『犬ヶ島』80点 楽しくて眠かった
楽しくて眠かった。
作家性が多分に発揮されている系のアニメはいつもそうだ。
あ~楽しくて素晴らしい世界なんだけど、ずっとここにいたら寝てまう…という予感が初めからあり、後半は睡魔との闘いになる。
ちょっとアートに近い感覚と言うか。
美術館でもこういうインスタレーション作品ありますよね?
ストーリー
日本、ウニ県、メガ埼市。
犬だけが感染する病の蔓延により、犬たちはゴミの島に輸送され、棄てられることとなった。
最初の犠牲犬は犬放逐計画の推進者、小林市長の甥のボディーガード犬のスポット。その後も犬たちは鉄製のケージに閉じ込められ、ゴミ島=犬が島に放逐されていく。
そんな犬が島で暮らす犬が5匹。
教師に飼われていた、レックス。
ドッグフードのCMスターだった、キング。
野球チーム「ドラゴンズ」のマスコットだったボス。
抹茶アイスが好物のデューク。
そして、ひねくれものの野良犬、チーフ
その前に、スポットの飼い主であった小林アタリ少年が、ボロボロの飛行機で、不時着する。
所感―リアリティとアニメーション
なんであんなに面白いのに眠かったんだろう…と深く自己について省察してみると、 ”感情移入できなかったから”
という答えに思い当たる。
勿論、ウェスアンダーソンはそんなこと求めていない。
この話は現代のおとぎ話であり、寓話である。
だから主人公小林アタリ少年は何の説明もなく飛行機を操縦でき、犬のけがを治療できる天才性を発揮するし、謎の留学生が物語をかき回すし、市長と市民が舌戦を繰り広げて政策を決めるというトンだ市政(しかも不正しまくり)が行われている。
そこに乗れなかったんだなあ。
感情移入はエンターティメントの基本なので、やはりそれイジェクトして”独自の世界観”を押し出すのはアート的だと言わざるを得ない。
それゆえ、ウェスアンダーソンの作品は”好きな人は好き”なのだ。
主人公の話し方のたどたどしさ
ずっと作品内で気になっていたのがコーユー・ランキンくんの吹き替えである。
イクゾォォォォォォ
この発音のたどたどしさ、普通だったらアウトであろう。
しかし、この作品ではそれを良しとした。
つまり、それは、意図的なものだということだ。
その意図とは、ウェスアンダーソンの美意識であり、『グランドブダペストホテル』から持ち味で会ったシンメトリー性を象徴する、ということだと思う。
英語が中央に、日本語が左右に、というデザイン性重視の字幕の出し方や
茶髪パーマの留学生がコテコテのセーラー服を身にまとっている点
メガ埼市、という名前など、この作品は欧米と日本を均等にミックスした世界観を
明らかに意識している。
その1つとして、英語と日本語の入り混じった吹替=コーユー君のたどたどしい発音があると思うのだ。
社会風刺
この作品は、これまで書いてきたように非常に”個人的”な趣味に基づいたものであり、
社会風刺とは本来最も程遠いといっても良いと思う。
それでも風刺ととられる意見があるのは、濃い個人的な日本っぽさ(決して政治的でなく)が詰め込まれているので、見る人がそこに自分の問題意識を照らし合わせて勝手にストーリーを読み込みやすいからだろう。
それは悪いとは思わない。
でも、フラットに映画を見たらやっぱり日本風異国のアニメ~ションであり、”ここは日本ではない”はずだ。
「個人的なことは社会的なこと」というが、やはり第一義には「個人的なことは個人的なこと」であり、わざわざ極東の島国を愛し、わざわざストップモーションアニメという面倒な手法を使って、物語として紡ぐ、1人の変人の酔狂さを愛すために行くというのがおすすめの楽しみ方だと言いたい。
キャスト・スタッフ
主人公:小林アタリ(コーユーランキン)
アタリの尋ね犬:スポッツ(リーヴ・シュレイバー)
捨て犬だが実は…:チーフ(ブライアン・クランストン)
小林市長:野村訓市(日本の設定監修にも深く関わっている)
渡辺教授:伊藤晃
科学者助手ヨーコ・オノ(オノ・ヨーコ)
制作:インディアンペイントブラッシュ