裸で独りぼっち

マジの日記

鬼滅の刃を支えるメタ認知力と「いい人戦略」

鬼滅の刃1~12巻を読んだ。

 

鬼滅の刃は映画を見て、酷評した。

しかし、やっぱり原作を見て展開を知ると見方も変わる。

なるほど、続きの1話としての機能を果たすためには映画であしざまに言ったえんむの弱さやアカザ出現の唐突さも必要である。

全体としての印象は思ったよりずっとほんわかギャグが多いということ。戦闘中にギャグを入れてくるといえば、ジャングルの王者ターちゃんやその弟子である尾田栄一郎のワンピースもそうなのだが、それらのギャグがまさに男子的な「ギャグ」なのに対し、鬼滅のギャグはキャラのやや客観的な思考、自分や周囲を俯瞰するような視点を伴ったいわば少し大人のギャグである。

その点が心地よい。

それは、結局作者であるワニ先生のメタ認知能力が非常に高いということなのだと思う。

単行本の作者コメントは「ありがとうございます」ばかりだ。

一巻には「漫画はこの世になくてはならないものではありません」と書いてある。

また、巻末の登場人物がもし学園物だったら……的なポンチ絵もオタク的でもあるが、それ以上にこの世界以外でも通用するある種の状況に奉仕する存在としてキャラを捉えているのだと思う。

だから、後半は転生する展開になるわけだね(ネタバレをみてしまった)。

 

その能力に裏打ちされたように、炭治郎が現代型の主人公として非常に完成されている。好感度が高い。ルフィや悟空が現実世界にいたら確実に犯罪者になっているだろうことが推察されるが、炭治郎は健気で、頑張り屋で上司になったら安心感があるし、後輩ならばかわいい。

全体を見て最適解を導き出そうという思考能力があるので、読者から見てうかつすぎる失態がない。舐めプもしない。できないくらい鬼が強い。

だから、要するに、一言でいうとストレスがないのだ。

 

「良い人戦略」という本を岡田斗司夫(人格はともかく話は面白いと思う)が上梓してから久しいが、その通り、現代において魅力的な奴・有能な奴とは「いいやつ」のことである。

かつては破綻しつつも能力があるやつが「ヒーロー」だったが、現代型のヒーローはとにかく全体を生かすいいやつであることが理想なのだ。

それは『僕のヒーローアカデミア』の緑谷出久とか、『チェンソーマン』のデンジ(少し不良性があるが、友達として最高)にも通じる。

 

ここのやだみのなさが、老若男女すべてに愛される秘訣ではないだろうか。

そういう風に俺は思う。