映画『聖地X』ネタバレ感想 ※批判気味
盛岡フォーラム18:50~19:50の回。
観客はまばら(俺含めて五人くらい?)。
結論から言うと、あんまりおもしろくなかった。
面白の種はあったけど・・・。
テンポが悪ぃ。
60分のドラマの1話だったら神回だったと思うんだけど、余計な部分が多すぎて結構退屈だった。元々劇団イキウメの演劇とのこと。演劇というのはやっぱり一種のアクロバットで、目の前で完全に役に入り込んで演技するとか、今回のドッペルゲンガーのように一人の人間が2人舞台上にいるのをどう表現するのかとか、その緊張感がある場だからこそ成立するちょっとした板の上だからこその笑いとかが生きる場なのだ。
ストーリー半分そのあたりの見世物要素半分だったのが、映画になることでストーリーだけになり、ぽっかりと空いた穴をロクに緊張感のない引き延ばしやもうだいたいわかっているドッペルゲンガーの謎、ムダなホラーっぽい演出、小パンチのわらいで埋めることになった。
今回の人間分裂理論の逆である。コップの水が半分奪い取られて、空いた空白に意味のない情報が詰まっているのだ。超常現象とその解決方法という意味では、岸部露伴は動かないとかトリックテイストの不思議な話として面白かったし、旦那を許して終わりではないというのもそこでは終わらせないストーリーのハンドルさばきのちょっとした小気味よさがあってよかった。元の話自体は才能ある人が作ったと思うけど、やっぱり映画化に当たっての脚色に工夫がなさ過ぎたよなと思う。韓国に行きたかったから力を抜いてつくったのか?あまり入江悠監督とは合わない。
ホラーっぽい演出で観客を釣ったのはどう考えても悪質だよなと思う。
今の観客はネタバレを気にせず、むしろ面白いという確証を得てから劇場に足を運びたいという気持ちが強いという。
だとすれば、パッケージ詐欺は基本的に悪手である。
純愛作品だと思ったらNTRだったくらい、ホラーだと思ったらおかしなコメディだった、は悪い。
俺はNTRの方がすきやけど。
基本的に序盤から怖いっぽいフリだけを連ねて、上の感想にもある通り、60分の幅しかない良くできた話を引き延ばした内容だった。
また繰り返しになるが、舞台と映像は受け取られ方が全く違うのだ。
お笑いでもテレビの笑いと舞台の笑いが全然違うように。
舞台の上では、基本的に密室空間になるので、その中でできたコードが通用するし、そこから逸脱したりまたうまく戻ったりできる奴が強いし、ちょっとした雑さとか素みたいなものが面白く映る。
それをテレビで見ると、なんとなく散漫な印象になり、視聴者は離れる。
映像でもDVDとかなら別だが。
最近のオールザッツが滑っているのと同様に、聖地Xも滑り気味であった。
そもそもあんな聖地があるならもっと利用する手段を考えたまえ。
『僕はゾンビと海を歩いた』を、真木よう子の思い込みにより生み出すことができても、それを思い込んでいないほかの人まで認識できるのはおかしいんでないの、とも思う。でも、真木よう子がそう思った結果、その結果が得られると思い込んでいれば成立するのか。
このような認識論に対する問いは確かに面白いんやけどねえ。