岸田劉生のデロリ、椿貞雄のあったかみ
寒いのだ。宮城県立美術館にほど近い途上。
11月27日は『岸田劉生と椿貞雄』展の初日であった。
ファンでもないのに、初日から出向いた。
暇というものは教養を生むのだ。ざまあみろ、エコノミックアニマル。
岸田劉生はともかく、椿貞夫はピンとこなかった。
岸田劉生のピンとくるポイントも『麗子像』しかない。
素寒貧だ。頭の中がという意味で。世の中の大半がそうだと思うけど。
この麗子、後々画家になったらしいんだけど、ともかく彼女が気持ち悪い表情がしているわけが分かったのが今回寒い中美術館に足を運んだ一番の成果であった。
この表情、雰囲気、岸田劉生の意図したものであったのだ。
劉生は親ばかでこんな呪いの人形みたいな怪奇幼女をかわいいと思い込んでしまっているのだ、そう思っていた。
だが、これは「デロリ」というらしい。
「デロリ」とは何か? それは、濃厚で奇怪、卑近にして一見下品、猥雑で脂ぎっていて、血なまぐさくもグロテスク、苦いような甘いような、気味悪いほど生きものの感じを持ったもの
中学二年生に知らせたら気に入ってタトゥにして踵に入れてしまいそうな概念だ。
でもリンク先で紹介されている作品は確かに気持ち悪くて一度見たら忘れられないようなものばかり。
岸田劉生の変態さは、その題材に娘を使ったことなんだな、とわかった。
娘でグロ画像こしらえて額縁に飾るようなもんである。
こちらは禅画の画材として有名な狂僧「寒山」風に描いた麗子。娘がこんな人食い鬼婆みたいになったらとても悲しい。こんなんをイマジネーションでもって絵にしてしまえる劉生は鬼である。
その変態が祟ったのか京都で芸者遊びと酒におぼれる生活を送り、劉生は38歳で死んでしまったらしい。
その劉生に深く師事したのが椿貞夫である。
『岸田劉生と椿貞夫展@宮城県美』「麗子像」全然可愛ないやんけとつねづね思っていたので、それが「デロリ」という劉生の狙った美であるということが分かっただけでも1つ賢くなったね。椿貞夫、知らなかったけどパキッとした自画像は劉生より好き
— 遠縁の親戚 (@miya080800) 2018年1月27日
これがそのパキッとした自画像。
劉生が筆字なら貞雄はゴシック体である。
彼は劉生にかぶれてその絵画を追っかけ、当然娘を使ってデロリにも挑戦したわけだが、結局温かみ系の個性がにじみ出て、晩年に書いた孫の絵では完全に幸せにあふれたものとなってしまっていた。
そのお孫さんはバイオリニストとなり、3月に宮城県立美術館でコンサートをするらしい。
そういう歴史が連綿と続いていく様は、面白いねえ。