裸で独りぼっち

マジの日記

20200920_漫画家はすごい

自宅のPC椅子とけつの間に根っこでも生えたかのように一日中座っていた。

おかげでいまは肩が凝って仕方がない。

しかし、1本仕事を仕上げることはできたのでよしとする。

以前を家を出なければ仕事が進まなかったのだけれど、現在は家で基本的に進めている。

普通に考えて通信環境が整っていてデスクトップPCを使える自宅に勝る仕事環境などないのだ。

あったのは“自宅ではやれない”という思い込みである。

思い込みが我々を拘束している。

 

男塾ばかり読んでいる。

戦いに次ぐ戦いに次ぐ戦いとライン作業のように続く同様の展開と各所に挟み込まれるウソ蘊蓄。

この単調さこそ心地よい。

あと、普通に絵がうまい。

坊主ばっかり何人も出てくる漫画なのに何となく描き分けられているのは大したものである。

 

こんな絵を描く手間を費やすのだから、漫画家とはつくづく面倒くさく努力金物である。

もちろんそのあたりをかっぴーとかONEとかWebでへたくそな絵で物語を綴ってその力のみでなんとかゴールへもっていく例も増えてはいるが……。

 

夜中はチャンスの時間を見た。

生放送なのに大吾も信もはずさない。脂がのり切っている。

しかし、『いろはに千鳥』とか『シャバダバの空に』の千鳥はそんなに俺にははまらないところを考えると、やはり裏方の力もすごいのだろうなと思う。

 

20200919_嫁はんを空腹にしない方が良い

連休初日、らしい。

連休初日、だという。

そういった概念とはオサラバして暮らしているが、それでもある程度世間の暦の影響を受けるものである。

昼まではいつも通り過ごし、婦人科から帰ってきた嫁はんと飯を食いに行く。

 

嫁はんを空腹にしない方が良い。

──くどうれいんの本歌取り

 

腹が減ったとお前を食い殺してやるという嫁はんを助手席に乗せ、車検切れ間近のデイズは走る。

病院帰りに買った明日の朝食用のパンを携帯食料代わりに腹に少し収めた嫁はん。

それでも腹の虫はぐうぐうとおさまらない。

イオンモールのばいきんぐに車を止めて、駆け込む。

 

時刻は14:00。

人もまばらである。

からあげ、玉ねぎステーキ、うどん、キャロットラペ、ブロッコリーの山葵和え、パプリカ、玉ねぎスライス、なすグラタン、肉団子の黒ずあん……。

さまざまに食す。

腹の虫も収まって「どうする?」と嫁はん。

 

「今日はいい天気だし、公園にでも行きましょう」と答える。

食後に本屋で買った週刊文春を青空の下で読みたかったのだ。

週刊文春を買う俺を嫁はんはださいと評していたが、そのダサさこそ味である。

 

しかし、公園には着かない。

嫁はんもつまらなくなってくる。

家に帰って、梨泰院クラス見て寝た。

 

その前によいちで買い物をしたのだが、それはまた、別のお話。

 

20200918_エロ漫画と男塾

コミックシーモアで男塾とエロ漫画を読んだ一日だった。

めちゃコミックとかコミックシーモアとかどやねんと思っていたけれど、なるほどヒマな主婦/夫にしてみりゃ最高の娯楽だぜ。

と、原稿をやらなきゃな状態で思う。

 

女性向けエロ漫画は少女漫画の文法がある程度入っているものの、基本的に男性向けと変わらない、どころか心理描写に重きを置いている分こっちの方が俺は好きだなと思う。

結局エロ漫画といえども、登場人物のキャラクターを飲み込み、好きになれなければあんまりおもしろく楽し目はしないのだ。

強引なイケメンは最高や。

だいたいそういうやつには児童虐待にあっていたとか悲しい過去が匂わされている。さすがに根っから強引で悪い奴なのはサイコパスすぎて引くから一応の大義名分を用意しておく必要があるんやろな。

 

