スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム それは、体験型アトラクションのようなモノ ※ネタバレ
テーマパークのアトラクションのような映画体験。
といっても4DXで視聴したわけではない。4元素をテーマとした怪物―エレメンツとの対決といういかにも子供向け作品っぽいテーマから、幻惑という今まさに我々が享受している映像技術を武器としたミステリオまで、敵がまさに体験的でアトラクション的。
USJにそのまま移植されてもおかしくない―という内容だったわけ(マーベルだからディズニーランドか?)。アフターマス(災厄の後)作品としての今作のコメディタッチ、ゆえの登場人物の幼稚化(a.k.aアホ化)が個人的には合わなかったけど、アトラクションとしてのマーベル映画的世界観の具現化としてはよくできたものだったと思う。
それにしてもあんな危険な眼鏡をガキに渡す社長…死後の名声を汚していないか?と思うが。
映像体験として昨今の2大潮流として「MV化」と「アトラクション化」があるな、と今回映画を見て思ったのだった。
MV化は何度も何度も書く(書いているのです)通り、音楽と映像の暴力で観客を無理やり「じいん」とさせてしまう『君の名は』的、あるいは『ララランド』的それ。
アトラクション化は3D、4DX、ドルビーサラウンド、応援上映とかのあれ。
大学時代、広告サークルなんつうトンチキでかしこぶった集まりに所属していた俺。そこでもっともらしく人から聞いたり、セミナー?的ななにがしかで聞いたのが「人はもはや物には金を払わない、体験に金を払うんだ」というもの。
言い換えれば「モノ消費からコト消費」っていうやつですね。
その潮流が映画の世界にもドバっと流れ込んできているのだ!!!
それは、ゲームとかVRとか後発のメディアに対抗するために映画的手段なのかもしれない。
この映画は、本当に馬鹿ばっか出てくる。
サノスにぱっちんされて5年間消失していたのに、そのことに対する対策も考えずにスーパーヒーローに頼りっぱなしの気配をにおわせている各国政府も馬鹿だし、
あれだけのディザスターが起こるのに今更幻惑で地球のヒーローとしての座を奪い取ろうするミステリオ一派も馬鹿だし、
地球を物故させるくらいの軍事力をキッズフィルターもなしにピーターパーカーに託してしまうトニースタークも馬鹿だし、
クラスメイトを守りたいといいながらさっさとハッピーに保護してもらう手段を取らないピーターパーカーも馬鹿だ。
なんでやねん!と全員の頭をどつきたくもなるが、そこについてプリプリ起こるのは野暮なのだ、きっと。
それはつまり、この映画の馬鹿が計算された馬鹿だからで、アフターマス後の爽快感と次への架け橋としての爽快なヒーロージュブナイルをトムホーランド版SPDRMNに人々が求めているからだ。
マルチバース構想はどうやら断念されたとみてよいのではないかと俺は思う。
確かにそこまで手を伸ばすと今後のシリーズの収集がつかない。
5年間の年齢格差でさえ、これまでの要素を絡めるにあたって大きな足かせとなっているのだから。