裸で独りぼっち

マジの日記

黒澤明『隠し砦の三悪人』を観た

昨日はジャケットの構想をした。

そのせいでか、なんかわからんが、曲もイラストも漫画もライター業もできなかった。

こんなにいろいろできなかったが別に充実感はある。

基本的にベストのルートを通って、それでもできなかったという感覚があるのだ。

ものすごく物事が進む日もある。

それとの違いは新しいことをやっているかどうかだと思う。

プロトコルが自分の中で定まって、あとは半分自動操縦でできるようなことはかなりのスピードでできる。

俺は、新しいことに向いてない。

向いていないが、新しいことをやらないのは停滞である。

おいおい、また「お中庸」の話になっちまったよ。

 

朝から『隠し砦の三悪人』を見た。

隠し砦の三悪人

午前10時の映画祭で見て、YouTubeに挙がってる事務局オフタイムも聞いた。
娯楽に振り切ったということで、やや前半ダレ場もある。太平と又七が砦の周りで金を掘らされている時間はまじでこちらも無駄骨の気持ちになる。そのくせ、姫の泣き顔はパッと撮影して次の場面とか、最後も知らない間にでかい城が立っていたし、スケジュールがずれにズレたことで全体の構成が破綻したように思えてならない。

とはいえ、話の流れがすっきりしているし、要所要所ではさすがに演出が的確である。例えば早川への関所を超えるシーンで、真壁ら一行が通る前に馬の荷に槍を突き立て、感触を確かめるシーンをさりげなく描くことで、この後の不安はさらにたかまる。
一旦見逃されたかと思った侍が再度戻ってきて真壁は田所兵衛との一騎打ちをすることになる。
このように、敵もマヌケなばかりではないということがわかるシーンが良い。まあ、その割に結末はあまりにマヌケで、もう少し見張りなど立てておけよとは思うが、それでも太平と又七が結局無能な百姓で終わったことなど、物語世界を確からしいものにする感覚はかろうじて残っていると思った。

事務局オフタイムでは黒澤明の好き勝手に対するプロデューサーの怒りも吐露されていてなかなか面白い。

全体のピントの合わせ方や録音の迫力にもこだわったというが、それはこのようにデジタルリマスターによってより現代に適した形で塗り替えられてしまう。おそらく今最高の練度を達成しても数十年後には過去の遺構と化している。

しかし、消え入るにせよ今練度を高めるからこそ数十年度の発展につながるのだ。

ああ、部品になりたい。

でも、自由でありたい。