裸で独りぼっち

愉快な毎日の記録

サンドウィッチマンの軌跡本『復活力』 77点

 

復活力 (幻冬舎文庫)

復活力 (幻冬舎文庫)

 

 仙台の本屋ではこちらが大平積みである。

「~力」とはあるが、なんらかの知見や自己啓発を目的とする記述は一切ない。

完全に便乗タイトル。だが、「~力」ブームは永遠に続くなあ。

というか、スタンダードで無難に売れやすいんやろな。

 

伊達幹みきおと富澤たけしM-1優勝までの軌跡が交互に語られる本。

コンビのそれぞれの証言が交互に見せられる構成は例えば浅草キッドの『キッドのもと』も同じだった。

 

キッドのもと (ちくま文庫)

キッドのもと (ちくま文庫)

 

 ただ、あちらは水道橋博士がマジで「書けるひと」なので、読み味としてはこちらの方が大幅に劣る。

まず、サンドウィッチマンの2人とも一人称が「僕」なのだが、富澤はともかく伊達に「僕」は似合わない。

また、2人の文体が大体同じなので、読んでる途中で、「あれ? ここはどっちの証言なんだっけ?」とわからなくなってしまうことがあった。

その点、『キッドのもと』は押韻諧謔まみれの水道橋博士の文と、聞き起こしで構成されたであろう玉袋筋太郎の文がはっきりと峻別されていてよかった。

 

なんだか、『復活力』を貶めて『キッドのもと』を持ち上げるような書き方になってしまったが、『復活力』が悪い本か、といわれるとそれは違う。

 

この本は2008年に、M-1優勝の翌年に出版された『敗者復活』に関末インタビューを加えて加筆修正したものだ。

 

そのため、全編にM-1優勝にいたるまでの軌跡がその当時のリアリティを失わないままにつづられている。

 

なんだか、まだ自信なさげでふわふわしている。優勝前のスターでない漫才師のリアルがここにある。

 

それが、この本の魅力である。

 

つい先日、AmazonプライムM-1 2007 の決勝を見返した。

その時のサンドウィッチマンの印象は、めっちゃボケるやんというものだ。

今田耕司「めっちゃ受けてたねえ、これは決勝もあるんちゃう?」

伊達「いや、ないですないです。だってネタがないんだから」

今田「な、あるやん! 準決勝でやって譚俺見たもん」

伊達「覚えてません」

富澤「覚えてませんね」

 ダメで元々と考えているのか、相当自信があるのか、大舞台に無名から駆け上がってきたのにも関わらず、当時すでにテレビによく出ていたザ・ブングルやハリセンボンよりどっしり構えるチンピラ風の2人。

 

しかし、ダメで元々でも、余裕でもなかったことがこの自伝を読むとよくわかる。

 

敗者復活戦の現場に、富澤はすべてをかけていた。

ピザのネタでは伊達がネタを一瞬飛ばし、危ういところで思い出した。

 

そのようなドラマがあると思ってみるとまたひとしおの面白みがある。

 

とはいえ、

 

・伊達は受からないと思っていた

・富澤は視聴者に受けるんじゃないかという計算ももって優勝直後に伊達に抱きついた

・伊達は、トータルテンボスには負けても納得できたと思っている

 

上記のようにドラマチックではない胸の内も明かされているのが、この本の正直なところである。

『いとしのアイリーン』漫画版 感想 85点

昨日映画版『いとしのアイリーン』を見ていたく感動したので早速漫画喫茶ポパイにて原作(全6巻)を読破した。

その感想をここにメモしておきたい。

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映画と漫画とと一番大きな違いは、テーマの絞られっぷりだ。

映画のほうがテーマが絞られており、漫画のほうがテーマが多様であり、悪く言えば散漫な印象だった。

これは、映画という2時間の娯楽と年間単位で更新される漫画という媒体の違いとしてア・プリオリなものであり、漫画実写化作品は基本的にその方針で制作される。

そのため、吉田恵輔監督の映画化方針は誠に正しいものであったといえる。

 

