裸で独りぼっち

愉快な毎日の記録

バズマザーズ「ムスカイボリタンテス」感想 #0 全体

aituはバズマザーズ中二病だという。

 

俺は「中二病じゃない! もうちょっと先をいっとるわ」と思うが、自作の詩にメロディを付けて聴衆の前で発表するという時点で、そもそも、表現とは中二的なものだ。

 

しかし、しかしである。バズマザーズは、明らかにそれを自覚していることを前提に成り立っている表現なのだ。

 

誰にも奨めなくて良いよ お前が百万回聞いてくれたらそれで良いよ

『スクールカースト』

 

――矛盾した言葉。

確かにそれは間違いない。ただ、双方が真実であるのは確かだと思う。

『遺書』や『太宰』を持ち出すまでもなく、矛盾した発言は天才のお家芸だ。そして、それは実のところ矛盾ではなく、真実が2つあるというだけである。

 

俺の知らない遊びを知ってそうで
嗚呼なんか急に虚しくなる

『猿の学生』(ハヌマーン

 

誰も海の広さ等、漠然としか知り得ないし
井の中一生を終える蛙程、自分と向き合う事もない

『敗北代理人

俺の知らない遊び方を知っている奴らにむなしさを覚えた季節から、

誰もすべてを知り得ないという人生をかみしめる季節へ。

 

山田亮一の詩の世界は「俺」から「俺を含む世界・人生」へと広がっている。

Twitterを始めたり、ゆれるのあみと活動(フタリエッヂ)を始めたり、

 作詞講座を開いたり、加藤マニにPV制作を頼んだり。

 

そういうのって泥臭さが抜けていくようで(普通のバンドマンみたいで)いやだなと思う嫌なファン心理が心に浮かびそうで、浮かばない。

どんどん自由になって行く。

 

ムスカイボリタンテス=飛蚊症は、加齢とともに目の硝子体が委縮することで生じる(生まれつきもある)。

 

感性が鈍くなっていく 本当はそれが何よりも怖い

『恋文は下駄箱の中』

 

それは芸術家としてあまりに切実な詩で、空で口ずさめるほど頭に残る一節だが、

それすらもやはり片面の真実でしかない。

 

 目が委縮しようが、感性が鈍くなろうが、続いていく。

人生とはまだ呼べないほどの何かが。

 

 

ムスカイボリタンテス

ムスカイボリタンテス

 

 

『犬ヶ島』80点 楽しくて眠かった

楽しくて眠かった。

作家性が多分に発揮されている系のアニメはいつもそうだ。

あ~楽しくて素晴らしい世界なんだけど、ずっとここにいたら寝てまう…という予感が初めからあり、後半は睡魔との闘いになる。

ちょっとアートに近い感覚と言うか。

美術館でもこういうインスタレーション作品ありますよね?

 

ストーリー

日本、ウニ県、メガ埼市。

犬だけが感染する病の蔓延により、犬たちはゴミの島に輸送され、棄てられることとなった。

最初の犠牲犬は犬放逐計画の推進者、小林市長の甥のボディーガード犬のスポット。その後も犬たちは鉄製のケージに閉じ込められ、ゴミ島=犬が島に放逐されていく。

 

そんな犬が島で暮らす犬が5匹。

教師に飼われていた、レックス。

ドッグフードのCMスターだった、キング。

野球チーム「ドラゴンズ」のマスコットだったボス。

抹茶アイスが好物のデューク。

そして、ひねくれものの野良犬、チーフ

 

その前に、スポットの飼い主であった小林アタリ少年が、ボロボロの飛行機で、不時着する。

 

所感―リアリティとアニメーション

なんであんなに面白いのに眠かったんだろう…と深く自己について省察してみると、 ”感情移入できなかったから”

という答えに思い当たる。

 

勿論、ウェスアンダーソンはそんなこと求めていない。

この話は現代のおとぎ話であり、寓話である。

だから主人公小林アタリ少年は何の説明もなく飛行機を操縦でき、犬のけがを治療できる天才性を発揮するし、謎の留学生が物語をかき回すし、市長と市民が舌戦を繰り広げて政策を決めるというトンだ市政(しかも不正しまくり)が行われている。

 

そこに乗れなかったんだなあ。

 

感情移入はエンターティメントの基本なので、やはりそれイジェクトして”独自の世界観”を押し出すのはアート的だと言わざるを得ない。

 

それゆえ、ウェスアンダーソンの作品は”好きな人は好き”なのだ。

 

