『ギフテッド』 75点 たいへんまっとうなパンチだった ※ネタバレ感想
はじめの一歩でいう真柴ばりのフリッカージャブをお見舞いされに行ったら、思ってもいないがゆえに意外な鷹村のストレートを喰らったような、そんな気分。
75点
『ギフテッド』とは、天から才能を与えられた(gifted)人間のこと。カリフォルニアでフリーのボート修理工を営むフランクは、数学において顕著な才能を示す7歳の少女とメアリーと、片目の愛猫”フレッド”と暮らしていた。その早熟故、普通の学校の教育にはなじめないメアリー。しかし、フランクはメアリーを生んだのち自死を選んだ自身の姉ダイアンの遺志”彼女を普通に育てたい”を尊重し、彼女をギフテッド向けのスクールに通わせようとはしなかった。そんなある日、メアリーに英才教育を施したいと考えるフランクの母、イブリンが現れ、フランクはイブリンとメアリーの養育権を法廷で争うことになる――。
全体(えらくストレートで真っ当な家族もの。シンプルにリフレッシュしたいときに)
日本版ポスターのコンセプトは”インスタ映え”らしい。
そんな俗っぽいものだったのか……。
とはいえ、その安定感のあるデザインは「これ名作だよ」とあたかも我々に訴えかけているようですらある。
だから、絶対見ようとは思っていたのだ。
映画のタイトルにもなっている通り、この映画の1つの主題は「”天才”をいかに育てるか」。サヴァン症候群なんて言葉があるが、天才は規格外だからこその天才なわけで、ときに”普通”の学校では「天災」にもなりうる。では、天才ばかりの学校に通わせ、その才能をもてはやし、毎日大人と接しさせればよいのかというと、マコーレ・カルキン君(彼は一生君付けされる運命か)を引き合いに出すまでもなく、YESとは言えないだろう。
その2つの価値観が法廷で戦わせられる、という要素はあるにはある。
だが、映画全体を包み込むテーマはもっとシンプルなものなんだなあ。
シンプルに「親子愛もの」です、これ。
なにせ作中でも12を争う名シーンが病院で何時間も子供が生まれるところを待って、その瞬間の親の表情をメアリーに見せることで間接的に「望まれて生まれてきた」ことを伝える場面なのだから。
もう一つ、ほろりとしてしまうシーンのセリフは「ずっと一緒だって言ったのに!」です。
大体想像つくでしょ?
たぶん、その想像は外れていない。
そのくらいストレートなお話なので、やや肩透かしを喰らった……というのは申し訳ないほど真っ当で、まあ結論としては佳い作品というところに落ち着くなあという感じです。
良かった点
1.マッケナ・グレイスの演技
インスタのフォロワー467千人のマッケナ・グレイス。まつげがくそ長い。
フラーハウスにも出てるらしいね。
たれ目で彫りが深くてふと眉。そもそも利発そうな顔をしている。
まあ、どこでも言われていることだけど、ギフテッドと7歳の子どもという相反するような人格をたいそううまく演技の中で同居させておる。
ギフテッド感は、やはり”おばあちゃん”といるときにあらわれることが多い。あんり・ポアンカレら数学者の肖像画が飾られた大学のフロアで「私もここに肖像画が飾られるかもしれないの?」と尋ねる顔は野心を忍ばせた天才そのもの。
しかし、フランクといるとき体へのまとわりつきやぶら下がり、特に夕日で陰になったシーンでの覆いかぶさりやサングラス使いまで、動きだけでフランク大好きなことが伝わるし、非常に仲睦まじい。もちろんフランクと引き離され、再開したシーンでの涙も見事である。
ほかに演技としては、担任でフランクとロマンスの仲となるボニー(ジェニー・スレイト)の若い先生感も良かったと思う。
2.偽物のアウフヘーベン
基本的には視点人物はフランクなのだから、観客はフランクに共感する構造となっている。
フランクはメアリーを普通に育てたいと思っている。恋愛やほかへの興味さえもあらかじめ摘まれてついには死を選んだ姉の二の舞にはさせまい。そう考え、イブリンにはメアリーを渡さない。
反対にイブリンは、才能あるメアリーにはそれにふさわしい教育を受けさせるべきだという考えがある。また、自分もかつて数学者だったことから夢を託しているし、才能を使わないのは社会にとっての罪でさえあると考えている。そのせいでダイアンが死んだとは考えたくない。
まあここだけ見るとどっちの主張もわかるとはいえ、毒親丸出しのイブリンには渡したくないよなーという結論なのだが、法廷ではイブリンの行為(姉への束縛)が明かされた後に、フランクのネック(裕福でない暮らし・ピアノも買ってやれない・去年酒に酔って留置場に入れられた)などが明かされる。
で、とはいえ心情的にはまだフランクだよ、と思っているところに折衷案が出される。
「メアリーが12歳になるまで車で30分の場所にいる里親にだし、お互い定期的に会う。12歳になったらメアリーにえらんでもらう」
ここで、「お、これこれこれがええんや」と観客は99%思う。これこそ、アウフヘーベンだと。
だが、結局それもメアリーを才能の入れ物としか考えない、空虚な論理でしかない。
ギフテッドとはいえ子どもなのだ。今まで住んでいた家を離れさせられて、それで納得いくだろうか? 12歳で結論が出せるだろうか? 里親にきちんと意見がいえるだろうか?
テーゼとかアンチテーゼとか、そういう論理では割り切れないところに人間の心情はある。
まあ当たり前だしメロドラマ調といえばそうなのだが、やはりうっかり見落としがちな視点を与えてくれる構造は見事だろう。
残念に思った点
1.里親が悪い奴? 疑惑
法廷での折衷案に従ってメアリーを里親に預けたフランク。しかし、無理やりにでも迎えに行くことになる。
それは、メアリーがかわいがっていたはずの片目の猫フレッドが保健所に出されていたからだ。
で、保健所に彼が出された理由は里親が猫アレルギーだったからだとわかる。
でも、猫アレルギーだと彼らは言っていなかった。
つまり、黙ってメアリーの親友を処分しようとしたわけだ。
悪い里親である。
……じゃあ、いい里親なら?
結局メアリーはフランクと住むのが一番という結論になるのだが、里親が悪人という展開を入れてしまうとそりゃそうなるさという感想しか出てこず、着地への感動がぶれる。
”里親がたとえ良い人でも、フランクがいいんだろ!”
そういうメッセージが込められていると思うので、安易に里親が悪人展開は出さないでほしかった。
余談だが、このエピソードではブラックジャック中盤のピノコが養子に出される話(『ピノコ再び』)を思い出した。
総括
Yahoo!映画の評で「『I am sam』の天才版類型じゃん!」というものがあった。
たしかにそういう部分もある。正直俺は『I am sam』の方が感動した。
でも、「天才をどう育てるか」というテーマが取り扱われ、一応の結論が示されるという点では、この映画はやはりほかにない何かを持っている。
「天才的な映画だ!」とは言えないけど「感動とか癒しとかを与えてくれる」という意味では「ギフテッド」の看板に偽りなしだと思う。