無意識のせいだった。
勉強せずに部屋の掃除をこなすというあるある。
どっちかといえば人間のはまってしまいがちな心理の沼―失敗としてみんなに認識されていることが多い。
だが、部屋の掃除は、長期的に見れば身の入らないままに勉強をするよりも有意義なのではないか。
どうせ掃除はしなければならないのだ。
もし勉強もしなければならないのなら、掃除をやる気が起きないときに勉強をやってしまえばいいのではないか。
と、考えたところでそういえば今までうっかり勉強をやってしまったことはないな、と気が付いた。
勉強は、脳みそを使って意識的にしなければならないことだからだろうか。
しかし、漢字の書き取りなどは意識的にやることとも言えない。
いや、本当は意識的にやったほうが良いのだが、ほぼ無意識に手を動かすだけでもできる。
しかし、掃除に身が入らないから漢字の書き取りしようか、と思ったことなどない。
それは、もう、勉強がつまらないものと思い込んでしまっているからだろう、と一応の真実めいたものを仮置きする。
ここで、では、つまらないと思ったものに逃避した経験はないものか、と考えなければならない。
・・・なかった。
無意識のせいだった。