裸で独りぼっち

マジの日記

映画『愛がなんだ』ネタバレ感想

愛がなんだ

全然共感できないが、面白いか面白くないかで言ったら面白かったし、リアルかリアルでないかで言ったらリアルなんだと思う。
見ているときの心の動きは「ダメな女だな~→ダメな男だな~→全員恋愛する族の話なんやな~そらわからんわけや→うわ!サイコホラーやったんかい」だった。総じて、恋愛話をフリにしたサイコホラーとしての楽しみ・おかしみがあったといえる。
前半の恋愛話は一ミリもわからず、まもちゃんも中原君も含めて「全員『メス』じゃん」と思ってしまった。それはつまり俺が「女しか恋愛しないでござる。拙者男でござる」というなんか古臭い?自意識を持っているということなのだが、それでもセックスまで到達してから雑に扱われることに涙したり、あんな女リリーフランキーみたいなやつに惚れて子犬みたいなこびまっくたりするのは違和感がある。でもまあ、そういう意図もいると思う。性別がどうこうではなく、そういう心象を俺が「女~~」と思っているという話。
また、こういう謎のパーティとか、そこで知り合ったやつと別荘行くとか、どのくらいのやつがリアルと感じるんだろうか? まず休日に前からの知り合いでもない男女でなんか行く時点でごっつ陽キャやんとなる。現実に存在しそうだが、ハリーポッターの世界と変わらないくらいの距離にある虚像。俺みたいな地方の人付き合い嫌いからしたらSFみたいなもんである。その世界でまたも共感できない人種がそろいもそろってるんだもんなあ。
この映画のなかで唯一分かるのはてる子が会社を辞めるときに言葉を交わした来月結婚するという女。「恋愛でも夢でも趣味でもなんかにのめりこんで他はどうでもええわってなるほどがぎょうさんおるけど私にはわからんし、ちょっとうらやましい気もするが、そんな人ばっかりやったら世の中回らんわ」と。回ってたまるか、という気もする。

SFかつ最後にどんでん返しという、感覚で面白かった。

ワイの嫁はんは「恋愛する族」である。

テル子が最終的に像の飼育員になる気持ちもわかるという。

だが、本当に恋愛する人間は人口の10%ぐらいではないかともいう。

確かに俺もそう思う。

 

なぜこれほどまでに非合理な恋愛というものをする個体が現れたのだろうか?

 

嫁はんは林真理子の言説を持ってきて「異なる階層・志向の遺伝子を混ぜ合わせるためではないか」という。恋愛というものがないとおよそこの世は同類婚ばかりになっていた。結果として遺伝子の多様性が生まれ、人間は他の生命以上に発展を遂げたのだ。

 

という、恋愛進化学。

 

もちろん恋愛する/しないと二元論で割り切れるものではなく、人口で考えると正規分布が描かれるはずだ。そして、「する」のはしっこがわが嫁はんで、「しない」のはしっこがオレである。

 

異なる遺伝子が混ざり合っている。

 

途中、友人で中原君を便利な男扱いしているよう子にテル子が「寂しいときとかある?」と尋ねる。

すると、よう子は「あるに決まってんじゃん!」と怒鳴る。

 

俺は少し「ない」といってほしかった。

「ない」族の繁栄を望む俺の本能だろうか。

 

あと、俳優の顔の誤認がひどく、俺は江口のりこ安藤サクラ成田凌妻夫木聡と誤認していた。もっと言うと先日『麦子さんと』を見た時は堀北真希有村架純と誤認していた。

人間の解像度が低いのだ。

 

 

映画『麦子さんと』ネタバレ感想

3年前から2つのドメインを取得しているのだが、全然動かせていない。

そして、こちらの無料のにっきだけを毎日更新している。

やっぱり無意味だなーと自分でも納得できているものしか毎日はやれない。

というかやるのが怖いのだ。

おまけに、その必要性に駆られてもいないと来ている。

しかし、ケツに火がついてからそんなことをしている暇はないし、重要だけど緊急なことがそこにあるのはわかっているんだが。

まあ、でもそれをしなかったところで別にマイナスになることは何にもないのだ。

俺がすべきなのはとにかく全力でリスクを回避することであり、悪魔の誘惑に耳を貸してはならない。

やりたいことをやるだけさ。

 

