年男
原稿2本終わらす。
やれると思っていることはできる。
やれると思っているうちは。
俺は
代替の仕事量をmちうモル能力にたけているし、それ以上絶対頑張らない無気力に満ちている。
うん、正常運転。
最近は家ではなくカフェで仕事をするフェーズだ。
物事には「それ用の場所」を設定し、仕事を終えたらそこから移動しなければならない。
その意味では、現在住んでいる盛岡も来年には引っ越すわけだが、それはその役割を終えたからだろう。
ただ、それは俺にとっての役割という嫁はんにとっての役割という意味が大きい、というか100%。
そう思うと、俺は大きい時間の単位ではタスクも何もないし、役割も背負っていないしそんなものなくても生きられるんだろうなと思う。
使命が人間を一人前にするとしたら、俺は半人前のまま気が付いたらふっと死んでいるだろう。
この文章を早く爺になって読みたいものだ。
こういう浅薄な考えを爺になっても抱くのだろうかと思うのは、爺になっても昔聞いたJpopを聴き続けるのだろうかという想像をすると不思議な気持ちになるとことと似ている。
そうはいっても、すでに定年を迎えた俺の父親は若いころに親しんだニューフォークとかJpopを聴いているわけで、そもそも俺たちはイメージした通りの爺に慣れないということだと思う。
俺の好きな福本伸行の『最強伝説黒沢』に「俺はおっさんではなくただ年を重ねた年男(としお)だ・・・!」と子供を遊ばせる父親といまだ独身・素人童貞の自分を比べた黒沢が考えるくだりがあるのだが、もはやおっさんとか爺になれるのは一部の人間の特権で俺たちはみんな年男・年女になるだけかもしれない。
いや、おっさんにはなるかな。