台風の日の学校
台風は非日常を連れてくる。
学生時代、我々が文化祭準備に精を出す8月には必ず台風なんとか号がやって来ては学校に閉じ込めた。
精を出すといっても自主的なものではなく、ほぼほぼ奴隷労働も同然の単純作業担当となり、段ボールを切ったり発泡スチロールを結合したりしていただけである。
それは何のための作業なんだ?
と問われればお化け屋敷作りのためだ、年か言い様がないし、お化け屋敷作りだなんて児戯そのものだといわれれば、何も否定する言葉を俺はモテない。
それでも、台風で封鎖された学校の空気感は好きだった。
俺の通っていた高校は――今では珍しいのかな――内装は完全木造で校舎には世界大戦の爪痕が残されているほどの旧弊的なものだったため、校舎は良く軋んだ。
このままオズの冒頭のごとく飛ぶ教室となって、知らないところに漂流できるんじゃないかと思ったのだ。
その結果ぺんぺん草1つ生えないのに巨大サソリや巨大ヒトデが跋扈する世界に飛ばされたってかまわない――とは、口が裂けても言えないが、スウェーデンの野っ原に着地できるなら少々の手負いは厭わない、と思う程度の本気度ではあった。
今日は台風の日だ。バスは遅れ、窓は曇り、俺はこのバスごと何処かへ飛ばされていっちゃくれんか、と不謹慎な願いを学生時代のあの気持ちを噛みしめている。
もうほとんど味のない、青春の十二番出汁を堪能している。
た
『ドリーム』(Hidden Figure)感想
完璧な物語にはよく、「言うことがない」という形容がなされる。
これはすなわち「文句のつけようがない」という意味なのだが、
同時に「語りようがない」ということでもある。
これはすなわち映画を観た感想を書き散らすことを趣味にしている人間にとっては
ちょっと困ることだ。
ドリームはそういう、「語りたがり屋」をちょっと困らすような、正しさ、・面白さのレベルが限りなく高い位置でバランスを保っている作品で、まいった。
(こういう感想を抱く資格があるほど俺は映画詳しくないけど)
あらすじ
冷戦下、まだ人類が一度も宇宙に到達していない時代。アメリカとソ連はどちらが先に有人飛行を成功させるかに国の威信をかけ、競争に明け暮れていた。むろんアメリカにおけるその中心はナサ。ナサには「計算係」という部署があり、その部署では多くの優秀な黒人女性が不当な扱いを受けつつ持ち前の数学力・科学的知識を発揮する機会を狙っていた。そのうちでも大きな功績を残した女性が3人いる。たぐいまれなる数学力でスペースシャトルの軌道計算に携わったキャサリン・G・ジョンソン。米国発の黒人女性技術者となったメアリー・ジャクソン。プログラミング言語を駆使し、また管理職として多くの計算者を導いたドロシー・ヴォーン。キャサリンをメインのキャラクターに据え、3人の黒人女性がいかに偏見や差別と闘いながら宇宙計画に携わったかを描く。
タイトル問題
この映画が日本のアーリーマジョリティの注目を集めるきっかけとなったのは、タイトル騒動だろう。原作タイトルは『Hidden Figures』。それが『ドリーム~私たちのアポロ計画~』という邦題に改題され、あまりに内容と違いすぎるということで多くの非難を浴びた。
その結果、『ドリーム』というシンプルの極致的タイトルに改題されたわけだ。