さて、映画『麦子さんと』を観た。

麦子さんと

「麦子さんと」なんだったのよ、と思うが、吉田恵輔監督らしい手触りのあるいい作品だった。汚いスーパーとかダサい祭りとかゲオみたいな店でのバイトとか、なんかしみったれたものがよく出てくる。きれいなもんだけで撮るような映画は俺は取りませんよという自負が作品に表れている。
ちゃんと堀北真希がそのまんま美人扱いされており、ほかにはなるべく美男美女を配さないようにしよう、というのもまあ、そういうこと。
なんなら現実よりもうちょっとしみったれたくらいの都市と田舎を映画いてくれるくらいがちょうどよくリアルだなあと思える。わからんけど、フィギュアの汚しみたいなこと?

最終的には親孝行みたいな話になって、ちょっとおかんいい人過ぎないかという薄ら甘さは感じるのだが、そこはそれ、職業監督として当時の堀北真希は輝かせますよという考えなんだろうなと、好意的な解釈。まあでも、目覚まし時計割っちゃったとかは苦々しいしな。

堀北真希はかわいいけど演技があんまりうまくないなあ。そもそも感情がはっきりしたタイプでもなさそうやし、畑でスカウトされなければそのまんま麦子みたいになっていたのではないか。そして今は麦子のように暮らしているのではないかという気がする。

あの家に2人で暮らし続けるのは負担なのではないかと気になるが、まあ出ていくのが億劫なんだろうし、そのあたりの人生を変える意思のなさが家族一人一人のダメ感の決勝なんやろうなあ。
あのまま麦子は声優学校に行き、なんともならずに母と同じような人生を歩み、母と同じように子どもから「親と思ってないから」といわれるのかもしれない。

堀北真希の演技をあしざまに言い過ぎているかもしれない。

なんか俺が頑張ったらこれくらいになりそうだなと思ったからついつい演技の才能にケチをつけたが、べつに「ない」ではないと思う。

泣くときとかも違和感がなかった。

ただ、他がうますぎたのかもしれない。

最後の目覚まし時計が修理されているワンカットをみんな「あれはずるい」などとほめそやすていたが、俺は気づきもしなかった。

あ、あの目覚まし時計が最期にもっかい映ったなというだけだ。

解像度が低い。

長年、ながらみを続けた結果、結構ちゃんと見ても雑に物語を「見ている」だけしかできなくなっている。

もう一度「読み方」を学びなおさなきゃ。

あるいはこれまでなかった「読み方」で空白を満たさなきゃ。

 

『空白』で松坂桃李古田新太にする説明がちょっと嘘が混じっているというのも気づいてなくて、さっき5ちゃんを見て気づいたからな。

『竜とそばかすの姫』見た

竜とそばかすの姫を見て怒るなどした。

 

アカンかった。
納得いかない部分が多くて腹が立った。
さんざん言われていることではあるけど、やっぱり脚本がダメだ。
素晴らしいシーンと描きたい着地はあるけど、キャラクターと世界観がない。
俺はそういうの好きじゃない。
アニメーションにそこまで快を感じず、あくまで話を魅力的に描くための道具だと思ってるからなあ…。

話は下手だけど絵が上手い人。
アバター全員で大合唱とか、3Dとディズニーと日本アニメの融合とか、フェチ臭が強い竜の城のAI小人たちとか、そういうシーンが浮かんでいて、具現化できるのはすごいのよ。でも、それが描きたいが先行してキャラクターがそのための道具なんよ。

