『キックアス/ジャスティス・フォーエバー』80点 オタクが作った正統継承作ゆえに佳作どまり
※ネタバレがあります。
本国では『Kick Ass 2』日本ではジャスティス・フォーエバー。
ペンをブンブン振ったら、残像が残ることでぐにゃぐにゃ曲がっているようにみえる現象がある。
あのぐにゃぐにゃくらいの面白さの映画だった。
つまらなくはないのだ。ずっと見てられる。
でもなんか、芯が通ってねえというか、瞬間瞬間の切り替えで何かを曲げたように目くらまししてるだけだよねえ。
ストーリー
あれから3年、デイヴ(キック・アス)は退屈を持て余していた。もう一度ヒーロー活動がしたい! そう考えた彼は15歳になったミンディ(ヒットガール)に訓練を依頼。学校をサボって隠れ家で特訓の日々を送っていた。
キック・アスがなりを潜めた3年の間、世間では個人でヒーローを名乗るものが続出。元軍人のスターズ・アンド・ストライプス大佐、息子を亡くしたリメンバー・トミー夫妻、キャット・ウーマン風のナイト・ビッチ。そのような面々はヒーローチーム<ジャスティス・フォーエバー>を結成し、悪の盗伐活動にいそしんでいた。
ある日、ミンディは禁止されているヒーロー活動を行っていることが里親のマーカスにばれ、ヒーローを自粛。普通の学園生活に溶け込むことを決意する。相棒を失ったキックアスは、ネット上で知り合ったドクター・グラビティ―のツテでジャスティス・フォーエバーに加入した。
同じころ、前作でキック・アスに父を殺された元レッド・ミスト。クリス・ダミーコはひょんなことから母を殺害。超悪役(スーパーヴィラン)、マザー・ファッカーとなって、キック・アスに復讐することを決意する。
所感
前述のとおり、つまらなくはないんだけど、なんか芯がねえ。まさに「2」というべき作品だったなと思う。この作品公開当時は邦ロックをよく聞いていたのでマキシマム・ザ・ホルモンの曲が日本版主題歌になる、というイメージの作品だった。この当時のホルモンは名盤『ぶっ生き返す』から6年ぶりのアルバム『予讐復讐』を出したものの、シングル曲を除き前作以上のマスターピースはなく、「まあ悪くはないけど前ほどじゃないなあ」という感想を俺に抱かせたので、その『予讐復讐』収録の「便所サンダルダンス」が主題歌だったのはデジャヴ的リフレインとなってそれから5年たった今、俺の胸に響いている。
『キックアス/ジャスティス・フォーエバー』前作のオタクが作ったというのがさもありなん。全主要キャラを活躍させるために色んな線を走らせすぎて、1本もテーマまで行き着いてないんよなー。ゲロゲリ棒の下りも意味不明。でも「2」としてはかなり申し分ないし面白いは面白い。
— 遠縁の親戚 (@miya080800) 2018年4月13日
問題――問いを立てすぎ、答えなさすぎ
何が問題だったのかを考えよう。
前作『キックアス』は、「もしも現実にヒーローがいたら?」という『ウォッチメン』(2009)や『スーパー』(2010)的問いを起点にしつつ、勢いとコメディでそのあたりの問題はすっ飛ばして痛快アクション作として観客を煙に巻いた作品だ。
そちらの感想でも記述した通り、「現実にヒーローがいたらきっと狂人だろうし、狂人であればあるほど強靭だろうね」というのがマシュー・ヴォーンの用意した答え(のような防衛線)であり、そのラインでこそフィクションだけどリアルでもある絶妙に外連味と現実感のある話運び・描写が成り立っていたのであった。
対して、この作品では4つの問いがたてられている。
その項目と、<関係する人物・団体>の組み合わせは以下の通り。
①ヒーローがもし現実にいたら?<キックアス&ジャスティス・フォーエバー>
②ヒーローが学校の枠の中で暮らそうとしたら?<ヒット・ガール>
③キックアス的世界におけるスーパーヴィランとは?<マザー・ファッカー>
④ヒーローであるという特権意識は友情を破壊しない?<トッド・マーティ>
ケイティを除く、前作の登場人物全員である。彼ら全員をストーリーに絡ませ、問いを突き付けようとした本作のジェフ・ワドロウ監督。前作の大ファンで、書き上げた脚本をマシュー・ヴォーンのところに持っていたところ、監督へと抜擢されたそう。
う~ん、わかる!
さぞかし前作が好きなんやろうなあ。
All You Killed by LOVE
①の問いについては、一応前作から引き継いだのもで、キックアスが無数のフォロワーを生んでカオスを引き起こしてしまうというのは、原作の展開でもある。
ヒーローは現実世界にいたらほとんどヴィランと裏表だ、というのは、スターズ・アンド・ストライプス大佐のちょっとヒーローにしては過剰すぎる暴力とか、ジャスティス・フォーエバーとTOXIC MAGACUNTS(マザー・ファッカー率いるヴィラン軍団)の対比とかにはっきり表れている。
上はドクター・グラビティ―(ヒーロー)、下はマザー・ファッカー(ヴィラン)のセリフ
また、ヒーローなんか身内狙えばすぐ倒せんじゃないのという問いも、終盤のデイヴの父の死で回収されている。
まあ、それくらいか。
②の問いについてはこの作品の新機軸だ。女の子社会に適応しようとしてみるヒットガール。ヒットガール萌えの大半の視聴者にとってまさに欲しかった展開だ。このルートの選び方はさすが前作で萌えまくった人だぜという感じがする。女王蜂(クイーン・ビー)ブルックの寵愛を受けるも、ダンスで彼女を凌駕したことから敵判定を下されるミンディ。アメフト部のボーイフレンドにデートに誘われるも、それはアンジーの策略だった。一人道に取り残されたミンディはショックを受けつつ、歩いて帰る。
という流れがある。ストーリーラインだけ見ればヒーローの社会との不協和をスクールカースト問題に乗せて描くだなんて新しくて面白そう! と多くの人が思うだろう。
しかし、描写が少ない!
