裸で独りぼっち

マジの日記

悲しきロボット

昨日は嫁はんが早く帰ってきたので昼ご飯を食べに家を出た。

わざわざ車で行って、駐車料金の高い大通りに車を停める。

以前なら意地でも歩いて行っていたのだろうが、現在は車を使う。

それはもちろん金銭的に余裕が出たからなんだけど、それだけじゃなく、金を使わないという損もあるということに大人になって気づいたからというのがある。

車で行かなければ当然体力は消費されるし時間もかかる。

ふと思いついたところにそのまま向かうこともできない。

結果として、不機嫌がたまるかもしれない。

そうなれば、それを解消するために俺はきっと楽をしてしまうだろう。

あるいは家庭内でギスギスが生じるかもしれない。

それを防ぐために金を使わないで、どこで金を使うんだという気もするのだ。

 

こういうコスパ意識が芽生えるのも、結局そこで失ってもいいや、と思えるだけのセーフティーネットaka.預金があるからで、結局今多少所有がある人間の戯言と言えばそうだが、こういった視点は少なくとも現時点では必要だし、持たなかったあの頃の俺は今より貧しかったのは確かだ。

実家の金融資産が以下ほどかは知らないが、俺個人としては金がないので歩く、金がないので、立ち読みする、という感覚だったし、その時間でバイトでもした方がなんぼでもよかったかと思う。

 

などと言い訳しつつ、昼飯に舌鼓を打ち、街を歩く。

嫁はんはひさびさの休みに興奮しているようだ。

 

このブログの存在は彼女にもばれているんだけど、俺がときどき社会が嫌いだとか転覆を望むようなことを言いながら、一方でルールや規範に固執し、それを守らないリア充に怒りを燃やすことに疑問を持っているらしい。

そのはなしをされて改めて考えたんだけど、その二つは実のところ密接に結びついていて、俺は「ルールを破る能力が乏しい」のだ。

 

例えば小学校の時に朝から学校で本を読む10分間読書というルーティンが義務付けられていた。本大好きだった俺は分厚いミステリ専門紙を持って行ったのだが、その中に一遍諸星大二郎高誰かのマンガが入っていた。漫画は禁止というルールが設けられていたので、俺はわざわざ先生に漫画が入っているその本を読んでもいいかと確認しに行ったのだ。

 

そういった要領の悪さ、オペレーションから外れられないロボット的な部分が俺にはあり、規範やルールの存在が結構絶対的なものになる。

だからこそそのわっかの存在を意識して「いっそ壊してくれよー!」なんて、チラシの裏に落くがきすることになるのだ。

そんな間にも人間たちは軽やかにルールを無視したり、あるいはしなかったりして、要領よく人生を渡り歩いているというのに!

 

だから俺がルールを守らないやつに腹を立てるのはルールを守る俺のロボット性を軸に世の中は評価してくれよ!という我田引水な主張に他ならない。

でも、今日もロボット三原則を俺は守って生きていく。

 

第一原則「ロボットは人間に危害を加えてはならない」

第二原則「第一原則に反しない限り、人間の命令に従わなくてはならない」

第三原則「第一、第二原則に反しない限り、自身を守らなければならない」