裸で独りぼっち

マジの日記

ダイ^2 エット

いつでもご連絡くださいませ。

とメールに書きながら、どうか連絡がありませんように……!と祈るような毎日で、

映画を見に行こうかなと思うけれど、ちょうど時間が合わないので、やっぱりやめにして原稿に取り掛かることにした。

「この世の何もかんも意味なんかないんや、だから生きられる限りでいきたらええんや」とずっと思っているけれど、それでもそういいながら何かに仮想的な意味を与えて、そこから、意味を吸い取って生きているのが実態で、

この意味がどこからやってきているのだろうと思うと、やはりイデア界の存在に思いを馳せざるを得ない。

 

なんて言いつつ、もっともっと勉強しなくちゃだし、

こんな胡乱な日記以外の文章は書けないままサーバー代だけ毎年数千円払っちゃってるし、

それよりもまずは引っ越しのために整理した書籍類をBOOKOFFに売りに行くことから始めたいのだけれど

なんとなくメルカリで売った方が金銭的には賢いということが足かせとなってどうにもやる気が起こらなくて、

今日も俺は自室のさほど快適でもないPCチェアで腰をイタメル。

 

腰に十分に火が通ったら、頭の煮物もトロリとおいしそうに崩れるので、

直接はらわたにできた口でモリモリ食べる。

このやり方だと、すぐにおなか一杯になる。

ダイレクト・ダイエット。

 

話をしようよ

朝から段ボールを待った。

嫁はんは部屋で臭い毛布にくるまっている。

昨日に酒を飲んだから頭が痛いのだ。

※俺は飲んでいない

 

引っ越し屋のおじさんが来たので受け取りに玄関へ出る。

マスクをつけ忘れてしまった。

2、3質問をして、請求書を受け取り、段ボールを部屋において帰ってもらう。

俺は部屋まで入ってくるかと思ったのだがそんなことはなく、「すわこのだらけた姿と汚い部屋が見られてはかなわん」と焦っていた嫁はんは怒りを表明する。

「家が汚い」とオレを非難する。

 

育ってきた環境が違うから、好き嫌いは否めない。

 

でも、これは「好き嫌い」ではなく心に設けた「ハードル」の話だ。

その「ハードル」が高い方が基本的には何かを担当すれば、文句は出ないし…。

というのは浅はかな現場を知らないものの考えであって、基本的にひとつのハードルが高いものはほかのハードルも高い。

よって、ハードルの高さに合わせて役割を割り振るととんでもなく不公平なものになってしまう。

とかくこの世はすり合わせが重要だ。

 

だから俺は嫁はんと話し合わなばならない。

ハードルをふたりの納得のいく位置へ設定しなければならない。

なんていいつつ、話を逸らしたり、外へ遊びに行く誘いをしたりといった搦手の方が有効だったりもするのだが。

 

ワシの宮殿の話/散髪屋さんにいった

みんな頑張っとる。

俺は頑張っとらん。

だが、えらいから許されるのだ。

 

王宮の庭は今日も明るい日差しに包まれていた。

一年中、台風が猛威を振るう夏も、雪のしんしん降り積もる冬も、ここだけは、光のどけき春の日だ。

一年のうち、どうしても夏が「先」で、冬が「後」という感覚があるが、それはなぜなんだろう?

 

ワシはチュンチュンと泣きながら飛来した雲雀を優しくナデナデし、手から雑穀を食わせてやった。この手がたとえ汚れようと、動物のかわいらしさに比べたらなんのそのだ。

と、考えているのに、右手はゆうことを聞かず、小さな友達を押しつぶしてしまう。

きっと、雲雀の爪が手に食い込んでチクチクしたのが不快だったのだ。鳥の足は考えている以上に枝をしっかりとつかむように設計されている

 

ワシは自室に戻り、手をしっかりと洗った後、窓を開け放った。

新鮮な空気が室内に入り込み、解放感に満ち溢れた。

神聖ローマ帝国は今日も平和である。

ここから世界史を勉強しなければ何もかけやしない。俺は文系コンプレックスからぐーっと理系的勉強に傾こうとしているが、本当はどっちに傾いてもダメなんだよな

 

話はかわって

昨日は散髪屋さんにいった。

690円で切ってもらえた。

おばさんの美容師はやりて風の空気を漂わせており、いろいろとワックスの付け方なども教えてくれたが、帰ってからの嫁はんの評価は「中国残留孤児みたい」だった。

SNSと現実の分断がまだかすかに残っていた10年前のTwitterにかいとけ!

