『暁に祈れ』ネタバレ感想 タイの刑務所どん底ドキュメンタル 85点
昨日の箇条書きでは「タイの刑務所どん底ドキュメンタリー」といっていたな。
悪いがあれは嘘だ。
原作は作者による自伝的小説だが、別にドキュメンタリーではない。
言葉は正確に使わねばならない。だから今日は言い直した。
ソーリー。
20190122 『暁に祈れ』箇条書き タイの刑務所どん底ドキュメンタリー - 裸で独りぼっち
主人公ビリー・ムーアはイギリス出身のボクサー。 覚せい剤の乱用及び所持により、タイの刑務所に収監されてしまう。言葉もわからないビリーにとって周囲はまるで野蛮人の国。入れ墨だらけの囚人たちに刃物で脅され、腕たせ伏せを強要され、看守に賄賂を要求され、レディースクリニックボーイに優しくされ……。塀の中で底にまみれつつ、ビリーはムエタイに取り組むことになる。そして、家族(父)との関係は…。
主人公は何に祈っているのか
こちらが原作。
『Prayer before Dawn』=『夜明け前に祈る者』とうことで映画のタイトルとほぼ同じ。
しかし、主人公ビリーは別に宗教家ではない。
作中で祈るシーンはボクシングの試合の数日前、仲間たちに入れ墨を入れられて、のことだ。
この儀式を、ワイクルーと呼ぶ。
ワイクルーは師(と同時に両親)に礼を示すことであり[1]、特徴的な舞踊様の動きをラムムアイという。選手は「モンコン」という鉢巻をつけ、笛や太鼓などによる音楽に合わせて舞を演じる[1]。ラム(รำ)とは舞、あるいは踊りを意味するタイ語である。ラムムアイは自己の競争心を高め、戦い(ムアイ)の神に無事と勝利を祈るということが建前となっている
つまり、ビリーは「師(と同時に両親)」に例を示す意味で頭を下げているのである。
ビリーが家族との間に葛藤をかけていることは、作中で断片的に示される。レディボーイと逢瀬の際、ビリーはこういう。
「俺に家族がいないといったのは、あれは、嘘だ。謝る。ただ、話したくなくて」
このシークエンスの直前、ビリーのもとに冒頭でボクシングを教わっていた弟子らしき少年が面会に来る。自殺未遂を図ったビリーに「僕、ボクシングの試合で勝ったんだ」と報告に来る、この作品では珍しい劇映画的なわかりやすい感動が感じられるシーンである。
彼と顔を合わせたことで家族に少し向き合う気が生じたのであろうビリー。それからレディボーイと情を交わす中となり、身を少しずつ持ち直していく。
ネタバレ:結末のあいつ
さて、この映画の結末では、ビリーが実の父親に向き合うことになる。ボクシングチームに入る前、手紙が届いていたが、観客はその内容を知る由もない。そのため、父親について「知る」ことができるのはここが最初といっても良い。
しかし、それは父親で会って、父親ではない。
父親とビリーが向き合うシーンで画面は暗くなり、「ビリーは実在の人物であること。その後の人生で覚せい剤を断とうと努力し、今に至ること」が語られる。
そして、もう一度画面が明るくなり、父親の顔が映されるとともに横には「ビリー・ムーア本人」という字幕が表示される。
主人公の祈りの対象は、師であり、両親であり、しかし自分自身でもあったのだ。
タイ国民の95%進行するのは上座部(小乗)仏教。菩薩による救いではなく、自力救済を根本とする。
主人公ビリーの自力救済に至るための祈りの物語がこの『暁に祈れ』である。
暁とは、日の出前のほの暗い時間帯のこと。
人間は救われようとしては道を誤り、暁に迷う。そうして、いつまでたっても日の目を見れないと嘆く。
でも、ほんとうは、暁には祈ることしかできないのだ。
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