そもそもUというサービスの作り込みが浅い。セカンドライフ的なバーチャル空間を手軽に再現できました。好きなアバターを設定できます。というだけで、特に魅力的なイベントやバーチャル空間ならではの面白いことが全然なさそう。俺は『レディ・プレイヤー1』が大好きなんだが、あのバーチャル空間の良さとしてイースターエッグ探しやダンスパーティ、映画の世界をそのまま体感できる映画館など、確かにこれは面白そうだぞというガジェットにあふれているからだ。たとえそれが少し埃っぽい質感だったとして、その面白そうさには変わりがない。
それに対し、Uはマジでおもんなさそう。アバターを着て空間に入れるというだけで、荒らしプレイヤーは放置されているし、なんか自警団みたいなやつがスポンサーの傘を着て偉そうにしているし、空間は基本無機質だし。何であんなのを50億人も利用するんだ。行政サービスとか現実の暮らしと特に結びついている感じもないしな。人口が実は1京くらいいる世界なのか?
で、その世界でベルが歌っているところから始まるんだけど、そこから時系列がわかりにくい。実は話はさかのぼる…となって、ヒロちゃんしか友達のいない日常が描かれる。どうやら昔のトラウマがあって歌えないらしい。げろ吐いた。でも、ヒロちゃんがUを見つけてきた。
という流れだが、その前のカラオケのシーンでそこそこUが浸透している感じだったよな?ヒロちゃんは明らかにデジタル強者として描かれていたからクラスに乗り遅れているとしたらおかしい。いや、百歩譲ってそうだとしてもそこですずをプロデュースして歌姫にする計画ってどういうロジックで立ったんだ? すずが歌うまい、実は歌いたいなどの気持ちを聞いていたわけ? そのくせ、終盤では鈴が殻を脱ぎ捨てようとしたら毒親みたいに封じ込めようとするし。なぜか収益は寄付するし。なんなんだあいつは!それが成功してベルが世界一注目を集める存在になるまでどれだけ時間がかかったかわからないので終盤の「すずと私で作り上げた~」の部分も大してお前ら努力してないだろ!と。もっかいアカウント作ればいいだろ!となる。
だいたい50億人が利用するサービスをなめていないか?予告の時点でも「50億人のなかからたった一人をどう見つけるか?」という面白そうなあおりがされていたのに、なんか検索したら見つかったというクソ解決策だった。これはないぜ。やっぱりサマーウォーズ数学オリンピック代表とか一応のエクスキューズがあっただけ、奥寺佐渡子が入っていた意味がめちゃくちゃあるなと思う。ワンマンで話を作るとこうなる。インタビューなどを見ると意図してそうしているようだけど、やっぱりコライトの時代にそんなの完成度下がるって…。

そこからやっと本作の主題のひとつである竜が出てくるわけだが、こいつがまたキャラクターが浅くしか描かれない。最終的に虐待されていた子どもだとわかるわけだけど、あんな強権的な親がUの世界に入ることをそもそも許すかね? なんでスマホ与えてんねん。もっと悪くあれ!
あそこで父親の目から逃れるためこそこそ押し入れに隠れてやってる…とかならまだ納得も行くのだ。そういう部分を指摘されないからワンマンはいかんのだ。虐待に耐えて弟を守るような強さがアバターに表れていたというのもよくわからないし、よく考えたらなんか炎上しそうなこと言うてる気もする。その潜在能力引き出されるみたいな設定が主人公らにしか適用されていないのがそもそも恣意的でうんざりする。面白そうな設定なんだからもっとそこからUの世界を魅力的に描いてくれよ!
虐待に耐えてゲームで竜になって城に引きこもって暴れまわるというのも心理の流れがわかりにくい。『美女と野獣』モチーフにしたくて、意外性を狙って正体を設定しただけなんじゃねーかと思う(複数正体の候補が現れてそれぞれ真相が後半わかる点はちょっとも面白かった)。
ていうか、どっちも日本の東京に住んでるっていうのもご都合主義だな!せっかく世界規模のゲームなんだし、アニメの世界は無限大なんだから地球をまたにかけるような方向へ話を転がしても良かったんじゃないか。

ルカちゃんとカミシンの話自体はエピソードとしてそれ自体はよかったけど、よく考えたら映画の本筋に対して全然関係ない別になくてもいいシーンだ。あと、カタンになぞらえて女子のいざこざを描くのは謎にアバンギャルドなパワーがあった。でも、あそこも別にいるかというと……だが。

コミュニケーション不足の父子家庭と、抑圧される関係の父子家庭と、歌を通じたつながりの対比、細田家族観のアップデートみたいな方向で評論家は評価もするかも知らんが、御託を抜きにすれば話がお粗末すぎると思う。俺はダメだったなあ。
竜とそばかすの姫
上映中
 
 

 