また、特に新井英樹の場合、確信犯的に(誤用のほうの)テーマを四方八方に散らばらせるという作劇方法をとっている。

そのため、そのファンの多さや素材の身近さに反し、2018まで実写化が遅れたという側面も大きいだろう。

 

今の連載マンガって、第1話で主人公が何を目指すかわかるものじゃないと読者が食いつかない。俺は死んでもそれは描きたくないから、「もうマンガを描く意味がないよな」ってここ2週間くらい本気で考えていて。

──確かに、新井先生の作品は1話時点ではストーリーの全貌が何もわからないものばかりです。

「一体何の話?」って思わされる物語を描くのも読むのも好きだから。読者に「ついてこい」って言うのは傲慢なのかもしれないけど……。

映画「愛しのアイリーン」特集 新井英樹インタビュー (4/4) - コミックナタリー 特集・インタビューより引用

 

natalie.mu

 

映画は、原作の1~2巻と5~6巻をメインに構成し、3~4巻はエピソードをかいつまむにとどまっている。

そこで描かれるのは、岩男とアイリーンが「キス→シコシコ」にいたるまでの距離の詰め方である。

また、フィリピンパブの関西弁の女、マリーンや岩男の勤務するパチンコ店の社長といった映画ではあくまで物語の一部でしかなかったキャラクターの考えや背景がより描かれている。

 

特に描かれるのが、偏見や差別についての話だ。

 

ヤクザの塩崎にタンゴを踊らされ、唇を奪われるアイリーン。塩崎が去ったあと泣きはらし「ヒンディ ナマン ニラ マウウナワアン ワン ナサ カロオバン コ。(みんなにはどうせわかるはずない!! こんな気持ち)」と大声を上げる。

しかし、マローンに「アカラ コ バ マッグカサバ タヨン ダラワン マッグフホットゥホットゥ ナン ペラ サ マガ ハポン(あんたもあたしらも日本人から金搾り取ってる仲間じゃなかったんですか)」と鼻で笑われる。

 

庇護者であり被害者であったはずのアイリーンにあった「私は商売女ではない」という思い。それがまろーんに見抜かれることで、お金と性の交換という岩男とアイリーンの始まりが居心地悪く提示される。

 

これは映画にもあったシーンだが、よりアイリーンと岩男の不器用な恋愛と岩男のモンモンが長々と描かれる分、より意味が分かりやすく伝わってくるのだ。

 

さて、そうとは言いつつ、おれは映画よりも10点以上点を低くつけた

結局それは、テーマが散らばりすぎて感動に注力できなかったからだ。

また、岩男が塩崎(ヤクザ)を殺してしまうのは5巻の後半であり、映画に比べてウエイトがだいぶ小さい。

また、岩男と愛子の情事が漫画のほうではだいぶバリエーションを持って描かれる(これは愛子の事情もまた映画より詳細に描かれるため)。

人を殺してしまったという重さで追い詰められ狂い行く映画の岩男とヤクザを10メートル以上放り投げ、でかすぎるマラで愛子に「腰が止まらない~~」と言わせる岩男。

安田顕は体格が岩男と違いすぎて演じ切れるか不安に思ったというが、その現実味こそが、映画では切実に、プラスに作用したと思う。

映画終盤のアイリーンとツル子だけの生活について、長すぎるという不評をいくつかの感想サイトで目にしたが、その”長すぎる感じ”も時間を観客が自在にコントロールできない映画独自のものであり、作品の切実さを提示する上ではプラスに作用していると思う。

とはいえ、

最後に最後に与えられた映画にはない「救い」

カッコつきの救いではあるが、「親子愛」と「夫婦愛」が暴走し、衝突した作品の帰結として非常に美しく、こちらはリアリティが現実から浮遊した漫画でしか描かれえないものだったと思う。

その意味で、ラストシーンをカットした吉田監督の判断はまた英断であった。

 

 

激愛

激愛

 

 

 

 

 

