『オーケストラ・クラス』感想 85点
静謐な、非常に抑制のきいた映画だった。
ほぼドキュメンタリー。
帰りに「シェヘラザード」聞いて帰ったら映画の主人公気分に慣れた。
岡崎体育に以下のようの曲があるが、この人この感覚をとらえていたのか。
パリ19区にある小学校へ音楽教育プログラムの講師としてやってきたバイオリニストのシモン。音楽家として行き詰まったシモンは、気難しく子供が苦手。6年生の生徒たちにバイオリンを教えることになるが、楽器に触れたこともなく、いたずら盛りでやんちゃな彼らに音楽を教えるのは至難の業で、たちまち自信を喪失してしまう。しかし、クラスの中でひとり、バイオリンの才能を持った少年アーノルドと出会ったことをきっかけにシモンの人生が再び動き出す。アーノルドの影響もあって、感受性豊かな子供たちは音楽の魅力に気づき、演奏することに夢中になっていく。ときには、練習中に喧嘩になったり、他校との合同練習で赤っ恥をかいたり、失敗や経験を重ねながら音楽をとおして少しずつ成長していく子供たち。そんな彼らに向き合うことで、音楽の喜びを取り戻していったシモンは、生徒たちと共に一年後に開かれるフィルハーモニー・ド・パリでの演奏会を目指していく…。
公式サイトより
このあらすじを見て初めて知った情報がいくつもある。
それぐらい、セリフで説明しない映画なのだ。
ドキュメンタリーチックに、教室の面々の一面を描くだけである。
しかも、上記のあらすじの通り、シモンは気難しく感情をほとんど表に出さないタイプ。物語内で音楽が奏でられていることもあり、BGMで強引にグイと感情を引き込むようなこともない。
クラスの中でひとり、バイオリンの才能を持った少年アーノルド
とあるが、アーノルドも世界レベルの天才というわけではない。
あくまで、クラス内ではバイオリンが一番好きで、学びに対して真摯であるというだけである。
アーノルドには父がいない。そして、作中でこういう。
先生、演奏会ってテレビに映るかな?
(中略)
映ったら、父さんが僕に気づいてくれるかもしれないから。
しかし、その後父さんがアーノルドを見るとか、意味深にテレビを見る中年男性が出てくるとか、そういうことは一切ない。
ただ、アーノルドはそういう背景を持った人物だと説明されるだけなのである。
豆特有の酸味と苦みだけで味わうコーヒーのように、シンプルで、大人な味わいだ。
ちなみに、
一年後に開かれるフィルハーモニー・ド・パリでの演奏会を目指していく…。
とあるが、別にこの演奏会に向けて猛特訓したりとか、そういうことはない。
というか、それほど大した演奏会なのかどうかもよくわからない。
リハの描写とかもないし、むしろ地域の演奏会くらいのカジュアルさでとらえていた。
実際のところはどうなんだろう。
日野ビンタ事件
が一年前のことだなんて、嘘みたいだ。
この作品でも、同様の問題が起こる。
クラス一の問題児、サミールは真面目に音を鳴らそうとしない。
シモン「どうしたんだサミール」
サミール「うるさいよ、クソ爺」
怒りのあまりシモンはサミールにつかみかかってしまい、担任のブラヒミに止められる。
不器用キャラのシモンは子供との接し方が明らかにへたくそで、クソみたいなガキどもなのは明らかなのに全く教育方法を考えようとしないので、俺はちょっとイラついていた。
こういうの、よくあるし。
シモンは、サミールの家に謝りに行く。
「息子さんにつかみかかってすみませんでした」
モンスターペアレント気味だった父もそれに懐柔される。
「息子さんが必要です。音楽の申し子です」
サミール「やってみたいかな、よければ」
サミールは音楽の申し子ではない。
この後も、授業中に騒ぎ立てる。
シモンはこの後、カルテットからツアーに誘われて、子どもたちと自分の音楽の間で悩むことになる。
人はある出来事があったところで、劇的に変わりはしない。少し、やり方がわかったり、抑制が効いたり、同情できるようになったりするだけである。
その辺のラインの引き方も大人なバランスである。
この映画を見ての日野ビンタ事件についての俺の見解は、「人はビンタしたところで別にたいして変わらないんだから、まあその場の応急処置としてなら、ビンタもよかったんでない?」である。
応急処置でなく、普段の指導でやるのはヤバいけど。
『泣き虫しょったんの奇跡 完全版』90点