男塾はエロ漫画とは真逆の世界である。

やっぱりどこかバランスを取りたい思いが俺の中にあるのかもしれない。

大義名分もない。

ただ、戯画化された男と、熱い友情と戦いのみがそこにある。

一つ気づくのが、こちらから攻め入る戦いは全くなくほとんどが防衛戦であるということ。

では戦いがないときは何をしているのかというと、男塾の面々はひたすらしごきに耐えている。

男とは耐えることなのだ。

 

そして、女エロ漫画は耐えることから解放されることをテーマの主軸としている。

 

いずれも、単純明快で馬鹿にもわかるバカなセカイであることは間違いない。

そういう世界をダラダラと流動食のように味わうようではバカになってしまうのかもしれない。

まあいいや。

 

それでも一応原稿2本終わらせた。

「できる」と思いさえすればできるのだ。

金、金。

 

20200917_海底47m 古代マヤの死の迷宮

仕事が降ってきた。

楽な仕事が。

楽な仕事はなるべくうけておきたい。

仕事の種類が増え、割のいいしごと・悪い仕事が目の前に並んできた。

選択権はあるものの、事情は複雑で簡単には選べない。

情ではなく打算もあり、面倒くささもあり。

まあまだキャパの限界に達しているわけではない。

よいだろう。

 

映画を見た。

海底47m 古代マヤの死の迷宮

俺の海底では音が聞こえるんだよ!映画。
90分以上あったらつらかった。
アトラクションとしてはそこそこ楽しめたと思う。
話はほとんど無いようなもの。

最初のいじめっ子が血祭りにあげられると誰もが予想すると思うのだけれど、最後ににらみつけただけで全然かかわりがなかった。
せめてその後の学園の様子でも描いてミアの成長を見せてくれないものか。
これじゃただ、ミアたちはバカなことをして父親と友達をうしなっただけじゃないか。

サメもなかなか作り物臭くて笑える。後半、「あ~そろそろかな」とおもったら期待通りに顔面を見せてくれるサメに吹き出してしまった。
こういうポイントをサメ映画ファンはみんな愛してるんだろうなあ。

おやじたち調査隊はあんなサメが泳いでいることが分かり切っている海に何丸腰で入ってるんだ。バカなのか?
しっかり下調べしろ!

若干姉妹の絆が深くなっただけで全然成長もドラマもなかったし、悪い人間がやられるカタルシスもなかった(我欲を出したニコールは死んだけど)のであんまりやっぱり脚本は評価できないと思う。

マヤ全然関係なかったしな。
4DXならもっと楽しめたかもしれない。
下手な田舎の遊園地よりは楽しいです。 

 朝と深夜に仕事した。

昼間は映画見て……なにやってたんやっけ?

プログラミングの勉強とブログか。

あと、ジャングル系のジョーク動画を作ったな。

youtu.be

統計もCUBASEもAEもちょっとだけわかってきた。

ここで停滞せず無心で続けるぞ。

20200916_透明人間

映画『透明人間』をみた。

 

透明人間

まっとうにジャンル映画してたホラー。
『ガス灯』は見ていない。
なんか根本からツッコミどころはあるけどそこを上手ーくよけて作劇してたなという印象。
ソシオパスというマジックワードと科学者という漠然としたイメージでとにかく全知全能なんだなエイドリアンはと思わされる。
それにしてもいったん死んだことにせんでも、家つきとめたらそのまんま追い詰めたらえーやんと思うが、、、。
まあそこらへんの意味わからん心理の動きとか、結局セシリアはどんな支配をされていたかはよくわからんとことか、精いっぱい過去を黒い布で覆い隠してでかく見せている。
実際現代でエイドリアンがやってることってなんかイヤなストーカーレベルというか(殺人はしてるけど)とても頭のいい大物のやることではないのだけれど、まあ兄が操られていたからほころびがあったという判断でいいのかな。
見えないことを利用して何もないところにパンするカメラワークでぎょっとさせるのはやっぱり低予算でもこれできるやん! アイディアで勝っている感がしていいよなあ。

 ラストのスカット度&切れ味では去年見た『ハロウィン(2019)』の方が数段上だったと思う。

この映画の切れ味を絶賛する人にはぜひそれを見てほしいよ。

 

