バッドランド/映画『ナイトメアビフォアークリスマス』の感想
朝一発。
ザ・ボスの『badland』を聴く。
バッドランドとは、荒野の事である。
俺はずっと「悪の土地って…?」と北斗の拳の雑魚キャラが闊歩するようなポストアポカリプス世界を思い浮かべていたのだが、そういうことではない。
荒野をさまようものはどこにもたどり着けない。
バッドランドに希望を見出すしかないが、同時に唾を吐き捨ててやりたくもなる。
其れでも俺たちは北斗の拳の雑魚キャラにはなれない。
そのいずれにも属さない人間どもの物語である。
原稿をやらなきゃなあ、と思うがどうにも気が進まない。
それでも、とカフェを2件はしごするとやや進んだ。
一件目のカフェで、ティーカップを持って2階へあがろうとすると、店員と目が合った。
そのまま、「ありがとうございます~」と回収される。
俺は実は単に一階は寒いので場所を変えたいと思っただけなのだが、言い出せなかった。
「黙ってやり過ごす」という選択肢が浮上したとき、そのままそれに従うか、己の気持ちのままに動くかで、人間の器は決まるよな、と思う。
午前中は映画を見た。
なんで午前10時の映画祭委員会は年始にこれをぶつけることにしたんやろか。
(註:クリスマスにもぶつかるから)
当たり前だが造形が天才。ジャックなんて目玉がないのに、口だけであれだけ表情豊かなんだから、動かす技術もスゴイ。結局「頭おかしいなあ」と思わせるくらいの手間を感じさせたもの勝ちなところがあるので、そこでもう満足してしまった。
いまさらながら見たので、意外とローファンタジーなんだなという驚きがあった。ハロウィン世界とおとぎの世界だけで話が進むのかと思ったら、シームレスに人間の居住する現実とつながっている。でも、サンタの存在が認められているので、俺たちのこの現実ではない。少しずれたリアルと、珍妙なファンタジー。
同じことを『シザーハンズ』を見た時にも思った。ティム・バートンは脳内にすでにファンタジックな現実を飼っていて、そこからさらに極彩色な(あるいはモノクロな)あちらの世界との邂逅で話を転がすのだ。
監督のヘンリー・セリックは『ジャイアント・ピーチ』の人なのか。あれも子供の頃よく見たなあ……。となると、『コララインとボタンの魔女』も観た方がいいのだろうか。
俺は今までストーリーやその厳密さを重視して映画を視聴するタイプだと思っていたが、そうでもないのかもしれない。
結局好きなものは好きというだけなのだ。
それでは批評は成立しないけれど。