裸で独りぼっち

マジの日記

『マダムのおかしな晩餐会』ネタバレ感想 格差社会おしゃれロマンスコメディ 95点

hadahit0.hatenablog.com

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あらすじ

主人公マリアはスペイン系移民のメイド。大金持ちのアメリカ人アンとボブのもと、フランスで給金をもらい、フィギュアスケーターとして活躍する娘に援助を行っていた。ある日、アンの家で12名のお客を招いた晩餐会を開くことに。家計が苦しくなってきたボブは、絵を画商のデビットに売ろうと考えていたのだ。しかし、そこに、ボブが前妻との間につくった小説家のスティーブンがやってきたことで問題が。

アン「13は不吉な数字じゃない!」

かくして、マリアがアンの友人である貴婦人としてパーティーに出席。陽気なジョークで場を沸かせたが、一つ問題が……。

デビットに恋されてしまったのだ。

そうして、メイドと画商のすれ違いの恋が始まる。

 

まあおしゃれなんすよ

俺には、たまにおしゃれな映画を見たい季節が訪れる。

むくつけき寝ぐせのダサ男であることを自覚はしているが、だからといっておしゃれな話が嫌いというわけではない。

むしろ心が現実と架空の間で境遇を対比させたがっているのか、結構な頻度でその季節は訪れる。

 

で、この映画をその季節にみるのは

―大正解だった。

 

軽妙な会話劇で、よく意味は分からないけどなんだか気の利いた感じのジョークで忍び笑いたい。そういう欲を満たしてくれてありがとう。

チャンチャン。

 

格差社会

それにしてもメイドと主人で階級や立場が違うなんて話をこの21世紀平等時代のフランスで展開するなんていくら何でもふるいんじゃないの、という気もする。

それでも面白いからいいんだけど、数十年前の設定でもおかしくないくらいそこが自明のものとして描かれていたのは不思議だった。

かといってスマホフィギュアスケート、テレビ電話が登場するので設定は現代だし…。

海外はいまだに階級社会で日本はその点平等指数が高いというが実際そこら辺どうなのだろうか。

 

最後の晩餐

この話でボブがデビットに売ろうとしていたのが『最後の晩餐』。「それ、ルーブルにあるんちゃうんかい」と思ったのだが、いくつかあるのだろうか。

鑑定した結果本物だどうだという話をしていたので複製ではないと思うのだが。

まさか画商のデビットが本物がルーブルにあることを知らないタコやろうじゃあるまいし…。

ひょっとしたらデビットも画商を騙っている庶民で最後はマリアと庶民同士うまくやるかと思ったのだがそうではなかった。

 

アンの孤独

マリアがおもての主人公だとすれば裏の主人公はトニ・コレット演じるマダムである。先日へレディタリーのおかんとしてスクリーンで出会ったばかりであるが、天井に張り付いてアウアウしていたあいつとは思えない美しさだった。

46であれはなー。

浮気男とモノクロの美術品のところで待ち合わせをするシーンはまるで絵画のようで、おしゃれ心が満たされる。

俺の中のIL(インナー・レディ)が濡れていた。

 

マリアの結末に対してアンの結末はよくわからない。

セックスレスで自分に興味を示さない夫に明らかに不満を持ち、それでもメイドの格好で誘惑してみるなどいじましい努力を行っていたアン。

休暇先で裸になり、旦那の泳ぐプールにすっぽんぽんで飛び込んで向かったのに……。

あのシーンはアンの切ない心境を描いていた。

 

しかし、結論から言うとアンの思いは成就せず、その後夫はフランス語教師とキスをするし、マリアはメイドをやめてしまう。

 

この物語が俺が望む通りのハッピーエンドだったとして、アンはマリアが幸せになった文の「現実」を背負ったようにみえる。

 

アンとデビットが商談をしているところにマリアがやってきて、見向きもされずに昇進するシーン。

しかし、それは(おそらく)ハッピーエンドのための助走であるとともに、マリアに感化されて芽生えつつあったアンのファンタジー(ロマンス)がプールでの一件を境に縮小し、ついには現実に完全に埋没してしまったことの象徴のようだった。

 

へレディタリーでも家族という名の地獄にとらわれてしまったトニ・コレット。マダムとしても、また違った意味での家族の暗黒面を背負ってしまったのかもしれない。

それは、おしゃれな煉獄だ。

 

 

Miss You Already (Original Motion Picture Soundtrack)

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