裸で独りぼっち

マジの日記

尾木ママはなぜ「国語が苦手だといじめっ子になりやすい」と言ったのか?

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↑参考記事

 

国語が得意でした。

国語が得意な人間にありがちなことに、まったく勉強しなくても点数が取れました。

その理由は、これまたありがちなことに幼少期から活字中毒で、新聞・雑誌からエッセイ・テレビ欄に至るまで夢中で目を通していたからで、なによりも小説を読んできたから。

 

で、その経験をもとにエビデンスなく語ると、国語力というのは極めて「パターン認識」能力に近いでしょう。

 

国語が得意だった人は覚えがあるのではないでしょうか?

問題を読んだ時点である程度答えが読めた経験について。

例えば以下の例をご覧ください。

 

以下の文章を読んで、30字以内で問いに答えなさい。

 

故郷
 昨年の夏、私は十年りで故郷を見た。その時の事を、ことしの秋四十一枚の短篇にまとめ、「帰去来」という題を附けて、或る季刊冊子の編輯部へんしゅうぶに送った。その直後の事である。れいの、北さんと中畑さんとが、そろって三鷹陋屋ろうおくへ訪ねて来られた。そうして、故郷の母が重態だという事を言って聞かせた。五、六年のうちには、このような知らせを必ず耳にするであろうと、内心、予期していた事であったが、こんなに早く来るとは思わなかった。昨年の夏、北さんに連れられてほとんど十年振りに故郷の生家を訪れ、その時、長兄は不在であったが、次兄の英治さんやあによめおいめい、また祖母、母、みんなに逢う事が出来て、当時六十九歳の母は、ひどく老衰していて、歩く足もとさえ危かしく見えたけれども、決して病人ではなかった。もう五、六年はたしかだ、いや十年、などと私は慾の深い夢を見ていた。その時の事は、「帰去来」という小説に、出来るだけ正確に書いて置いたつもりであるが、とにかく、その時はいろいろの都合で、故郷の生家にける滞在時間は、ほんの三、四時間ほどのものであったのである。その小説の末尾のほうにも私は、――もっともっと故郷を見たかった。あれも、これも、見たいものがたくさん、たくさんあったのである。けれども私は、故郷を、チラと盗み見ただけであった。再び故郷の山河を見ることの出来るのはいつであろうか。母に、もしもの事があった時には、あるいは、もういちど故郷を、こんどは、ゆっくり見ることが出来るかも知れないが、それもまた、つらい話だ、というような意味の事を書いて置いたはずであるが、その原稿を送った直後に、その「もういちど故郷を見る機会」がやって来るとは思いもうけなかった。
「こんども私が、責任を持ちます。」北さんは緊張している。「奥さんとお子さんを連れていらっしゃい。」
 昨年の夏には、北さんは、私ひとりを連れて行って下さったのである。こんどは私だけでなく、妻も園子(一年四箇月の女児)もみんなを一緒に連れて行って下さるというのである。北さんと中畑さんの事は、あの「帰去来」という小説に、くわしく書いて置いたけれども、北さんは東京の洋服屋さん、中畑さんは故郷の呉服屋さん、共に古くから私の生家と親密にして来ている人たちであって、私が五度も六度も、いや、本当に、数え切れぬほど悪い事をして、生家との交通を断たれてしまってからでも、このお二人は、わば純粋の好意をもって長い間、いちどもいやな顔をせず、私の世話をしてくれた。昨年の夏にも、北さんと中畑さんとが相談して、お二人とも故郷の長兄に怒られるのは覚悟の上で、私の十年振りの帰郷を画策かくさくしてくれたのである。
「しかし、大丈夫ですか? 女房や子供などを連れていって、玄関払いを食らわされたら、目もあてられないからな。」私は、いつでも最悪の事態ばかり予想する。
「そんな事は無い。」とお二人とも真面目まじめに否定した。
「去年の夏は、どうだったのですか?」私の性格の中には、石橋をたたいて渡るケチな用心深さも、たぶんにるようだ。「あのあとで、お二人とも文治さん(長兄の名)に何か言われはしなかったですか? 北さん、どうですか?」
「それあ、兄さんの立場として、」北さんは思案深げに、「御親戚のかた達の手前もあるし、よく来たとは言えません。けれども、私が連れて行くんだったら、大丈夫だと思うのです。去年の夏の事も、あとで兄さんと東京でお逢いしたら、兄さんは私にただ一こと、北君は人が悪いなあ、とそれだけ言っただけです。怒ってなんかいやしません。」
「そうですか。中畑さんのほうは、どうでしたか? 何か兄さんに言われやしませんでしたか?」
「いいえ。」中畑さんは顔を上げ、「私には一ことも、なんにも、おっしゃいませんでした。いままでは私が、あなたに何か世話でもすると、あとで必ず、ちょっとした皮肉ひにくをおっしゃったものですが、去年の夏の事に限って、なんにも兄さんは、おっしゃいませんでした。」
「そうですか。」私は少し安心した。「あなた達にご迷惑がかからない事でしたら、私は連れていってもらいたいのです。母に、逢いたくないわけは無いんだし、また、去年の夏には、文治兄さんに逢うことが出来ませんでしたが、こんどこそ逢いたい。連れていって下さると、私は大いにありがたいのですが、女房のほうはどうですか。こんどはじめて亭主の肉親たちに逢うのですから、女は着物だのなんだの、めんどうな事もあるでしょうし、ちょっと大儀がるかも知れません。そこは北さんから一つ、女房に説いてやって下さい。私から言ったんじゃ、あいつは愚図々々いうにきまっていますから。」私は妻を部屋へ呼んだ。
 けれども結果は案外であった。北さんが、妻へ母の重態を告げて、ひとめ園子さんを、などと言っているうちに妻は、ぺたりと畳に両手をついて、
「よろしく、お願い致します。」と言った。
 北さんは私のほうに向き直って、
「いつになさいますか?」
 二十七日、という事にきまった。その日は、十月二十日だった。