主人公の話し方のたどたどしさ

 ずっと作品内で気になっていたのがコーユー・ランキンくんの吹き替えである。

イクゾォォォォォォ

 

youtu.be

 この発音のたどたどしさ、普通だったらアウトであろう。

 しかし、この作品ではそれを良しとした。

 

つまり、それは、意図的なものだということだ。

その意図とは、ウェスアンダーソンの美意識であり、『グランドブダペストホテル』から持ち味で会ったシンメトリー性を象徴する、ということだと思う。

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英語が中央、日本語が左右、あまり意味はわからなかった



英語が中央に、日本語が左右に、というデザイン性重視の字幕の出し方や

茶髪パーマの留学生がコテコテのセーラー服を身にまとっている点

メガ埼市、という名前など、この作品は欧米と日本を均等にミックスした世界観を

明らかに意識している。

 

その1つとして、英語と日本語の入り混じった吹替=コーユー君のたどたどしい発音があると思うのだ。

 

社会風刺

 この作品は、これまで書いてきたように非常に”個人的”な趣味に基づいたものであり、

社会風刺とは本来最も程遠いといっても良いと思う。

 

それでも風刺ととられる意見があるのは、濃い個人的な日本っぽさ(決して政治的でなく)が詰め込まれているので、見る人がそこに自分の問題意識を照らし合わせて勝手にストーリーを読み込みやすいからだろう。

 

それは悪いとは思わない。

でも、フラットに映画を見たらやっぱり日本風異国のアニメ~ションであり、”ここは日本ではない”はずだ。

 

「個人的なことは社会的なこと」というが、やはり第一義には「個人的なことは個人的なこと」であり、わざわざ極東の島国を愛し、わざわざストップモーションアニメという面倒な手法を使って、物語として紡ぐ、1人の変人の酔狂さを愛すために行くというのがおすすめの楽しみ方だと言いたい。

 

キャスト・スタッフ

主人公:小林アタリ(コーユーランキン)

アタリの尋ね犬:スポッツ(リーヴ・シュレイバー

捨て犬だが実は…:チーフ(ブライアン・クランストン

小林市長:野村訓市(日本の設定監修にも深く関わっている)

渡辺教授:伊藤晃

科学者助手ヨーコ・オノ(オノ・ヨーコ

制作:インディアンペイントブラッシュ

『万引き家族』87点 隔たりこそが愛を生む

※ネタバレがあります

重大なネタバレになるが、万引き家族は、家族全員が万引きをしているわけではない。

食人家族とかソニービーン一族みたいに一族総出で万引きのテクを磨き、イ●ンやコ●プを阿鼻叫喚に追い込む話ではないのだ。

 

是枝監督の作品を追ってきた方からすれば、当然のことかもしれないが、「登場人物に肩入れしすぎず、ただ撮る」という姿勢で、登場人物の過去や行く末にどうしたって思いを馳せてしまう物語となっていた。

 

万引き家族は、完結せず、俺たちの胸中で集合・離散を繰り返し続けるのだ。

 

ストーリー

柴田治(父)・信代(母)・亜紀(妹)・祥太(息子)・初枝(祖母)の5人は猫の額ほどの長屋に住まい、万引きを家計の足しにしていた。

――お嬢ちゃん、コロッケ、食べる?

ある日の万引きを終えた帰り、治と祥太は外でおなかを空かせて立っている5歳の女の子、ゆりを拾う。

ゆりを元の家に帰そうとしながらも、虐待の痕や両親の争いの声を聴いて返せなかった治たち。ゆりの本名がじゅりであること、両親が被害届を出したことを見て、じゅりを”りん”と改名させ、家族となっていく6人。

しかし、初枝の死をきっかけにその日常は崩れていく。

キャスト/スタッフ

父:柴田治(リリー・フランキー

母:柴田信代(安藤サクラ

妹:亜紀(松岡茉優

息子:祥太(城桧吏)

祖母:初枝(樹木希林

りん:佐々木みゆ

4番(覗き部屋の客):池松壮亮

女刑事:池脇千鶴

男刑事:高良健吾

監督・脚本・編集・演出:是枝裕和

音楽:細野晴臣

製作プロダクション:AOI Pro.

