羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来──88点 あ~~もっと僕がアニメすきであれば……
羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来の感想をジャングル系のサイトで書いた。
面白かった。
https://junglegenre.com/rasyouheisenki/
もと俺がアニメ好きだったら狂喜乱舞してるのかもなあと思った。
それにしてもWeb版のYoutubeの視聴回数は少なすぎる。
無料だから逆にパターンじゃないか。
東京MXとかで権利買い取って放送したらええねん。
盛岡で見れへんけど!
mid90s──94点 ミレニアム世代のスタンド・バイ・ミー
mid90sを見た。
詳しい感想は以下。
思った2.7倍よかった。
なんか、説明なしに言いたいことが分かり過ぎた。
言いたいことがないってことが言いたいことなのかもしれない。
90年代以降、大人になったどこかで、俺たちは言葉をなくしているのだ。
劇場版「鬼滅の刃」無限列車編──67点 よく知らんくせに否定よりじゃ! こちとら自腹じゃ!
劇場版「鬼滅の刃」無限列車編を見た。
時間が合うのがそれしかなかったし、流行りのものに乗っかりたかったのだ。
詳しい感想は以下リンク。
一番子供がなくやろと思ったのは善逸が、無意識領域に入ってきた子供をおとこだからという理由で斬殺しようとしたギャグシーンだった。
やっぱりちょっと大人向け作品だなというのがよくわかる。
マイルス・デイビス──クールの誕生
ハニーボーイ──77点、シャイア・ラブーフしらんことには……
子役少年とその稼ぎで暮らす父親の人間ドラマとその少年の現在を描いた『ハニーボーイ』を見た。
サントラがよかった。
予告編を見て、嫁はんが「こういう映画はあんまり好きじゃないな」といった。
こういう映画とはどういう映画化というと、「毒親美化映画」である。
嫁はんは実家とあまり関係が良くなかった過去もあり、そういううす甘い家族観を押し付けてくる映画には嫌悪を抱いている。
俺だってそんな映画好きではない。
とはいえ、もうちょっと深いんじゃないの?と思ったので見に行った。
余談にはなるがそういう毒親美化映画として俺が大嫌いなのは現在『浅田家!』でヒットを飛ばしている中野量太監督の『湯を沸かすほどの熱い愛』である。
『浅田家』は評判がいいが、はたしてどうだろうか……。
結果としては別に毒親美化映画ではなかった。
PDSDの原因となったおやじのことをずっと思い出すだけだ。
コピー「大人になった今、僕は知った。そこに、愛があったことをー」は全然この映画を表せていない商業的なウソコピーだと思う。
実際のところ子どもの時からおやじの愛には気づいているし、とはいえおやじはロクデナシのままで、最後まで全然改心しない。
むしろ悪さが露呈したくらいである。
Filmarksでは一応ネタバレをぼかしたが、おやじは道端で違法薬物の材料を育てているのである。それでツリーハウスをつくってやる!なんていっていたが、「こいつまじでどうしようもねえな!」という結論でしかない。
はっきり言ってこの親父も、この親父の元に子どもを置いて出ていった母親も大失格である。
児相に仕事してほしい。
どっちかといえばシャイア・ラブーフのPTSD回復映画というか。その過程でおやじのことを思い出しているに過ぎない。
『ジョーカー』とか『ロケットマン』とかカウンセリングから回想に入る映画は多い。
それだけメンタルヘルスケアのための病院受診が当たり前となってきたということだろうか。
結局おやじは再逮捕されたのだろうか。
シャイア・ラブーフのことを知らないと結局よくわからないよな、と思う。
サントラは今年見た映画の中でもかなり上位で好きである。
そう、繰り返すがサントラが良い。また、使用されている楽曲も良い。
その、何となくエモさだけでもまあ楽しめたと思う。
ただ、予告編を超えることはなかった。思ったより平坦な話だった。
なあ
スーパーバッド 童貞ウォーズ
なるほど純粋に笑える部分が多くて面白かった。
セスが完全に面白モテデブで、エヴァンは清潔感ある童貞で、なんでこいつらの青春時代がそんなにあかんねんと終始疑問は生じるが、それが陽キャ大国アメリカということかもしれない。
パーティと16歳で取得できる運転免許・・・!
