裸で独りぼっち

マジの日記

『スペードの3』―戦いから逃げるな、つまりいつもの朝井リョウ

『桐島部活やめるってよ』『何者』『武道館』の朝井リョウの2014年の作品。

2017年4月1日に文庫化された。

 

この作品を書いていたころはまだ東宝の社員だったんだね。

 

この人はあまりにも、作家的な特性を備えた人だなとインタビューや小説やラジオを読んだり聴いたりするたびに思う。

 

その特性とは、客観視を超えた客観視。

現実(と我々が思っている人間関係すらも)作者の視点から俯瞰してみる、その俯瞰する自分すら俯瞰する、メタ×∞力だと思う。

 

 「自分は思慮深い」と思っている人を、「まさか」というところから驚かせたい気持ちはありました。僕自身、ストリートダンスサークルに所属して、クラブでダンスバトルをしながらも小説家デビューした、というのもその一環です。作家を夢見る早稲田の読書家たちが、一番脅かされたくなかっただろう人に脅かされている顔を見たかった。

「「リア充」小説家・朝井リョウの働き方」

http://news.mynavi.jp/articles/2015/12/09/careerperson/

単純な人間をメタ的にみる思慮深い人間をメタ的に見て単純な人間の立場から憤りつつ、さらにメタ的な視点を持って小説という形でチクリと刺す。

こういう「自分思慮深いって思ってひがんでるだけって逆にダサいわ。単純なリア充で何が悪い」という視点はここ最近のネットではあたり前のものとなっているが、『桐島~』以前にはあまりなかった気がする。

もちろん世間一般にそういうメタの一つ上の視点が気疲れ、共有されたというのも大きいだろうが、『桐島~』にその視点を与えられた人間も多いのではないか。

 

 

小説は、3つの連作短編で構成されている。

スペードの3(表題作)

・ハートの2

・ダイヤのエース

 

スペードの3の主人公は江崎美知代。名前こそ出さないが、明らかに宝塚出身の女優、香北つかさのファンクラブ、"ファミリア”のまとめ役だ。

最初は「すわ、宗教の話か」と思うほど、規律とつかさへの崇拝でできた組織、ファミリアで美知代は権勢を発揮する。女王である、つかさであるからその大臣として。

しかし、その歪ながら安定した状態は、小学校時代の同級生アキのファミリア入りにより、崩れることになる。

 

ハートの2の主人公は、明元むつ美。中学生のむつ美は、自身の容姿にコンプレックスを抱いている。そのせいで、小学校ではいわゆる「陰キャラ」(作中でこの表現は使われていない)として過ごした。誘われた入った演劇部では絵の腕をかわれて美術担当として自分の居場所を見つけるが、やはりほかの部員のように舞台に出れるような、勇気や自身は出ない。

 

ダイヤのエースの主人公は、香北つかさ。「スペードの3」の女王である。劇団のトップスターを務め、今も女優としてファミリアのような信者を持つほどの才能も名誉も持つつかさであるが、コンプレックスは深い。劇団の同期であり、同じ夢組でトップスターだった沖乃原円は彼女が持っていない物語も、スターの中のスターとしての輝きも、持っていた。

 

この3編は、いや、朝井リョウの作品は『桐島~』や『何者』も含めて、同じテーマを持っている。

 

コンプレックスを抱える主人公は、”戦い”から逃げている。しかし、話の終盤にかけてありのままの自分を認めることでコンプレックスを超克し、1つの成長を遂げる

 

小説のテーマとしてはもっともオーソドックスな形式だろう。

しかし、朝井が小説すばる文学賞直木賞を戴き、人口にのぼる作家であるのは、その戦いが非常に今日的でリアルなものだからだ。

 

今作における戦いとは、「変わる」ということである。

 

「女の子は思春期になると体が丸みを帯びてきます」などと文部科学省は言うが、本当は心のほうが大きく変わる。

ある子は化粧をして年上の男の子と付き合い、それをステータスとしてクイーンビー(女王蜂)の慶びを、決して明言することなく、ひそやかに謳歌する(でもほかの生徒にははっきりわかる)。

ある子は部活にアイデンティティを委ねる。またある子は部活に入っている子を俯瞰して自由にふるまうことでアイデンティティを託す。

ある子はコンプレックスに壁を作ってなるべく触れないし、触れられないようにする。その檻は巧妙で、ステルス性能を持っている。特殊なレーダーを持った機体しか気づけない。