ノンフィクション(本)の方の感想。
ノンフィクションや小説に点なんかつけれないだろと思うがそれならなんで映画ならつけれるんだという話になるのでやっぱりつけてやった。
別に100点くらい熱中して読んだのだがじゃあ90・80点台の映画はもっとだめなのかよと言われるとそういうわけでもないのでいったん90点に。
これは誰に対しての言い訳なんだ。点数の神か。
泣き虫しょったんの奇跡 完全版<サラリーマンから将棋のプロへ> (講談社文庫)
- 作者: 瀬川晶司
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/02/13
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 24回
- この商品を含むブログ (17件) を見る
話の概要
一度奨励会を退会しておきながら将棋協会に嘆願書を提出し、35歳にしてプロとなった瀬川晶司現五段の自伝。オープニング・あとがきを含めて7つの章に分かれており、1章では小学校時代の恩師とのエピソードが、2章ではライバルとのエピソードが、3章では奨励会での戦いの日々が、4章ではプロを追われてからの苦悩と再生の軌跡が、5章ではプロになってからの後日談がつづられている。
楽に生きたい
この本を読んでの一番の感想がこれである。「26歳の誕生日までにプロになれなかったら追放」。この奨励会の鉄のおきては多くの将棋棋士に涙を流させ、また多くの名勝負やドラマを生んできた。
ここまで研ぎ澄まされた勝負の場というのはほかにはなかなかなく、この3章でも努力を繰り返し、あと一歩のところまで手を伸ばしながらちょっとした慢心やミス、だれでも日常的に持つゆとりレベルの心の甘えでプロへの道を踏み外していく”しょったん”や友人の姿が描かれている。
ある席で、何人かのプロ棋士が談笑していた。奨励会員もいた。誰かが面白い冗談をいった。その場のみんなが笑った。奨励会員も笑った。すると、あるプロ棋士が奨励会員にいった。「君は笑うな」と。奨励会員は人間じゃない、だから笑う資格がない、というのだ。
本文3章p.145
その姿は確かに美しいが、外から眺めているだけで水に沈められた犬のような気持ちになる。
俺は、こういうのは傍観するだけで充分である。
手塚治虫の漫画か
スターシステムか。
というほど、後半の人物再登場系伏線回収がすごい(スターシステムはそういうシステムではないけど)。
例えば1章で出てきた恩師苅間澤(かりまざわ)先生は、プロ入りをかけた対局で敗れた瀬川五段に絵ハガキを送る。
そしてまた別の機会には、苅間澤先生も、35歳で先生になった遅咲きの人だとわかる。
ライバルである渡辺健弥君は、瀬川五段が再びプロを目指すためのきっかけを作る。
小学生時代の師匠今野さんはラジオに電話をよこす。
――人生の伏線回収がすごい。
何よりズルいのが、やはり直接のかかわりはないものの、瀬川五段と同世代の天才、羽生善治名人である。
全員が固唾を呑んで見つめるなか、長岡さんはその棋士の言葉を伝えた。
「私は、瀬川さんのプロ入り希望は大変重要な問題であり、きちんと連盟で議論すべきだと思います。そのためにも、瀬川さんは一刻も早く正式な行動を起こすべきだと思います――その棋士は、そういいました」
(中略)
「瀬川君、ちょっと」
その会合から数日後、顔を合わせた遠藤さんが、人目をはばかるように僕に声をかけた。
「じつはあの夜、こっそり長岡さんに打ち明けられたんだけど」
「はい?」
遠藤さんは真剣な表情になって、こういった。
「あの電話の主は、羽生さんだって」
本文4章p.283~284
タイトル
に「泣き虫しょったん」とあるが、そこまで泣き虫な描写がなかった。
気が弱かったとか、要領が悪い、とかはあるけど。
まあそこは編集者の仕事ということで。
『ブレス しあわせの呼吸』90点
この映画は、疑問と回答の映画である。
いや、テーマがとかではなく、話づくりの方法論が。
主人公ロビンは高根の花の妻を射止めるが、ポリオに感染し、首から下が全く動かせなくなってしまう。呼吸すらも人工呼吸器がなければままならない日々。妻に「殺してくれ」というほどダメージを受けるロビンだが、あたたかな激励と行動力により勇気を取り戻し、家に帰ることになる。
