サンドウィッチマンの軌跡本『復活力』 77点
仙台の本屋ではこちらが大平積みである。
「~力」とはあるが、なんらかの知見や自己啓発を目的とする記述は一切ない。
完全に便乗タイトル。だが、「~力」ブームは永遠に続くなあ。
というか、スタンダードで無難に売れやすいんやろな。
伊達幹みきおと富澤たけしのM-1優勝までの軌跡が交互に語られる本。
コンビのそれぞれの証言が交互に見せられる構成は例えば浅草キッドの『キッドのもと』も同じだった。
ただ、あちらは水道橋博士がマジで「書けるひと」なので、読み味としてはこちらの方が大幅に劣る。
まず、サンドウィッチマンの2人とも一人称が「僕」なのだが、富澤はともかく伊達に「僕」は似合わない。
また、2人の文体が大体同じなので、読んでる途中で、「あれ? ここはどっちの証言なんだっけ?」とわからなくなってしまうことがあった。
その点、『キッドのもと』は押韻・諧謔まみれの水道橋博士の文と、聞き起こしで構成されたであろう玉袋筋太郎の文がはっきりと峻別されていてよかった。
なんだか、『復活力』を貶めて『キッドのもと』を持ち上げるような書き方になってしまったが、『復活力』が悪い本か、といわれるとそれは違う。
この本は2008年に、M-1優勝の翌年に出版された『敗者復活』に関末インタビューを加えて加筆修正したものだ。
そのため、全編にM-1優勝にいたるまでの軌跡がその当時のリアリティを失わないままにつづられている。
なんだか、まだ自信なさげでふわふわしている。優勝前のスターでない漫才師のリアルがここにある。
それが、この本の魅力である。
つい先日、AmazonプライムでM-1 2007 の決勝を見返した。
その時のサンドウィッチマンの印象は、めっちゃボケるやんというものだ。
今田耕司「めっちゃ受けてたねえ、これは決勝もあるんちゃう?」
伊達「いや、ないですないです。だってネタがないんだから」
今田「な、あるやん! 準決勝でやって譚俺見たもん」
伊達「覚えてません」
富澤「覚えてませんね」
ダメで元々と考えているのか、相当自信があるのか、大舞台に無名から駆け上がってきたのにも関わらず、当時すでにテレビによく出ていたザ・ブングルやハリセンボンよりどっしり構えるチンピラ風の2人。
しかし、ダメで元々でも、余裕でもなかったことがこの自伝を読むとよくわかる。
敗者復活戦の現場に、富澤はすべてをかけていた。
ピザのネタでは伊達がネタを一瞬飛ばし、危ういところで思い出した。
そのようなドラマがあると思ってみるとまたひとしおの面白みがある。
とはいえ、
・伊達は受からないと思っていた
・富澤は視聴者に受けるんじゃないかという計算ももって優勝直後に伊達に抱きついた
・伊達は、トータルテンボスには負けても納得できたと思っている
上記のようにドラマチックではない胸の内も明かされているのが、この本の正直なところである。