裸で独りぼっち

マジの日記

ヤングジャンプ4/27(木)2017年 22・23号 感想

BUNGO

今号で連載100回を迎えた猛禽系野球狂ストーリー(この漫画のどの部分が鷲や鷹を思わせるのかは定かでなないが、とにかくそう銘打っているのだ)。

 

現在は主人公である中学生石浜文吾が天才ピッチャーとしてめきめき頭角を現すも、2年前の試合で完敗。同級生の鮎川哲也にエースナンバーを奪われたどん底の状態から、覚醒の兆しを見せつつ、直球一辺倒からカーブを身に着ける努力を重ね、新たな超高校級選手と出会うパートとなっている。

 

これだけの説明でも、「おお、面白そうだね」と思う人は多いのではないか。

そう、このどん底に達してからはめきめき面白くなってきている、現在脂の乗り切った漫画なのだ。

 

今号では小谷野(ピッチャー?)と米村(キャッチャー)という同チーム1年の新たなる才能との交流の回である。

 

新たなる才能とは書いたが、この表現、BUNGO内でも何度となく出ている。

この漫画、同じく集英社の漫画で例えればNARUTO以上の才能のバーゲンセール漫画なのだ。

超中学級(トッププロスペクト)の選手がひしめき合いすぎて、もはや超中学級が中学の平均というアンビバレントな印象を持ってしまう。

それゆえ、ケレン味はたっぷりなのだが、それぞれのキャラクターはとてもじゃないけど覚えきれない。

しかし、そのマイナスもブンゴすげーという周りの主人公age描写でカバーされてしまうのが不思議なところである。

主人公ブンゴは普通の、さしたる特徴もないまじめな主人公なのだ。

しかし、キャラ過剰の物語世界の中で妙に親しみがあり、結果、読者はブンゴびいきにされてしまう。

そこまで計算なら大したキャラ配置の妙である。

しかし、周りのキャラが固まってしまうと、物語全体のテンションが下がってしまうという欠点はあるだろう。

そのあたりをいかにカバーするかが、今後の面白さに大きくかかわると予想される。

 

うらたろう

絶対に2部という名の打ち切りだと思っていた。

正直いまだに来週"完"でも不思議はないと思っている。

しかし、今のところ、たいへん面白い。

1部で最愛の人の死を経験し、そのキャラクターの影響を受けたというのが見た目にも口調にもきちんと表れているのは、中山敦支の絵力とキャラの作りこみでしかできないことだと思う。

とはいえ、今回ラストシーンでアバン的に登場しただけなので来週を読まないと完全には安心できないが。

そういう意味でも来週が待ち遠しい。

 

HAREMS VERSUS(読み切り)

ハーレム主人公処小太郎(ところ・こたろう)を狙うツンデレキャラの笹七愛七(ささな・あいな)。彼らの教室は、幼馴染、・お嬢様・義理の妹などのキャラが一人の『主人公』(処)を狙うハーレムであった。

教室に足を踏み入れた途端―、愛七は、ドジっ娘キャラ撓和女々(たわわ・めめ)によるラッキースケベ攻撃に襲われる。ドジっ娘パワーを使った物理攻撃により処の前で鼻血を出してしまう危機に陥る愛七。

果たして愛七は鼻血を流さずにいられるのか――。

 

面白かった。

完全にアイデア落ちなんだけど、そのアイデアに十数ページ耐えられる強度があった。

とはいえ、ひとたびロジックを気にすると話の内容が途端に入ってこなくなってきてしまうのも事実である。

どう考えても連載向きのアイデアではない。

ただ、なんにせよ有象無象の読み切りよりは明らかに読ませるものがあったので、まったく別の連載向け作品を早く読んでみたいものである。

ランジャタイのオールナイトニッポンR感想(4月22日土)

4月22日(土)深夜3時からは「ランジャタイのオールナイトニッポンR」【生放送!】:オールナイトニッポンR|毎週土曜深夜 3:00〜5:00[第3週を除く]|ラジオFM93+AM1242 ニッポン放送

 

このサイトの作りは古いインターネットですね。

でもこのB級感こそラジオというものの良さを象徴するのではないでしょうか?

