裸で独りぼっち

マジの日記

『万引き家族』87点 隔たりこそが愛を生む

※ネタバレがあります

重大なネタバレになるが、万引き家族は、家族全員が万引きをしているわけではない。

食人家族とかソニービーン一族みたいに一族総出で万引きのテクを磨き、イ●ンやコ●プを阿鼻叫喚に追い込む話ではないのだ。

 

是枝監督の作品を追ってきた方からすれば、当然のことかもしれないが、「登場人物に肩入れしすぎず、ただ撮る」という姿勢で、登場人物の過去や行く末にどうしたって思いを馳せてしまう物語となっていた。

 

万引き家族は、完結せず、俺たちの胸中で集合・離散を繰り返し続けるのだ。

 

ストーリー

柴田治(父)・信代(母)・亜紀(妹)・祥太(息子)・初枝(祖母)の5人は猫の額ほどの長屋に住まい、万引きを家計の足しにしていた。

――お嬢ちゃん、コロッケ、食べる?

ある日の万引きを終えた帰り、治と祥太は外でおなかを空かせて立っている5歳の女の子、ゆりを拾う。

ゆりを元の家に帰そうとしながらも、虐待の痕や両親の争いの声を聴いて返せなかった治たち。ゆりの本名がじゅりであること、両親が被害届を出したことを見て、じゅりを”りん”と改名させ、家族となっていく6人。

しかし、初枝の死をきっかけにその日常は崩れていく。

キャスト/スタッフ

父:柴田治(リリー・フランキー

母:柴田信代(安藤サクラ

妹:亜紀(松岡茉優

息子:祥太(城桧吏)

祖母:初枝(樹木希林

りん:佐々木みゆ

4番(覗き部屋の客):池松壮亮

女刑事:池脇千鶴

男刑事:高良健吾

監督・脚本・編集・演出:是枝裕和

音楽:細野晴臣

製作プロダクション:AOI Pro.

 

所感―フラットな視点、開かれた結末

この映画は3幕で構成されており、1幕目は万引き家族へのりん(じゅり)の受け入れと日常、2幕目は祖母の死をきっかけとした万引き家族の危機、3幕目が瓦解した後の元万引き家族を描く。

 

全員が同じ苗字を持ってはいるが、心を完全に許しあっているわけではなく、実は、本当の家族でもない。

治・信代はただのカップルで、子どもはいない。昔、治は信代の旦那を殺している。正当防衛は認められたが、死体遺棄等で実刑をくらったものと思われる。

祥太は治の本名。生まれたときに付けられた祥太自身の名前はわからない。おそらく、パチンコ屋で蒸し風呂状態だったところを治と信代に救われ、そのまま攫われたのだと思われる。

亜紀・初枝は実の孫と祖母。亜紀が何かをやらかしていらい、実家にはいられなくなっている。実家では亜紀は留学しているという設定。

 

治・信代は初枝の年金を当てにしており、亜紀・初枝もそれを察しているが、普段は口には出さない。

 

これ以上の設定は、終わっても明かされない。

そして、離散した万引き家族のそれぞれがどう生きるのかも明かされない。

 

この映画のラストカットは虐待する実母の家の前でビー玉で遊ぶりんの姿。

りんはこれからどうなるのか、殺されるのか、生き延びるのかもわからない。

 

祥太はずっと、治のことをとうさんと呼べずにいる。

そして、ついに作中では呼べずに終わる。

 

そして、父にならないのだ。

でも、いつかはなるのだろうか。

 

かくて視聴者は宙ぶらりんにされる。

いわゆる”ある視点”といいますか、ドキュメンタリーチックな撮り方はなるほど映画賞向きである。

「この作品が一番面白かったかはわからないが、最後にはこの作品のことしか覚えていなかった」。

カンヌの審査員はそう言ったんだろうなあ。

 

隔たりこそが愛を生む

この映画の前半において顕著な撮り方なのだが、基本的に、大事なことは「奥」で起きる。

寄りではなく、徹底的なヒキの演出が日常をとらえている。

例えば、最初にりんを見つけたときは団地のフェンスにさえぎられていたし、

    治が祥太からスイミーの話を聞くときはえらく上空から撮られていたし、

    亜紀と4番の出会いはマジックミラー越しだし、

    予告のサムネにも使われている花火を仰ぎ見る家族は屋根と生垣越しだ。

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そして何より、「万引き」は遮蔽物の向こうで行われるものだ。

 監督って、台詞をしゃべっているその人を映さないんだなと出来上がったものを観て思ったんです。だから観る人が本当にその場にいるような気持ちになって、一緒に呼吸をしていられるんじゃないかな。

『『万引き家族』安藤サクラ 単独インタビュー』(シネマトゥデイ)

 その理由は、上記で安藤サクラが分析しているような臨場感の演出であるとともに、

「間接的に接するからこそ、最良の関係性は生まれるんじゃないか」という監督の哲学も現れている気がする。

 

だから、疑似家族なんじゃないか。

 

そのため、はっきりと向き合ったり、照らされる場面の後ではロクな頃が起こらない。

 

海辺でまじまじとピン写された初枝はその翌日に亡くなるし、

電灯に照らされた一家はついに警らに罪を暴かれる。

 

秘密を暴き立てたり、はっきり向き合ったり、そういうお題目で壊れてしまう日常はある。

奇しくもこの映画自体が”そういう秘密を世界に向けて喧伝している”とバッシングされているのは皮肉なことであるが。

 

俺自体は、まあこの書きっぷりの通り、おそらく大勢の一般人と同じく、これがカンヌを取ったところで恥とは思わない。

だって、あんな状況だったら普通に万引きするだろ。

逆に後半で祥太に倫理的葛藤が生まれたことにビックリした。

生まれたときから万引き三昧で暮らしてたら万引き悪いとか思わないのではないか?

生まれたときから万引き三昧の人に聞いてみたいものである。

www.huffingtonpost.jp

リリーフランキーのおしり

めちゃくちゃ綺麗だった。

もう一度見たいと思って「リリーフランキー お尻」で検索したが出てこず。

みんな、見に行った方がいいよ(ケツを)!!