さらに、友人テディの助けを得て車いすに人工呼吸器をつけたものを発明。重度の障碍者でありながら人間らしい生活を得たロビンは、人間らしい生き方を追求し、またその生き方を広めていく。
最初はやたらと展開が早い。
30分くらいで病気になって、そこから立ち直る。
つまり、この映画は難病ものではなく、発明家ものなのだ。
難病に見舞われ、そこから立ち直るまでの心の動きではなく、難病から立ち直った男が、自分の生き方を追求するために日々に発明と変化を生み出す物語なのである。
だから、物語を包む空気は終始明るい。
娯楽映画として気持ちいい。
それはつまり、
とっとと最大の問題が解決してしまい、物語の目的が散漫なものになってしまう(中心的な問題とその解決=テーマがない)ということにもなりかねない。
そこを、この映画は「疑問と回答」のプロセスでクリフハンガーしている。
例えばロビンが家に帰ってから「停電の時はどうするの?」という問いかけがある。
それに対し妻は「手動でやるわ。とポンプを見せる」。
その後のシーンでは、ペットの犬が人工呼吸器の電源を抜いてしまう。<<あわや窒息>>というところで妻が気づき、ロビンは一命をとりとめる。
その後には、ロビンが新聞をみながら、「ジョナサンに薦められて買った株が2倍になった」という。その結果、経済的な問題どうしてるんだという疑問が解決される。
このように、そうはいってもどうなんだ? という疑問を、視聴者が見過ごしているものも含めてどんどん解決していくのである。
そうやって、ロビンの生活の安定度と快適性がどんどん増していく。その過程に、観客も、自分を重ねあわせ、安心感という人間が古来求めてやまない「ご褒美」をもらえるのだ。
最終的に、ロビンは肺が傷ついたために自ら安楽死を選ぶ(かなり年を取ってから)
その選択は、「なんとしても生きるんだ」というこの映画のメッセージと相反するのではないかという疑問さえ浮かばせるビターなものだ。
そこで、この映画冒頭の「この映画は真実の物語である」という但し書きが、胸に刺さる。
これだけポジティブな話でも、現実はままならぬものである。
ただ、本当にロビンは飛行機に乗ってイタリアに行き、息子は『ブリジットジョーンズの日記』のプロデューサーになったのだから大したものである。
10点減点の理由
・ロビンらがモンスターペイシェントだった。
入院していた病院の院長は「2週間で死んでしまう」とロビンの退院に断固反対だが、「警察を呼んでくれ。ここは監獄じゃないか」といい、強行的にロビンらは出ていく。
しかし、今の価値観でしかも我々は結果成功することを知っているからロビンが絶対に正しいと思えるが、普通に当時の価値観なら院長が推定的に正しい。
その院長を部下に「君の祖国では…」と国籍差別的なことをいわせて完全に悪者にしたのはちいと勧善懲悪を安易に演出しすぎでないかと思った。
とはいえ、最後はロビンが安楽死を選ぶというビターな結末があるのだから、それこそがその件への回答ということかもしれない。
お笑いジャイアントキリング~しばり漫才王決定戦~
準キー局の一発番組。イベントかスタジオでやってるのか微妙なところ。
司会が陣内と秋山ゆずき(『カメラを止めるな』の女優)。
ルール:オチを「誰が魔法使いやねん」でしばる。
ネタ作りの模様を見せてくれるのが興味深い。
とろサーモン「寿司屋になりたい」(久保田が作るスタイル)4位
キーワードすらオチを久保田が言う変化球展開。
「人」でやる漫才だった。
「やっぱり独りよがりでやる漫才やってんねんな」というのんちゃん(審査員)の評論が的確。さすが。
アキナ「きょうこを振る練習」(合議制スタイル)2位
お笑い好きが好きそうなBL営業っていうてまうんや。放送作家よ。
秋山の女役なんかかわいいな。声かな。
秋山ゆずきはバラエティ慣れしてないからちゃんと笑えてなかった。可哀そう。
エッチ坊主クソが
メタ的な魔法使いやねん。
ボケが全部お客さんに言わされてたという設定。これはよかった。
でも、良すぎてめっちゃかぶりそうやけどな。制作陣この事態想定してたんかな。
ゆにばーす「パチンコ」(川瀬名人が作るスタイル・1杯1,000円の喫茶店で自分を追い込む)6位
はらちゃん「これはヒかれると思う」
→パチンコ屋の駐車場で子ども殺しそうな顔しやがってのとこ?