 

所感―フラットな視点、開かれた結末

この映画は3幕で構成されており、1幕目は万引き家族へのりん(じゅり)の受け入れと日常、2幕目は祖母の死をきっかけとした万引き家族の危機、3幕目が瓦解した後の元万引き家族を描く。

 

全員が同じ苗字を持ってはいるが、心を完全に許しあっているわけではなく、実は、本当の家族でもない。

治・信代はただのカップルで、子どもはいない。昔、治は信代の旦那を殺している。正当防衛は認められたが、死体遺棄等で実刑をくらったものと思われる。

祥太は治の本名。生まれたときに付けられた祥太自身の名前はわからない。おそらく、パチンコ屋で蒸し風呂状態だったところを治と信代に救われ、そのまま攫われたのだと思われる。

亜紀・初枝は実の孫と祖母。亜紀が何かをやらかしていらい、実家にはいられなくなっている。実家では亜紀は留学しているという設定。

 

治・信代は初枝の年金を当てにしており、亜紀・初枝もそれを察しているが、普段は口には出さない。

 

これ以上の設定は、終わっても明かされない。

そして、離散した万引き家族のそれぞれがどう生きるのかも明かされない。

 

この映画のラストカットは虐待する実母の家の前でビー玉で遊ぶりんの姿。

りんはこれからどうなるのか、殺されるのか、生き延びるのかもわからない。

 

祥太はずっと、治のことをとうさんと呼べずにいる。

そして、ついに作中では呼べずに終わる。

 

そして、父にならないのだ。

でも、いつかはなるのだろうか。

 

かくて視聴者は宙ぶらりんにされる。

いわゆる”ある視点”といいますか、ドキュメンタリーチックな撮り方はなるほど映画賞向きである。

「この作品が一番面白かったかはわからないが、最後にはこの作品のことしか覚えていなかった」。

カンヌの審査員はそう言ったんだろうなあ。

 

隔たりこそが愛を生む

この映画の前半において顕著な撮り方なのだが、基本的に、大事なことは「奥」で起きる。

寄りではなく、徹底的なヒキの演出が日常をとらえている。

例えば、最初にりんを見つけたときは団地のフェンスにさえぎられていたし、

    治が祥太からスイミーの話を聞くときはえらく上空から撮られていたし、

    亜紀と4番の出会いはマジックミラー越しだし、

    予告のサムネにも使われている花火を仰ぎ見る家族は屋根と生垣越しだ。

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そして何より、「万引き」は遮蔽物の向こうで行われるものだ。

 監督って、台詞をしゃべっているその人を映さないんだなと出来上がったものを観て思ったんです。だから観る人が本当にその場にいるような気持ちになって、一緒に呼吸をしていられるんじゃないかな。

『『万引き家族』安藤サクラ 単独インタビュー』(シネマトゥデイ)

 その理由は、上記で安藤サクラが分析しているような臨場感の演出であるとともに、

「間接的に接するからこそ、最良の関係性は生まれるんじゃないか」という監督の哲学も現れている気がする。

 

だから、疑似家族なんじゃないか。

 

そのため、はっきりと向き合ったり、照らされる場面の後ではロクな頃が起こらない。

 

海辺でまじまじとピン写された初枝はその翌日に亡くなるし、

電灯に照らされた一家はついに警らに罪を暴かれる。

 

秘密を暴き立てたり、はっきり向き合ったり、そういうお題目で壊れてしまう日常はある。

奇しくもこの映画自体が”そういう秘密を世界に向けて喧伝している”とバッシングされているのは皮肉なことであるが。

 

俺自体は、まあこの書きっぷりの通り、おそらく大勢の一般人と同じく、これがカンヌを取ったところで恥とは思わない。

だって、あんな状況だったら普通に万引きするだろ。

逆に後半で祥太に倫理的葛藤が生まれたことにビックリした。

生まれたときから万引き三昧で暮らしてたら万引き悪いとか思わないのではないか?

生まれたときから万引き三昧の人に聞いてみたいものである。

www.huffingtonpost.jp

リリーフランキーのおしり

めちゃくちゃ綺麗だった。

もう一度見たいと思って「リリーフランキー お尻」で検索したが出てこず。

みんな、見に行った方がいいよ(ケツを)!!

『親切なクムジャさん』90点 殺しのスカッとジャパン

※ネタバレがあります

つい先日、韓国旅行に行ってきた。

そのときに、街中で目についたのが「クレヨンしんちゃん」の人気っぷり。

 

「신짱구」(シンチャング)という表記が土産物屋にあふれ、しんちゃんのプリントされた靴下、傘、ハンカチなどが売られていた。

 

このパク・チャヌク復讐三部作の最終作『親切なクムジャさん』には、「がっちゃん」がでてくる。

言わずと知れた鳥山明の超ヒットギャグマンガに出てくる宇宙人のガキだ。

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がっちゃん(赤丸部分)

 

しんちゃんとがっちゃん(『Dr.スランプ』)。この2作に共通するのは、子どもの天真爛漫さゆえに生まれる下品なギャグであろう。

 

親切なクムジャさん』からも、同種の印象を受けた。

なんて天真爛漫な復讐劇なんだ。

 