 

問.「「そうですか。」私は少し安心した。」

この部分で、なぜ筆者は安心したのでしょうか? 

 

この問題を見て思うこと①

太宰治か~。わかりやすい題材でよかった。「なぜ」の質問か、ということは「~から」で回答か。

 

この問題を見て思うこと②

→とりあえずこの一文を探して直前の部分だけ読んでみるか。はは~ん、兄が怒ってないから安心したわけね。兄のこと気にし過ぎやねw 一応頭から読み返して流れをつかみつつ確認しょ。

 

この問題を見て思うこと③

→なるほど、親ともめてたわけか。で、親御さん重体やから帰るわけね。やっぱり太宰は人間失格いうだけあって家族の怒りを買ってたんやなあ。

 

回答

兄が、自分の前回の帰省の際、怒っていなかったとわかったから。

 

このように、国語の問題の解答というのはかなりシステマティックなのです。

「何が回答として求められているか」を読みとき、その前後の文脈からあたりをつけ、全体を読み込んで推測を確信に変える。

 

そこにあるのはパターン認識能力と論理性であって、人の心に共感する能力ではありません。

 

まあ何が言いたいかっていうと、とどのつまりいじめと国語力は関係ないってことです。

ただ、いじめを発覚させないようにする能力は、国語力とかかわるかもしれません。

国語力とはすなわち、先生が望むような答えのパターンを読み取る能力であるとも言えるからです。

それが、尾木ママに「国語が苦手だといじめっ子になりやすい」と発言させた因子ではないでしょうか。

 

国語が得意な者に騙されるな、僕はむしろそういいたい。

ただ、それも偏見を助長することにつながる恐れがあるので、公の場で発言することは控えるでしょうが。。。

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