そういう意味で、No.1地下天才芸人ランジャタイがオールナイトニッポンに進出するのはむしろ遅すぎたのかもしれません。

彼らの漫才はしばしば立川談志師匠いうところのイリュージョンを体現していると称されます。

イリュージョンとは、話芸をもってして現実にない世界を"そこにある"ものとして創造すること。

だとすれば、声しか使えないラジオというメディアは彼らの独壇場と言っても過言ではないのです。

 

さて、前置きが長くなりましたが、実際に聞いてみた感想はどのようなものだったのか。

 

まず、抱いた感想は、「普通に達者やん」です。

少なくとも、最近ANNRに加わったランジャタイやSUPERBEABER渋谷龍太の第一回放送よりは噛みも少ないしこなれ感がありました。

カラオケ屋の一室を借りて作っているインターネットラジオが功を奏したのでしょうか?

 雑談感がすごい

 

特に国ちゃんこと国崎が漫才における振る舞いからは想像もつかないほど話を進めていた感があります。

もちろん、モグライダーともしげのリスナー罵倒発言にエコーつけるくだりとか、リスナーネームで同じ読み間違いを繰り返したりとか(ジェニファーなんとかさんのとこ)慣れてない故のミスもいくつかはありましたが。

 

で、ボケである彼がツッコミ伊藤のとがった過去・奇人変人ぶりを暴露するといういわば攻守交替型の筋が一本通っていたと思います。

そのエピソードは上記のランジャタイのぽんぽこラジオ第一回で語られているものもあり、慣れた語り口でした。

ほかのNSC生に喧嘩を売るようなふるまいをする尖りっぷりと、クビ回避のために必死でゴミ拾いをして、それでもクビとなり、号泣したというエピソードは、これぞ芸人という痛快さがありました。

そして、オールナイト大好きにもかかわらず、今回のラジオでは話すことがないと発言し、実際に伊藤が行ったまとまったトークは「子どものころ臭かった」という一点のみという事実もそんなエピソードが「嘘」ではないことを示してくれます。

 

ラジオ全体の構造を概観して思うのは、意外と今の芸人ラジオの潮流に即した流れだったということです。

それのポイントとしては、コーナーの意味のなさ、リスナーのなりすましメール、芸人仲間を初回からいじるなどが挙げられます。

 

コーナーの意味のなさは、一向にコーナーが定着しないTBS「ハライチのターン!」、なりすましメールは同じくTBS「アルコアンドピースD.C.garage」や「ランパンプスオールナイトニッポンR」でも見られました。

 

そのあたりの「今のラジオ」というポイントが抑えられていた気がします。

 

個人的にはコーナーがしっかりした番組が好きなので、それは評価点ばかりではありません。ですが、大きな流れに乗り遅れていないということは、時代と寝る職業である芸人にとって非常に大事なことだと思うのです。

 

というわけで、全体の概観としては、意外と手堅くラジオしていた。

とはいえあまり爆発予感もしないので、本採用にならなかったのもわからないではない。

といったところです。

 

P.D.ぽんぽこラジオで使われている「アラレちゃんのテーマ」はANNでも流れました。そこでおもったのですが、あられちゃんのテーマを勝手にネットのラジオのテーマにするのって著作権的にいいんでしょうか?

金属バットはそこらへん考慮してチュニジア国家にしてるけど。

そこは気にしてないとしたら、ランジャタイはやっぱりロックですね。

 

 

 

若大将のエピソード

加山雄三の格好良さに気づけるくらいに成熟してしまった。

 

若大将は言わずと知れた日本のシンガーソングライター、役者、タレントを兼ね備えた男。

 

伝説は枚挙に暇がないが、特にこのエピソードに痺れた。

 

一貫して船には女性を乗せない姿勢を貫いていたが(船酔いし厄介なため)、初めて乗せた女性が全く船酔いせず悠々と編み物をしているその姿を見て一目惚れしてしまう。それが後に結婚することとなる松本めぐみであった。

格好ええー

 

 

エレキの若大将

エレキの若大将

 

 

出会い系小姑ケチつける―30分の1という数字について

blog.nitasaka.com

俺も一介のPairs利用者だったわけで、Pairs等出会い系サイトが、詐欺サイトでない限り人口に膾炙することは、恋愛・結婚に行き詰りがちな現代において大変喜ばしいと思っている。

 

元々この人は知らなかったが現在ベンチャー企業の社長だそうだし、元々同人誌作ってる動画をYoutubeニコニコ動画もない時からやってたりバイタリティもある。

奥さんもまあきれい。

「ええ物件そろってまっせ」Pairsという証拠にはなる。

 