『いとしのアイリーン』97点 国際結婚露悪露愛映画

irene-movie.jp

新井英樹の漫画は『キーチ!!』を立ち読みしたことしかない。

あとは『ワールドイズマイン』を少々。

いずれも面白かったが、ほかの作品にも続編にも手を伸ばす気にならないのはやっぱりその露悪的とすらいえるリアリズムが「しんどい」からだ。

今回、映画というルドヴィコ療法的装置で強制的に鑑賞した『いとしのアイリーン』。

脳がガツンとやられた。

 

ストーリー

新潟の農村で年老いた父、母(木野花)と暮らす宍戸岩男(安田顕)42歳。

パチンコ屋で勤務する岩男は、同僚の愛子(河合青葉)にほのかな恋心を抱くが

幻想を砕かれ、失意のままに仕事を休み、フィリピンへ旅立つ。

その旅は、いきつけのフィリピンパブ店主の口添えで参加したフィリピンお見合いツアーであった。300万の金を投資し、大家族の娘、アイリーンを手に入れた岩男。

2人で家に帰ると、父は命を落としており、葬式の真っ最中。岩男を溺愛する保守的な母は「そんな嫁は許さ”ね”ぇ”」と、アイリーンに猟銃を向ける。

天真爛漫なアイリーンは母の頭が冷めるまで岩男とホテルを転々として暮らすことに。金で買われた結婚ながら、2人の間には愛のようなものが芽生えつつあったが、母はアイリーンに執着するヤクザ塩崎(伊勢谷友介)と結託し、アイリーン追い出しを画策するのだった。

 昨日も結婚にまつわる映画(タリーと私の秘密の時間)をみた。

hadahit0.hatenablog.com

『タリー~』も子育てのどうしようもない側面を映画いている傑作だったが、日本の映画が描く結婚のどうしようもなさも、負けていないぞ。

――全くモテない男が、金を頼りに途上国に行き、嫁を購入する

正直バブルっぽい話で、今の日本だと賃金格差的にそろそろ追い付かれてきてるんじゃないのという気もするのだが、十数年前には確実にそこらへんに散らばっていたリアルだ。

それを汚いと批判することは簡単だが、「金のための結婚」も「家のための結婚」も「愛による結婚」に引けを取らない数、この世に存在していただけわけだし、なんなら「愛による結婚」と銘打っていてもそれらの要素が絡んでくることは人が家族を作る限り免れ得ないであろう。

そのような「汚い結婚」であっても愛が生まれないとは限らないし、愛が生まれなくても「子ども」は生まれる。そして、子どもというのは愛なんて不確かなものよりずっとリアルな命の奇跡なのである。

 

――物語の前半では、そう思っていた

だが、この物語、それを序盤でぶっ飛ばすような人間の深みへどんどんハマってゆくのである。

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※中盤のかなりのネタバレ

ヤクザにアイリーンをさらわれた岩男は2人を追い、塩崎を猟銃で殺してしまう。塩崎の死体を土に埋めるアイリーンと岩男。

帰ってきた二人は、母親を押しのけて初めてのセックスをする。

塩崎が消えたことにヤクザは気づいていた。死体は上がってこないものの嫌がらせとして「人殺し」と落書きされる岩男の車、家。

追い詰められた岩男は愛子を強引に抱き、ずるずると関係を続ける。家に帰ったらアイリーンに「オマンコさせろ」と3,000円を投げつけ、金がないことからバイト先のおばさんに体を売る。アイリーンと交流していた若い坊主をボコボコにする。そんな岩男は夜な夜な森に向かい、木にナイフで一心不乱で何かを刻んでいた。

 人を殺してしまった岩男は、死への興味から生(性)に狂ったように執着し、救いを求めることになる。一度はつながりあったように見えたアイリーンにも金を投げつけてオマンコさせろと強要する始末。

この時間がつらい。岩男は主人公で、優しいが不器用なところがあって、俺みたいだな、と感じていたが、そんな奴が大嫌いな人間になってしまっている。そして、そんな情けなさも俺みたいかもしれない。