朝井リョウは、そのレーダーを持っている。

やかましくて怖い男子と唯一言葉をかわせる私、というひそやかな優越感も、「天然パーマの髪のせいですべてがうまくいかないんだ」と信じたがる弱さも、「自分はなにも気にしてない」と心の中で唱えるほどに気にしてしまっているちょっと上のあの子へのコンプレックスも見抜いて、あまつさえ小説にしている。

 

女性のほうがそのレーダーを持つ人が多いのだろう。

女性作家の小説には、似たような戦いを描くものが多い。

湊かなえイヤミス感にはそういう戦いが水面下で起こる不穏な感じを描いたものも多いし、聞いた話では綿矢りさもそうらしい。

 

人間関係の「戦い」から逃げるな――。

 

そういうメッセージが発せられる小説には説教臭さを感じてしまう場面もしばしばで、俺の場合例えば有川浩の『フリーター家を買う』とかがそうなのだが、朝井リョウの場合はなぜかそのヤダ味を感じないのは、彼が男性だからだろうか?

 

本作の謎として、「ダイヤのエース」はどういう意味なんだろう?というものがある。

スペードの3は最弱にもかかわらず唯一ジョーカーに勝てる札だ。

ハートの2はジョーカーを除いた正規のカードで最強の4枚の1つだ。

ダイヤのエースはといえば、2に次いで強いものの、特に役割がない。

と考えたところで、「あ、なるほど」と思った。

何がなるほどなのかについては、ぜひ読んで確認されたし。

 

 

スペードの3 (講談社文庫)

スペードの3 (講談社文庫)

 

 

バズマザーズライブ@新宿ロフト(5/19)

5/19は夜行バスに乗ってわざわざバズマザーズのライブに出向いた。

場所は新宿LOFT

それもこれも、バズマザーズは仙台には来ないと思い込んでいたからだ。

結果として4月下旬に仙台Hookにツアーで訪れることが決定したため、

わざわざ有休をとって狭苦しい夜行バスに乗り込み東京を目指す必要もなかったのかなと後悔が押し寄せないでもなかったが、まあ好きなバンドのライブなのだから文句は言うまい。

 

結果としては「馬鹿なげえ」ライブだったというのが総じての感想だ。

 

実に3時間30分。総曲数40曲。

足が棒になり、腰が蛇腹になった。

 

文科系な観客たち

前回バズマザーズのライブを見に行った(実際には聴きに行ったが汎用表現は「見に行った」)のは実に1年半ほど前。『怒鳴りたい日本語』のリリース直後のツーマン。

YellowStudsとのやつだった。

そこから時がたってややギャップだったのが観客の意外なおとなしさだ。

前回はもっと押し合いへし合いしていた気がする。ダイブはなかったと思うけど。

俺はいわゆる「踊れる」バンドが大嫌いで、日本人なんだから踊れねーよ、聴き入りてーよ、と思うタイプの人間なので文科系のその空気が好ましいはずだったのだが、

なんだか少し物足りなくも感じてしまった。

自分がダイブしたり財布を落としたり人を蹴ったり水をまいたりはしたくないし眉をひそめてしまうのだが、実はそれも含めてライブの醍醐味だと自分が感じていたのかな、と思う。

俺は実ははた迷惑なライブキッズあるある外の人だったのか。。。

 

思ったより千原ジュニアじゃなかった

バズマザーズのフロントマン山田亮一の歌詞が絶品だというのはファンの誰もが首肯するところ。

歌詞がうまいというのはすなわち「物事を見る視点が独特」「言葉選びが秀逸」「人の共感を呼び覚ます人間観察力&表現力」があるということなので、必然的に笑いを取る技術にも通ずることになる。

「傑作のジョーク」という最新アルバムのリードトラックも笑いをテーマとしたMVだったが、山田はMCが面白い、と思う。

その白い肌やでかい顔に痩せた身体、そして繊細な感性×トーク力から俺は「この人千原ジュニアに似てんな~」と以前はすごく感じていたのだが、久々に見るとそこまで千原ジュニアでもなかった。

いや、もちろんMCは面白く、熱く、だったんやけど前は声すら似てるように感じていたけどそれは考えっられへん――である。

ただ、昔とがってたけどいろいろなことを経験して今は「客を湧かすためなら何でもやるで」というかわいげおじさんになっているスタンスは、以前より千原ジュニアっぽいなと思う。

 

はぁちみつ食ぁべたいなぁ~~~~

…ワハハ!