ストーリー

その女子刑務所には、顔の光る女囚がいる――。

美貌を持ち、幼児誘拐・殺害の罪で投獄されていたクムジャは、13年の刑期を終え、投獄を解かれる。

彼女は、署内での献身的な態度から「親切なクムジャさん」と呼ばれ、ほかの囚人たちに慕われていた。

その献身的な態度には、理由があった。クムジャは、無実の罪を着せられていたのだ。

真犯人であるペク先生に復讐するため、女囚たちの協力を得て、クムジャは真犯人を追い詰めていく。

 所感―画面が綺麗、韓国のセンス

この映画のシーンは常に美しく、ときにシュールだ。

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犬と化したペク先生をクムジャさんが引きずるシーン

現代絵画のような色づかいの妙。

復讐モードと化したクムジャさんは赤いアイシャドウをまとう。

戦いのメイク……!(Ⓒゴージャス・アイリン)

それが、イ・ヨンエ(『チャングムの誓い』、主演で有名)の白い肌に映えまくる。

 

色使いだけでなく、構図や編集もしっかりと工夫がなされており、ある種アニメを見ているときのような”見ているだけの快感”を味わうことができた。

それだけで、一定以上の視聴価値はあると思う。

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英韓辞書とイメージの2画面構成で心証を語る

これらの美しさは、現実から少し浮いているタイプの、まさにアニメ的なもので、それゆえに”リアルドラえもん”を見ているようなシュールさは常に存在していた。

そのバランスがあるからこそ、この作品はなんとも不思議な”復讐コメディ”としての魅力を発している。

その点、真面目に考えると「ハァ?」なところもあるのだが、この作品に関しては作り手が自覚的なこともあり、作品としてのバランスは崩れつつも成立していたのではないか。

そう思う。

 

殺しのスカッとジャパン

この映画の一番のユニークなポイントは、後半の展開―被害者全員で復讐する―だろう。

ペク先生が4人の子どもを殺していることを、ケータイに付けらえたキーホルダーから察したクムジャさんは、その被害者家族を呼び寄せる。

そして、廃校の一室にて繰り広げられる被害者家族のリアクション2コマ漫画と、復讐会議。

 

 「やるなら一気に片付けよう」

「個人的な問題は別にしたいわ。 パパ、そうよね」

「1人じゃ怖いと思うわ 危ないし」

「トイレと同じ 1人でするものよ」

 かくして議論の末、しっかりペク先生は惨殺される。

 

犯罪被害者が加害者を前にして許すことができるのか、いわゆる”復讐もの”の映画ではよくあるテーマで、そのポイントをめぐってえんえん議論が停滞するつまらない映画もごまんとある中、この決断は「えー!! それでいいのか倫理観」と思いつつもスカッとする。

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被害者夫婦の2コマ漫画

そう、この作品は殺しのスカッとジャパンだ。

コメディでもあるし。

 

ただ、もっとアートで、シュールで、R-18なだけ。

 

・クムジャさんはどうしてあれだけ殺人を起こして逮捕されないのか

女子刑務所自由過ぎじゃないか

・被害者家族納得早くないか

・白人の里親家族フランク過ぎじゃないか(殺人犯の実母にすんなり娘預ける?)

 

上記のようなツッコミポイントもスカッとジャパンじゃよくあること。

 

これは決して批判ではなく、”復讐”というテーマを単なるアクションではなく重い何かとして描きながら、これだけスカッとした作品に仕上げられる、韓国人監督パク・チャヌクの奇怪なセンスへの賛辞である。

 

そしてその背景には、「天真爛漫な下品さ」を愛する韓国人の、日本人からしたら一個ネジが飛んでると思われるような笑いのセンスがあるような気がするのである。

 

NANTAとかも、日本だったら「食べ物を粗末にするな!」っていう苦情を懸念してストップされそうでしょう?

THE NANTA

 

 

 

キャスト/スタッフ

主演:イ・クムジャ(イ・ヨンエ

真犯人:ペク先生(チェ・ミンシク

魔女:魔女(コ・スヒ)

クムジャさんの娘:ジェニー(クォン・イェヨン)

監督:パク・チャヌク

 

 

 

『レディ・バード』97点 ”青春は情報量が多い“と青春映画は言う

 ※ネタバレがあります

 レディバードレディバード、お家に飛んで帰りましょ

マザーグースより

 

 監督グレタ・ガーヴィグは、映画を撮りだしてしばらくしてから、母が子どもの無事を案ずる気持ちが唄われたこの歌のことを思い出したと語るが、そんな穏やかな話ではない。

 

青春は情報量が多い。

 

