余命3カ月じゃなくてよかった
たまに、自分がもう体の大部分をがんに侵されていて、余命3ヶ月だったらどうだろう? と空想してみる。
クソ、こんなことを考えるのも、昼飯に作ったペスカトーレ1.5人前を消化吸収できず、雪道を歩きながらところどころで「オエッ」と嘔吐物をヘンゼルとグレーテルよろしく足跡(フットスタンプ)代わりに残しているからなのだ。
だとしたら俺は、がんを公表して、もしも死ななかったら倍にして返すという条件でクラウドファンディングでも行ってみようか?
そうして約束の期日(仮に1年間とする)の前日がやってきて全然全く死ねずにいる俺。
遊びつくした金を返せるはずもなく、死に場所を探してなけなしの大金とともに世界を飛び回る。ハワイ、キラウエア山で死んでやると心に決め、飛行機を乗り継いで現地へ。
そこでふと気が付く。
──ここに雲隠れして、死んだふりしたらいいんじゃね?
しかし、そうは問屋が卸さなかった。
俺の体には生体反応を逐一チェックするセンサーが金主によって埋め込まれていたのだ。
金を払えとナイフ片手に俺を脅すやくざ者。しかし、当然ながら俺は素寒貧である。
「まて、はらう、払うから──」そう命乞いした瞬間に、体が限界に耐え兼ね、俺は絶命する。
約束の期日には間に合わなかったが、俺は死を迎えることとなったのだ。
──などということはおこらないので、夜はおうちで曲を作っていると嫁はんが帰ってくる。
どうぶつの森にすかっかりハマっている嫁はん。
俺が、死ななくてよかったな。