裸で独りぼっち

マジの日記

『ハングオーバー!』 2009年に戻りたい…… 80点

※ネタバレがあります

TUTAYAのコメディ・コーナーに行くといまだに1~5位の棚に並んでいるのはこの作品だったりする。

でも、もう9年も前の作品なのか……。

I wanna be back to the 2009!!

 ストーリー

 2日後に結婚式を控えたダグ。

ダグの婚約者トレーシーの弟アラン。

ダグの親友で既婚のフィル。

歯科医で彼女の尻に敷かれるスチュ。

4人はラスベガスを目指していた。それは、バチェラーパーティ(結婚最後の夜に男たちで行うバカ騒ぎ)のため。

「この4人にカンパイ!」屋上で酒を酌み交わし、目覚めるとそこは惨状となっていた。

リビングにはニワトリ、トイレにはトラ。部屋はズタボロで。車はなぜかパトカーに。

そして、ダグがいない。残された3人は、二日酔い(ハングオーバー)ですっかり失った記憶を取り返すべく、探索を開始する!

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 所感――化けたB級

 まず、ダグはあんまり物語に絡まないんだなということに驚いた。

初めの車の描写だと、ダグが唯一の常識人ポジションで、そいつがいないと物語がほとんど前進しないのでは><と考えたのだ。

しかし、サブタイトルどおりこれは消えた花ムコの話だった

(関係ないけどなんで、ちょっと陽気な空気を醸したいとき日本人は本来漢字の部分をカタカナにするんだろうな)。

ダグ亡き後は当初クレイジーなナンパ教師と思われたフィルが、ややしっかりもの成分を得て物語を引っ張っていく(とはいえパトカーで歩道で乗り出すシーンは酒という言い訳もないのにクレイジーだったがw)。

ジャケットは正直B級感が過ぎるなあ……。さすがヒットと署名運動がなければDVDセルがなかっただけある。

あんまり魅力的な3人には見えないし、赤ん坊がかなりのメインキャラに見えてしまう。

実際のところは前半のギャグの中心なだけでそれほど大きな役割を担うわけではないのだが……(赤ちゃんシコシコのくだりは怒られそうで良かった)。

町山智浩の解説によると当初は予算がもっと少なくトッド・フィリップス監督が監督量を放棄したことで大幅にシーンを盛り込めたらしいので(なんとトラも赤ちゃんもマイ〇・タイソンもなかったらしいのだ)、制作規模という本来の意味でもやはりこれはB級(少なくとも当初は)だといえるだろう。

そんな出自を踏まえると、よく化けたなあと思えるし、数倍面白く感じられる。そして何よりエンドロールの写真たち……。各所でいわれているが、あそこの「馬鹿な俺たち! 男の友情さーいこう」というのは「典型的なブロマンスだなあ」と思いつつも愉しい✌('ω'✌ )三✌('ω')✌三( ✌'ω')✌

あれだよね、学生時代の仲間と深酒してソープに向かうときみたいな感じというか。

それを女性はやおい的に楽しんだりもするんだろう。

そういう状況が関西のインディーズお笑い界隈ではよく見られることは多数指摘されているので、ブロマンス×お笑いというのは海外でも日本でもハマる題材―最高のお好み焼きの具なんだなあと思う。

 

良かった点①予想できない展開

ライムスター宇多丸が続編の評でいっていたけど「ソリッドシチュエーションコメディ」なんだよね、これ。

つまり、『saw』とか『cube』に代表されるような、時間的・空間的な制約が設けられた状況の中で謎を解くという目的に向かうストーリー。それをコメディで描いている。

そのワクワク感で物語の牽引力は約束されたも同然だったのだなあ。

その分登場人物はバカやってわき道にそれることも可能だ。

ゴールが見えないので、登場人物がそれを妨げでも観客はストレスに感じない。

例えば警察に捕まってスタンガンの講習を受けさせられるシーンとかも実際は本筋と関係ないんだけど、その時点ではまだ何もわかっていないから集中してみるしかなく、その結果キンタマにスタンガンぶつけられてもだえるフィルの姿が見られたわけだ。

 

良かった点②スチュのラブコメ

旅先で酔っぱらったスチュは子(ジャケットの赤ちゃん)持ちのジェイドと結婚式を挙げてしまう。その相手は、ストリッパーながら、ブロンドの良い女で昨日会ったばかりの自分を愛しているようだ。

束縛的な恋人(しかも浮気性)のメリッサと比較するとさらによく見える。

酔っぱらったおかげで超良い女捕まえちゃったよとスチュに自分を重ね合わせて目をつぶってかけたルーレットで持ち金が10倍になったみたいな幸福感を感じることができる。

その恋がちょっと成就の兆しを見せる別れのシーンは、馬鹿バッカやってるブロマンス野郎どもの世界の中で一服の清涼剤のように香るのだ。

下手に真面目なラブコメ作品なら描写として薄すぎだろうが、この作品では逆説的にその恋愛の味が強く感じられて、後味が良かったのだ。

 

それほどでも……な点①1個1個のギャグは出オチ

アメリカと日本のコメディの違いとして「ツッコミ」の不在があげられるが、この作品でもやはりそれは顕著に出ていた。

スチュ「おい! アラン、〇〇やったのか??」

アラン「ああ、〇〇した」

スチュ、顔を抑えて嘆く

 こういうシーンがやたら多かった気がする。〇〇やったのか? と聞いて〇〇したと答えられても、笑いは増幅しないと思うのだ。

かといってツッコンでしまったら、映画を単なるバラエティにスケールダウンさせてしまう下手な方が担ってしまうけれど。

でも、

スチュ「おい! アラン、〇〇やったのか??」

アラン「ああ、〇〇した」

スチュ、顔を抑えて嘆く

アラン「そう悲しむなよ、ちゃんとスキンはしたぜ」

よりへこむスチュ

 みたいな会話へのもうひとひねりが足りなかった気がするのである。

 

それほどでも……な点②ダグがもっと見たかった

この作品では、ダグは最初と最後にしか出てこない。

まあ、ダグを探すのが物語の目的なのだから当たり前だ。

しかし、やっぱり仲間内で一番マトモでありながらカワイソーな展開になってしまうダグというキャラクターはもっと掘り下げても良かったのではないだろうか。

孤独で悩んでいる様子とか脱出するために苦心する様子をそこがどこかという決定的な事実は隠しつつ描写するとか。

この物語、ソリッドシチュエーションな展開づくりで話の推進力はあるとはいえ、謎解きにそれほど重点が置かれているわけではないのである程度ダグが見つかるめどがついいたら話が急に単純になってしまうのである。そこでダグの側の視点も盛り込めばより多彩なコメディが描けたのではないだろうか。

そもそもダグがほかの3人の誰とも一番関係を築けていただろうし。

 

まとめ

キングスマン』とか、現代のコメディ要素含みのハイテンションな作品は多かれ少なかれちょっとは『ハングオーバー』が作ったハイテンションの道を歩んでいるのではないだろうか。

この作品の、差別ギャグ(黒いダグとかアジアンマフィア・チャンとか)や下ネタ(最期の写真やおっぱい)は現代のそういった作品にこそありふれたものに感じる。

つまり、この作品がパイオニアなのではないか。

もちろん確証はないが。

だとすれば、公開当時(2009)に見たら、もっと革新的な面白さに感じられたのではないか。

そう考えると、2009年に戻りたい……