<青春>  アオハル かよ」に見られるような青春に対する大人たちの憧れ、期待、スケベ心。

それら羨望の対象となるのは、学校という箱庭の中で過ごす、青春というある一定の期間の濃度が、明らかに大人になってからよりも濃いからだ。

 

それは大人になっても懸命に毎日生きてるだかどうかで違うだとか、そんなうすら寒い自己啓発の言葉を鼻で笑って寄せ付けない。それほどに、世界を知らな過ぎていて、回数を重ねてなさすぎる。

 

レディには漠然と都会の大学に行きたいという思いがあるが、同時に初めて免許を取得して運転席から見た街のそこかしこに新たな何かを見つけ、後ろ髪を引かれる。

 

その、”気づいてしまった”瞬間。

 

地元に縛られているという枷が取れ、その代わりに一生都会を夢見て青春を過ごすという可能性が閉じた瞬間はとてつもなくエモい。

 

友人・親子・恋愛・進路、テーマを見失うくらいに開かれたこの作品の可能性と情報が一気に閉じたラスト20分付近。

 

それだけでおじさん(だったら)泣いちゃってたよ。

おじさんじゃないからまだ泣かなかったけど。

 

 

 ストーリー

 これは、クリスティン・マクファーソンが高校3年になってから大学に入るまでの1年と少しの物語。

彼女は自分に自分でレディ・バード(てんとう虫)とあだ名をつけている。

母マリオンは病院で働いており、父はラリーは失業しそう。

レディ・バードは自分の家を <線路向こう>  スラム と呼んでいる。

 親友は数学教師に恋する太ったジュリー。

レディは母との対立、父の失業、ミュージカルへの出演、恋愛、処女喪失、大学受験などを体験しながら、目まぐるしく過ぎる高校最後の1年を駆け抜けていく。

 所感―ひと夏の経験ではない

予告編を見ると恋愛がテーマなのかな、とか親子の対立と和解がテーマなのかな、とか友情がテーマなのかなとかめいめい勝手に想像するかと思うが、どれも正確ではない。

この映画のテーマは青春―(ライムスター宇多丸いうところの)あらゆる可能性が開かれた状態―の1年間そのものである。

だから、情報量がとめどなく多いのだ。

 

そしてそれゆえ、この映画は青春恋愛映画でもなく、家族映画でもなく、人間ドラマでもなく、純度の高い青春映画として凛と立っているのだ。

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親友ジュリー(左)とモブ友人(右)



レディ・バードワナビーではない

 ここで反論をひとつ。

さて、どんな人間になるべきか。レディ・バードは「これこそ自分」と思えるものに飛びついては派手に失敗する。

山崎まどか「故郷から羽ばたいたレディ・バードのきらめく傷あと」(レディ・バード┃パンフレット)

 彼女自身が「自分はちょっと他の子とは違う。スターになれる」みたいに思い込んでいるところがものすごい痛い感じなんですよ。

『miyarnZZ labo』より、町山智浩TBSラジオ「たまむすび」での発言

 

これらの証言は、レディを少し誤解している、と俺は思う。

いずれも「私はこれだ」とレディが(一時的にせよ)思い込んでいることが前提となっているからだ。

 

俺は、そんなしっかりと定まったルートなんてひとつだって彼女にはなかったと思う。

彼女にあるのは「今の私は本当に私ではない」、それだけだ。

 

Noはあっても、Yesはない。

だから、ミュージカルで役を与えられてもそれ以上続けようとはしなかったし、イケメンバンドマンのカイルとの初体験を終えた後でも何も大きな変化がなかったことにがっかりしたのである。

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初体験にがっかりするレディ

 

自室のポスターに統一感はなく、好きな音楽は”ありがちだ”と都会の男にバカにされるようなヒットソングで、信じられる才能はない。

 

それを一般人と呼ぶ。

 

レディは髪はピンク、ご聖体のクッキーは食べる、自分ネームはつける、とエキセントリックな人物のようなポイントもあるが、それらも含めてちょっと痛い面も持ち合わせているような一般人性こそが大きな魅力なのである。

 

 母からの手紙

ちょっとした不満。

レディの成長描写として最も重要な後半の場面である母の手紙。

あの部分、字幕が少なすぎてどういう手紙なのかよくわからなかった。

 

実際の手紙はそれなりの長さなのでもう少し内容があったのだと思う。

年を取ってからの子どもでもあり、母マリオンはレディをたいそう愛していることはわかったが、それ以外の内容も気になる。

 

なんとか公式が公開してくれんもんか。

 

 キャスト

主演:クリスティン・”レディ・バード”・マクファーソン(シアーナ・ローナン)

