悲しきボディワイフ
今日は録画したワイドナショーを見た。
ゲストはデヴィ・スカルノ夫人。
「あ~た、当時の社交界では恋愛はゲームだったのよ」
その話ぶりを聴いてさすがデヴィ婦人セフレここにあり、と思った。
3月に終わってしまったニューヨークのオールナイトニッポンゼロに「加藤ミリヤか!」*1というコーナーがあった。
加藤ミリヤか!
『デート、私の家ばっかりだね・・』の様な、
セフレあるある、セフレが言いそうな事を送ってください!
言いそうなことは「 」(かぎかっこ)で書いてもらえると助かります!
セフレとヤリマンは違うので注意してください!
メールの件名は「加藤ミリヤ」でお願いします!
「ニューヨークのANN0#23」
http://www.allnightnippon.com/program/zero/2016/09/ann022.html
はがき職人日照りのニューヨークANN0の中では、そこそこ盛り上がったコーナーであり、俺も嫌いではなかったのだが、ある種の違和感もぬぐえずにいた。
その理由がワイドナショーの視聴により、わかった。
俺は、どちらかといえばセフレに陽気なイメージを、それこそ今回デヴィ夫人が言った社交界のフリーセックスのように、ラブイズゲームないイメージを抱いていたのだ。
だから、ニューヨークの物言いには乗れなかった。
俺がこんなにセフレにポジティブな理由をより深堀すると、たぶん「フレンド」という言葉に多大なる良いイメージがあるからだと感づいた。
セフレ=セックスしつつも友情をもって付き合うハッピーな男女関係と思っていたのだ。
しかし、ニューヨークいうところのセフレは「愛情を抱きつつも男側からは受け入れてもらえず、ただ体を交わすだけの悲しい関係」なのだ。
こんなのセフレじゃないやい!
と言いたいが、セフレがいたことがないので何とも言えない。
でも、やっぱり今の理論でいうと、もっと適切な呼び方がある気がする。
例えばボディーワイフとか、ボディステディとか。
この言葉を、ニューヨークのANN0がやってる間に送りたかった。
まあ、しょうがないからランパンプスにでも送るかな。。