 

似てない「プーさんのものまね」を一生懸命するというべたなやり方で、場の空気をチルアウトさせる山田。

突っ込む重松。

 

ホモ・ソーシャルな関係をテーマにした「ユナ」の前に重松に髪をいじられる山田。

そこにあるのはあざといほどの可愛げだ。

 

ハヌマーン時代の山田なら自我が邪魔してできやしなかっただろう。

それは成長であってほしい、ともはや若すぎるほど若くはない俺は思う。

 

長い本番

このライブが、ロマンティックな男女の一夜の甘い情交だとしよう。

じゃあ今はどのタイミングだと思う?

 

…答えは、まだ出会ってすらいないのさ。

 これが最初のMCで、俺は「こういうアメリカンジョークみたいなん好きやなー。俺も好きやけど」と思いつつ、あまり信じていなかったのだが、まさかのその言葉通りライブは3時間30分にも及んだ。

ロフトの借りる時間は大丈夫なんか?と心配になったほどである。

 

この後、

このライブが、ロマンティックな男女の一夜の甘い情交だとしよう。

じゃあ今はどのタイミングだと思う?

 

…今、まだラブホテルの部屋を選んでるところ。

 

というくだりも挿入され、俺は「ははーん」これで本番2曲くらいで「早漏ですやーん」(ギャフン)という落ちかと思ったのだが、本当に本番は本番で、10曲以上あった。

少し遅漏なくらいである。

 

ほかにも「マーボー豆腐のピリピリ感」などMCで楽しませてもらう部分は多々あった。

俺は正直ライブではMCを待ち望んでいる部分がある。

 

曲はライブアレンジこそあれ、今まで何度だって聞いてきたが、MCはその場限りの生ものだ。

「その場でしか味わえない感」がケチな俺には必要なのだ。

 

その意味では、Wアンコール1曲目の「君の瞳に恋してる」カバーは忘れられぬものとなった。

なんであの曲をやろうと思ったんだろう。

 

 

普通中毒

普通中毒

 

 

 

君の瞳に恋してる

君の瞳に恋してる

 

 

『喧嘩稼業8巻』―徳夫VSデミアン十兵衛決着。

この世で最強の格闘技はなにか―。

その一端が、垣間見えると銘打って開かれた格闘イベント陰陽トーナメント。

相撲、シラット、ボクシング、喧嘩……あらゆる格闘技の中で最強と名乗りを上げる12名の陰(古武術や地下闘技場出身など世間に知られない格闘家)と陽(横綱や金メダリストなど広い影響力とおおきな 名誉を持つ格闘家)が会いまみえる。

悪魔の頭脳を持つ高校生佐藤十兵衛は、因縁の敵、工藤を倒すため、あらゆる手を尽くしてトーナメントに参戦する。

 大まかにいうと上記のような話、喧嘩稼業の8巻の感想を書く。

 

この間はトーナメント一回戦第二試合、主人公十兵衛VS日本拳法の使い手で格闘の才能あふれる天才、佐川徳夫の戦闘の決着をメインに描く。

 

↓ネタバレ

 

 

 

 

 

 

 

佐川は意外と活躍してない

日本憲法の使い手であり、同じくトーナメント出場者である実の兄睦夫を凌駕する才能を持つ徳夫。野球ほとんど未経験の状態でプロのストレートを簡単に柵越えさせるほどの才能を持ち、格闘技の片手間にプロ野球選手をやろうとするなどのケレン味あふれる描写もあり、「これは天才だぞ、十兵衛はどう戦うんだ」と思っていたが何のことはない、終わってみれば一方的な決着であった。

 

その理由は、十兵衛の強さ(悪さ)が佐川初登場時より大幅に増していること佐川が技をほとんど出しきれなかったことの2つに集約されると思う。

 

十兵衛の悪さ、卑怯さがこの漫画の大きな特徴である。それは本来の作者の味である徹底的なクズさで周りや世間、芸能を笑い飛ばす俗なギャグマンガ成分が大きく影響している。ズルとわかっていながら対戦相手のの睾丸をつぶす、対戦相手に毒を仕込もうとする、セコンドを使って対戦相手に攻撃するなど、普通の格闘漫画で主人公がやっていたら、とても感情移入できない。それでも十兵衛が愛せるのは、ギャグマンガ成分でそのクズさも相対化して笑えるからだろう。

