20200905_小遣い万歳150万円
最近小遣い万歳を全部読んだ。
Amazonレビューは阿鼻叫喚だが、制限のなかで戦うみみっちい楽しさは俺にも共感ができるのでそこまでダークな見方にはならない。
そもそも、主人公は漫画家であり、画材代については小遣いから出せと言われていない(出していたら2万千円じゃとてもたりないだろう)。
つまり、アイデンティティへの出費は基本的に許諾されているというわけである。
さらにもし作者=主人公だとしたら、この本が話題となり増刷がかかることで生活はおもむろに向上するのである。
売れてしまうと破綻する漫画というのも珍しいというか、面白いというか。
だからこそ作者のようで作者じゃない微妙な描き方が生きてくるのかもしれない。
仙台に来ている。
150万かけて2~3万の写真を撮るために。
結婚式、車、家……。
現代において見直されつつある“人生の出費”たち。
それらについて吝嗇の考えを持ち出すのはそれこそみみっちい気がしていたし、
どうせ贅沢なんだからなんだっていいのでは?と思考を放棄していたのだが、やはりそれでは損をする。
損というのは相対的なもので、世の中にはもっと、手の届く範囲に「得」があるということだ。
自作結婚式、レストラン結婚式、リモート結婚式……。
そして、LOVEGRAPHなどのサービス群。
そういったものにもっとジョインすべきだったかな。
などといいつつ、、、。
それでも仙台に無理やりいかなければいけないという機会を作り出せること自体は楽しく、僥倖である。
陳腐なフレーズだが、墓場に金は持っていけない。