アメリカ青春一夜もので高校生をちょっと大人にする話が描けるのはこの2つの道具立てがあるからだろうし、それを日本に持ち込もうとすると家出とか夜行祭とか若干しみったれた要素が必要になるのが痛いよな、と思う。
でも今はサイファーとかやる高校生もいるしそういうパーティ文化とかもあるところにはあるのかね。それでも猿真似感はぬぐえんわなあ。
となると祭りか。
もっと祭りがいかがわしい空気を残したものだったらあり得たかもしれないけどなあ。そりゃあんなパーティ文化があったらコロナも蔓延るわと思う。
ここ1年くらいあんなブロマンスあるいはホモソーシャルの湯につかっていないのでなんだか目の保養になった気がする。俺は今、ホモもソーシャルも失ったただのマンだ。
もちろんマクラビンことフォーゲルが最高だったのは言うまでもなかった。警官が結構な悪徳なのに裁かれもしないけど、フォーゲルと親友になってくれたことでなんだか許せてしまう。
一個不満があるとすればセスとエヴァンを酒盛りパーティにつれていったあのおっさんの結末が描かれないことだ。なにやら家族の鼻つまみ者だということはわかるけれど。仮釈放のみだといっているし何事だったのか。脚本に大幅な変更があったというしそこら辺絶対カットされたやろ。
ジョナヒルの妹が出演する『ブックスマート』でピザ屋のおっさんの招待が○○だったのはその不満を別作品で回答したということなのかもしれないな。
filmarksの感想欄も『ブックスマート』と比較する感想多数……。
確かにブックスマートの方がアップトゥデートにアップデートされているのは間違いないが、先駆者に対する敬意は忘れないようにしたいものである。
最初に始めたやつはえらいのだ。
やっぱり徳川家康より、豊臣秀吉より信長がかっこいいだろうが。
もちろん洗練を評価するんはそれはそれで文化の進歩のために重要なことなのだけれど……。
マティアス&マキシム──赤と青
若デビュー天才グザヴィエドランのBL映画。
どっちがマティアスでどっちがマキシムなのかわからんくなった。
(赤がマティアス青がマキシム)
ずっと、色に注目してみていた。
言うまでもなくこの映画ではマティアス(マット)に青、マキシム(マックス)に赤、とカラー設定され、また映画の各場面でも赤と青が効果的に使用されている。
ほんとうにずっとマティアスは青、マキシムは赤の服を着ていて不自然なほどである。マティアスが青以外の服を着るのはスーツの時、マキシムがあ海外の服を着るのは2回目に母ともめた(パスタを食べた)時だけではないだろうか
(見落としの可能性も大いにある)。
とはいえ、その時もちゃっかり青い服の下にマキシムは赤いシャツを身に着けていたのだが。マティアスのスーツは仕方ないとして、なぜあのときマキシムは赤い服を身に着けていたのだろう。わからん。
ふたりが映画の中でキスをして、翌日マティアスが泳ぐ海は当然深い青だ。そして、二人が決定的に交わりそうになるマキシムお別れ会の時の部屋の色は青、突然の土砂降りに合う家を映したショットで赤レンガの家が照らされる。
こうなると、いつ赤と青がまじりあった赤紫が出てくるのかと期待してしまうが、はっきりとは分からなかった。まじりあう前・まじりあうかまだ分からないよ期の話ということかもしれない。
ただ、後半にちらりと移されたマジックアワーの空は青と赤がグラデーションでまじりあっていたような気もする。最後さっぱりと髪を切ったマティアスが青、マキシムが赤ということは二人はやっぱりまじりあいそうでまじりあわないことを選んだのかもしれないなと思った。
オーストラリアに行っちゃうしな。あれ、でもポスター(キスのシーン)だとマティアスがめっちゃ赤だな……。
キスしているときはまじりあって逆になってということだろうか。
絶対カラーマネジメントは徹底して意味が持たされているはずだとは思うんだけど。
演出を味わう系の映画はどっちかといえば好きじゃないけどまあ楽しかったと思う。
きれいなものはすきである。