その十兵衛の悪さはどんどんエスカレートし、徳夫戦ではもはや臨界点を突破し、殺人すれすれの行為が行われることになるのだ。

とはいれすれすれというのがミソで、十兵衛は殺人に手を染めることだけは避けたいと考えている。

実際、格闘の末柔道家金田が命を落としたあとには(実際は旧友でありかかりつけの医師が殺したのだが)大きな罪悪感を覚え、写真に向かって手を合わせていた。

もう、しかしもう、そのラインまで行きついてしまった。さすがに意図的に殺人を行うキャラになったら倫理的にもキャラとして愛せるかどうか=漫画の面白さ的にも破たんしてしまうだろう。

その意味で、今後の戦闘でどのような切り口で十兵衛を強化していくのかが気になる。

まさか普通にフィジカルを強くしたり技を身につけさせたりするだけではあるまい。

 

佐川は正直いいところをぜんぜん出せずに終わった。終わってみれば十兵衛の踏み台みたいになってしまった。だから、今回の戦闘はほかのバトルに比べたら面白いとはいいがたい。

とはいえ、作者もそんなことは重々承知で、だから1巻分くらいでこの試合を終わらせたのだろう。

 

試合後はまたもや十兵衛の権謀術策

次はいよいよ因縁の工藤との試合ということで、精神面から揺さぶりをかける十兵衛。

工藤は前回の試合で死にかけている。

だから、十兵衛と試合をしたところで勝てないのではないか、という疑念が大きい。

その不安に応えるため、十兵衛が工藤に揺さぶりをかける描写を入れて逆説的に工藤の体はまだピンピンしていて姑息な攻撃をするに値することを示したのだろう。

正直、1日で優勝者を決めるトーナメントという設定は回復魔法の存在しないリアル系格闘漫画世界においてかなり苦しい足かせとなっていると思うし、ご都合のにおいも感じないでもないが……。

 

 

 

ジェットタオルという儀式

トイレで手を乾かすための公的な手段は3パターンに分けられる。

 

1つはハンカチ。基本的にはこれで拭くよう小学校で教わった。しかし、我々はたいして持たない。

こちらの調査によると、持ってるのは30代以下で50%を切っている。

chosa.nifty.com

 

2つはちり紙ハンドタオル。備え付けのハンドタオルは不特定多数の人間が触っていると思うと、たいへん気持ち悪い。そんなトイレ最近はめったにないけど。

 

そして、3つがジェットタオルである。

「ジェットタオル」の画像検索結果

Wikipediaによると、三菱電機の中津川製作所が作っているらしい。

というか商品名らしい。

宅急便がクロネコヤマトの商標なのと同じ理由だ。

ということは、ジブリが『魔女のジェットタオル』という話を作ったらちゃんとこのタイプのジェットタオルを出さないといけないんだな。

ちなみに正式名称は「ハンドドライヤー」。

 

とにかくだ、このハンドドライヤーってもはや儀式の道具に成り下がっていないか、というのが俺の問題意識である。

 

手をつっこむ

ブーンといわす

ちょっと振る

手を出す

 

このプロセスで本当に手が乾くだろうか?

多くの場合、そうではない。

大体の人間はこの儀式を申し訳程度にこなしてからハンカチを使うなり、ズボンの側面のところにばれないように擦り付けるなどして、手の水分を取り除くのだ。

 

なんでこんな儀式に付き合ってきたんだろう?

 

ほかの人に手を乾かしていないと思われるのが恥ずかしいから?

→ちゃう。一人のときもジェットタオルは使うのだ。

 

風が手に当たるのが気持ちいいから?

→ちょっとある。

 

気休め程度であれ、手を乾かしたいから?