今書いたシーンが本当にほとんどで、ブルック達女学生との日常がダイジェストでも描かれない。だから、なぜブルックはミンディを気に入ったのか、そして恥をかかされたことでかわいさ余って……状態になったのかが全くわからない。
また、アメフト部のボーイフレンドはデイヴにヒーローに戻るよう説得されたミンディが売り言葉に買い言葉で誘った男だ。だから、どう考えてもミンディに情があるとは思えない。確かに「何度も誘うから」と言っていたし、その背景には膨大な描かれないストーリーがあるのかもしれないが、まったく描かれないソレは種のない畑と同じ。つまり、想像力は育ちえない。
売り言葉前
③については一番しっかりと描かれていた。特にクリス・ダミーコにとってバットマンでいうアルフレッドである腹心の部下ハビエルが叔父によって殺害され、それによって悪に目覚めるという展開は、ハビエルとの関係性がそれまで描かれてきたので衝撃的だし説得力がある。そして、収集されるヴィラン。ビッグ・トニー、チンギス・半殺し(モンゴル人はなぜこの時怒らなかったのか?)、マザー・ロシア。ほとんどマザー・ロシアだが、そのギャグでありながら残虐という悪役の魅力は唯一前作を凌駕した魅力だと言えるし、多くの感想サイトで称賛されている。
とはいえ、前作のラストでいかにも意味ありげに”ジョーカー宣言”したレッド・ミストが一瞬たりとも現れず、見た目も大きく変わって汚いニートになってしまったのはショックだった。その目的もキックアスへの復讐というちっぽけなものだし。マザー・ファッカー軍はキックアスを殺したとしてその後どうするつもりだったのか。
あんなものただの仮装マフィアでしかないのだから、ほかの大組織に吸収されるか警察に討伐されるのがオチである。マザー・ロシアは警察皆殺しにしてたやんけ! と物言いをつける輩がいるかもしれないが、そもそもアイツ女囚やってんからな。
もっとここに焦点を当てて、世界規模の陰謀を企てされてほしかった。
そして、その期待に完璧に答えてくれる作品、それこそ『キングスマン』なのだ。フォロワーがフォロイーに参考にされてブラッシュアップされているという構造がここにあるわけだ。
④について、このサブキャラにもテーマを乗せれるんじゃないかと考えたというのが前作ファンの視点っぽい。トッドはデイヴ=キックアスだとチクったことで多くの視聴者に批判されているわけだが、そもそもデイヴを邪険にしたのはデイヴとマーティである。ヒーローごっこの才能に欠けるトッドは友情から追い出され、復讐に手を染めたわけだ。ただ、その追い出し描写がちょっと仲間外れっぽくなっているくらいなのが批判される原因となっている。この問いも興味深くおもしろいテーマにつながっていると思う。ただ、それを描き切るには関係性を描かなければならないのだ。トッドは前作を含めても10分も画面に映っていないキャラだろう。そんな彼に重いテーマを担わせるのは無理というものだ。脳内に設定が積み重なった監督の中ではもう友情シーンは描きつくされているのかもしれないがね。
以上4つの問い。いずれも目の付け所は良いが、描写が浅いという共通の長所と短所を持ち合わせている。それもこれも、監督の前作への愛ゆえではないか。
この物語の俺が好きなすべての登場人物を活躍させたい――。
その思いが、全員にストーリーを駆動する役目を担わせ、結果どっちの方向に走っていいやらわからない状態に映画を陥れたのである。
ケイティは?
前作の登場人物の中で、ケイティだけが監督の寵愛を受けていない。
物語序盤でデイヴとミンディの関係を誤解してどこかへ消えてしまう。
その原因は、これまた愛ゆえで、監督は前作のファンの中で根強い、デイヴ途中からリア充化展開がっかり派だったのではないか。
いや、今作のデイヴの方がリア充だろ、ナイト・ビッチとセックスばっかしてるし。
という声が聞こえるが、ナイト・ビッチはその名の通りビッチである。
前作の何が心を痛めたかって、デイヴとケイティが割と普通の、クラスでいそうなカップルだってことである。その点ナイト・ビッチとの逢瀬には愛はない。セックスはあるが、恋愛はない割り切った関係だ。
その点で、本作は前作で非モテを凹ませたデイヴのフツーの幸せの排除に成功したのである。
こういうことをするジェフ・ワドロウは、きっとマシュー・ヴォーンほどのリア充ではなく実はもっとオタク的なメンタリティの人なんだろうなあと思う。
……と思っけどヤリチンぽい顔やな・・・。
おしまい。
『キックアス』95点 狂人レベル=戦闘力の世界へようこそ
※ネタバレがあります
ストーリー
コミックオタクでスーパーヒーローにあこがれる高校生・デイヴ。不良にはカツアゲされ、女子には無視され、ボンクラな日々を送っていた。しかし――
「どうして誰もヒーローになろうとしないんだ?」
そう疑問を抱いた彼は、スーツを購入。街の自警活動を開始する。不良の反撃にあい病院に担ぎ込まれる羽目にもあったがあきらめず、マフィアと闘った彼の姿は、スマートフォンで撮影され、ヒーロー「キック・アス」として世界に拡散された。
マイスペースの登録者数は1万6,000人となり、ひょんなことから美少女ケイティと(ゲイ)友達にもなれたデイヴ。ケイティを悩ます麻薬中毒者マーティに釘を刺すべく、その根城へ向かう。しかし、用意したスタンガンはそれほどの効果を発揮せず、絶体絶命に陥ったキックアス。その瞬間、マーティの腹部から長刀の刃先が飛び出した。そして、たちまちのうちにスーパーヒーローの格好をした11歳の少女に惨殺されるマフィアたち。「君は誰?」少女は答えた。
