが自分を成長させて来たということがふっと実感される。
それらをキチンと昇華(消化)できたかはともかくだ。