裸で独りぼっち

マジの日記

20190609 海獣のこども 催眠4℃アニメ映画 ※ネタバレ

今日はアベノアポロシネマで『海獣のこども』を見た。

場内は超満員。俺はアメリカンドッグとウーロン茶を飲んで待機した。

横のカップルはコンビニで買ったお~いお茶を飲んでいた。

映画館の支配人からすれば「おい、お茶」だろうなと思った。という小話。

 

Filmarks感想。

あべの橋にて視聴。
観た後、場内に「わからん…!」のため息が広がった。俺も正直理解が伴わず、一番観念的できれいなシーンでよりによって寝てしまった。
でも、低い評価はつけられない凄みがある。そんな作品。

あえて解釈をするなら、空は死の世界(生まれる前の世代)、海は生の世界(生まれた後の世代)を象徴するのだと思う。
そして夏は人の一生、隕石は「この世代の生」のメタファーだ。

視聴者にとっての自分たるルカは、命をつなぐという使命を持って生まれ、空からそれ(=隕石)を受け取る。
海にでて、隕石を一度は明け渡すまいとしつつも、ついには海に自ら明け渡したルカ。
引き上げられたとき、夏は終わる。
そして、自分の後の世代である赤ん坊が生まれる。

海が死んだ後の世代だとすると、海の幽霊は、自分の死んだ後の子どもたちの幽霊だ。だとすると、象徴的である。

同名の米津玄師の主題歌のサビで合唱しているのは、海の幽霊たちなのだと思う。

 なんかきれいにまとめようとしてて腹が立つな。

www.kaijunokodomo.com

上記の見立ては多分あってるように思うんだけどまあ、野暮なんだよな…。

でも、それによって「良さ、エモさ」は下がるけど、「面白さ」は下がらないのではないか。

前にスリービルボードの新犯人説を、唱えてバズった末にとんでもない誇大妄想狂だと看破された人がいたけど、別に面白かったもんな。

 

以下、Filmarksに書き忘れたこと。

 

尼神インターの吹き替え

めちゃくちゃ渚は渚の声であった。関西弁を無理やり押さえているけど結局あふれてしまっていた。誠子はうまかった。

芦田愛菜は普通であった。

 

漫画版

漫画版は、読んでいないが図書館で2度ほど借りたことがある。

いずれの場合も借りたうえで積読になってしまったのだ。

やっぱり観念的なやつは苦手である。