メタ的に見た素人AV女優
素人AV女優、という言葉の矛盾とファンタジーとリアルと希望について。
例えばマジックミラー号とか、ナンパものとか、TV番組パロディみたいなやつとか。
素人、という名目の電影少女(ビデオガール)がたくさん出てくるわけじゃないですか。
結構彼女らって一見リアルというか、「自然に演技してるなあ、もし勝新太郎がAV女優でもこういう演技をしただろうぜ」という自然な演技をしますよね。
これは、俺がど、ど、ど、童貞に近い存在だ(経験が浅い)からではないと思う。
でも、プロだ。
まあそれは、ほかの作品をウォッチしていたら同じ人が出てきたときとか、そこそこ有名なキカタン女優が出演しているのを発見しているのを見てしまったときとか、AV女優のTwitterを見たときとかに発覚するわけだ。
あと、ご丁寧に女優名をレビュー欄に書いてくれるAV菩薩もいるしな。
そんなわけで、青少年は夢を打ち砕かれる。
しかし、しかしである。
よくよく考えたらプロと素人の境目はあいまいだ。
どんなプロであれ、素人の時代は存在する。
スカウトか、自分から応募したのか、素人だった彼女らが一歩踏み出し、作品に出演することでプロとなるわけだ。
ということは少なくともそのデビューの一本において彼女らは半分素人ということになるだろう。
そういえば前松本人志が「AV女優は素人が一番プロという逆説的な側面がある」(=男性は素人の出演作品が見たいわけだから、より素人に近い一本目こそがユーザーのニーズにこたえている人=プロである)という説を『ワイドナショー』で唱えていた。
その説についてはでも、プロの技術を目の当たりにしたい場合もあるわけで、一概には言えない!と反発すら覚えていたけど、一つの側面としては確かに正しいかもしれない。
だが、その時松本人志がさしていた『1本目』とはいわゆるデビュー作であり、インタビューから始まる単体もの、ということになるだろう。
それではなく、素人ものがデビューの場合で今回俺は考えている。
そして、そのほうが明確に明らかに素人に近いと考えている。
詳しくは、以下の図をご覧いただきたい。
要するに、単体デビュー女優と素人物デビュー女優との間にはおおきなルビコン川が流れているのだ。
もちろん単体デビュー女優はそれができるだけの実力や美貌を兼ね備えたより上等な人が多いんだろうがね。
閑話休題。
すなわち、なにが言いたいかというと、AV女優をスカウトマンがスカウトして、実際にデビューするまでを納めたら、それがほんとの上質な作品だし、多くのAVウォッチャーの劣情を刺激するに違いないということだ。
でも、苦労してそんな作品をとってもどうせ「やらせだー」とか言われるんだろうな。
監督でもないのに、暗澹たる気持ちになってきたぜ。