う~ん日本っぽい経緯。。。
とはいえそのまま『ヒドゥン・フィギャーズ』では「どんな話なの??」ってなるだろうしなかなか邦題のセンスが問われる原題ではある。
『隠れた偉人』とかもあまりにで伝記っぽすぎるしね。
人間将棋説
人間を何かに例えて理解した気になるゲームほど面白いものはない。
この場合の面白さとは、カイジの兵頭会長とかが言うところの「面白い・・・!」を100,000倍矮小にした感じのもの。
そんなのわかってんだ、と保険をかけておく。
「凡人は歩だ」と考えてほしい。決して一回で何マスも進めるわけではないし、基本的には切り札として期待されるわけではない。前にしか進めない。成長を遂げることでやっとどこへでも進める。それまでは1方が1方の前に出てその進路を阻害することは許されない(二歩)。
「超天才は飛車角だ」と考えてほしい。縦へ、斜めへ、いくらだって跳べる。一発で凡人1人ならすぐに殺すことが可能だ。高飛車な若い時期を超えて成長したらいよいよどこへだって進める。それは、天才がある道で天才だ、と認められたならば他の分野でも一家言持てるごとしである。
「天才は香車だ」と考えてほしい。一方にしか進めない。ただ、その道でならばすぐさま突出した才能が発揮できる。だけど、戻れない。成長を遂げたら(金に成ったら)それまでの才能は失われてしまう。万能ではないが、一転において他の追随を許さない、それが香車の天才たるあかしだ。
「秀才は金銀だ」と考えてほしい。最初から視野の広い凡人相当の力は備えている。視野が広い。だから、最終的に対局に絡んでくることもしばしばだ。ただ、相手にとられてもしかたがないデコイとして 用いられることも少なくない。世の中の最大の歯車であり、だからこそ交換されやすいのが秀才だ。
「奇才は桂馬だ」と考えてほしい。突拍子もない結果を出す。果たしてそれがいいものか悪いものかの判断もつかないが、二者択一を攻められる場面などでは特記すべき効果を発揮する。
じゃあ王はだれだ?
「王は赤ン坊だ」と考えてほしい。どこへだって行けるのだ。取られたら終わりである。なんか主張したい文章みたいになった。
複雑かつポップで怪奇FEEDWIT
FEEDWITというバンドがもっと評価されるべきという話をする。
変態の曲展開じゃないですか?
16/16拍子で展開するリズムの細かさの中でどんどんテンポチェンジをかましてくる。
音の空間の作り方もどこか変わっている。
全体の構成を書き起こすと
イントロ→リフ→Aメロ→Bメロ→サビ→Aメロ→ブレイク→リフ→Cメロ→Dメロ→サビ→Eメロ→イントロ→リフ’→Aメロ→Bメロ→Aメロ’
最近の曲でよく使われるフレーズに「別々の2曲をくっつけたみたい」というものがあるが、まさにそれだ。ほかのそれ以上にそれなのだ。
そういう意味では流行っぽいバンドかもしれないが、(男女混成だし、)やはりそこに収まらないくらいの過剰さがある。方角の流行という画面に収まっていない。
この最新曲なんて特にそうで、東京事変っぽいところもあれば50回転ズっぽいところもあればTOMOVSKYっぽいところもある。
だから、以下のようなコメントも理解できる。
各人が才能あるのは分かるけど、才能やら個性やらを一曲に詰め過ぎかな?