「イエーイ」リーチのくだりは前テレビで見たような気がするけどなあ。
ありネタっぽい部分以外は動きネタもあり、新ネタならではの良さがあった。
マルセイユ「イタリア人の観光案内」1位
フースーヤ「老若男女にわかりやすい漫才」
噛んだ。大阪観光に来た人に漫才劇場で受けそうな漫才。
大阪ローカルネタが多い。このまま寄席で食ってくのか。
全国に打って出る勝算はあるのか。
普通に正統派にオチまでもっていくタイプ。
そんなに面白くなかったけど舞台度胸ある。
たくろう「ペットを飼いたい」3位
今宮戎大賞とったのか。
「ワンちゃん→ワンタン」とか、「深呼吸→新呼吸」とかダジャレボケが多いのに、その後の処理で恥ずかしくないものに仕上がっている。
良いネタだった。まだ出た手だから全然発想枯れてないのがわかる。
M-1もくるかもわからんね。
のんちゃん「ボケの赤木君は数年後に漫画家小説でブレイクしそう」
陣内「カラテカ矢部とカナリヤボンかと思たもん」
これは案外笑いごとでなく、これだけ異端の漫才師でも被っちゃうほど、見た目的にもキャラクターが枯渇してるということだ。
笑い飯「童話をつくった」(本社で2人でネタ作り)5位
「魔法使い」の話題をだすために童話の話題だすのはロジック型の作り方である。
倍から踏んどるやないか
こういうフレーズが出せるのがやっぱりナイツ塙いうところの関西弁の強みである。
倍から踏んでるじゃねえか!
とはいえないのだ。
綺麗につくっていた。さすが王者の貫禄である。
マイナビラフターナイト/空気階段の踊り場 20180908
会談じゃなくて階段だった。
KOCの準決勝が終わった。今年は当日まで決勝進出者が発表されないというクソ仕様。
とりあえず業界人のリークにより、ギースは確定したとして…
空気階段、やさしいズ、チョコレートプラネット、さらば青春の光あたりも固いらしい。
きっち、毎回準決勝受けは微妙といわれながら、決勝ではきっちり客受けをかっさらうジャングルポケットも残ってくるだろう。
さて、
ジョウダンアオナナテンパイ「モテたい」
太田プロ所属
コンビ名いかつい。
オタク?風気持ち悪いキャラのボケはありがちだが、突っ込みも同様に気持ち悪いというのが独自の部分か。
まだ発展途上という感じだった。
男性ブランコ「神頼み」
NHKで放送されていた「わらけずり」でそこそこのセンスを見せてくれていた男性ブランコ。
だが、今回のネタは全くセンス系ではなく、ボケ数も少ない珍妙な代物だった。
神頼みの作法はあっているが、内容がおかしいという設定はベタだし、作法の間の繰り返しがもったいない。
何を考えとるんだ全く。
芸人の悪口も最近言い始めたということで(メイプル超合金の漫才で笑う芸人いる?など)やや地下での好感度も下がってきたエルカブキ。
売れる売れないは度外視すると俺はその姿勢を応援しているぞ…!