→ちょっとある。

 

結構簡単に理由が2つも出てしまった。

まあ、それもある。あるにせよ、トイレなんて毎日毎日やってるんだから、こんな理由をいちいち意識してはいない。

無意識の、癖でやっている部分が大半であろう。

 

なんというか、シュールな時間であることは間違いないと思う。

世の老若男女がみなちょっとの快感と気休めと癖で、白いブンブン箱に揃えた掌を突っ込んでいるのだ。

かなり儀式的ではないだろうかこれは。

 

きっと宇宙人がやってきて、地球のトイレを視察したら、これには高度な宗教的意思が込められていると感じるに違いない。

 

そのときに備えて、手の平を上に向ける独特のスタイルでジェットタオルを利用しよう。

俺はほかの信者とはちょっと違うぜと、宇宙の奴らに知らしめるために。

 

 

 

『アルテ』―昔のヨーロッパを舞台にした話、かっこいい娼婦でがち

16世紀初頭、フィレンツェ。貴族の娘アルテは、画家になりたいという夢を持っていた。しかし、当時は男尊女卑が根強い社会。女は持参金を持ってよい貴族の元に嫁ぐのが理想とされていた。しかし夢を諦めきれないアルテはさまざまな工房に弟子入り志願。女ということで断られ続けるが、ひょんなきっかけから偏屈な画家レオの下で試練を与えられることになり、見事突破。一人前の画家となるために弟子として修業を積むことになる―。

 

御覧のとおり、設定としてはそれほど珍しいものではない。

その上、話も結構ベタである。

どこがベタかというと、まず主人公アルテのキャラクター

貴族の娘でありながら、おてんばで、そそっかしい。しかし、明るい性格でひたむきに前向きに仕事に取組み、決してあきらめない。また、すべての人に分け隔てなく接するまっすぐな性格で嘘は苦手である。

そりゃーこの舞台設定なら主人公はこのキャラになるわな、という感じだ。

続いて、娼婦ヴェロニカ

昔のヨーロッパが舞台の漫画、かっこいい娼婦でがち。

この漫画も御多分に漏れず、高級娼婦ヴェロニカが出てくる。そうそう、高級娼婦の名前はヴェロニカだよな。

ヴェロニカはアルテを気に入り、要所要所で助言をする良いお姉さんとして厳しい現実で彼女を導く。

最後に、仕事への熱い思いを秘めた偏屈男との恋愛

あらすじで誰もが悟ったと思うがアルテはレオに恋をする。とはいえ、その思いは早々にヴェロニカの導きを経て封印されるのが目新しい点といえるかもしれない。

いずれ再燃するのはわかりきっているし、それは大きな山場として作者も温めているに違いない。

今のところ2巻までしか読んでいないが、きっと4巻の終わりぐらいでそんなシーンがあるはずだ。

 

ここまでベタだベタだと言ってきた。

しかし、それは必ずしも悪口ではない。

絵が美麗だし丁寧にキャラの考えを描き、関係性を作りだしている。

別にそれだけでいいのだ。

家に帰って今日の現実から丹念に作られた気持ちの良い夢に飛び込むのだ(ベッドでなく)。

だからそのほうがいいのだ。

 

16世紀初頭といえばダヴィンチ、ラファエロミケランジェロたちが活躍したいわゆるルネサンス期であるが、それらのスターは登場させるのか、それともあくまでファンタジー世界のイタリアとしてアルテの物語を描くのか。

まだ読んでない3巻以降で気になるポイントである。

 

 

アルテ コミック 1-5巻セット (ゼノンコミックス)

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悲しきボディワイフ

今日は録画したワイドナショーを見た。

ゲストはデヴィ・スカルノ夫人。

 

デヴィ夫人アラン・ドロンとセフレだったのだという。

「あ~た、当時の社交界では恋愛はゲームだったのよ」

 

その話ぶりを聴いてさすがデヴィ婦人セフレここにあり、と思った。

 

3月に終わってしまったニューヨークのオールナイトニッポンゼロに「加藤ミリヤか!」*1というコーナーがあった。

 

加藤ミリヤか!

 

『デート、私の家ばっかりだね・・』の様な、

セフレあるある、セフレが言いそうな事を送ってください!

言いそうなことは「 」(かぎかっこ)で書いてもらえると助かります!

セフレとヤリマンは違うので注意してください!

メールの件名は「加藤ミリヤ」でお願いします!

