凶悪の振り返り
昨日『凶悪』(2013)が期待外れだったと書いた後に
『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』の『凶悪』評論回を聴いた。
ライムスター宇多丸は「5億点-50点」というかなりの高評価で、キャリアと確かな知識を誇る映画批評家と意見が違うことに俺は少しショックを受けたが、元気です。
まあどこで意見の相違が生じたかというと、「どのような悪人像を期待していたかあるいは期待していなかったか」という点である。
ライムスター宇多丸曰く「卑近な、”ドン・キホーテ”にいそうな悪」が描かれている点を評価していたが、悪のカリスマを期待していた俺はその矮小さにがっかりしてしまったのだ。
また、技術的な評価点が知識不足故、見えなかった。
とはいえ、俺は俺の評価が間違っていたとも思っていないぞ。
やっぱりなんかリアリティないなって部分は多かったって。
凶悪(2013)感想 脚色が足を引っ張った
AmazonPrimeで『凶悪』を見た。
TSUTAYAで新作だったころはレンタルランキング上位に入っていたなーという思い出とリリーフランキーの『SCOOP!』でのアウトロー演技が良かったことがその理由。
結果としては予想していた面白そうポイントはそのままあったけど、結構ダメなところも多い映画だという感想だ。
以下、理由を述べる。
あらすじ
史上最悪の凶悪事件。その真相とは? ある日、雑誌『明朝24』の編集部に一通の手紙が届いた。それは獄中の死刑囚 (ピエール瀧)から届いた、まだ白日のもとにさらされていない殺人事件について の告発だった。彼は判決を受けた事件とはまた別に3件の殺人事件に関与してお り、その事件の首謀者は“先生”と呼ばれる人物(リリー・フランキー)であるこ と、“先生”はまだ捕まっていないことを訴える死刑囚。闇に隠れている凶悪事件 の告発に慄いた『明朝24』の記者・藤井(山田孝之)は、彼の証言の裏付けを取る うちに事件にのめり込んでいく……。
「凶悪」(amazonビデオ)
予想していたとおり面白かったところ
①役者陣の演技
ピエール滝とその情婦役 松岡依都美が良かった。
ピエールは特に死刑囚としての抑えた演技が。壁一枚隔てても礼儀正しくても「こいつ殺人犯だな」と思わせるムードがあった。
松岡はうらぶれた人間感がこの作品からいい意味で花を取り去り、リアリティを加えていたように思う。「ありふれたクズ人間がうまいな」と登場時に感じたのだが、結果、思った以上に悪い奴だった。
リリーフランキーも良かったけど、出番が思ったより少なく、『SCOOP!』で見たときほどハマッてなかったように思う。それに、キャラが思ったより薄い……(後述)。
範田紗々のパイオツも映画冒頭にもかかわらず記憶に残ったという意味でよかった。
R15と言えど、AVと一般映画ではやはり違う。人間はやはり社会的にエロを捉えているのだなあ…。
②ノワール描写
凶悪というタイトル通り、ピエールらが人を人とも思わず暴力性を発揮する様が、語弊を恐れず言えば楽しかった。
アウトレイジが興行収入1位をたけし映画で初めて獲ったように、暴力性は原始的な楽しさと結びついていることは間違いない。
発明はなかったが、人を殺すときの暴力に「怒り」がないのが特によかった。
作家の朝井リョウが「怒り」とは感情があふれ出したというのが最もわかる状態だと言っていた。
その理論で行くと、怒ってふるう暴力=コントロールできない感情にあかせた暴力ということになる。
その点この作品では基本楽しそうもしくは作業っぽく暴力をふるい、怒りの暴力は舎弟にふるうくらいのものであった。
予想していなかったダメなところ
①リアリティの欠如
なぜあんなに適当に殺人を犯しているのに放火を犯したときまで罪が発覚しないのか?なぜやくざの組長にボディガードの1人もいないのか?また、組長に暴力をふるったのにピエールやその舎弟の五十嵐は殺されないのか?