――だって金を払ったんだから、俺には権利があるはずだ。

そう思わないで今までずっと市民でいられたという自信が俺にはない。

 

かといってアイリーンが天使であり聖母なのかというと、そうではない。

 

終盤、アイリーンはすべてを見捨ててフィリピンに帰ろうとするし、それを義母に「姥捨て」と指摘され「そうじゃない!」と自らが良き人間であるという幻想を守ろうとする。

 

塩崎に「お前の結婚は売春とどう違うのか?」と問われ、「――心は売ってない!」と答え、徐々に岩男と愛をはぐくんだアイリーンはしかしやはり綺麗で無邪気なままでは居てくれないのである。

 

欲、ドロドロ、我。

 

結婚とか愛とか、そういうコーティングはそれらを覆い隠すメッキでしかないよと、新井英樹に言われているかのようだ。

 

しかし、この映画が人間の汚さを描くものか? と問われるとそうではなく、やはり「愛についての映画だ」としか最終的には言えない。

 

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キャスト/スタッフ

監督:吉田恵輔

…ヒメアノールも見なくてはならないな、と思わされた。

岩男:安田顕

チームナックスは全員順当に評価を獲得していくなあと思う。

アイリーン:ナッツ・シトイ

…オーディションの部屋に入るなり顔見知りのプロデューサーに抱き着いた天真爛漫さに制作陣は「アイリーンがいる!」と採用を決めたそう。「おかさんおかさんおかさん!」と演技のアイリーン性には、原作未読の俺も確かにアイリーンはこの人以外考えられん後思わせた。

母 宍戸ツル:木野花

…役を受けたときの感想が「この役は体を壊すな」というものだったそう。いずれの感想サイトでも評判の高い狂演だった。

愛子:河合青葉

…雰囲気エロかった。感想サイトであったがフィリピーナが乳首出してるのに愛子が出してないのはちょっと良くないと思う。事務所NGとかならしかたないが。

主題歌:奇妙礼太郎「水面の輪舞曲」

…この映画終わりで聞くとかなりしみた。ていうか奇妙礼太郎って英語だとSTRENGE REITAROなんや…。シェイプアップ乱かよ。

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愛しのアイリーン[新装版] 上

愛しのアイリーン[新装版] 上

 

 

 

『タリーと私の秘密の時間』 94点 子育てヒューマンミステリ

tully.jp

URLが[tully.jp]。そこ(そのドメインほかの何かに)取られてなかったんかい!

 

「わたし、ひとに頼れないの」──仕事に家事に育児と、何ごとも完璧にこなしてきたマーロだが、3人目の子供が生まれて、ついに心が折れてしまう。そんな彼女のもとに、夜だけのベビーシッターがやって来る。彼女の名前はタリー、年上のマーロにタメグチで、ファッションやメイクもイマドキ女子だが、仕事ぶりはパーフェクト。荒れ放題だった家はたちまち片付き、何よりマーロが笑顔と元気を取り戻し、夫のドリューも大満足だ。さらにタリーは、マーロが一人で抱え続けてきた悩みの相談にのり、見事に解決してくれる。だが、タリーは何があっても夜明け前に姿を消し、自分の身の上は決して語らない。果たして彼女は、昼間は何をしているのか? マーロの前に現れた本当の目的とは──?

公式HPより引用

 ↑年上のマーロにタメグチっていうけど、英語にタメグチの概念あるのか?

その英語、タメ口だけど大丈夫?英語の敬語・丁寧語表現を使いこなそう! | DMM英会話ブログ

 ↑

あった(追記)。

 

全体の感想

『ヤング=アダルト』の監督・脚本家コンビ(ジェイソン・ライトマンディアブロ・コーディ)の作品。

こちらも共通して扱っているのは、「大人になること」というテーマだ。

 

大人になると、大人にはなれないことに気づくが、私たちは大人にならなくてはならない。大人になりたいわけでもないのに。

 

大人になるというのが、状態でも、目的でもなく手段だと知るのがとうに大人になってしまってからだというのが、ちんこの皮をむいたり、結婚したり、バンジージャンプしたりして大人になる手段を失った僕ら現代人の不幸である。