「ニューヨークのANN0#23」

http://www.allnightnippon.com/program/zero/2016/09/ann022.html

 はがき職人日照りのニューヨークANN0の中では、そこそこ盛り上がったコーナーであり、俺も嫌いではなかったのだが、ある種の違和感もぬぐえずにいた。

 

その理由がワイドナショーの視聴により、わかった。

 

俺は、どちらかといえばセフレに陽気なイメージを、それこそ今回デヴィ夫人が言った社交界のフリーセックスのように、ラブイズゲームないイメージを抱いていたのだ。

だから、ニューヨークの物言いには乗れなかった。

 

俺がこんなにセフレにポジティブな理由をより深堀すると、たぶん「フレンド」という言葉に多大なる良いイメージがあるからだと感づいた。

セフレ=セックスしつつも友情をもって付き合うハッピーな男女関係と思っていたのだ。

しかし、ニューヨークいうところのセフレは「愛情を抱きつつも男側からは受け入れてもらえず、ただ体を交わすだけの悲しい関係」なのだ。

こんなのセフレじゃないやい!

と言いたいが、セフレがいたことがないので何とも言えない。

でも、やっぱり今の理論でいうと、もっと適切な呼び方がある気がする。

例えばボディーワイフとか、ボディステディとか。

この言葉を、ニューヨークのANN0がやってる間に送りたかった。

まあ、しょうがないからランパンプスにでも送るかな。。

 

 

WHY(初回生産限定盤)(DVD付)

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*1:このせいで加藤ミリヤが「モアナと伝説の海」で希望に満ちた歌詞を歌っていることに多大な違和感があった。

『ジンメン』―現時点感想

今日は、ちょっと前にバナー広告でバンバン宣伝されていたあざとい漫画『ジンメン』を読んだ。

しばらくWeb漫画を読まずにいたら、『サンデーうぇぶり』というWeb漫画サイトができたということで。

ウェブ漫画サイトを乱立してそこから人気が出た奴だけを猛プッシュ→単行本化で儲けるというのが最近の漫画界の手法なんだな。

いや、前からあった手法か知らんけど。

この漫画に原稿料とかって出てるんだろうか?

マンガ読むのもちょっとさぼったら時代に置いてかれんな……。

 

www.sunday-webry.com

現在41話ということで2時間で最新話まで追いついた。

 

ざっくり読んだ印象は「テラフォーマーズ×ハカイジュウやなこれ」である。

どっちかといえばハカイジュウ味が強い。

もっと言うとハカイジュウも数多あるパニックサバイバルSFの類型の1つだ。

あからさまにテラフォーマーズの虫を動物にしただけのところもある。

そういうあざとさがあるけれども、それらの要素のパッチワークがうまいので、あからさまにパクリだけの話とも言えないのが、作者の巧みなところであり、漫画界の地下闘技場みたいなところから頭一つ抜け出せた理由なのかなと思う。

 

「この作品を読者はどうとらえるか」とちゃんと考えている作者だと思う。

 

周りの人間はパニックに陥る中で一人別の視点からものを見ることのできる主人公、主人公の原動力は幼馴染の美人を守ること、あからさまに主人公太刀を裏切るやつらが出現しそいつらはすぐジンメンに悲惨な目にあわされる。

 

これらはめちゃくちゃベタ。これらだけなら、読んでもしょうがない。

 

しかし、動物好きの主人公がパニックの中でも和解の道を探る、というのはドラマを生む、とても素敵な設定だと思った。

 

主人公と旧知の敵が最後に心を取り戻し、蜜月のときを思い出しながら死んでいく、というのはやはりたいへん熱い展開だ。

バトル漫画では、ありがちなことかもしれないが、こういう人外パニック系では珍しいアプローチだと思う。

 

また、主人公が和解の道を探る、とは言いつつもそのためにほかの人間の足を引っ張る場面は巧妙に避けられているのもストレスレスでよかった。

ゾンビ物で半感染者を生かすか殺すか迷って、主人公側は守ることを強固に主張して、結局ゾンビパニックが起こる、という残念展開にはもううんざりである。

緊急時に危機感がなく周囲に迷惑をかける人間が主人公ではとてもじゃないが感情移入できない。

その点、『ジンメン』では主人公が敵側(ジンメン側)につく場面は、どうあがいても結果は同じ場面ばかりで、言葉でうだうだ主人公が持論を語るところも比較的少ない(あるにはあるが)。

 

基本的にはびっくり箱漫画(衝撃的なシーンのどきどきで人を惹き付ける漫画)で、「これが生涯ベストの漫画です」という人は考え難いが、日々のストレス発散としてびっくり箱開きつつ物語成分も取り入れたいという場合にもってこいな、理想的無料Web漫画でした。