だから大筋としていいこと言ってんなあと思うんだが、1個疑問に思うのが、

途中に出てくるマッチング率90%以上ってそこまでのもんかね。

なんか俺がやってた時は大体そのくらいの高め安定だった覚えがあるんだが。

30数組に1組といっても、まあ2~3%はあるわけで、50人出てくれば1人は90%超えるわけである。

Pairsはインターネットの大会に位置する漁場なので、そこにいる人は東京なら100人を軽く超えるだろう。

だから、そんな運命的な話ではないと思う。

 

あと、奥さんがコミュニティという趣味の集まりを検索して仁田坂さんとマッチングしたそうだが、、、

Pairsにはコミュニティという機能がある。往年のmixiを彷彿とさせる機能だ。ぼくは「渋谷区在住」「ゴールドジム」「EDM」というようなコミュニティに入っていた。
妻は「同じ渋谷区に住んでいて趣味が合う人」のような条件で探していたようだ。そこにPairsの人工知能が手助けをしてくれたようで、相性92%と出ていたらしい

これは通常料金に数千円追加しないと利用できないいわば課金チートなのである。

これ使ってる時点でかなり本気度が高いわけだ。

そうなると、「あんまり一般的な話じゃないのでは?」という気がする。

 

以上、見知らぬ他人の幸せにケチつける出会い系小姑の意見であった。

 

 

 

帰ってこいりゅうちぇるの服大喜利

今日ネットニュースで「かいけつゾロリ」が30周年だというめでたい情報をゲットした。

 

ぺこりゅう、『ゾロリ』に“人気継続の秘訣”を学ぶ (オリコン) - Yahoo!ニュース

 

かいけつゾロリの「かいけつ」は「解決」なのか「怪傑」なのか「快傑」なのか。

というようなことを昔から考えていたほどのゾロリファンの俺であるが、一番気になったのはイベントゲストりゅうちぇるの風貌である。

 

欧米のサイコパス金持ち青年みたいじゃない?

 

りゅうちぇる&ぺこといえば初期に今日の服装のコンセプト大喜利的芸をしていた。

例:今日の服装はなんでしょう?

→レオンのジャンレノみたいな小レンズサングラスをして花柄開襟シャツに短パン

「正解は、80年代の映画から飛び出してきたカップルでした~」

 

あのフォーマットにはその手があったかと舌を巻いた。

 

最近やってないのでやって欲しい。

 

ファニーゲーム in Germanだよ~。やだー」的な。

 

 

 

 

男子トイレにはおならする部屋を作るべきだ論

男子トイレには個室と小便器がある

小便器は、いわゆるあさがおと言われる野ざらしのソレだ。

「あさがお 男子トイレ」の画像検索結果

 

ここで用を足しているとき、もちろん排泄しに来ているわけだから、おならをしたいときがある。 

さて、そのときどういう行動をとるかで人間が試されるわけだ。

 

1.普通にその場でする

排泄の流れでそのまま出してしまう。別に周りがどう思おうがかまいやしない。

だってここはトイレだ。うんこやおしっこをするところなんだから、おならして何が悪いんだ。

 

―これは正論ゆえに、筋が悪い。

例えば、静まり返ったエレベーターの個室内で急に普通の音量で友人が話しかけて来たら、あなたは眉を顰めたり、居心地の悪さを感じたりしないだろうか。

別にエレベーターでしゃべったって良い。仲間内だけだったら普通にしゃべる。

でも、時と場合によってはそれが許されない。

それが、空気というものの抗いがたい存在感である。

いくらトイレだからといったって小便器に向かっているときに屁をひる人間は、傍若無人と受け取られてしまうのだ。

ダウンタウンの浜ちゃんのエピソードで、こういうものがある。

駅のトイレで小便をしていて、隣にいたまったく知らないおっさんが屁をした際に、
職業病のせいか「おい!!」と突っ込んでしまったことがある

浜田雅功の都市伝説 - なおすけの都市伝説と雑学

 

この話に対して「おい浜ちゃんww」と笑いつつも、共感を覚える人が大半なのではないか。

放屁は、どうしたってツッコミの対象である恥からは免れ得ないのだ。

 

2.個室に入る

男子トイレには個室がある。女子トイレにもあるけど。

そこに入ってしまえば一時的にせよ、自分の城となる。

思う存分ガスを抜けばよいわけだ。

 

―これは面倒くさい。

まずもって、個室は小便器よりも少なく、それゆえ人が並んでいることが多いのだ。

屁を出すためだけに列に並ぶのはつらい。

もし並んでいなかったとしても、個室にわざわざ入って屁だけして出るのはなんだか屈辱だ。もし自分の後に誰かが入ってきた場合、屁目的でトイレに入ったと思われたくなくて俺はトイレットペーパーホルダーをカチャカチャいわせるなど隠蔽活動を行ってしまうだろう。まるでトイレのスパイだ。とんだ『裸の銃を持つ男』だ。