――「ヒットガール」。
狂人レベル=戦闘力の世界へようこそ
現代の邪道ヒーローアクション界のパイオニアムービー。
この映画の先進性は
①チャカチャカアクションと大胆カメラワークの融合
②アクションとポップミュージックの組み合わせの妙
③アンチシリアス系アメコミ映画の復興
など様々だが、その中でもあまり広く論じられておらず、しかしこの映画のユニークさや批判されがちな倫理観の欠如についてもすっきりと説明できるポイントがある。
それは、
この映画の戦闘力とは、すなわち狂人レベルであるということだ。
狂人レベルが高いほど強靭レベルも高まり、敵を打破できるようになる。
また、この狂人レベルは各人で一定不変のものではなく、心境やシーンによってアップダウンする。だから、キックアスらはシーンによって強くなったり、弱くなったりするのだ。
ここからは、狂人レベルの最高値・最低値で各キャラについて語っていきたい。
キック・アス/デイヴ・リズースキー
狂人レベル最高値:9.5
狂人レベル最低値:1
本作品の主役。
そんな彼の狂人レベルが急速に高まるのは27:00。不良に腹部を刺され、九死に一生を得たにもかかわらず、キックアスとしてのヒーロー活動を辞めないと決めたとき。このとき、この話は平凡なオタク少年がヒーローになる話ではなく、ヒーロー>死と信じてやまないサイコパス狂人の物語だと、みんなもわかったはずだ。
そして、29:23のマフィアとの大立ち回りに続く。
考えても見てほしい。あの運動音痴の少年が警棒を持ったからと言って武器を持った3人のマフィアを撃退したのだ。ちょっと体を鍛えたくらいでたどり着ける境地とは思えない。このときデイヴがそこまでの活躍を実現できたのは、ひとえに彼の狂気が爆発したからなのだ。その狂気はケイティとの恋愛という普通成分に弱められ、その結果弱体化が訪れ、死を目の前にするが、鏡を前にビッグ・ダディの罪滅ぼしをすると決めてからはもう、狂人レベルは高まるばかりである。
そして、デイヴの狂人レベルが最高レベルに達するのは1:42:57。そう、空中を浮遊するあの武器を使ったときだ。このシーン、デイヴのモラルがさすがに崩壊しすぎという批判があるが、この崩壊は、物語に必然のものである。デイブは虫けらのようにマフィアを殺し、そのことを何ら疑問に思わない。すなわち、狂気の一線を越えた。
スーパー狂気人の誕生である。
最低値は1:00~の彼。つまり、普段のデイヴだ。
この物語は、デイヴが狂人キックアスへと”変身”し、その狂気を減衰させる原因(=ケイティ)の壁を乗り越え、ついに狂気の高みに達し、日常に戻るまでの物語なのである。
ヒット・ガール/ミンディ・マクレイディ
狂人レベル最高値:9.3
狂人レベル最低値:6.0
生まれたときから父親に殺し屋として育てられた11歳の愛くるしい少女という狂気をデフォルトで背負って生まれた彼女の狂人レベルは、基本的に9.0付近で高止まりだ。
だから、ここではその狂人レベルが落ち込んだところをとり上げたい。
1つはレッド・ミストに銃撃されたところ。
初顔合わせのヒーローに普通に挨拶する時点で、狂気レベルは低い。普段のヒットガールなら、レッド・ミストの眉間でバタフライナイフを遊ばせて「オ○○コ穴を空けてやろうか」とでもいうところだった。その狂気が落ち込んでいたから、素人のボンボン(レッド・ミスト)に身体を撃たれたのだ。
もう1つはフランク・ダミーコ(マフィアのボス)との対決。おかしいと思わなかっただろうか? 他の、現役で荒事をやっているマフィアは瞬殺できるヒットガールなのに、ダミーコ相手には格闘で敗れ、死の寸前まで追い詰められている。父を殺した敵の親玉への復讐という「マトモすぎる背景」。それが彼女の狂気レベルをランクダウンさせた。その結果、現役の用心棒は瞬殺できるのに、人前で暴力をふるってしまうほどうかつになった(53:58)マフィアのボスには苦戦を強いられた理由なのである。
デイモン・マクレイディ/ビッグ・ダディ
狂人レベル最高値:9.3
狂人レベル最低値:4.1
娘を強靭として育て上げた元刑事の殺人鬼。この設定もヒット・ガール同様、デフォルトで狂気だ。しかし、彼は物語終盤で拷問にあい、命を落とすことになる。
なぜそうなったかというと、キックアスの誘いに応じて隠れ家を知らせてしまったからだ。ヒーロー仲間のピンチに快く応じる。
――それじゃあ、まるで正統派のヒーローだ。
だから、彼は命を落とすことになったのである。
そして、死の間際のセリフも父としてマトモ。
「お前を――愛しているだけだ」(1:31:00)。
娘を愛しているだなんて普通過ぎる。
例えば、愛をささやくにしても「お前の――膵臓が食べたい」など狂気100%のセリフを発していたら彼は命を落とさず、ダミーコ一味を血祭りにあげることとなっていただろう。
レッド・ミスト/クリス・ダミーコ
狂人レベル最高値:8.0
狂人レベル最低値:2.5
クリストファー・ミンツ・プラッセのしもぶくれの顔は結構な歔欷を秘めているように見える良い顔だ。だが、作中の描写としてはキックアスらを上回るには弱い。
彼の狂気レベルが最高値に達するのはやはり1:19:53の「隠れ家B」襲撃シーンだろう。初対面の美少女を銃撃しておきながら、「キックアス」は殺さないで! である。
奇妙な友情感じ取ったんかい!
