裸で独りぼっち

マジの日記

のぼる小寺さん──古厩監督舞台挨拶付き

ちょっと話題になっていた邦画、のぼる小寺さんの舞台挨拶付き上映が盛岡フォーラムで2020年10月9日の18:30-回でやっていたので見に行った。

のぼる小寺さん

上映後の舞台あいさつで監督が「あだち充みたいな映画が撮りたいんですよ笑」と話していて納得した。
ずっと小寺さんを見ているだけだった近藤が、小寺さんと並び立って見られる側になるべく頑張る四条や、見るから撮るへと行為を昇華させた田崎の影響を受けてついに「俺を見て!」と決意するようになるという流れはストレートで「ああ、これが描きたいんだな」とよくわかる。
監督は「昔から見ることについては映画を撮ってきていた。すごくこの映画は初期っぽい気持ちで撮った」とも話していて、その言葉は映画から受ける印象とも素直に一致する。

話のメインキャラクターである近藤、小寺さん、四条、田崎、梨乃の5人はいずれもほとんど言葉を交わすことなく、「見る/見られる」という関係でかろうじて観客からは見える透明な線だけで話を作る手腕は確かなものである。

と、いうのがこの映画の感想における歌詞である。

この映画においてずーっとリフレインしていたリフがある。
それは、「アホの学校なんか」というリフである。

まず、小寺さんが茶髪なのだが、ネイルをしたことがない、不思議ちゃんでボルダリングにしか興味がない、周りを気にする感覚がない小寺さんが髪を染めているのが気になった。それはでもまあ、周りを気にしないからこそ逆にかもしれない。
しかし、この学校は相当教育機関としてビミョーであることは間違いない。

そもそも部活の場にコーチがおらず、練習は生徒にまかせきりなのだ。基本的にやる気を出すかどうかは生徒にゆだねられるし、練習法の指導もない。まあ、ボルダリングと卓球だからギリギリいなくても成り立つのかな。
しかし、体育の授業にも教師がいない。生徒は真面目そうなやつでもなんかバスケで遊んでるだけ(おもんなさそう)。音楽の授業も仕切りや女子以外は無法状態。案の定、ボルダリング部の備品を勝手に使うバカが現れ、四条が困らされる。
一人だけ出てくる、担任の先生も最悪だ。
なんでみんなの前ででっかい声で生徒の進路を発表するんだ! 学習指導要領的に絶対やってはいけないことだろ。小寺さんがあのキャラだったからよかったものの普通に考えて問題になる行為である。
また、田崎が学校ででかい一眼レフを使いまくりなのも気になった。あんなもんな、普通学校に持ってきたら没収だ没収! 実際盗撮に悪用しとるやないか。

と、かような疑問は多分漫画だと気にならないところなんだろうな、と思う。小寺さんが見ている近藤や田崎に不自然に気づかないのも漫画なら成立するのだ。
そこが「あだち充を実写でやることの壁」だなということが分かった。

でも、小寺さんが校舎を登って3階まで風船を取りに行くシーンは実写ならではの迫力と「小寺さんすげえ・・・・!」という感動があった。
あそこだけでも実写にした価値があったなと思う。あそこがこの映画のサビですわ。
といいつつ、原作読んでないけど。。。。

 舞台トークショー(『ファンシー』廣田正興監督との対談)付きということで当初はロクに作品も見てない監督同士の話なんか聞きたくねえよ!と思い、スルーしてコッポラの『オン・ザ・ロック』を見に行こうと思ったのだけど直前に急に思い直した。

結果としてよかったと思う。

そういえば文化祭のシーンで髭もじゃの学生がいたのも気になったな。

工藤遥が後半でニキビができていたのもよかったな。

 

いや、前半のカメラワーク的にフェチズム的に小寺さんを見つめる「近藤の目」が合ったのもよかったよな。シャツの隙間から覗く素肌を見るのが正直見る端緒だったのは間違いないし、青春ってやっぱエロだから。

しかし、あの学校は学校指定のジャージもないのか?

それも気になった。

(アホの学校なんか?)