 

下書き1/逆切れ系の歌詞/矛盾

Ctrl + S で下書きを保存。

そう、これは世に公開することにない下書きだ。

 

俺は人を殺した。

1月20日午前2時33分。

群馬県前橋市郊外の駐車場。

俺は7人殺した。

 

ヤツラはこの街を守ると息巻いていたが、俺だってこの街を屠ると決意してきたのだ。

その意思は揺るがなかった。

3つのドンゴロス。

どこからかやってきたあんたらを詰め込んだ麻袋を日本の北端まで捨てに行く。

 

話は変わって

 

以下の2つのフレーズ。

 

【1】

みんな同じなんだよ だからなんだようるさいよ

(秋山黄色/サーチライト)

【2】

まあしってるんだホントはさ

みんなも大変だっていうんだろ

ほらやっぱりねそうなんだ

(PEOPLE1/僕の心)

 

こういう逆切れ系の歌詞が好きである。

「甘ったれてるかもしれないが、俺は辛いんだよー!」という歌詞。

ちょっと甘ったれている。

照り焼きバーガーかよ。

たっぷりマヨネーズ挟みやがってよ。

 

とはいえ、みんなとの共感を否定する歌詞で、実は大勢の共感を呼ぶことを狙っているのだ。

そして、その構造はわかっていても、俺の無意識はまっすぐに信じてしまう。

矛盾したメッセージを同時に受け取れるように人間はできていない。

理性ではわかっていても、どちらか、“自分が信じたい方”を信じてしまう。

信じてしまった。

 

まあ、この文章も下書きだ。

誰に読まれることもないのだ。

俺だってそのくらい、わかっているのだ。

 

トラと明かり

──例えば、明かりをつけてみる。

それだけで、この部屋の様子は変わる。

微細な変化、心地よい変化を日常に取り入れたら、わざわざ昼間にお出かけなんてしなくても俺は元気に仕事や趣味に邁進できるのかもしれない。

飲み会もレジャーも嫌いで、ずっと家でダラダラしていたいのだから、俺は植物のようなものである。

しかし、それと相反する気持ちもずっとあった。

「外に行きたい」「家に居たくない」「動き回りたい」と暴れまわる俺の中の黒い悪魔!!

でも、飲み会は嫌いなので本屋や街道をただうろうろと歩いていたのだ。

 

あのベンガルトラ わかったような顔でウロウロウロウロ檻の中

andymoriベンガルトラウイスキー

 

俺は今日も檻の中をうろうろ。

快適でならない。

 

「動物園は解体だ。」

ある日、おじさんがそういうので俺は、動物園中の仲間にそのことを知らせようとひときわ大きな声で「ウオォ」と吠えた。しかし、のんきなヤツラ(キリン、アザラシ、ニヌー、各位)はその意味に気づきもしない。

ただ飼殺されて、「出来合いの自然」のままに、餌を食べているだけ。

(いやだ!俺は自由になんかなりたくないよ!!!)

 

──例えば、明かりをつけてみる。

俺はこれを実践していない。今は昼間だが、暗雲が空を覆っている。

暗い部屋で、2台のパソコンの光が、トラの顔面をぼんやりと浮き上がらせているのだ。

 

 

 

夫婦と男女(ン)

俺の目の前には甘いものが一つ。

仕事の合間のミルクレープ。

プライベートの合間の仕事。

人生の合間のプライベート。

睡眠にサンドイッチされた日中。

4次元と2次元の間の3次元?

 

縦読みにもならない。

 

嫁はんは手首と目が痛いらしい。

肩も凝っているだろう。

プrrrrrrrrrこちら、ヘルプセンターです。

ご用件をどうぞ。

 

はあ。…手首が痛い?

目も?

そうですか、お大事になさってくださいね。

 

俺は助けになりたい、慣れなくちゃなんて言いながら、実際のところはこのくらいの薄情さで助けにもなっていない。

ような気が。

 

甘いものを食べて気持ちをアゲなきゃ。

と言いつつ、背後に気を配ると、2人の中年男女。

 

マッチングアプリで出会ったのか?

