裸で独りぼっち

愉快な毎日の記録

街裏ぴんくが仙台に来たよ

8月3日、仙台で街裏ぴんくの漫談をみた。

街裏ぴんくは、今一番ピン芸人で好事家の評価を得ている人である。

 

 

仙台は中規模都市らしく独自文化があり、その一つにお笑い集団ティーライズというものがある。

お笑い集団ティーライズ | 宮城県仙台市のお笑い芸能プロダクション

 

所属タレントのエースはニードル。『あらあらかしこ』という中規模都市でなくても都道府県ならばどこにでもある夕方の帯番組などに出演する方言漫才師だ。

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この動画の衣装は、ロケット団(芸人の方)と似ている(今は衣装が変わっている)。

今の衣装はチェックでもうちょっと洗練されていた。もうM-1ラストイヤーは終わってしまったうえに2回戦落ちの汚名を被っていたが、地方漫才師としてはこの上ない安定感があると思う。

 

俺は仙台にこしてきた2年ほど前から、毎月やっているティーライズのライブを5回ほど見てきたが、所属ミュージシャンの曲が流れる待ち時間や、観客全員のでやる<イギナリライブ>のポージング、まったく似ていない物まねをもごもごして時間を使い切るおじさんが出れるレベルの2分ネタコーナーなど、安心感と地方感が入り混じる空間が嫌いではなかった。

 

特に昨年まではぎょねこというトリオコント師を押していた。東京進出と銘打ってWCS(ワタナベコメディスクール)に入ったと耳にしたのだが、今はどうしているのだろうか。

同じトリオである四千頭身のことをどう思っているのだろうか。

まあよい。

 

ティーライズのライブは毎月月頭の金曜日に開催されており、基本的にはあんまり有名でないローカル芸人や地元の有名人が登場するのだが、ごくまれにお笑い好きならオッと思う人も呼ばれてくる。

 

例えば、ヤーレンズ虹の黄昏、ふわちゃんなど。虹の黄昏は二回呼ばれたらしい。なんなら仙台のお笑い大会に出た動画がネット上にあるし、フットワークが軽い人たちである。

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それで、今回は街裏ぴんくが来た。

 

出番は9組の出演者のうちの後ろから3番目。ゲストはおそらくこの位置が定位置である。

 トリはニードル、トリ前はナンバー2のストロングスタイル。

ストロングスタイルは脱力系のボケとキレ気味のツッコミというキャラクターが往時のアンタッチャブルともろ被りしている点とツッコミの人の強面のわりに下戸とか女子的というキャラクターを前面に押し出し過ぎている、と俺は思うのだが、同じくツッコミの人がダンサーを兼任しているため動きのキレという面では見るところがあるコンビだ。

まあそれはよい。

 

Youtubeとかマイナビラフターナイトとか爆笑問題カーボーイの地下芸人祭りとか芸人手帳でしか街裏ぴんくのネタを見る機会は今までなかったわけだが、毎回俺は「この芸は面白いか面白くないのか」と疑問に思っていた。

 

自己紹介以外すべて嘘、というその芸を称揚するときによく引き合いに出されるのが立川談志のイリュージョンだ。イリュージョンという言葉は一編の論文が書けるくらい(というかすでに書かれているだろう)定義の定まらない言葉なので、俺に理路整然と説明すべくもないが、あえて解釈を話すと「馬鹿やシュールなど説明しきれぬ脳内のイメージを言葉と表情と動きの芸で観客に体験させること」だと思う。

 

街裏ぴんくのネタは説明できない。

「宇宙人とボイラー室で宇宙のセックスをする」とか「刀屋で骨の一本もない店主から刀を買う」とかざっくりとした概要を話すことはできても、それでは全く伝えたことにならない。一字一句起こした原稿を読ましても無理だ。どの部分でどの清涼、どの動き、どのトーンで話したかが笑いを生むために不可欠なのだ。

 

で、だからこそ俺は面白いかわからなくなっていた。説明できないものは嫌いである。俺はお笑いを見るのが好きだが声を出して笑うことはまずもってない。事が済んでから、なんとなく楽しい感じだったなと思い、あのボケはほかの者に比べて明らかに工夫されていたなとか予想を外していたなとか理路を読み解いて、初めて面白かったのだろうと結論付けるのである。感受性に欠けているのだ。スピッツの歌詞も楽しめやしない。

 

なのだが、エアコンの壊れた狭い会場でネタをみたからこそ、ある程度その理路に裏付けを行うことができた。要するに、やっぱおもしれえ、と思った。

 

街裏ピンクの第一の武器は、巨体と声のでかさだったのだ。

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マッスル坂井っていうプロレスラーで、劇作家みたいな才能のある人がいるんですけど、その人がバラエティに出たとき、「バラエティっていうのは“強い”奴が笑わせるんだ」っていう感覚を言うんですよ。ていうかそれはパワーオブバランスで強い人が笑わせるっていう感覚は、バラエティ出てる人なら、誰でもあると思うんです。たけしさんが話せば笑わなければならない、っていう感じ。
笑いっていうのは、「面白さ」じゃなくて、「強さ」なんだよ、っていうのはテレビの世界には絶対的なルールなんだけど、あまり語られないんですよ。

テレビのスキマ『水道橋博士が語る松本人志論』

 孫引きになってしまうが、そこで役に立つのがこのお笑い=強さ理論である。

 

声も体も多い強面の巨漢が真黒なスーツを着て、夢現のような話をのべつ間もなく話しまくる。この怪物感が街裏ぴんくに強さを与えていた。

もちろん俺は有名カルト芸人だ・・・! という目ですでに街裏ぴんくを見てしまっているのでデフォルトで強さがあっただろう。そのため、正確に判定できているとはいいがたいのがなんとも惜しい。

とはいえ、無名の素人だったとてやはりあの怪物性は感じられたと思う。

 

芸人ブームでもないのに芸人群雄割拠であまりまくりのこの時代。音楽と同じく食っていくにはライブの収益が重要になってくるだろう。

そんなとき、必要なのがいかに「強さ」を出すかだと思う。念のため補足すると、これは「キャラの強さ」とか「前に出る強さ」ではない。

それらを包括した「芸人としての強さ」だ。

 

その出し方の類型をまとめれば面白いんじゃないの、と思ったが時間がかかりそうだ。

あ、ちなみにネタは「長谷川京子ルノワールでからんでいるところをうま鬼に見られる」というものでした。でも、そんな概要はどうでもよいのだ・・・。