母:マリオン(ローリー・メトカーフ

父:ラリー(トレーシー・レッツ)

親友:ジュリー(ビーニー・フェルドスタイン)

第1彼氏:ダニー(ルーカス・ヘッジズ

第2彼氏:カイル(ティモシー・シャラメ

 

 

Lady Bird

Lady Bird

 

 

 

 

 

 

『デッドプール2』93点 エンドロールで評価爆上げ

※ネタバレがあります

1をみたので2も見に行った。

hadahit0.hatenablog.com

1の俺の感想は、どちらかといえばネガティブで、前提説明が長くデッドプールに期待されるトリッキーかつメタな魅力が十分に発揮されているとはいいがたいというもの。そのため「2の方が面白い映画になるんじゃないか」という見通しを立てていた。

 

果たして、その予想は正しかった。

 

野球は2アウトから、デッドプールは2本目からや。

ストーリー

前作で復讐を果たしたデッドプールは暗殺稼業にいそしんでいた。ひと仕事を終えて帰宅したところにヴァネッサからの贈り物<子づくりOKのサイン>が。

早速映画を見て気持ちを高めようとしたところに、敵マフィアの残党が登場。ヴァネッサが撃たれて命を落としてしまう。

デッドプールは自殺を図るが、不死の能力のせいで死ぬことはできない。

コロッサスにX-MENに勧誘されたデップー。X-MEN見習いとして、さっそくミュータント(超能力者)の少年が警察とにらみ合う現場に招聘される。

ファイアーフィスト(炎の拳)の能力を持つ少年ラッセルを捕捉したデッドプールは、彼がキンダーガーデンの所長らに虐待されていることに気づき、そのうち1人を瞬殺。少年とともに、ミュータントの刑務所に拘束されてしまう。

 所感―遊びの多さとエンドロール

遊びの多さとエンドロール。

この2つによってデッドプール2は前作を完全に凌駕しても良いと言っても過言ではない。

遊びの多さを生み出したのは以下のような要因だろう。

 

①予算の潤沢さ―6,000万ドル→1億1,000万ドルに

まったくのノーマークから8億ドル以上の大ヒットを記録した前作『デッドプール』。

その成功を受けて、本作では倍ほどの予算が投下されている。

期待されていなかった1のヒットを受けて、作られた2作目はどちらかと言えば駄作になるジンクスがあるだろう。

しかし、デッドプールはそうはならなかった。その理由としては以下の2つが挙げられる。

・その理由壱→前作も別にインディペンデント系の映画ではなく、単純娯楽作のため、バジェットが大きくなっても基本的な方向性を全く曲げる必要がない

・その理由弐→予算をきちんと使うべきところ(アクション)に使っている。その分、声優を兼任するなどして削るべきところは削る判断が良かった。

theriver.jp

②前作で設定説明が済んでいた

デッドプールという複雑な背景を持つアンチ・ヒーローについて語るべきことが多すぎるがゆえに、ややストーリーが単純すぎるものになってしまったというのは、前作の感想で指摘した通りだ。

だから、2に期待できると思っていたのである。

予告編で「スーパーヒーローチームを結成する」という話を知ったときには(新ヒーローの説明で説明の割合が増えてしまうのでは…)と懸念したのだが、スーパーヒーローはただのふりでしかなかったため、それは杞憂に終わった。

2でスーパーヒーローチームを結成するというと、ハイテンションギャグアメコミかつ期待されていなかった前作の大ヒットを受けての2作目と言う意味でやはり『キック・アス ジャスティスフォーエバー』が思い返されるが、チームをそのまま悪趣味ギャグに使うという意味でのギャグ成分はデッドプールに軍配が上がるだろう(もちろんジャスティスフォーエバーにはより物語に関わる役割があったわけだけど)。

hadahit0.hatenablog.com

 

閑話休題

遊びの多さが2の魅力を押し上げていたとはいえ、エンドロールが始まった時点での俺の心の点数は87点どまりであった。

明らかに1よりは俺にとって面白いものの、ようするに「出ていってまた帰って来る系の話」である。冒頭で最愛のヴァネッサを失ったデッドプールは「家族が待ってる」と言われて、現世に戻ってくる。

いやいや! ヴァネッサはその家族全員を質に入れてもよいくらいデッドプールにとってワンオブオールではなかったの?

家族がいると言われて素直に変えるのはデップーのキャラクターにそぐうとは思えなかったし、そこまでコロッサスやケーブル、ラッセルらとつながりが持てているようには見えなかった。

 

あ~…この着地か。。エンドロール後はユキオとネガソニックとの絡みなわけね。3でユキオもっと出てくんのかな。お、お!ああ~~~満点! これはベスト!