一応孤独であることを示す描写はないでもなかったが、キックアス状態のデイヴとはそれほど腹を割ってオタク話もできなかったろうに友情を描くのは不条理で、8.0程度の狂気は感じさせる。
しかし、その後は父親に従うだけのもとのキャラクターに戻ってしまったため、狂人レベルは低下し、結果、キックアスにも敗れる。
作品の最後時点ではある叙述トリックが明かされ、彼の狂気は次作が本番であるという予感で物語は閉じられる。「ジャスティス・フォーエバー」に期待である。
ヒット・ガールは本当は年相応の女の子?
ここまでヒットガールを狂人代表と語ってきてなんだが、彼女がヒット・ガールなのはビッグ・ダディを喜ばせるためではないかという気にさせるシーンもある。
「誕生日に欲しいのは、ワンちゃん。”ブラッツ”のサーシャ人形も」
13:39
ビッグダディに欲しい誕生日は何かと聞かれて答えるシーン。こう答えたのち彼女は「嘘に決まってるじゃない。本当に欲しいのはバタフライナイフ」と答えるのだが、実は前者の方が本心ではないかという疑念も抱かせる。
実際の誕生日、約束通りバタフライナイフをもらった彼女は「ありがとう!」とパパに抱き着くのだが(21:21)、欲しいといったプレゼントをもらってサプライズでもないのにあれほど大袈裟に喜べるだろうか。アメリカ人だということを差し引いても、俺は不自然だと思う。逆に用意していたリアクションに見えるのだ。
しかし、パパを喜ばせるため”気を使って”マフィアを皆殺しにするというのは、それはそれでクレイジーだ。マフィアを人と思っていない点で、普通に楽しんで殺戮する以上に、恐ろしいかもしれない。だから、この点は狂気=戦闘力説には何ら影響しないと、俺は考えている。
オマケ――リア充、マシュー・ヴォーン
この映画の批判されがちなポイントとして、当初さえないボンクラでしかなかったデイヴが有名人となり、ケイティと付き合い、普通に好きどうしになって暇さえあればキス(セックスも)するという点がある。
つまり、勝手にリア充になってんじゃねーよ、と。
ただ、この映画はボンクラの心を持ったオタクが撮った映画では明らかにない。
それは、マシュー・ヴォーンの妻がスーパーモデル、クラウディア・シファーだから、という帰納的に導き出される推論ではない。
このようなモラル破壊とブラックジョーク、そして遊びに満ちた作品を作れること自体がリア充の証明なのである。
一線を超えられることは、モテることとイコールではないが、部分集合(モテる⊂一線を超えられる)の関係ではある。周囲の目線を気にせず、アタックできる奴はモテる。そこには、勇気という名で呼ばれることもある狂気があるからだ。
この作品は同種の狂気なしでは作れない。
その狂気は、新たなスパイムービーの形を生み出す、その後のマシュー・ヴォーンの歩みを支え続けるのだ。
台湾旅行記#0 旅行記はつまらない
旅行記はつまらない。
以前からそう思っていた。
文章で人を笑わせる才能において俺の中で不動の一位はさくらももこである。
『もものかんづめ』に始まる近況3部作、『あのころ』に始まる過去三部作、その他『さくらえび』に『ひとりずもう』。その性格の悪さと平易でありながらセンスを感じる言葉づかいは思春期の俺の腹を何度となく爆発させた。
そのさくらももこでさえ、旅行記(『ももこのあっちこっちめぐり』)はほかよりも一枚落ちる出来だった気がする。
その傾向は自身の小学校の絵日記にさえ及ぶ。今読み返すと明らかに旅行に行った日よりも普通の日常の方が面白い。
旅行に行った日は「~が楽しかったです」ばかりの糞文章だが、平時は「~と思った」が多い小学生の感性むき出しクソ文章となっている。カタカナのクソは逆に良い意味と考えてくれい。
その理由を考察するに、たぶん、旅行はライター側のテンションが高すぎるのだ。
トルストイは言った。
幸福な家庭の顔はみな似通っているが、不幸な家庭の顔はどれも違っている。
好奇にあふれる旅先は皆に通っているが、平凡な日常の顔はどれも違っている。不思議なことに。
それでも、なるべく似通っていない旅行記を書きたい。
『ガリバー旅行記』や『旅のラゴス』のように空想世界を旅するでもなく、
『深夜特急』や『行かずに死ねるか!』のようにバックパックをするでもなく、
金をふんだんに使い、美味いものを食い、数日間の享楽を貪る旅の旅行記で。
というわけで、台湾旅行である。
俺は3月17日~21日の間の5日間を利用して台湾に旅行した。
その間の旅行記を、いかに「~が楽しかった」式の似通ったものにしないか。
その目標に向かって筆を進めたい。
『ダークナイト ライジング』 80点 どんでん返しの為のどんでん返しやねん でも好き
※ネタバレがあります
ノーランバットマン3部作の完結編。
前半30分は正直一番楽しめたかもしれない。
伏線とかどんでん返し、小ネタも結構きいている。
これは、完結編にふさわしい、のか?