 

というわけで、基本的には日常的な辛さ、子供を持つということの業の深さが物語では描かれる。

 

そこで、特筆したいのが

ゴミについての演出

である。

映画の序盤、成功者である兄クレイグの家を訪れたマーロは、部屋に入るなり最近の調子を問われてこう答える。

まるで、ゴミ箱に乗ってるような毎日よ

このシーン、兄も夫ドリューも義姉も、じっとしていられない息子と大きくなってきた娘、そしておなかの中の赤ちゃんを持つマローの苦労をわかっていない――わかってもらえないマローの様子が軽妙な会話劇にまぶすように描かれる。

 

後半、ベビーシッターのタリーに「次の人生のためにベビーシッターを辞める」と告げられたタリーはこういう。

20代は最高よ

けど――すぐに30代がゴミ収集車みたいにやってくる。

 これは、予告でも使われている象徴的なセリフだ。

 

セリフだけではない。

赤ん坊の世話に追われるマーロの毎日で印象的に繰り返されるのがオムツを廃棄するシーンであり、夜の街に繰り出したマーロは胸が張って苦しくなり、おっぱいをクラブの便器に絞って捨てるのである。

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赤ちゃんにあげるべきミルクであっても、一人の人間として生きる上では、体を濡らし、恥をかかせるbargage――ゴミ――でしかない。

残念ながらというべきか、iPhoneが発売されて10年以上がたっても、その問題は解決されず、子を成す夫婦(多くの場合妻)は負担を強いられている。

 

料理

そのゴミ問題に対するアンサーとして描かれているのが、料理だと思う。

料理ができるというのは、自分の人生がマネジメントできている証拠として、この作品では描かれる。

その代表が、作品中盤タリーが焼いてくれたことで子どもたちやジュノの学園の先生に配られるマフィンだ。

色とりどりのマフィンが焼けるくらいの余裕が、周りの人間に負い目を感じることなく、生きられるくらいの最低限の余地だとその描写で示されている。

また、マーロに家に訪れた際、タリーは必ずおなかを空かせている。

空腹が感じられること、それもまた、人生を生きられているかどうかのひとつの重要な指標となっているわけだ。

 

この物語がどのようなシーンで終わるか、ご覧になった方は覚えているだろうか。

タリーと決別し、松葉杖をつきながら野菜を刻むマロー。その傍らに夫ドリューがやってきて、2人は片耳ずつイヤホンをはめながら料理を進めていく。

俺は、このシーンが、料理というメタファーを使って、人生を切り開くひとつの手段を描いているのだと思う。

料理も、否応なくゴミが出る作業だ。野菜の皮・ヘタ、パッケージ、腐った食材の処理も必要になる。

しかし、どこまでをゴミ、どこまでを食材とするかは、多くの場合、私たちの手にゆだねられている。

皮を薄く切れば、多くの部分が食材として使えるし、刻んで揚げたりきんぴらにすれば、ゴミにはならない場合もある。パッケージも何かの器としたり、スーパーに回収してもらえばポイントになることもある。

もちろんどうしてもゴミはゴミの場合もあるし、ゴミを出さないようにした結果、手ひどい失敗をしてしまうこともある。

だけど、それはひとつの手段だ。

 

岡田斗司夫の『フロン』について

さて、この作品では夫ドリューは優しい人間ではあれども、マローの支えとは慣れていないことが分かった。

今までの「普通」は、子どもが生まれたら通用しない。そして、十月十日子どもを孕む間に、いや、結婚を意識しだすそのずっと前から、女はその準備を始めるが、男は変わらないまま、ずっと「普通」いしがみつくことになりがちなのだろう。

 

男も子どもを人生のプランに組みこむことが否応なく求められることになる。

 

そのモデルとなる考え方で、俺が参考にしたいのは岡田斗司夫著『フロン』の考え方だ。

 

フロン―結婚生活・19の絶対法則 電子版

フロン―結婚生活・19の絶対法則 電子版

 