などピエールらに都合よく話が回りすぎな感じがした。
加えてひどいのが山田孝之演じる記者の仕事描写。
あんなにほかの仕事を放置して取材ができるほど記者は甘い仕事なのか?記事をまとめて提出したとたん編集長が味方になったのも特に強い理由がなく、納得いかない。お前、最初に「殺人犯と不動産ブローカーがつながってるなんてありふれた話しすぎて記事にならない」いうてたやないか!パパラッチとして二世議員と女優のキス写真を職務放棄して逃したことのお咎めもないならあの描写の意味が分からない。
新潮社の協力を受けているということで、あえてファンタジー的な記者の描き方にしたのだとは思うが、俺は乗れなかった。
②テーマのわからなさ
この原因も、山田孝之演じる藤井記者にある。
藤井の母は痴呆の症状のある状態であり、池脇千鶴演じる妻はその介護で疲れ果てている。しかし、藤井記者は家庭を顧みず、事件にのめりこんでしまう。
そして、ネタバレになるが、ここがメインではないので言ってしまうと、最終的に離婚届を持ち出された山田記者は、今まで抵抗をしていた老人ホームへ母を送るという選択をとる。
この部分とピエール・リリーらの話を結びつけてテーマを抽出すると、「老人とそれを邪魔に思う家族」というのが浮かび上がる。
ピエール・リリーらは老人に保険金をかけて殺し、保険金代や奪い取った土地代をせしめるのだ。それは、老人の家族の依頼によるものだったりもする。
確かにそれと山田家の状況は重なるだろう。
しかし、その問題に対する解決策は「老人ホームに連れていく」しか示されないのだ。借金まみれの老人も出てくるのだが、それに対する解答は見られない。そもそも金や地域の都合で老人ホームに入れない家族もいるだろう。その場合どうするのか。
ここまで考えて、タイトルを 鑑みると、やはりテーマは「悪とはなにか」だという真説が浮かび上がる。
そうなると、藤井記者の家庭の設定は蛇足に過ぎない。というか、老人に目を向けさせてしまう分、大きくテーマを描きにくくする余計な部分だと思う。
しかし、「悪」についてもはっきりと回答が出されたようには感じられない。
それは、リリーフランキー演じる「先生」にそこまで「悪のカリスマ」が感じられないからではないか。
何せ、冒頭から人を殺し、女を犯し、生きたまま火をつけるピエール滝が「先生」と慕っていた人物である。俺は、彼の何枚も上手を行く極悪だと予想していた。
しかし、実際は単なるサイコパスの金持ちといった感じで、むしろピエールの役より悪さや怖さという面では目減りするのだ。
制作陣は、先生が率先して死体の焼却炉に火をつけたがったりスタンガンを使いたがったりする様子で「悪」を伝えられると思ったのかもしれないが、不十分である。
ピエールは死体をノコでバラバラにし、少し前まで友人としていた相手を縛って川に突き落とすのだ。こっちのほうがよっぽどである。
では、ピエールが真の悪かというと、舎弟や情婦には本当に情をかける人間だという部分がそのノイズとなってしまう。
それとも、結局人は悪と善を併せ持っている。悪は人の心の中にあるという結論なのだろうか?