泉ピン子がエルカブキの前説に参加して一人漫談で爆笑を取ったということで、やっぱりパワハラババアながらピン子はすごいなと思った。
最近研ナオコとか、美人の範疇に収まらないが芸能界を生き抜いてきたタレント再評価の波がおれのなかで来ている。来ているのだ。
ぽんぽこ「プロポーズ」
三木プロ所属
甲高い声のボケが耳障り。
初聴ではそうとしか思えないんだけど、そんじょそこらの芸人がやったらドシラケ空気になりそうなサイコボケが生きている。
キャラのおかげで。
ペコリ-ノ
今回はあんまりだった。
やっぱりもっとペコリーノはエロの要素がないとだめだ。
空気階段の踊り場→KOC発表(予定)回
改変のせいでどちらともわからず。
ただ、「まあ、受かってないでこのテンションだったら上出来なんじゃない?」「優勝するぞー!」という鈴木もぐらのセリフ、「絶対誰かはリークするよ」という水川かたまりのセリフがそこはかとない手ごたえを感じさせている。
しかし、ともみちゃんはマジでモデルだったんだなあ。
『有田ジェネレーション 桐野安生再試合SP』9月5日(水)放送分
あるあるの魔法が切れてきた桐野安生。「エスファイブ」「ハナイチゴ」との再試合の日がやってきたが、果たして生き残ることはできるのか――。
第一試合表:エスファイブ:「アニマルファイブ」負
面白かったけど前の方がやはりインパクトがあった。
桐野安生がいなければ、有ジェネのおもちゃになっていたのはエスファイブだったろう。
しかし、エスファイブも無名事務所(SHUプロモーション)ということで、事務所の意味とかだんだん崩壊してきてるよなーと思う。
第一試合裏:桐野安生:「フルーツあるある 人質編」勝
野菜あるあるの迷走を経て、フルーツあるあるが原点に回帰した。
酢豚の中のパイナップルは孤独→私も人間界のパイナップルです
という、ほんとのあるあるネタなのか、センスネタなのか、自虐ネタなのか、すべてが中途半端などうしようもなさがフルーツあるあるの本領だ。
第二試合表:ハナイチゴ:「男紹介してよ」負
今回弄られたのはパックンマックンとパイレーツ。
パイレーツの不幸な方がAVに出ていた件については触れられず。
そこがTVのラインか。
PPRで関谷の性欲の話もしないし、有ジェネって結構下ネタ排除なところがあるのかもしれない。
第二試合裏:まんぷくフーフー:「悩みがある」勝
マンネリかしそうでせず、うまく延命させているなと思う。
上手くオチをつけたりしないのが、逆に良いのかもしれない。
子どもができたらもっと面白くなりそうなコンビだ。
ヒーリング
嗤える話だが、俺はこの「Close to you」がカーペンターズの曲だと知らなかった。
歌詞も良くわからなかったので勝って位に以下のような光景を思い浮かべていた。
気怠い午後、金はあるが心がなぜか満たされないミドルエイジ直前の女。図書館のような役場のような病院のような博物館のような公共施設で、名も知らぬ画家の絵画を、目を奪われるでもなくただぼにゃり<誤字ではない>と眺めている
まさか、がっつり思慕の情をうたう恋愛の歌だったとはね。
On the day that you were born the angels got together
あなたが生まれた日、天使たちは集まった。
And decided to create a dream come true
そして夢をかなえることに決めたのよ。
So they sprinkled moon dust in your hair of gold
それから彼らはあなたの金色の髪、
And starlight in your eyes of blue
そして青い瞳に星屑をばらまいた
ちょっと思慕の情が崇拝にまで達していて「それは恋ではなく憧れじゃないのか! おいカレン!」と言いたくなる。
この曲と勝手に同ジャンルで好きなのがエリック・サティのジムノペディ、あとリチャード・ロジャースのマイ・フェイバリットシングス。
誰か
気怠い午後、金はあるが心がなぜか満たされないミドルエイジ直前の女。図書館のような役場のような病院のような博物館のような公共施設で、名も知らぬ画家の絵画を、目を奪われるでもなくただぼにゃり<誤字ではない>と眺めている
的な歌詞をつけてくれ。