(「執着に心」YOUTUBEコメントより)
昔エレカシのミヤジがラジオでアナウンサーに際しなるバムを指して「一見食べづらいんですけど一回口に入れたらこんなうまいもんないや」という趣旨の感想を言われて「じゃあ食うな!吐け!!」と切れた一件があった。
その表現を借りるなら、「一見食べやすいけど食べたことない味すぎて「これ美味いのか???」てなります」だ。
でも、きっとうまいに決まっている。もうちょっと人類(俺)が成長しないと味がわからないんだ。
FEEDWITのVo.&Gt. 武藤弘樹(写真左から二番目)がアレンジして引いてみた音源。
ここから読み取れる(聞き取れる)特徴は
①4拍子目に置くアクセント
②リズミカルなミックス
③コーラスがコーラスの域でなくメロディになっている
④クリーントーンが細かく鳴らすオブリガード…
上記のような部分だろうか。
「前々前世」をアレンジするなら、某ガチョウのハウジングみたいにアコースティックにしたり、ジャズ風にしたり、というのが思い浮かぶが、ここまで同じ方向を向いたアレンジ(疾走感×ハイトーン男声)なのにこれほど自分のものにできてるのはやっぱり只者ではない。
この人がバンドの方向性を作っているんだろうなあ。
Twitterを覗くと「前まで死にたかったけど今は音楽に向き合ってから死にたい」という趣旨の発言をしていたので今後もいい音楽を作ってくれるはずだ。
とりあえずライブを見に行きたい。それだけ。
冗談手帖(10/18)#45ロマン峠
『ブスの瞳に恋してる』のヒットから態度がでかくなった(ようにTV越しに見えた)結果お笑いファンのヘイトを集めた鈴木おさむを見直すための番組、「冗談手帖」。
第45回のゲスト芸人は人力車所属のキャラコント師「ロマン峠」。
ピンクおばさんの推薦で、虹の黄昏・町裏ぴんく・ねじに続く第4段の芸人として紹介ッされたコンビだ。
「最強ネタ」→人見知りのキャッチ
・友達と待ち合わせる井上はひどい吃音かつ挙動不審な男に声をかけられる。その男は、人見知りのキャッチで――。
感想
「最近ここまでキャラに入り込むコントも珍しいね」という鈴木おさむの一言は分かるようなわからないような……。鬼が島とかロバートとか、最近だとはなしょーとかふれんちブルの方が強いだろ、と思ったが、確かに”キャラの強さ”と”キャラに入り込むは違うのか。”地味な見るからに”コント師”って感じのでこういう正統派のキャラコンとは珍しいのかも
「実験ネタ」→不倫の謝罪会見
・不倫の謝罪会見を開いた井上。平身低頭に謝るが、マネージャーが井上以上に反省の態度を示していて――。
感想
「役者がやった方が面白いネタに見える」という鈴木おさむの評論には思わず膝を打った。まあつまりそれがキャラに入り込むコントということなのだろう。
それに加えて浮かんだのが「平岡ばっかりしゃべってる……」という感想だ。 突っ込みが弱い。むろん、世界観を壊さないため、平岡演じるキャラを生かすため、という計算があるのだろうが、世界観自体ぼけてるコントの破壊力に対抗するにはキャラクターの強さと当人たちの演技力が足りていないよなあ、、、と。
やっぱり地味で正統派すぎてささみ食ってるみたいな気持ちになっちゃうんだよなあ。
以上、若干薄味に感じてしまったコメントになった。トークやロケでの2人の普通ぶりも手伝ったのかも。もちろん「人見知りのキャッチ」とか「不倫会見でマネージャーの方が反省してる」とか面白シチュエーション創造力にはたけてるし、田柄こそピンクおばさんも認めてるんだろうがね。
あ、そうそう井上が甘いマスクと紹介されていたが、俺は平岡の顔の方が好きです。井上は声がいい。
バカは風邪で死ぬ
体調があまり良くない。
とにかく鼻がむずむずして、くしゃみが出る。くしゃみのときに全身をこわばらせてしまうので、筋肉が無駄に緊張して神経を圧迫し、痛みが走る。頭はぼーっとして口の中は鼻から流れ落ちら鼻水と唾液が混然一体となっており、20代女子にキスしたくない口ランキングを取ったとしたら、第一位が俺の上の口である。
バカは風邪をひかない、という。
俺は長年風邪をひかない人間であった。
と思っていた。
しかし思い返せばこういう状況は季節の変わり目に毎回訪れていた。
そのたびに俺は煎餅布団にもぐりこみ、脳をなるべく機能させずに情報を通過させる娯楽(Twitter閲覧とか)をしていた。
なんかからだがおかしいなあ……と思いながら。
あれこそが風邪だったのだ。孔子は15歳で学問を志した。俺は齢24にして風邪を知った。
つまりここから転じて得られる教訓は、「馬鹿でも風邪をひく。が、風邪をひいたことに気づかないので風邪を引いたことになっていなかった」ということである。