うーん、でもなあ。
アラも多いぜ~。という煮え切らない私になった。
前半30分について
前作『ダークナイト』が大当たりしたからだろう。
飛行機を舞台にテロリズムが行われるビッグバジェットをもろに生かした展開で始まる。
飛行機が火を噴くとハリウッドだって感じがするのだ。
そして、アンハサウェイ(キャットウーマン)は顔が良い。
やっぱりレイチェル問題は『ダークナイト』においてでっかい気になる染みだった。
その点を払しょくしてくれたのはでかい。酒場での戦闘も見られるものだったし。
それにさすがに3作目まで見てきてブルース(クリスチャン・ベール)、ゴードン(ゲイリー・オールドマン)らに愛着がわいてきたのも大きい。
軟骨に障害を負って杖をつきつきブルースが登場したときは「ええー! あの時の墜落で?? 当たり所が悪かったんやねえ」と図らずも同情してしまった。
ゴードンが突入した地下の空間でベイン一味が潜んでいて、そこから地下水で逃げ出すという場面転換の手際よさもサービス精神満点で良い。それは、裏腹に思い返せばご都合主義……というこの作品最大の欠点を体現しているのだが。
ストーリー
ハービー・デントの死から8年、ゴッサムシティはバットマンを必要としなくなっていた。デントの死をきっかけに公布されたデント法。バットマンがデントの罪を被ったことで可決され、街の組織犯罪を一網打尽にしていたのだ。
しかし、悪は暗躍する。『バットマン・ビギンズ』でブルースが破壊した敵でありゴッサムシティを粛清しようともくろむ「影の同盟」の生き残り、ベインが証券会社を襲い、街に混乱をもたらし始めたのだ。凄腕の泥棒、キャットウーマンをつかってブルースの指紋を採取したベインは株を操作し、ブルースを破産させ、ウェイン財閥が所有する核融合炉を手に入れようとする。
ブルースは慈善団体を運営するミランダにその管理を託そうとするがベインは大挙して押し寄せ、街を占拠。核融合炉をメルトダウンに追い込み街を丸ごと消し去る計画の遂行に手をかけるのであった。
ベインについて
さんざんしょぼい、ただの脳筋などとレビューサイトでののしられている今回の悪役ベイン。影の同盟出身だというが、そもそも影の同盟からしてなぞの集団行動みたいな試練を仕掛けてくる忍者コスプレ集団で、ブルースがちょっと放火しただけで、No.2(ヘンリーデュカード)を残して壊滅しちゃったわけだからなあ。
ちょっとまあ影の集団という時点でどうにもしょぼいしダサい。
フリーメイソンやメンサの方が現実なのにまだしも外連味があるぜ。
ただ、今回ベインは大ボス(黒幕)ではないので、しょぼくてもそれは必然というか、そこを攻めるのは違うと思う。
めちゃくちゃ薄い精子で生まれたイモータン・ジョー(@マッド・マックス4)の9番目の息子って感じでええやん。
黒幕について
さて、今回の悪役はミランダという大どんでん返し。
そのために子役を坊主にし、男女どちらかわからなくさせ、慈善団体の運営元かつ破産したブルースの慰め(性的な意味も兼ねる)役を担わせ、さんざんミスリードを行った。
…ミスリード、しすぎじゃね?
街を破壊したい世紀末主義者がどうして真面目に慈善団体を主催してたんだ?
その後、ブルースを騙してベインをスケーブゴートに核を爆弾化するわけだが、そもそもブルースの信用得られてたんだから、秘密裏に爆弾化させて秘密裏に街を破壊すれば良いのでは?
これは、どんでん返しの為のどんでん返しであり、合理的説明をつけようとすればミランダがめちゃくちゃバカという結論になってしまうのである。
やっぱなー、地下育ちだし。。多分小卒? いや、幼卒もしてないか。
だからかなー。。。
ちなみにバットマンに協力的な警官が実は原作のサイドキック”ロビン”だったという展開は、明かし方がさらっとしてて良かった。
ブルースウェインの落とし前について
さて、今回ブルースウェイン=バットマンは英雄的死を迎えることでダークヒーローとしての役割を終えたわけである。
前半でブルースはバットマンに戻りたがっている(=町の浄化はバットマンとしてのブルースの死=生きがいの喪失な)ため、ゴッサムシティの浄化という目的と本来矛盾するのではないかという問いが薄く投げられていた。
ブルース「僕がバットマンに戻るのが怖いのか?」
ペニーワース「戻りたがっているのが怖いのです」
結局その問いの答えは哲学的思考ではなくきわめてヒーロー的な無償の自己犠牲という行動で贖われたわけだ。
シャープではないけど、ヒーローものとしてはこれでいいと思う。
そう、今回のノーランバットマンは変身して戦闘するシーンが一番少なかったが一番ヒーロー的だった。
だから、飛行型都市戦闘機ザ・バットで余裕で倒せる状況でもきちんと乗り物を降りてちゃんと素手で戦う。
筋トレでパワーアップして敵を倒すという修行パートがある。
核融合機というスーパーオーバーテクノロジーが出現し、それが敵に悪用されてしまう。
昔ながらのヒーローの型に当てはまるベタな要素がいっぱいだ。
それは、リアル路線のヒーローというこれまでのノーランバットマンの狙いとは真逆を行くようだ。
まあでも、最終章くらいはきっちりベタで閉めた方が後味も良い。
ノーラン監督はそう判断したのではないか。
俺はその判断は正しかったと思う。
『ダークナイト』とは逆に、『ダークナイトライジング』は期待していなかった分楽しめた。
ちょうどユニバーサルスタジオジャパンで『ハリウッド・ザ・ライド』は並んだ割にしんどいし酔うけど、あんまり並場なくてよい『ビートルジュース』は涼しいしショーなので受動的でも結構楽しい感じだろうか。
……え? わからん?
『ダークナイト』 85点 知らなきゃよかった、幼稚に見える
※ネタバレがあります
Dark Night じゃなくてDark Knight。
でも、印象に残ったのはDark Night。
jokerとJOKERがDark Night。
夜が明けても桂はとれず。
所感
ダークナイトといえば、東山アキコの『東京タラレバ娘』で「男しか好きじゃない映画」としてディスられていたことが念頭にあった。
↓詳しくはこちらのブログがわかりやすい。
「大体なんで男ってアメコミヒーローものの映画がすきなわけ?あんなもん現実にいないのによくまぁヒーローの悲哀だとかプレッシャーだとか言って
大体あたし『スパイダーマン』とかも全っ然面白いと思わないし
つーかゴッサムシティって何よ
さっさと捕まえりゃいいじゃないのよ
このジョーカーのおっさんブラブラ歩いてんだからケーサツと軍で一気に捕まえりゃこんなん10分で終わる映画よ」
『東京タラレバ娘』作中セリフより引用
まあこのセリフは東村明子が男女の差を極端に戯画化することで描いたギャグなわけであって、マジにとるようなものではない。
まず、男がみんなヒーローものが好きという前提がそもそも間違っているし、『バットマン』と『スパイダーマン』は全然違う(だから『バットマン』がつまらないと『スパイダーマン』がつまらないはイコールで結べない)し、ジョーカーはブラブラ歩いてるときは捕まったし(つかまったけど脱出した)。
第一、このセリフを主人公が脳内でつぶやいている間、男は『知ってる? このシーン ここ本当はNGだったんだけどジョーカーの芝居がすごすぎてそのまんま使ったんだよ』とべらべらしゃべるが、男は本当に好きなものを人に薦めるとき、ベラベラしゃべって集中をそぐような真似はしない!