会話の内容はどこかぎこちなく、また長年連れ添ったカップルや夫婦の会話、あるいはビジネスパーソン同士の会話にしては稚気に富み過ぎている。

男女ともに高卒。しかし、男性は高校卒業後600冊の本を読破して、ギャンブル好きの親父に「おまえが怖い」と言われたらしい。自分の知識を誇りに思っていそう。

しかし、それを受ける女性の方が賢そうに感じた。どことなく受け答えとか、客商売やってる人の巧さに満ちている。話に内容をしっかり受け止めて楽しい剣戟である。

 

最終的に男女の会話は「どうして未来の記憶はないのか?」という哲学的なフェーズへ到達していた。

この話を嫁はんにすればよかった。

 

手首の痛みも、目の乾きも、どうせ俺にはいやせやしないのだから。

小説『こちらあみ子』『ピクニック』『チズさん』ネタバレ感想

今村夏子の『こちらあみ子』『ピクニック』『チズさん』を読んだ。

こちらあみ子 (ちくま文庫)

いずれも、足りない人の話であった。俺は漫画の中で『ちーちゃんはちょっと足りない』がいっとう好きなので、もちろん『星の子』を読んで今村夏子の筆力にも信頼を持っていたので、面白く読んだ。 町田康の解説は、ちょっとよくわからなかった。

【こちらあみ子】 気づいているのかいないのか、明るい白痴のあみ子の話。卑近かつちょっと近代の嫌な言葉でいうとガイジの話。この場合、障害のある人、というニュアンス以外の何かがあるし、その言葉の存在もみんな知っているけどまあ大人になって言葉に出すことはない。でも、覚えている。

言葉は傷つける。その曰く言い難いニュアンスと、また映像的で心情を描かない、漫画が文学を描くようになってからの、諸説よりも文学的な「読み取る」ニュアンスをフィードバックして「感じ取る」に昇華させたニュー文学だ。

【ピクニック】 ルミたちの行為がいじめかどうかというと、いじめかもしれないが七瀬さんの扱い方にはそれくらいしかないじゃないという事情も分かるし、俺はきっとピクニックに行く側でも、新人でもなく、ただ黙ってニヤニヤ笑いを浮かべて横に立ってきいて、ソソクサと帰るだけの姑息な人間なので、まだこいつらのほうが立派に思える。

【チズさん】 流石に短いので受け取るものは少ない。チズさん以上に、主人公が足りないのでは、と想像させる。 全体的にコントにもできるよなあと思った。クローズアップ寄りのロングショットというか、本当に独特のピントの合わせ方だと思う。すごい。

かなり絶賛に近い。

俺は文句たれだからな。

今村夏子に関しては文句を余りつけられない。

なぜなら、俺は世界のいろいろな人間に気まずい思いを味合わせてやりたいからだ。

その徒党という意味において、俺と今村夏子は仲間である。

俺は仲間に甘い。

 

以下、採点。

 

こちらあみ子:95点

ピクニック:90点

チズさん:77点

 

長さに比例して点数が付けられている。

なかでもやはりあみ子が良かった。

いじめられようがはじかれようが平気の平左で存在できる「他者」の存在は俺にとって心強い。

「そうやっていこうや、もっと社会を内部から瓦解させていこうや」と思う。

これは緩やかな、非暴力の反社である。

あまりよくない。社会から抹殺されるかもしれない。

それでも、そのために芸術や文学は存在するのだという名目で、ゆるされている。

 

映画とかは結構点とか星取りとかする人がいるのに、小説を表する人であんまりそういう人はいない。

なぜかと考えると、以下のような理由が思い浮かぶ。

 

・小説は映画に比べて読むのが速い。よって、いちいち点をつけてらんない

・ジャンルが映画以上に固定されていないので採点が難しい

・小説読みは映画好き以上に作者リスペクトが強いので怒られそう

・小説書きはめんどくさい人が多いので怒られそう

・小説は頭がいい高級なジャンルのイメージがあるので、採点するとおこがましい感じが出る

 

はなしはかわって

 

毎年なら、そろそろ確定申告の書類作成に手を付けているのだが、今はやっていない。

やらなければ、と思うのだが、同時に何回かやったので「なんとかできるか」という余裕も生まれている。

慣れた方がいいが、慣れ切ってはだめだ。