 

エンドロール後の心理はこのようなものであった。その詳細についてはネタバレ有とはいえこの結末の楽しみを奪うリスクを一変たりとも背負いたくないので書かない。

 

ただ、一番のひっくり返しギャグかつ一番の解決にもなっていてまさに最善手だし、それをエンドロール後に持ってくるのもズルいとだけ言いたい。

”上質な作品”という汚名

 一点不満があるとすれば、この作品が一見下品な作品でありながら、その実きっちりポリコレにも配慮した”上質な作品”のように称揚される声が上がっていることだ。

 

完全に間違ってはいないんだけど、「それを言っちゃあ詰まらねえよ」と思う。

 

ママにもらったキャンディを後生大事になめている不良なんているかね!? この作品がイイコチャン的な誉められ方をするのは逆にネガティブキャンペーンだろう。

 

それに、完全に合っているわけでもない。

例えば「X-MENじゃねえ、Xフォースだ」のくだりとか、もともとデッドプールがXフォースの一員だという文脈から出てきたものであって、「MENは差別だよな?」というのはいわばこじつけギャグである。

 

すなわち差別に敏感になりすぎる昨今のハリウッドの状況を揶揄しているという意味合いの方が大きくはないか。

 

ブラインド・アルやネガソニック・ユキオカップルといった多様性を包括したファミリーという構図も確かにあるが、同時に盲目のアルが銃を明後日の方向に向けてしまうというギャグもあるわけで。

 

清濁併せ持つこの作品に、”上質な”というのは逆に失礼に思うのだった。

 

ユキオは別に可愛くない

もう一つ、この映画を見た感想の中で「ユキオが可愛い」というものが目立つ。

 

ネガソニックの彼女で、忽那汐里が演じていて、紙が紫のメッシュで、くの一のような外見で、電気系の能力を持つユキオ。

俺はああいう原宿系のカワイイ文化出身のキャラがもてはやされる現場にどこか居心地の悪さを感じてしまう。

 

その可愛さは女として可愛い(cute)というより、キティちゃんが可愛いとか爬虫類が可愛いとかそういう可愛いと同じで、ようするにグッドデザインみたいな意味合いが強いように思う。

 

その点が人々の中できっちり切り分けられずに言葉が使われている感じが気持ち悪いんだよな~。

 

俺の可愛いセンサーが発達してないからだ、と言われたらその通りです、はい。

 

 

デッドプール2 オリジナル・サウンドトラック

デッドプール2 オリジナル・サウンドトラック

 

 

 

 

『デッドプール』80点 いや、まあ、俺が悪いねん……

※ネタバレがあります

デッドプール2』が公開される。

デッドプール』前作を見ておかねばならぬ。

 

ということでAmazonで週末レンタルした。

 

見た感想は、

①期待は下回った

②『デッドプール2』には期待できる

というもの。

 

確かに、期待は下回った。でも、俺が悪いんや。

ストーリー

デッドプール”死の賭け”(ライアン・レイノルズ)こと、俺ちゃんは、人工的に造られたスーパーヒーロー。

不死身の身体持ち。がんに身体を侵されているという宣告を受け、

一縷の望みをかけて挑んだスーパーヒーローへの改造術。その中で激しい虐待を受け、

”腐ったアボカドがアボカドとセックスしてるときにみる悪夢”みたいな見た目になっちまった。

彼女のヴァネッサ(モリーナ・バッカリン)にも、これじゃあ顔を合わせられない。

ということで俺ちゃんは、スーパーヒーローを生み出す研究を主導していた、反射神経と痛覚の強化改造人間、フランシスを追い詰めて、整形させてから殺すことにする。

所感―俺が悪い

そもそもメタ満載、ハイコンテクストギャグのつるべうち悪ふざけ作品。

という時点で、ある種の教養が必要なのはわかり切っていることだ。

知らない作品の同人誌を買ったところでその作品のファンの30分の1も楽しめないだろう。

ということで、楽しめなかったとしてもそれは俺が悪いのだ、と思う。

 

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いや、楽しめないわけではなかった。ただ、期待値は下回った。

なぜなら、世界でヒットしたという実績があったからである。

 

デッドプール』どころか、アメコミをほとんど見ないし期待していないというツレも「面白かった」と誉めていたことで期待値がストップ高だったのだ。

 

そのため、X-MENとの関係性とか、ヴァネッサとの会話で出てくるアメリカンサブカルギャグとか、飲み込めない部分のアラが思ったよりものどに引っかかったかな。

 

とはいえ、アクションはしっかりしているし、無駄なシーンはない。

そのため、味がおいしいのもわかっているのだ。

 