 80股事件以来ネット上で岡田斗司夫が好きだということは不名誉なことになっているが俺はいまだにこの本を否定する言葉を持たないので一つの指標にしたいと思っている。

 

岡田斗司夫が夫婦の在り方について2001年に述べたこの本。その考え方のキモとは、

「夫婦とは子どもを育てるための共同プロジェクトである」と考えることである。

妻が社長で、夫が副社長の株式会社子育て。そのなかで、任意の年齢(大学入学等)まで既定の要件に従って子どもを育て上げることが夫婦の役割なのである。

そのため、ミッションが達成されたら夫婦は離婚してもよいのだと岡田はいう。

 

ほかの人の性向はわからないので何とも言えないが、俺の場合、将来子を成すとして持つべきスタンスはこれしかないのではないかと思っている。

 

キャスト・スタッフ

監督:ジェイソン・ライトマン

脚本:ディアブロ・コディ

主演・プロデューサー:シャーリーズ・セロン

タリー:マッケンジー・デイヴィス

ジョナ:アッシャー・マイルズ・フォーリカ

…騒ぐ演技、泣く演技どちらもうまく、かわいかった。新しい学校のトイレで出てきた木のおっさんはなんだったんだ? あいつだけタリーくらい現実から遊離している。

マイナビラフターナイト/空気会談の踊り場 20180915

フカミドリ「秘密を話す」

マセキ芸能社所属

マセキだったのか。

矢巻(ツッコミ)の秘密が「財布から金を盗む」「Twitterのアカウントを乗っ取る」というサイコボケなのに対し、ボケの杉山の秘密は「実家のカメの名前がポチ」など弱すぎるというボケ。

サイコ感に対してボケがそれは弱いんじゃないかと思ったが、次第に杉山がネットバンクの秘密のパスワードをばらすなど暴走していくという流れは変わっていて新しさを感じた。

ただ、やっぱりカメは弱い。

 

ドドん「お坊さんファンクラブ」

浅井企画所属

安定のドドん。なんとなく、石田(お坊さんのほう)は安定した収入を確保している点やしゃべくりの達者さなどに抜け目なさを感じる。

ただ、坊主という切り口から安定したネタを量産しているのはすごいと思う。M-1も例年3回戦まではいくし。

欧米で言えば、牧師が漫談しているようなものか。そういう例はあるのかな。

 

吉住「野党と与党の恋物語

プロダクション人力舎所属

女性1人コントとしては「紺野ぶるま」「 中村涼子」「河邑ミク」とかのライン。

その中で一番かわいくないのが、吉住の芸人としてのアドバンテージだと思う。

コントだけだなくて、女性漫談家も出てくればなあと思う。

 


デニス「自殺を止める」
よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属 漫才

ガキ使の「新しいゲームをやってみよう」回以降、デニス松下はそこそこ有能なのではないかと思っている。

だから、『水ダウ』のおもちゃには、大トニーが選ばれたのだ。

デニスの芸も今の時代ハーフ差別といわれかねない。でもそこらへんは海外でも寛容な感じがするしいいのかな。

 

湘南デストラーデ奇跡体験アンビリーバボー

ソニー・ミュージック・アーティスツ所属 漫才

ナオ・デストラーデ(ボケ)の微妙なクオリティのたけし物まねが良い。

落ちも落語的で決まっていた。

 

空気会談の踊り場

運営のシルエット丸出し事件により、ほぼ当落が確定した空気階段

いつもと変わらず泣けてきたぜ。

有田ジェネレーション 20180913 良いとこついてるモノマネ芸人スペシャル

正式タイトルは「いそうでいない!良いとこ突いてる!モノマネ芸人スペシャル」。

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1組目:イチキップリン(ウォーキングデッドのジャック)「もしもウォーキングデッドのジャックが1万人のウォーカーと闘ったら」

本当に滑っていた。

オリジナリティとクオリティの無いネタは本当につるんと滑るんだなと思った。

その点、桐野安夫はオリジナリティがしっかりある。やっぱり才能が違う。

50手前の芸人の方がより、才能の残酷さというものを見せつけてくるのかもしれない。

 