というわけでこれは多分に職人作家的気質の強い東山アキコが、タラレバ娘掲載紙の読者層(20後半~30代女子)ウケを狙って、(もしかしたら)個人的な体験を交えつつ、あえてヘイトを投げつけたシーンなわけだ。
とはいえ、この作品が見方によっては「幼稚でリアリティがない」という意見には首を縦に振らざるを得ない。
だって、ジョーカー強すぎだし。
トゥーフェイス顔の骨むき出しだし。
バットマン犬に負けたりするし。
それでも、「ジョーカー(ヒース・レジャー)だけは認めざるを得ない」というのが大方の意見だろう。
ただ、俺はそれを知りすぎて作品を見てしまった。
それでもがっかりしなかったのだからやっぱりヒース・レジャーの演技はすさまじいということなのだろうが、期待通りであって期待をはるかに超えるものではなかったのも事実だ。
前述のようなアラが目についた。
いや、それでも『バットマン・ビギンズ』やほかのアメコミ映画と比べて格段に面白かったのは事実で、冷静に見たら80点は超えるけど、でも85点くらいじゃないか?
97点はヒースレジャーの演技点だと思う。
ストーリー
日夜ゴッサムシティで犯罪者を取り締まり、街の浄化に取り組むバットマン(ブルース・ウェイン)。その姿は市民に広まり、格好を真似したフォロワーが出るほどであった。そして、バットマンに対抗する勢力も当然現れる。
香港マフィアのラウが不正資金を隠すたびに高跳び。現地に残ったマフィアたちと会議を行っていると、道化のメイクをし、ヨレヨレの紫スーツを着た道化師のような男が現れる。
「この鉛筆を消して見せよう」
男はかかってきたマフィアの部下を瞬殺。バットマンを殺害する代わりに資金の半分を要求する。
一歩、バットマン側にも味方といえる人物が現れていた。それは地方検事のハービー・デント。”光の騎士”という渾名を持ち、街の不正を暴き立てる。前作からの警察内協力者ゴードン警部とともに力を合わせ、バットマンら3人は街の浄化に努めていた。
そんな中、ジョーカーから一通のビデオレターが。その中でバットマンのフォロワーを殺害したジョーカーは、バットマンに言った。
「カメラの前で正体を明かせ。でなけりゃ毎日1人死んでいく」
ジョーカーのキャラ
ヒースレジャーの怪演があるとはいえ、そもそもジョーカー自体がバットマンの中でも最もおいしいキャラだし、そのジョーカーが出てくる『ダークナイト』はシリーズで最も盛り上がるに決まっている。
『ビギンズ』は『ダークナイト』のお膳立てだし、『ライジング』は『ダークナイト』の後始末なのだ。
・金・名誉・女・示威などのいずれにも興味を持たない
・タイマンではほぼ最強
・割けた口のルーツは毎回ホラ話。それを聴かせながら相手を痛めつけることも
・残虐行為は厭わない(むしろ好む)
・カルネアデスの板やトロッコ問題みたいな思考実験をリアルで促してくる
まあ、現代の一つのサイコパスキャラの典型例であり、理想形である。
上記の要素をうまくみせるだけでもキャラ萌えで引っ張れる。
ただ、あんまり描きすぎると「キャラ化」して矮小化してしまうのがサイコパスキャラの痛いところだ。ダークナイトでは演技の力でうまく格を保っているけど、それでもヤバさ(魅力)のピークは冒頭の強盗シーンだったのではないか。
裏切りの連鎖、そのすべてが紛れ込んだジョーカーの計略という。
トラックの荷台から弾を渡してもらってロケットランチャー売ってるときはちょっともう怖さは半減してたよね。弾渡してくる奴が裏切ったらどうするんだっていう。
ジョーカーには裏切られる仲間などいては困るのだ。
レイチェルかわいない問題
いろんな感想で書かれているけれど、レイチェルがブスになった。
具体的にはケイティ・ホームズ→マギー・ギレンホールになった。
これは痛い。
なんせ作中でジョーカーが「綺麗な女だ。ハービーの女か?」というシーンがあるのだ。
ジョーカー、女のハードル低いな。
視聴者の大半はそう思ったよね。
どうやらケイティ・ホームズがギャラでモメたらしいので仕方ないが、ここは演技よりも顔重視でよかったぐらいだと思うぜ。
まとめ
事前情報さえなけりゃもっと興奮していたと思う。
でも、事前情報のおかげで冷静に見れて本来の実力が判断できたという実感もある。
二時間半は長い。
「香港のシーンがいらない」という意見が散見されるが、俺的には「一般市民の船VS囚人の船でカルネアデスの板」をやるくだりがいらなかったと思う。
究極の選択はその前にやったし。
ぽっとでの囚人のコワモテのやつがあんなにいい人間なのも納得いかん。
逆に一般市民は「犯罪者なんかいいだろ(爆弾の)ボタンを押せ」と言っていたが、なぜ責任者は「もう一つの船には犯罪者だけでなく船員や警官も乗ってるんですよ」といわん!