記事の数が増えるとともに、各スピードも上がっている。

手抜きを覚えるというのは悪いことのようだが、手抜きも技術であり、仕事のブルシット的な側面をなんとかイジェクトするためには必要なまさにテクニックである。

手抜きの手段を手練手管で手ずから手にするのだ。

 

相席食堂の島田珠代面白かった。

20200915_人生はおかず映画はご飯

あんまり仕事をしなかった。

仕事をする気がわかない。

かといって、映画を見る気にもならない。

 

最近気づいたのだが、以前の俺は”雰囲気で娯楽を楽しんでいる”ということに気付かずにいた。

娯楽は娯楽だから面白く楽しい。それがいつであっても、と思っていたのだ。

だが、事態はそう単純ではないらしい。

 

映画が面白いのは映画が面白いモードに自分が入っているからで、ほかに優先すべきことがあるときの映画は、その一時面白いものの実は十分に楽しめてはいないのだ。

 

ご飯を食べるためにおかずがある。

しかし、その日の食事の味付けはおかずが左右している。

 

同様に、”楽しむために人生は存在している”と俺は思う。

しかし、楽しむためには人生をしているかどうかが左右している。

 

これは、人生が勝ち組だとか負け組だとかそういう話ではなくて、人生をしている俺が映画を見るからこそ映画が面白いのだという意味だ。

人生という母体が無意識化に影響しているからこそ映画は面白い。

だから、人生(≠社会)に参加していなければ映画は味気ないものとなってしまうのである。

 

というわけで、映画を見なかった。

しかし漫画を読んだ。

 

今際の国のアリスを完読。

デスゲーム系の中でこの話が絶賛を集めているのは、知的ゲームでなく心理ゲームという部分にあえて振り切ってテーマと重ねたからだと思う。

現代型のデスゲーム漫画の直接の父はカイジ(その前に金と銀とかに要素があるのは置いといて)だと思うのだが、初期カイジの面白いところって、知的合戦と福本哲学のバランスが拮抗していたからで、この漫画もある程度哲学に偏りつつもそのバランスがうまく保てていたのかなと。

俺の好きなリアルアカウントが評価を得られていないのは内容がバカだからではなく哲学がないからという気がするのだ。

でも俺は哲学なくていいけど。

 

金田一少年犯人たちの事件簿1~3巻も読んだ。

絵とか作者の四コマとか、いろいろと古臭いのが良い。

 

あと、『こえでおしごと!』1~6巻?『アカイリンゴ』1巻も読んだ。

まさかの編集部が懐かしい。

アカイリンゴはすごくプリズンスクールみたいな絵だった。

話もそんな感じだ。なんかつながりある?

 

あ、それに『ハンチョウ9巻』も読んだ。

ほほえましかった。

 

夜はよめはんとカフェに行った。

川沿いのカフェ、ちょうどこの季節によかった。

お店のおばさんには「さむくない?」とやたら聞かれたけど。

9mmのトリビュートをきいて帰った。

嫁はんが「もったいないから10分くらいだけドライブして帰ろう」というので、適当に走らせた。

そういう夜っていい夜だと思う。

 

お米の自販機も見つけたしな。

20200914_文学とやや親密度が上がった

胃袋からケツネがでてきそうや。

昨日の俺は短編集『女生徒』を読み干した。

完読することを読み干すということにする。

なぜなら「飲み干す」みたいでユーモアがあるからだ。

 

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昔の小説は現在の俺に置き換えて読めないという理由で嫌いだったのだが、最近になって読めるようになった。次は『痴人の愛』を読む。

どうして読めるようになったかというとそれはやはり先入観が取れて成長したからだと思う。

ずっと遠くの人間に自分を重ねることができるにはなにがしかの才能或いはマインドセットが必要なのだ。

心がステーブル出ない人間が文学を必要とするのだろうと思うのだが、俺はそのタイプではなかった。

なんか、遠くの自分とは違った時代の人間のことをうまく想像できなかった。

しかし、今読めば、全然俺が思いそうなことが書かれている。

いや、太宰や谷崎が読みやすく、また心情にスポットを当てているからこそそう感じられるという側面も大きいのだと思うけれど。

でもとにかくそう思ったな。

仕事も進めました。