 

そこで、俺が提案したいのは、男子トイレに個室、小便器(あさがお)に加えて第三の道屁室を作るという手段である。

 

屁室は消臭マットでできた簡易的な壁に囲まれており、すぐに正常な空気を生み出せるようになっている。天井から釣り下がっているのは消臭ノズル。常に周囲のメタンや水蒸気を吸い取ってくれている。消臭マットの目隠しがあるので周りに遠慮する必要はない。なにより、屁をこくための部屋だという大義名分が君を守ってくれる。

 

これを読んで、小賢しらなやつはいうだろう――

「そんなもん、おならする部屋にわざわざいって「この人おならするんだな」と思われたほうが恥ずかしいよ」

 

浅はかなやつめ。おしっこのほうが恥ずかしいわ。

 

よくよく考えてほしい。

小便器において、我々は言い訳程度の仕切りがあるだけで、生殖器を取り出し、腎臓由来の液体を排出するのである。平気な顔で。

よくよく考えたらとんだ恥知らずの行いじゃないか。

 

それを許すのは、「昔からそうだから」という"慣れ"でしかない。

屁室にもきっと人は慣れる。おそらく2カ月もかからないだろう。

 

実は俺は、200年後の未来からタイムマシンに乗ってやってきたんだ。

2017年の祖先はずいぶん遅れていると思ってね。

ちょっと未来の秘密を明かしてしまったよ。

まあこんな秘密、ほんとに屁みたいなものなんだけどさ。

 

 

 

自宅の鍋はなぜ吐きそうになるのか?

自宅鍋ってなぜだか吐きそうになる。

別に味がまずいからとかではなく、実家にいたころからそうだ。

その理由を考察したい。

 

一、暑さゆえ

鍋は熱い。特にネギや豆腐やしらたきは、熱を保ちやすい。

皆さんも、ねぎをかじったとたんに熱いおつゆを纏った中身がところてん式に飛び出して口内を火傷してしまったことが、人生で1度はあるのではないか。

だから、鍋を食べるとき、人は破風破風(はふはふ)する。

風を口内に送り込むことで、食物に蓄えられた熱エネルギーが、蒸発とともに奪われるのだ。

結果、無意識のうちに息の吸い込みすぎになる。

胃の中に落とし込まれた肉や豆腐は空気と攪拌され、その体積を膨らませる。

それゆえ、吐き気が催されるのだ。

 

二、酒の入れすぎ

吐き気を催す鍋ランキング不動の第一位は寄せ鍋、第二位はすき焼きである(自分調べ)。

なぜだかキムチ鍋やラーメン鍋ではなりにくい気がする。

その理由は、それらに酒が使われず、またほかのだしの味が濃いからではないか。

特に魚介などを扱うとき、消毒の意味も込めて料理酒をたっぷり入れがちなのが私たち素人料理人である。

無論、鍋の時間に計量カップやスプーンなどは出る幕なしだ。

それらにちょい酔いしてる可能性。

もちろんアルコール度数は微々たるものだが、量は食材がひたひたになるくらいなのである。

知らずのうちにちょっと酔ってしまうことはないともいえない。

 

三、濡物嫌悪性

ある芸人が、TVで「濡れたものが苦手」という話をしていた。

濡れたへの嫌悪感が強すぎて、醤油を刺身につけてから一回拭いて食べるのだという。

「芸人特有の繊細さからくる強迫神経症ですなー」と距離を持ってTVを見ていたが、

正直わからないでもない気がしていた。

濡れたものって本来的には腐っていたり毒だったりする可能性が高いでしょう?

社会性が味覚を覆いつくし切らない限りは、本能が拒絶すると思うんだよなー。

いうまでもなく、鍋に入った食べ物はビショビショに濡れている。

それが、我々の濡れたものへの嫌悪感、いわば濡物嫌悪性を刺激するのではないか。

 

自宅鍋に付きまとう吐き気。

その理由を「暑さ」「酒の入れすぎ」「濡物嫌悪性」の3つに求めてみた。

この吐き気があるあるでない場合は、ものすごく神経を疑うような話をしてしまったことになるけど。

ていうか単なる食べ過ぎが原因な気もしてきた。

もしくはまだ煮え切らない野菜を食べてしまっているとか。

 

その答えは、蓋を開けねばわからない、というわけや。

ああ。。。