この問題で伝えたいことをクリアにしたいあまりリアリティを無視してないか?
思えば文句ばかりになってしまったが、面白かったのは事実なのだ。
なのに評判のせいで「けど」になってしまう。
俺は評判を憎んだ。
そうして1ペニーのコインを取り出し――。
『バットマン ビギンズ』 70点 等身大、はじまりの小品
初心者にもわかりやすい。
忍者ダサい。
不殺の誓いにはすでに矛盾がある。
わかっていながらそれに対して何がいえるわけでもない。
そう、それがバットマン。
所感
そもそもアメコミ映画は”アメコミ映画”というジャンルムービーなのだから原作を知ってそれありきでないとそもそも語り切れない。
そういう意味で、俺は『バットマン・ビギンズ』を表する資格がない。
ゲーム『バットマン・アーカムアサイラム』の実況動画を、それも途中まで見ただけで、ほかのバットマンの作品にはほぼ触れず、もちろん「男のこのまざらん事非ざる」『ダークナイト』も見ず、その前作『バットマン・ビギンズ』に手を出したわけなのだから。
バットマンのルーツが「ニンジャ」にあるというのも、知らなかった。*1
子どものときに両親を何者かに殺されたのは知っていたけどそれが貧困が生んだただのチンピラだというのも知らなかった。
だから、この作品を見ていろいろと腑に落ちた面はある。
『ジャスティスリーグ』でフラッシュに「あんたの能力は?」と問われて「金持ちだ」と回答したブルース・ウェイン。
彼は基本的にゴッサムシティの浄化という両親が歩んだ道をたどってゆくビジランテ(自警団)でしかない。
等身大のヒーロー。
ほかの作品を知らないので「これ、合ってる?」という不安は禁じ得ないが、*2彼が『スーパーマン』とある意味表と裏の軸で並べられ、評価される所以は非常によくわかったのだった。
ストーリー
大金持ちのウェイン家に生まれたブルース。ある日のオペラ観劇の帰り道で彼の両親は殺害されてしまう。忠実な執事ペニーワースのもとで両親の遺産を使って暮らしていたブルースは、両親の復讐を決意。銃を携えて犯人チルの裁判に出廷する。しかし、チルはその不正を暴露されることを恐れたゴッサムシティの犯罪王ファルコーニによって殺害されてしまう。幼馴染のレイチェルに殺害計画を立てていたこともばれ、自暴自棄となるブルース。家を飛び出し、気づけば中国の刑務所にいた。
そこでラーズ・アル・グールが率いる影の同盟に招かれたブルースは忍術を体得。しかし、罪人の処刑を拒否。直属の上司であったヘンリー・デュカードを救って祖国に帰った。
7年ぶりに祖国へ帰ったブルースは両親の遺志を継ぎ、腐敗した街を正し、悪を一掃することを決意する。悪にとっての恐怖にならねばならない。そのシンボルに。
そうして彼は自らの幼少期のトラウマであり恐怖の象徴であるコウモリをモチーフに、コスチュームを作り上げ、街の不正をただすことを決意した。
悪にとっての恐怖――バットマンの誕生である。
小さくまとまってる感
アメコミ特有の(というとアメコミファンに無知の偏見だといわれるだろうが)明るさやパワーはなく、*3かといってファミリーが見れなくなってしまうようなグロシーンはなく、お話としては小さくまとまってる感が否めない。
ただ、小さくともまとめられているというのは驚嘆に値することな気もする。
要するに3部作の1作目なのだから、普通設定説明とキャラの配置に終始してストーリーはどっちらけになるのが当たり前である。
だとすると、今回は
・コウモリの大量発生
・スケアクロウのガスによる街のパニック
と3つも見せ場があるし、まあうまくできている。
大したものだよノーラン監督。
とはいえ、驚きはなかった。70点くらいの面白さを凌駕しないのも当然か。
バットマン倫理観
次作『ダークナイト』でがっつり掘り下げられるであろう「ただの私刑執行人」としてのバットマンの側面。
そこには、この作品も非常に自覚的だ。
毒薬を吸ったレイチェルを救うため、警官とカーチェイスを繰り広げ、多くの事故を引き起こしたブルース。翌日、ペニーワースは彼を問い詰める。
「死人が出ます」
「レイチェルを救うためだ。仕方なかった」
ペニーワースに比べると、まだまだブルースは利己的である。
そのことは制作陣も重々承知で、黒幕との対決で、ついに追い詰めたバットマン。
「お前も人を殺すのか」(黒幕)
「殺しはしない。ただ、救いもしない」
そうして電車から飛び去るブルース(このシーンも絵的にかっこよかった)。
結局死んだであろう悪人。
これじゃあ、「未必の故意はセーフセーフ」と言っているだけでかなりこじつけ感は否めない。とはいえ、俺がブルースでもそうするだろう選択肢なので、そうあしざまにも言えない。
等身大のヒーロー、バットマン。彼は悩みもその解決もいまだ等身大だ。
この作品で一番面白い敵はスケアクロウ(ジョナサン・クレイン)。ゲームでも幻覚作用で巨大化したりして面白かった。
演じている俳優さん(キリアン・マーフィー)の顔が良い。
『28日後…』の主演の人か。。当初はバットマンを志向してオーディションを受けたが、落選し、その目に惹かれたノーランにフックアップされたらしい。
慧眼である。
ただ、だとしたらもう少し案山子は怖くてよかったぜー。
精神衰弱になったファルコーニ(スケアクロウ…)ってつぶやいてたけど、あの人もともと案山子怖かったの? .自分の最も怖いものが引き出されるという設定が無視されてるような。
そういえば原作では自分には恐怖のスプレー効かないっていう設定あるらしいな。
今回効いちゃった上になんかコールタールの化け物みたいなのが怖いことになってた。
なんだあれは?
