『怪盗ルビイ』80点 ピカレスクアイドル映画inバブル
アイドル映画とピカレスクって珍しいでしょ、という文脈で感想を述べようと思ったのだが、『セーラー服と機関銃』(1981)とかあるし、その取り合わせの妙から、逆に王道になっているパターンなのかもしれない。
時はバブルまっただ中(1988)。金がうなる街の中では窃盗や詐欺はその字面ほど深刻なものではなかったのだろう。その”ちょっとした犯罪”的な軽さが気にはなるが、それすら、キョンキョンの”輝き”が覆い隠してしまう。
そんなアイドル映画。
ストーリー
母親と二人暮らし、アイワメールシステムで働く冴えない男、林徹(真田広之)。
彼の住むアパートの2階に加藤留美(小泉今日子)が越してくるところから物語は始まる。
昼間はスタイリストを営む留美は、徹に言う。
「それは夜をしのぶ仮の姿なの。本当は私は、犯罪者なの。さしあたっては泥棒をしようと思っているわ」→「手伝って」
徹は、留美=怪盗ルビイの計画に協力者として巻き込まれていく。
所感
和田誠が監督をしている。
俺の中では週間文集の阿川佐和子のエッセイのイラストレーターで
トライセラ和田(略すとピン芸人みたいだ…!)の父親というイメージでしかなかったが、映画も撮っていたのか。
しかも、Wikiをみるとすくなくとも8作品の監督を担当している。
多彩である。
さて、その内容はというと、ド直球のアイドル映画であった。
キョンキョンが衣装を変え、ねじの抜けたような発言をし、真田広之を振り回す。
(あぁ~俺も振り回されてえー!)
当時の非選択的な禁欲主義者たちはそう思ったに違いない。
(チューしてえー!)
バブルとアイドル
今や不倫おばさんとなってしまった小泉今日子(52)だが、この当時のキョンキョン(22)の輝きと言ったらすさまじい。
アイドルとグラドルの違いとはなにか。
それは、「セックスしたい」と思うか否か*1だと俺は思う。
その意味で、この作品のキョンキョンは完璧にアイドルだ。
ただただ振り回されたいし、汚されたり汚したりするところは見たくない。
それゆえ、真田広之のひたすら受け身で言うなりな姿勢が適している。
普通に考えたら、こんな男はクソである。気が弱く、かといって優しくも面白くもなく、頭も悪い。見た目もさえない(真田広之エラい!)。
…と思ってキャプチャをとったけどやっぱり結構かっこいいな。
とはいえ、内面はクソである。
いうまでもなく、これはキョンキョンオタクが感情移入するためにつくられたキャラクターであるわけだ。
そして、この2人以外のキャラクターはがっつりモブである。名前も出てこない。徹の恋敵にあたる陣内孝則でさえ、総登場時間は3分以下である。
セカイ系である。
だから、2人以外のセカイは単なる背景にすぎず、したがってカバンをすり替えたうえ感謝とキャビアをだまし取ろうが、未遂に終わったものの銀行強盗を企てようが、宝石屋が名誉のために警察に出頭できないのをいいことに詐欺を仕掛けようが、それを物語の終わりでも反省せず、しっぺ返しもなかろうが、この作品のなかでは許されるのである。
バブル崩壊とポストモダン以後の僕たちとしては倫理的に納得いかない部分もあるが、バブル時代のアイドル映画の正解はこれなのである。