裸で独りぼっち

愉快な毎日の記録

『キックアス/ジャスティス・フォーエバー』80点 オタクが作った正統継承作ゆえに佳作どまり

※ネタバレがあります。

本国では『Kick Ass 2』日本ではジャスティス・フォーエバー。

ペンをブンブン振ったら、残像が残ることでぐにゃぐにゃ曲がっているようにみえる現象がある。

あのぐにゃぐにゃくらいの面白さの映画だった。

つまらなくはないのだ。ずっと見てられる。

でもなんか、芯が通ってねえというか、瞬間瞬間の切り替えで何かを曲げたように目くらまししてるだけだよねえ。

 

ストーリー

 あれから3年、デイヴ(キック・アス)は退屈を持て余していた。もう一度ヒーロー活動がしたい! そう考えた彼は15歳になったミンディ(ヒットガール)に訓練を依頼。学校をサボって隠れ家で特訓の日々を送っていた。

キック・アスがなりを潜めた3年の間、世間では個人でヒーローを名乗るものが続出。元軍人のスターズ・アンド・ストライプス大佐、息子を亡くしたリメンバー・トミー夫妻、キャット・ウーマン風のナイト・ビッチ。そのような面々はヒーローチーム<ジャスティス・フォーエバー>を結成し、悪の盗伐活動にいそしんでいた。

ある日、ミンディは禁止されているヒーロー活動を行っていることが里親のマーカスにばれ、ヒーローを自粛。普通の学園生活に溶け込むことを決意する。相棒を失ったキックアスは、ネット上で知り合ったドクター・グラビティ―のツテでジャスティス・フォーエバーに加入した。

同じころ、前作でキック・アスに父を殺された元レッド・ミスト。クリス・ダミーコはひょんなことから母を殺害。超悪役(スーパーヴィラン)、マザー・ファッカーとなって、キック・アスに復讐することを決意する。

 

所感

前述のとおり、つまらなくはないんだけど、なんか芯がねえ。まさに「2」というべき作品だったなと思う。この作品公開当時は邦ロックをよく聞いていたのでマキシマム・ザ・ホルモンの曲が日本版主題歌になる、というイメージの作品だった。この当時のホルモンは名盤『ぶっ生き返す』から6年ぶりのアルバム『予讐復讐』を出したものの、シングル曲を除き前作以上のマスターピースはなく、「まあ悪くはないけど前ほどじゃないなあ」という感想を俺に抱かせたので、その『予讐復讐』収録の「便所サンダルダンス」が主題歌だったのはデジャヴ的リフレインとなってそれから5年たった今、俺の胸に響いている。

 

問題――問いを立てすぎ、答えなさすぎ

何が問題だったのかを考えよう。

前作『キックアス』は、「もしも現実にヒーローがいたら?」という『ウォッチメン』(2009)や『スーパー』(2010)的問いを起点にしつつ、勢いとコメディでそのあたりの問題はすっ飛ばして痛快アクション作として観客を煙に巻いた作品だ。

そちらの感想でも記述した通り、「現実にヒーローがいたらきっと狂人だろうし、狂人であればあるほど強靭だろうね」というのがマシュー・ヴォーンの用意した答え(のような防衛線)であり、そのラインでこそフィクションだけどリアルでもある絶妙に外連味と現実感のある話運び・描写が成り立っていたのであった。

hadahit0.hatenablog.com

 

対して、この作品では4つの問いがたてられている。

その項目と、<関係する人物・団体>の組み合わせは以下の通り。

 

①ヒーローがもし現実にいたら?<キックアス&ジャスティス・フォーエバー>

②ヒーローが学校の枠の中で暮らそうとしたら?<ヒット・ガール>

③キックアス的世界におけるスーパーヴィランとは?<マザー・ファッカー>

④ヒーローであるという特権意識は友情を破壊しない?<トッド・マーティ>

 

ケイティを除く、前作の登場人物全員である。彼ら全員をストーリーに絡ませ、問いを突き付けようとした本作のジェフ・ワドロウ監督。前作の大ファンで、書き上げた脚本をマシュー・ヴォーンのところに持っていたところ、監督へと抜擢されたそう。

 

う~ん、わかる!

さぞかし前作が好きなんやろうなあ。

 

All You Killed by LOVE

 ①の問いについては、一応前作から引き継いだのもで、キックアスが無数のフォロワーを生んでカオスを引き起こしてしまうというのは、原作の展開でもある。

ヒーローは現実世界にいたらほとんどヴィランと裏表だ、というのは、スターズ・アンド・ストライプス大佐のちょっとヒーローにしては過剰すぎる暴力とか、ジャスティス・フォーエバーとTOXIC MAGACUNTS(マザー・ファッカー率いるヴィラン軍団)の対比とかにはっきり表れている。

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上はドクター・グラビティ―(ヒーロー)、下はマザー・ファッカー(ヴィラン)のセリフ

また、ヒーローなんか身内狙えばすぐ倒せんじゃないのという問いも、終盤のデイヴの父の死で回収されている。

まあ、それくらいか。

 

②の問いについてはこの作品の新機軸だ。女の子社会に適応しようとしてみるヒットガール。ヒットガール萌えの大半の視聴者にとってまさに欲しかった展開だ。このルートの選び方はさすが前作で萌えまくった人だぜという感じがする。女王蜂(クイーン・ビー)ブルックの寵愛を受けるも、ダンスで彼女を凌駕したことから敵判定を下されるミンディ。アメフト部のボーイフレンドにデートに誘われるも、それはアンジーの策略だった。一人道に取り残されたミンディはショックを受けつつ、歩いて帰る。

という流れがある。ストーリーラインだけ見ればヒーローの社会との不協和をスクールカースト問題に乗せて描くだなんて新しくて面白そう! と多くの人が思うだろう。

しかし、描写が少ない!