 2000文字近く書いてるじゃん。

これだけ言いたいことがあるというのは、悪い映画ではなかったのだろう。

なんというか、粗だらけなんだけど適当にやった結果ではなく本人の欠落によるものなんだろうなあという信頼がある。

それはただ、まあ絶望でもある。

 

 

漁港の肉子ちゃん(映画)をみた

29日。

昨日は漁港の肉子ちゃんを見たのがハイライト。

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見に行くかどうか迷ったが、結果見に行って良かった。

だいたい、こういうときは直感に従った方が良い。

直感が働くのは本当に直前なのでバタバタすることになるがそれもまあ仕方がないのだ。

というか、結果に満足するかどうかは結局自分の心持ちの問題なので、ギリギリまで迷ったらそりゃ「やむをえなかった」という言い訳が心中で成立するということだろう。

「僕」たちはいつだって言い訳を探している。

 

漁港の肉子ちゃんはそもそも一昨日果て部でばずってたあでのいというひとのブログを読んで見に行こうと思った。「望まれて生まれてきたんじゃない子供にも「望まれて生まれてきた」っていうのがあるべき姿ってもんだろう」的な一文にグッと来たのだ。

こういう人間賛歌的なものに弱い。

自虐の詩とかも、最後の部分「人生には明らかに意味がある」を思い起こしただけでちょっと胸がじんわりする。

 

昔は、ひねくれていたのでこういう宣伝やアフィを見ても誰が買うねん、見に行くねん、と思っていたけれど、今は素直に劇場に足を運ぶし、リンクをクリックしてCVに貢献するようになってしまった。

 

それはまずお金に余裕ができたからだろうし、もう一つは俺が何物にも左右される確固たる自我を持った大人物だという自意識がへし折れたからだろう。

俺はすぐに影響されるし、軽率に人の勧めを信じるよ。

それを前提に、いろいろと調べた方が結果として失敗も少ないのだ。

長く生きると経験値がたまってやはり失敗は少なくなる。

また、人生の歴史の分共感できる場面が増えて涙もろくなる。

そんなのほんとかなと疑っていたが、28の身空ですでにかなり実感している。

『田園に死す』見た

昨日は記事を一本仕上げた。

ただ、曲と漫画・イラストが進められなかった。

一昨日夜更かししたせいでパフォーマンスが下がっていた気がする。

それと、昼ご飯に唐揚げ定食を食べて胃を痛めつけた。

俺の日常は、どのように体内に食事を取り込み、運動をし、家族や取引先と良好な関係を気づいてパ総合的なパフォーマンスを高めるか、ということが、問題となるフェーズに入ってる。

いや、実は以前からそうだったのだけれど。それがやっとわかった。

いんげんは総合力でしょうぶなり。

 

夜は嫁はんと退屈。

『PUIPUIモルカー』はすぐに終わってしまう。

寺山修司の『田園に死す』に手を出す。

嫁はんは寺山修司の特集本(別冊本)を買うくらいには彼のファンだ。

俺は、タモリが真似していた人、という印象。

ただ、以前青森旅行した時に立ち寄った寺山修司記念館、そしてそこで視聴した毛皮のマリーは面白かった覚えがあり、割かしすんなり視聴することにする。

 

なかなか奇抜な画面で面白い。

寺山修司はアングラのメジャーである。

何がメジャー化というと、かなり観客のことを気にして飽きさせない作りになっているのだ。

奇抜な画面も結局は見た目の“面白さ”に集約するので、監督のオナニーに付き合っている感じがしない。

青春短歌とかだってまずは人を喜ばせようという意識が先に立っている。

こういう感想を嫁藩に述べて「実際の寺山修司と母の関係はどうだったのかねえ?」と疑問を呈したら、クドクドとその毒親っぷりや母との共依存について説明された。

俺はそんなもん母を捨てちまえばいいじゃん!鬼になれ!と無責任に発言。

嫁が俺のあまりの無理解と作者の気持ち軽視の態度に怒りを表明。

時が解決。

これにて落着。

『佐々木、イン、マイマイン』感想──90点 邦画はディティールで語る

佐々木という男を中心に据えて役者としてくすぶっている主人公が青春を改組いうする映画「佐々木」をみた。

感想は以下のサイトに書きました。

junglegenre.com