だとしたら、凶悪というには陳腐な結論である。
以上、凶悪の感想であった。
実際の話を下敷きにしているということなのだが、
こちらのほうが「先生」の得体のしれない怖さは強い。
そういう意味で、暴力団員 須藤(ピエール滝)に少しフォーカスしすぎたのではないか。
藤井記者へのフォーカスも逆効果だったように思う。
つまりは、もう少し元の事件に忠実で良かったと思うのだ。
喧嘩稼業7巻 感想ー戦術と大喜利
木多康昭のマンガ、『喧嘩稼業』(ヤングマガジン)が俺は大好きである。
昨日、7巻を一気に読んだ。やはり安定の面白さであった。
喧嘩稼業は、大まかに言うと天才的な頭脳を持つ高校生佐藤十兵衛が格闘技で戦う話だ。
前章にあたる喧嘩商売は少年ジャンプの異端ギャグマンガ『幕張』や『泣くようずいす』の作者である木多康昭らしいパロディ・下ネタ・悪意に満ちあふれたギャグマンガとして始まった。
しかし、小学生時代いじめられていた十兵衛がそれを救ってくれた空手師高野と戦う4巻のエピソードから話は大きく頭脳格闘戦に傾いていく。
因縁の相手となる不死身の喧嘩師、工藤や卑怯きわまりない金メダリスト金田との戦いはどれもジョジョとバキを同時に読んでいるような満足感を与えてくれる。
まぁ実際その2作(とくにバキ)の影響は大きいだろう。
主人公のキャラはデスノートのライトが卑俗になった感じである。
喧嘩稼業になってからは「最強の格闘技とはなにか」というテーマを追究する一大イベント陰陽(インヤン)トーナメントが開始された。
アシスタントの情報によるとすでにしっかりとその答えは用意されているという。
この7巻はそのトーナメントの1回戦、十兵衛と、天才日本拳法師佐川徳夫の対決の始まりを描く。
バトル漫画における戦術とは、大喜利に近いものだと思っている。
通常の場合、戦術とは決して面白くはないことがほとんどだ。
オリジナルの対策を個々人が生み出せたらそんな楽なことはなく、指導者が教えてくれた技のかけ方、外し方をどれだけ鍛錬で自分のものにできるかが見ものとなる。
しかし、漫画ではそうはいかない。
戦術は、効果的である以上に「面白い」ものでなければならない。
この場合の面白さは予想のつかなさと同義である。その予想のつかなさが戦闘上の効果につながる説得力を与えられたとき、漫画的ベストバウトが生まれるのだ。
木多先生はさすがギャグマンガだけあってその面白さ=予想のつかなさを生み出す技術=大喜利力が高い。加えて、分析力があるため、戦術に説得力を持たせられるのだ。
彼の有名なエピソードとして「遊戯王の高橋和喜先生に頭脳バトルとは何たるかを教えるためカイジを勧めた」*1というものがある。そういったアドバイザー的な資質、漫画を俯瞰してみる能力が喧嘩商売の戦略策定に生かされていると俺は思う。
6巻もその大喜利的戦術センスが大きく生かされた内容であった。
ネタばれは良くないかなと思うのでしないが、
ヒントは「自分より強い相手に一方的にダメージを与えるには?」という問いへの見事な1つの回答がここで出されているということである。
恋人以上、友達未満という言葉が好かん
恋人以上、友達未満という言葉が嫌いである。
蛇蝎のように、というわけではないが、蚯蚓や蚰蜒(げじげじ)のようには嫌っている。
その理由は、以下の通り。
1.友達を恋人の下に置いている
この場合の「以上」「未満」というのは親密度という尺度から見てどうか、という意味だと思うが、それでも恋人のほうが友達よりも親密だという前提がある時点で気に食わない。
「恋人は友達の進化形ではない」と俺は思う。
恋人と友達の違いは自分にとっての役割の違いである。友情を取り交わすのが友人であり、愛情を取り交わすのが恋人なわけだ。
それを一つの尺度で測って優劣をつけるのは「小説」と「漫画」の間に優劣をつけるくらい的外れなことだ。
これに付随して、「恋人と親友が崖からぶら下がって今にも落ちそうなときどっちを 助ける?」といったような質問もくだらないと思う。
「小説と漫画どっちが面白いと思う?」と言って答えられるだろうか。
答えられる奴は狂信者かバカである。
2.友達を恋人予備軍として見ている
俺は正直、一回友達フォルダに入れた人間を恋人フォルダに入れなおせる人間の気が知れない。
これはいささか純情すぎて気持ち悪い発言だが、俺も友情を語った相手と同衾をもくろむ君を気持ち悪いと思っている。
俺は、友情をきれいかつ絶対不変なものと思いすぎているのかもしれない。
でも、そうであれと思し、「我々の道徳はそうであれ」と願うことを基盤の一つとしているような気がする。
だから、幼馴染と付き合い、結婚した、なんて漫画の設定を見ると正直若干引く。
タッチもちょっと引く。
みゆきは逆にいける。
意外と2つしか理由が出なかった。
ともかく、友情をもっとみんな重視してほしい。
どうも友情の歌は少ないような気がするし、映画や小説、ドラマでも友情をテーマにしたものは親子モノや恋愛モノに比べてまれだ。
みんなが友情を重視するようになれば、ある種沖縄のもやいのような関係性を築けて、結婚や子育てなどせずとも孤独死せずに気楽に過ごせる気がする。
でも、人類減るからあかんか。あーあ。
「めっちゃ」はいつから若者言葉になった?
