裸で独りぼっち

マジの日記

映画『空白』ネタバレ感想

そうか、頭いいAVってみたことないもんな。

人間の愚性に救われることもある。

みんな自身の猿を飼いならして生きているのだ。

動物使いの才能ありきで、俺たちはレプリカントをめざす。

 

映画を見た。

空白

やっぱ吉田 恵輔好きだわと思った。ヒメアノールもみなあかん。
脚本のセリフ回しとか登場人物の考えが自然で、色々な立場からの目線を持っているというのが多分俺の好みに合致する。
この場合の自然というのは、人間はそういい人間悪い人間と割り切れないしいい人間とあろうとする者はそれはそれでいい人間であらなければならないと考えるに至った理路があるはずだという俺の偏見に裏打ちされている自然である。要するに本作で言えば寺島しのぶ演じる草加部の事である。
古田新太演じる添田の粗暴さとか心の防衛機能の身勝手な発動とかもひざを打つ良さだった。そういう人間だからと言って知らないやつとは警護でしゃべるしとりあえずは自分なりに冷静であろうとするのも良い。
だからこそ、後半のちょっと鬼が抜けたような添田は、いまだに粗暴な面はある人ですよと描いていたとは言え、なんか違和感もあった。結局そういう人は変われないし、心境が変わったとしてももっと不器用な表し方になるはずなんだから。直接「俺もいろんな気持ちがあるんだよ」みたいな理知的な話し方で率直に話せるようにはならないと思うのだ。
でもまあ、それが映画ならではのマジックと言えばしょうがない。つまらない現実だけ見せられても俺は文句を言うであろう。
もひとつついでにいうなら映画の中の「マスゴミ」描写もいい加減逆に実態を反映していない気がして冷める。映画のなかの偽物のワイドショーってなんであんなに「ニセモノ」っぽいんだろう。本物っぽくするとどれかの番組に似てしまってクレームがつく可能性があるからだろうか?
チャンス大城カメオ出演させている場合ではない。あそこのコメンテーター席に一人でもさもありなんな人を座らせているだけで説得力が変わってくるのに。
でも、そうなるとなんで松坂桃李がスーパーの店長やってるんだよという矛盾が生じてくるのかな。
ニュースの渦中の人の家が中傷ビラとか落書きだらけになるのも実際どうなのか検証してほしい。そんなの実際に見聞きしたのは長嶋一茂の家だけだし、それは別にニュースであおられたからではない。

正直「みんなどうやって折り合いつけてんのかなあ」以降の添田のつきものが落ちてからの部分はちょっと退屈だったのだけれど、最後にイルカの絵が出てきて……というくだりはどうしても入れたかっただろうし、そうなると少し時間を置く必要はあるよなあ。
まあでも、おおむねよかった。

映画を作るなんて虚業だし儲かるわけねえよなと思っていたが、虚業でも給料が払われ需給の関係が成立していればそれは実業である。

結局自分の意図したとおりの生業を選べるわけではなく、そのときそのときに用意された数少ないメニューから自分に必要なものを選ぶのが人生の選び方だ。

そのとき、一時的に「これが食べたい!」とか「今日はこの気分!」ではなく最終的に胃に負担がかからないか、金銭的に大丈夫かなど考えるのが大人の注文の仕方だが、それをしたからと言って一時の気分で食べることを明らめたメニューに対する未練がなくなるわけではない。

しかし、確実に胃を痛める料理はある。

そのことを俺は濃い目のカレーを食べたらゲボを吐く身となったからこそよくわかるのだ。

しかし、映画を見るくらいは、直感に従った方が良い結果が得られることだろう。