ヴァネッサが期待値を下回らない美人なのはよかったなあ。

ダークナイトのレイチェルとは大違いだね(と、デッドプールに言ってほしい)。

hadahit0.hatenablog.com

X-MENシリーズの1部だったとは……

まず、前提知識が欠如したせいで損した点として、X-MENの2人―コロッサスとネガソニック・ティーネイジ・ウォーヘッド―についてずっと疑問に思いながら映画を見ることになってしまったことがある。

 

中途半端に『X-MEN』のファーストシリーズだけ知ってたせいで、「え・・・『X-MEN』っていうけどウルヴァリンサイクロプスもおらんし、どういうこと?? パロディ集団?」と脳内エラーを起こしてしまった。

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コロッサス(左)とネガソニック・ティーンエイジ・ウォーヘッド(右)


デッドプールX-MENのスピンオフキャラ的な立ち位置だったなんてなあ。

ウルヴァリン:X-MEN ZERO』(2009)を先に見ておくべきであった。

 

とはいえ、そこら辺を説明しきらないのはオタク向けなんじゃないのか、と言いたい面もある。

どうせ第4の壁突破できるんだから、「俺ちゃんはX-MENの中のキャラで、人気が出過ぎて単体作品まで出ることになった。ちなみに、『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』とは全然キャラが違うけど、あの時はマリファナが足らなかったとでも思ってスルーしてくれよな」とでも言ってくれればよかったのに。

権利関係とかで無理だったのだろうか。

 

敵が弱い、てか自軍強すぎ

デッドプールのユニバース的立ち位置がわからない以上、この作品を楽しむ要は以下の2つだ。

 

①作品単体でのストーリーライン

②俺ちゃんへのキャラ萌え

 

①についてであるが、「敵が弱い」というのが圧倒的に求心力を奪っていると思う。

というか、デッドプールは不死身なのだからそもそも物語内でのハラハラレベルは常に低い。第4の壁を破るというのも、いわば「なんでもあり」宣言なのだから、なおさらだ。

 

そのため、アクションに緊張感を持たせるには、敵にそれ以上の実力を持たせるか、制約をデッドプールにかすかのいずれかの策を取ることが求められる。

 

今回の敵役はフランシス(反射神経強化・痛覚遮断)とエンジェル・ダスト(超パワー)であるが、正直不死身と比べると雑魚同然だ。そのうえ全身更迭のコロサッスと原子力パワーを持つネガソニックがいるのだから、ヴァネッサという人質がいようが敵チームに勝ち目はない。

というか、なんでヴァネッサ生かしといたんだ! 特に人質交渉の余地はないんだから、さっさと殺せばよいだろう!

なぜ生かすかといえば、デッドプールとの対決場面を作るためでしかなく、そのあたりについて「ご都合主義の脚本じゃない?」などとセルフツッコミが入ればまだしも受け入れやすかったのだが、特になく、残念であった。

 

デッドプールに制約を設けるシーンとしては、ヴァネッサはたいして機能しておらず、しいて言うなら最初の12発の弾丸がその機能を発揮していたであろう。

 

 

他方、キャラ萌えであるが、愛すべき減らず口だとは言え、社長(アイアンマン)とかキャプテン・アメリカに比べるとアンチ・ヒーローとしても十分にキャラ立ちしているとはいいがたい。

 

もっとふざけてよかった。ただ、そこは尺の都合なんですよね~~

 

「2」が期待できる理由

そう、俺は『デッドプール』は2こそが真価を発揮できると思っている。

それは、「1」は尺の都合で、どうしても設定の説明メイン(特に前半は)にならざるを得なかったからだ。

 

エンドロールも含めて1:48:07の映画の尺のうち、実に1/2程度はデッドプールの成り立ちと目的、ほかキャラクターの説明に費やされていた。

 

特に前半は回想シーンが多くて、14:21に回想に入ってから、真の意味で物語が動く「現在」に戻るのが

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36:36


時点なのだからな(そして再び40:55-1:03:48まで回想に入る)。

 

正直このあたりの尺の解決のためにもウィーゼル(酒場の店主)とかX-MEN勢は登場させなければよかったと思っている。原作では出てきているのなら「おいおい、映画なのに尺の都合か?」とデップーに言わせてしまえばよいのだ。

 

まあでも、お話の説明はここ(1)で終わりだ。

「2」からが、本番だ。

 

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※ただ、ヒーローチーム結成話ということで、それぞれの説明で尺を使ってしまうと「1」と変わらない作品になる。そのため、ぜひともキャラを”使い捨て”してもらいたい。