まとめ
3部の序章としてきわめて優等生的でそれ以上でもそれ以下でもない作りだったと思う。次の『ダークナイト』が大傑作だとしたら、まあ計略通りだよね。
『42~世界を変えた男~』75点 伝記映画、それ以上でも以下でも
生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え - Wikipedia
つまりは背番号が42だったから世界を変えた男ってわけ?
真っ当で良い映画。
ただ、ちょっと伝記過ぎたかな~。
ストーリー
4月15日、メジャーリーグの全選手は背番号”42”をつけてプレーする。その番号はアメリカ・カナダの全プロリーグを通しての永久欠番であり、世界初の黒人メジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンの背番号だ。
ブルックリン・ドジャーズの会長ブランチ・リッチーは、その当時ニグロリーグでしかプレーを許されていなかった黒人をドジャーズに入れる計画を立てる。
まさか、白人のファンは減るに決まってる!
――黒人の客を入れればいいだろう? 金は白でも黒でもなく、緑なんだよ。
そうして白羽の矢が立ったジャッキーロビンソン。彼に与えられた使命は結果を出すこと、そして耐え忍ぶこと。
ニグロ野郎。うちのホテルに泊まるな。お前の女房を犯してやる。
これは、さまざまな言葉に「やり返さない勇気」をもって世界を変えた男の物語である。
所感
伝記映画を見て気になるのが、「どこまでが史実で、どこまでがフィクションか」ということだ。
たとえば『ドリーム』はそのほとんどが史実に基づいたエピソードだというし、『グレイテスト・ショーマン』はほとんどフィクションだったろう。
この映画も、「史実忠実系」に属する。
かなり抑制された描写が多く、事実を歪めて作品にしないようかなりの配慮がなされていうことがわかる。
差別と野球は政治・宗教と合わせて4大喧嘩の種だが、この映画ならば論争や炎上を生むことはそうそうないだろう。
ジャッキー・ロビンソン自伝―黒人初の大リーガー (1981年) (ほるぷ自伝選集―スポーツに生きる〈7〉)
- 作者: 宮川毅
- 出版社/メーカー: 趣味と生活
- 発売日: 1981/06
- メディア: ?
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彼自身の自伝もあるようだ。
どこまでが史実化を知りたいなら、これらにも目を通すべきだろう。
とはいえ、ひとまずはWikipediaをチェックしてみる。
すると―― 史実の方がかっこええやんけ。
特にこの、リッチーとジャッキーが初対面したときのくだり。
リッキーは「君はこれまで誰もやっていなかった困難な戦いを始めなければならない。その戦いに勝つには、君は偉大なプレーヤーであるばかりか、立派な紳士でなければならない。仕返しをしない勇気を持つんだ」とロビンソンに言い、右の頬を殴った。ロビンソンは「頬はもう一つあります。ご存じですか」と答えた
映画では聖書から引用した「右の頬を打たれたら左の頬も差し出しなさい」のくだりはリッチーが言っていた。
たぶん、この時点でそこまでロビンソンを成熟したキャラクターにしてしまうと成長の余地がなく物語に求心力が亡くなってしまうと判断したのだろう。
良い点―抑制された感動
差別は醜悪である。耐え忍ぶ勇気はときに立ち向かうこと以上に尊敬に値する。
小学生が見たってこの映画からそのメッセージは受け取れるだろう。
さりとて、中高生が見てもゲンナリするような説教臭さはない。
感動的な場面――例えばロビンソンのチームメイトが彼のためにひどいヤジを飛ばす相手チームの監督に抗議をした場面とか、ロビンソンに心無い手紙が何通も来ていることをしって愕然とする場面とか――にベタ甘で涙を誘うようなBGMが流れることもない。
きわめて淡々と、ロビンソンの戦いと苦悩と栄光を描いている。
特に俺が注目したいのはシャワーを浴びる場面。
あからさまに周囲に避けられているようなところは描かず、ロビンソンがたった一人で試合後にシャワーを浴びている1枚絵をさしはさむことでその孤独を表している。
シャワールームは真っ白。その中で1人その日の汚れと疲れを洗い流すロビンソンの重荷が、言葉でなく画面で理解できる。
良くない点――史実以上のダイナミクスの欠如
結局ロビンソンが野球選手としてどれくらいすごかったのかが伝わってこない。
「野球をしようぜ」「ただ、野球がしたいだけなんだ」
――これは、物語の終盤で何度も語られるキーワードだ。
そういうからには、もっと”野球”を描いてほしかった。
ロビンソンが俊足で盗塁に大きな力を発揮したことはわかったが、そのあたりの技術をもっとピックアップしても良かったのではないか。白人の子どもがロビンソンの真似をしていたということがリッチーから知らされるくだりでも真似されるのはバッティング前のしぐさだった。盗塁王ならその俊足を真似しようとするんじゃないの?
それとも、ホームランを打つくだりもあったし、バッティングもいける人なの?
そのあたりの野球選手としての特性はもう少しわかりやすく描いても良かったのではないか。
それであれば、終盤の3塁への盗塁成功が差別への勝利=野球選手としての活躍という二重のカタルシスを発揮することができたはずだ。
まとめ
良い映画だったのは間違いない。
だけど、ジャッキーロビンソンの史実はもっと面白い映画になる素質を秘めているのではないか。
こちらもWikiから読みかじりの知識だが、野球選手になる前の軍人時代のエピソードも非常に興味深い。
ロビンソンは射的の名手として評価され、知性やスポーツでの好成績、大学時代の教育など幹部候補生学校の候補として秀でていた。
バスで白人の運転手がロビンソンに対し、黒人用の座席へ移動を命じたが[15]、陸軍ではバスの中での人種隔離を禁止しており、ロビンソンは移動を拒否した
その期待を寄せての75点である。
メモ
監督:ブライアン・ヘルゲランド
助演:(リッチー)ハリソン・フォード