『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目覚め 』90点 冗談の才能はないが彼は品がとても良い
たった5館から始まった感動の実話コメディ。
という触れ込みなのでこの映画を知らなかった人はそれを頭に入れておくと良い。
たった5館と聞くと「マジで!」と驚くほどチープさは感じられなかった。
この作品の主人公のイメージは、俺の中ではCOWCOW多田。
カキタレ*1とやるから!
ストーリー
主人公クメイルはパキスタン出身のスタンダップコメディアン。敬虔なイスラム教徒の家族の反対を押し切って、シカゴでコメディアンとして大成するためステージに立つ日々を送っていた。
ある日、そんなにウケないステージで客としてやってきたのがエミリー。クメイルが声をかけ、2人は付き合うことに。蜜月のときを過ごしていたが、クメイルのカードボックスをエミリーが見たことから2人は喧嘩してしまう。家族のつながりを大切にする両親は、パキスタン人女性をクメイルが来るたびに家に招いてはお見合いをさせていたのだ。その女性たちの写真がボックスには入っていたのである。
エミリーと別れ、行きずりの女と寝るクメイル。そこへ、エミリーの友人から着信が。
「エミリーが重傷なの、すぐ病院へ行って」
そして、昏睡状態に陥ったエミリーをめぐって、クメイルと、エミリーの両親の交流、そして実の両親との決別とがゆっくりと始まることになる。
所感―実話なんだから仕方ない
アメリカのスタンダップコメディって正直面白いと思いますか?
なぜ海外にはツッコミという概念がないのだろう?
一人芸の問題点っていうので最も大きいと思うのが、「自分でボケて(振って)自分で突っ込むという構造上、どうしても作り物めいた感じがしてしまう」ところだ。
面白い話を笑いながらするほど面白くないことはない。
つまり、芸人は自分の芸をあくまでも自分は大まじめに信じているかのように披露しなければならない。
落語が自作の者を披露するというよりは昔からの噺を口承で披露するという型も、あくまで昔からある話を伝える係だから俺は、という言い訳の為に用意されているのではないか。
だから、俺は、誘い笑いのお笑いは苦手だ。
長井秀和とかだいたひかるが嫌いなわけではないし、最近だって街裏ぴんくや桐野安夫は面白いと感じたんだけど。
基本的には、そしてこの作品の主人公は。
なにせこいつは空気が読めない。娘の病状を案じている両親に「でも良い方の昏睡状態で良かったですね!」などというのだ。冗談じゃない。
だから、物語の終盤、大病から目覚め、本音しか言えない彼女に「あなたってホントはそんなに面白くないわ。それに、嫌い。一緒にいると悲しくなるし」と言われたときは、「よくぞ、俺が思っていることを言ってくれた」と溜飲が下がった。
しかし、このクメイルがこの作品の本当のモデルで、この作品の脚本を書いて、製作総指揮もしているんだよね、
だとすると、わざと絶妙に面白くない自分をうまくキャラクターとして描いていたということになる。
…むう、すごい。
①つまらない自分を描き出せる客観性が
②絶妙な”つまらなさ”を描き出せるセンスが
それを知ってなお、「でもこいつほんとに面白くないけどなあ」と思ってしまうくらい主人公クメイルはつまらない。すごいぞ、クメイル(本物)。すごすぎて腑に落ちないけど。
良い点①おしゃれな描き口
クメイルのポリシーなのか、この作品の基本的な色調はコメディだ。
メロなところはほんの少ししかないし、その時も悲しげな音楽が流されるなど、ダサい演出は一切流されない。
さらっと流される。その描き口は非常に上品で、好感が持てる。
やっぱり海外はウエットじゃなくて良いなあ。
特におしゃれなのはラストシーン。
コメディアンとして一流になるため、NYに旅立ったクメイル。舞台上で漫談をしていると、客席にエミリーの姿を見つける。
エミリー「lololoolo」 (笑い声・奇声)
クメイル「ちょっとお客さん、笑うのは失礼ですよ」
エミリー「おかしいから笑ってもダメなの? 最高よ! て」
クメイル「ダメです」
エミリー「じゃあ例えばベッドで”最高よ!”っていうのもダメなわけ?」
クメイル「ダメです。それに、僕よりウケるのも」
客「lololo」
クメイル「NYには何しに?」
エミリー「人に会いに」
クメイル「へえ、その彼、彼女かもしれないけど、には会えました?」
エミリー「ええ、彼に、会えたわ」
上記のくだりは初対面と全く同じ。こういった手法はロマコメでは結構使い古されたものかもしれない。だが、イスラム家族との訣別というあまりポピュラーでない題材を持ってきてからの、普通のロマコメ的ベタラストというのは、やはりおしゃれで気が利いていると思う。
変化球を見せたからこそ、最後のストレートが映えるのである。
悪い点①現実よ、主人公に甘すぎでは?
実話なんだったらしょうがないんだけど、クメイルは正直幼児的なところが多分にあるし、自分勝手でもある。
母の言うなりにお見合いをしてきて、その裏ではエミリーと付き合い、お見合いの用をすっぽかす。
相手の女性の気持ちを考えたことがあるのか。
その点についてクメイルが深く反省するようなシーンがなかった*2ので正直彼の成長は一面的なものにすぎないと感じた。
また、ルームメイトのひげ(名前を忘れてしまった)の扱いもひどい。
良い奴なのに、センスのない馬鹿扱いされて、NYへの上京でも仲間外れにされるのだ。あいつは何だったんだ? あいつの意思はどこにあったんだ?
クメイルとエミリー母との和解のプロセスも正直よくわからない。それまでしかめっ面だったのにクメイルが漫談を初めたとたん笑いだし、クメイルを侮辱した男に怒りまでするのだ。母がかなりのモラリストだとしても、クメイルの漫談そんなにツボだったわけ?
俺はずっとクメイルがつまらないと思っていたから、その点がクエスチョンマークでしかなかった。
まとめ――描く違い
本作のコメディは違いを描くコメディだ。
それは、イスラムと欧米社会の違いでもあるし、男と女の違いでもある。
論理に偏る男、感情を叫ぶ女というステレオタイプは欧米でも変わら内容で、共感性が高く、そこでは純粋に面白くあれた。
きっと、イスラムや欧米人が身近にいたら国民性違いコメディ部分ももっと笑えたのやもしれぬ。
勉強になった。
(上品だがつまらない幕切れ)