「めっちゃ」は元々関西弁だったはずだ。
いつから若者が使う言葉の種類になったんだろうか。
俺は「イエーイめっちゃホリディ」ではないかと睨んでいる。
ただ、そうなると「イエーイめっちゃ~」以前にめっちゃは若者言葉ではなかったのかという疑念を払しょくする必要が生じる。
そういう論文がないかとCiNiiを当たりたいが、CiNiiは使えないし・・・。
今後も地道に調査を続けていきたい。
ヤングジャンプ4/13(木)2017年 20号 感想
潔癖男子! 青山くん
トキワ荘プロジェクト出身の作者。
元々は「となりのヤングジャンプ」で連載されていて、本誌に昇格し、そしてアニメ化決定と実に堅実な道を歩んできた。
嫌味ない絵柄に現実の枠内で最大限屹立したキャラクター。
――正直、箸休め枠でしかないと思っていたが、ここ最近はアニメ化の勢いもあってか、キャラクターの関係性が見えるネタが多く、面白い。
そもそも主人公の青山君がイケメンで潔癖症というキャラ付けの時点で
「そんなネタで長々と続かんやろー」と思っていたのだが、青山君の周辺のキャラにバリエーションをつけることで乗り切るパターンとなった。
しかし奇妙なのは、この漫画ではずば抜けた「人気キャラ」があまりはっきりとは見えないことだ。
今回でも狂言回しとして機能している、坂井・塚本・キャプテンや、後藤もかあたりが人気キャラとして挙げられるとは思うが、どれも突出しておらず、例えばスピンオフが作られる想定ができない。
割とみんながみんな平等で、だからこそ青山が中心だということを読者は忘れずに巻を読み進めることができるのだ。
クノイチノイチ
これあんまり絵もうまくないし、クノイチという設定を安易なエロのために
間借りしてるだけやし、くだらないなあと思っていた。
だが、同じエロ枠の源君物語に比べると顧客サービスに徹している分満足度が高いのも事実である。そして、源君物語がかなり続いて以上、まだまだ打ち切られないのかもしれない。
とはいえ、今回のラストの引き、縛られた主人公が思いついた脱出の策が「縛り方教えてよ…!」というのは、やはりキャラクターのエロに奉仕するがための知能≒人格のなさを露骨に示している。それはストーリーを通して人格を描き、それをエロに昇華させる効果を紙のエロに期待する読者を萎えさせるのだ。
来週最終回だが、とどのつまり、ずっとすべての話の落ちが「カワイイ」が○○を解決したと要約される。
ある意味マンネリだが、それが逆説的に凡百の漫画との違いとなっている。
来週最終回ということで、打ち切り感も感じるが、俺は好きだった。
キャッチ・ザ・シット
昨日、キャッチャー・イン・ザ・ライのことを考えていた。
20世紀最大の青年小説。あまりに、あまりに有名な。
おおむね「あーこういう気持ちの時あった気がする。いまは世間ずれしちゃって共感できないけどね」みたいな反応が多い。
なんだか悲しくなった。
俺は、2年ほど前に一度読んだきりだが、いまだに共感できる気がするし、レビューでたまに私は気の狂いそうな彼の気持ちがわかるといった趣旨のものがあると少し目頭が熱くなった。
しかし今日、冒頭の記事が大きくバズっているのを見て、気力を取り戻したよ。
高校生時に大人や社会の汚さに耐えきれなくなって中退し、その後は野糞に生き、妻さえもそのために失ったおじさん。
彼を支持したい気持ち、それはホールデンを親友のようにいとおしく思う気持ちと同じだよ。
久しぶりに、胸と腸がスッとするニュースを見た。
しかし、俺はやや排尿恐怖症のけがあるので、外で排泄は向いていない気がする。
おまけに痔まで発病している。
ちょっと前に怪しいビジネスに勧誘するそれこそ糞みたいなコメントがこのブログに寄せられていたが、次は痔に100%効く軟膏はどうでっしゃろ的コメントが寄せられるのではないか。
黙れ。俺にはプリザSがついている(ほんまに宣伝みたいになった)。