スイッチを入れに
やっと正月気分も収まってきた。
「気分」に振り回されたくないが、確実に「気分」はある。
そして、その「気分」を感じる能力こそが我々を社会的動物、人類を「一個の種」としてつなぎとめているのだという予感がする。
それはつまり、第六感の軽い肯定なのだけれど、今の俺はそれを信じている。
俺は1億を認識できないが、9999万9999は俺に確実に影響を与えているのだ。
(ほんとうはもっとたくさん)
Pixivでmtsp『橘さん家ノ男性事情』という同人エロ漫画の二次創作小説をたくさん読んだ。
特に、「えとせとら」という人は発想も筆力も素晴らしい。
タダで、人を楽しませるために、ときに期待外れだと否定されながらも、創作に励む人を俺は、「怖い」と思う。
何が楽しくってやっているのだろうかと。
しかし、このブログだって、曲だってだあれも聞いたり読んだりはしてくれていないのである。
いや、ブログに関しても少し入るかもしれないが、その人たちの顔は浮かんでいない。
単に「やる」というスイッチが入りって、それを切るという判断を無意識的にも意識的にもこなさないからこそ続けているのである。
たぶん、世の創作のほとんどがそうで、最初から儲けてやろうとか承認されたいとか思っている奴はなかなか続かないし、その儲けたいとか認められたいとかいう欲望も結局、スイッチの産物である。
要するにスイッチを切ったり押したり自在にできるようになれば、それこそが最強の人間──超人(ウルトラマン)であるはずだと思う。
例えば『ザ・ファブル』でファブルが関西弁のスイッチや殺し屋のスイッチを頭蓋を一定のリズムで刺激することで切り替えるように、俺もスイッチを切り替えたい。
というただの願望の話でした。