アニキ感・アネキ感が人を育てる
家におる一日。
家におりながら、家を出て、スタバに向かい、ストップウォッチを押して仕事を始める。
仕事をはじめると横の席に赤ん坊を連れた夫婦がやってきて子どもをあやす。
しあわせな赤ん坊を横目でニヤニヤ見ながら仕事をする。
こう書くと俺が子供好きのいいひとみたいだが、そしてそれも外れてはいないのだが、でも道で倒れてる人を見過ごして殺してしまってもぜんぜんいいだろと思う冷たい心もあるわけで、なかなか人間とは善だ悪だと竹を割ったように腑分けできるものではないのである。
と、しあわせでいながら仕事を進めた。
ポチポチぱちぱち仕事をするとうまいこと終わった。
しかし、まだ原稿は残っている。
がんばれ俺。
といいつつ、雪まみれつるつる道を通って家を目指す。
帰宅してから、AbemaのスピードワゴンのtheNight月曜日の録画を見る。
島田珠代の熱い話。
こんだけ天才、お笑いをやるために生まれた女でも世界を握ることはできないのが恐ろしい。
ダウンタウン一派の同じ芸人に向ける姿勢も確かにかっこいい。
とはいえ、ワイドナショーでとんちんかんなこといったり、反知性的なふるまいをしてしまうのが人間でもある。
ここで見える心理が、アニキ感・アネキ感は人間をかっこよく見せるということである。
不良がなんだかんだいって女をきらさないのも下済みの末、責任を負って若いやつらを世話する(イメージがある)からである。
庇護する人間は、責任と引き換えに信頼と尊敬を得られるのだ。
俺はそんなもん犬にでも食わせておけ、俺は庇護される側に回っておいしいところをいただくぞと考えてこれまでの人生を過ごしてきたが、そろそろ人を守る立場に回ってもいいかもしれない。
それで未知なるぱわーが湧いてきたりするらしいやん?
冒頭のスタバ赤ん坊につながる。