田舎電車と自己編集
田舎町から電車で帰ってきた。
電車が通っている程度の田舎町だから超田舎町というほどでもないのかもしれない。
電車を考えた人はすごい。
田舎町への電車は大体2時間に1本しか来ないが、5時・6時・7時は連チャンで来る。
朝生理的に早起きしてしまうおじいさんおばあさんを基準にうごいているのだ、きっと。
それも田舎らしい。
それは否か。
新幹線の中で進めなければならない記事を進める。
意外と進む。
スマホのテザリングで参考資料となる動画を見ながらガタンゴトン。
野郎と思えばどんなばよでも仕事はできるのだ。
そして、資料が限定されており、またほかと重複がないとわかっているとなんと仕事がスラスラと進むことか、と思う。
結局文章はこのような思いついたことをミソもクソも一緒くたに書きつけるだけならいくらでも積んでいけるのだ。
構成と方向性の選定と各所への気配りと、校正校閲。
自己編集ができなければライターとは言えない。
だらだらと自己編集せずに好きなことだけ書いて暮らせたらなんと幸せなことかと思うが、実際のところそんなことでは満足のいく価値ある記事は一つも生まれることなく、脳みそがだんだんゾンビ化していくようなドロッとした惰性と諦念の中で行くことになるだけかもしれぬ。
人間の義務や仕事は難しい。
夜は漫画や曲をちょっとずつ進められてよかった。