今書いたシーンが本当にほとんどで、ブルック達女学生との日常がダイジェストでも描かれない。だから、なぜブルックはミンディを気に入ったのか、そして恥をかかされたことでかわいさ余って……状態になったのかが全くわからない。

また、アメフト部のボーイフレンドはデイヴにヒーローに戻るよう説得されたミンディが売り言葉に買い言葉で誘った男だ。だから、どう考えてもミンディに情があるとは思えない。確かに「何度も誘うから」と言っていたし、その背景には膨大な描かれないストーリーがあるのかもしれないが、まったく描かれないソレは種のない畑と同じ。つまり、想像力は育ちえない。

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売り言葉前

 

③については一番しっかりと描かれていた。特にクリス・ダミーコにとってバットマンでいうアルフレッドである腹心の部下ハビエルが叔父によって殺害され、それによって悪に目覚めるという展開は、ハビエルとの関係性がそれまで描かれてきたので衝撃的だし説得力がある。そして、収集されるヴィラン。ビッグ・トニー、チンギス・半殺し(モンゴル人はなぜこの時怒らなかったのか?)、マザー・ロシア。ほとんどマザー・ロシアだが、そのギャグでありながら残虐という悪役の魅力は唯一前作を凌駕した魅力だと言えるし、多くの感想サイトで称賛されている。

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とはいえ、前作のラストでいかにも意味ありげに”ジョーカー宣言”したレッド・ミストが一瞬たりとも現れず、見た目も大きく変わって汚いニートになってしまったのはショックだった。その目的もキックアスへの復讐というちっぽけなものだし。マザー・ファッカー軍はキックアスを殺したとしてその後どうするつもりだったのか。

あんなものただの仮装マフィアでしかないのだから、ほかの大組織に吸収されるか警察に討伐されるのがオチである。マザー・ロシアは警察皆殺しにしてたやんけ! と物言いをつける輩がいるかもしれないが、そもそもアイツ女囚やってんからな。

もっとここに焦点を当てて、世界規模の陰謀を企てされてほしかった。

そして、その期待に完璧に答えてくれる作品、それこそ『キングスマン』なのだ。フォロワーがフォロイーに参考にされてブラッシュアップされているという構造がここにあるわけだ。

 

④について、このサブキャラにもテーマを乗せれるんじゃないかと考えたというのが前作ファンの視点っぽい。トッドはデイヴ=キックアスだとチクったことで多くの視聴者に批判されているわけだが、そもそもデイヴを邪険にしたのはデイヴとマーティである。ヒーローごっこの才能に欠けるトッドは友情から追い出され、復讐に手を染めたわけだ。ただ、その追い出し描写がちょっと仲間外れっぽくなっているくらいなのが批判される原因となっている。この問いも興味深くおもしろいテーマにつながっていると思う。ただ、それを描き切るには関係性を描かなければならないのだ。トッドは前作を含めても10分も画面に映っていないキャラだろう。そんな彼に重いテーマを担わせるのは無理というものだ。脳内に設定が積み重なった監督の中ではもう友情シーンは描きつくされているのかもしれないがね。

 

以上4つの問い。いずれも目の付け所は良いが、描写が浅いという共通の長所と短所を持ち合わせている。それもこれも、監督の前作への愛ゆえではないか。

この物語の俺が好きなすべての登場人物を活躍させたい――。

その思いが、全員にストーリーを駆動する役目を担わせ、結果どっちの方向に走っていいやらわからない状態に映画を陥れたのである。

 

ケイティは?

前作の登場人物の中で、ケイティだけが監督の寵愛を受けていない。

物語序盤でデイヴとミンディの関係を誤解してどこかへ消えてしまう。

その原因は、これまた愛ゆえで、監督は前作のファンの中で根強い、デイヴ途中からリア充化展開がっかり派だったのではないか。

いや、今作のデイヴの方がリア充だろ、ナイト・ビッチとセックスばっかしてるし。

という声が聞こえるが、ナイト・ビッチはその名の通りビッチである。

前作の何が心を痛めたかって、デイヴとケイティが割と普通の、クラスでいそうなカップルだってことである。その点ナイト・ビッチとの逢瀬には愛はない。セックスはあるが、恋愛はない割り切った関係だ。

その点で、本作は前作で非モテを凹ませたデイヴのフツーの幸せの排除に成功したのである。

こういうことをするジェフ・ワドロウは、きっとマシュー・ヴォーンほどのリア充ではなく実はもっとオタク的なメンタリティの人なんだろうなあと思う。

……と思っけどヤリチンぽい顔やな・・・。

 

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おしまい。