2組目:坂上カレン(坂上忍滝沢カレン

ここも面白くなかった。

3組の中で物まねとしてある程度成立しているのはココだけだったのに。

ただ、20年来の知り合いである有田にいじられたときの坂上忍(かずみん)はイキイキしていたし、トークのテンポもプロのそれだった。

やっぱりピンでやった方が良いのではないか。

らりるRIE普通の人っぽいぞ。

 

3組目:太っちょカウボーイ(カーネルサンダース)「ケンタッキーで何作ろう」

ここは面白かった。

メタボリックパンパーンである。

ラジオ(オールナイト)で有田があらびき団の面白さを語る回で絶賛していたのを思い出す。

ケンタッキーを組み合わせて何かを作ろうという発想、そして

こっちがモモで~こっちが胸で~戦車~♪ 戦車~♪

あははぁぁはぁ、油でも噴き出るのかねえ!

 というキチガイセリフ。

そこには確かにオリジナリティがあった。

やっぱり笑いとはクオリティよりオリジナリティなのだ。

あらびきとはいえ世間に一度名を売った人間は発想の地肩が違う。

 

先攻:ゆ~び~む☆「海外旅行で気を付けた方が良いこと」勝利

フリップを細かく分けることによる間の作り方とか、計算ではない計算、右脳の計算ともいうべきものがゆ~び~む☆のネタからは感じられる。

本当にお笑いが好きなんだろうな。

女芸人は全員男芸人よりもお笑いが好きだと千原ジュニアも言っていた。お笑いをやれば男はモテたり金が手に入ったりと得が多いが、女の報酬は笑いだけであると(金も手に入るが男ほど社会的要請が強くない)。

 

後攻:太っちょカウボーイ(パンダ)「太った人あるあるを可愛く言う」

もう物まね関係ない(笑)。

だからハリウッドザコシショウ以降、もはや物まねは振りとしてしかなかなか機能しづらいということなんだろうな。

営業では使えるだろうけど、ネタとしては爆笑は取りにくい。

逆に振りとしてはかなり機能しやすく、太った人あるあるというネタ自体はデッカチャンと一緒だったのだが、こちらの方が何倍も面白く感じた。

 

20180913 #1

ブロック崩しのように毎日は消費されていく。

休む間もなく次々に試練は積みあがっていき、そのくせ長い棒はいつまでたっても手に入らないのもまた写し絵のよう。

最近太ってきた。腹の肉はタイヤを巻き付けたようにぶよぶよと私の人差し指を押し返す。

 

波は圧しては返す。

 

海浜に突然現れたエイリアンが父母を奪って去って行ったので私はとんと憤慨し、彼らを追い立てて家族を取り返すことにする。

私にとって幸いだったのは、実家の庭にヤシの木が3本も自生していたことだ。

これで筏を作ることができる。

私の家の大黒柱を中心として半径200メートルには砂浜が広がっていて、そこから先は塩辛い海がただ続いているだけ。

海を越えるには、筏を作らなければならない。とはいえ、とびきり大きなものでなくても良い。私とセクスの乗り込めるスペースがあればそれでいい。

 

セクスは人間の大人ほども大きなダルメシアンである。その巨躯は、エイリアンを引き裂いたり圧し潰したりするのにきっと役に立つだろう。そのときの活躍の前払いとして、私はセクスのおでこをゆっくりと撫でてやる。

セクスはくうん、と鳴く。1キロくらい、遠くにまで響く。

 

そうこう言っているうちに筏が完成した。荷造りを終えた私は太ももまで上がってきた海水をちゃぷちゃぷいわせながら何とか、筏に上体を預けてへばりつき、次いで右脚の屈折する部分を折り曲げて体重を乗せ、筏に乗り込んだ。

セクスはわん、と軽やかに飛び乗った。

まったく、翼が生えてるんじゃないかしら。

 

にわかに突風が巻き起こり、筏は前に進みだす。始まった?