裸で独りぼっち

愉快な毎日の記録

『ムタフカズ』67点 バンドデシネ×Studio4℃アニメ

2018年10月28日(日)12:00-13:40 @仙台の映画館チネ・ラヴィータ

 

CreepyNutsのANNゼロを聴いていたら、声優として出演してますよというお知らせがあったアニメ、ムタフカズ

一瞬の出演時間といっていたけどマジで一瞬だった。

 

mutafukaz.jp

 

知り方は好きなラジオだったわけだが、俺は別にミーハー女的な感性で作品を見に行ったわけではなく、元々こういうのが好きだった。

アニメを全然見ないのに、こういうのに惹かれてしまうのはサブカル的な(「バンドデシネ」っておしゃれや~ん的な)自意識なのか。

だとしたらダサいな、と思いつつ、恥じらいつつ、それでも見に行ったわけである。

実際のとこ、感想はどうだったかというと、67点という点数が示す通り、あまり高くなかった。

俺は、物語を信じているからだ。

 

行ったり来たり

 

ストーリー

犯罪者と貧乏人の吹き溜まり、ダークミートシティ。その街でその日暮らしを送るのが、物語の主人公アンジェリーノ(通称:リノ)<声:草彅剛>、その相棒のヴィンス<声:柄本時生>である。

…リノは黒の素体に大きな目、ヴィンスは頭に火のともった骸骨。

ペットのゴキブリ(大量!)とともに暮らすある日、ピザ配達の途中に目にした美女に目を奪われてリノは事故にあい、それ以来謎の頭痛と幻覚に悩まされ、人間の影が角の生えたおかしな形に見えるようになる。

そんな彼らは、馬鹿で臆病なコウモリのウィリーと遊びにでかけた中途から、黒服の集団に追われることに。家にまで襲撃を受けたリノとヴィンスは、政府の指名手配や黒服の襲撃をかわしつつ、逃げることになる。

”気づいてしまった”主人公が 逃げる話である。

ただ、そういう話に重要な「冒険」感が致命的に欠けているのだ。

自宅から追われたリノとヴィンスはスラムの隠れ家に潜むが、その家はすぐに見つかり、また逃避行が始まる。

――一通り、カーチェイスを行い、追手は壊滅したのに、腹が減ったためにまた地元へ戻る。

――で、なにゃかんやあって逃げ切って、バスでメキシコ国境を超えようとしていたのに、ヴィリーの電話を受け、また戻ることになる。

 

…全然マップが広がらない…。

 

逃げては戻り、逃げては戻り。リバタリアン各位はさっさと逃げんかいと腹立ちのつるべ打ちだったのではないか。

 

ウィリーの電話を受けて戻るときに「俺はココで戻らなくちゃ、一生自分を許せねえ」的なことをリノが言うのだが、それはウィリーに言わせるセリフだろと思った。

臆病で逃げてばかりのやつがそんなセリフを吐いて戦うからこそカタルシスが生まれるのであってめちゃ強い主人公がそのセリフを吐いても普通にちょっと違和感が生じるだけだ。

 

youtu.be

レスラーなんやってん

この物語の基本設定をネタバレしちゃう。

 

主人公リノは宇宙人と人間の交配種だった。そして、街で見かけた謎の美女も。彼らは人間以上の力を持つが、寒さに弱く、冬は活動できない。その問題を解決するため、地球は温暖化の危機にさらされることになった。そう、地球温暖化は合衆国政府の陰謀だったのだ(ドジャ~~ン)

 

リノが自分の中のもう一人の自分(宇宙人性)に悩むが、友情により、我を取り戻すくだりはまるでナルトをみているようであった。日本の漫画の影響を感じるストーリーの仕立て方である。そこにゼイリブが混ざってる感じ。

 

そして、リノを追う黒服集団は宇宙人の手先だったのである。宇宙人の王的な奴は、人間側の科学者をとらえ、地球を温暖化を進めていた。しかし、科学者の一人がリノたちが起こした騒ぎに乗じて反逆、使命を受けたレスラーの助けを得て、地下牢を脱出する

 

レスラーの登場、唐突だったろう。

…実際の物語でも、これに近しい唐突さなのだ。

行ったり来たりする暇があったら、彼らの使命とは何なのか、博士はどういう経緯でとらえられていたのかをもっとしっかり説明してほしい。

 

そして、物語終盤のネタバレ。

レスラーと博士が発明したロケットが撃ちあがり、地上に雪が舞う。すると、多くの宇宙人は機能を停止し、倒れてしまう。敵側の人間トップはリノたちを殺そうとするが、マフィアの助けを得て、最後には倒すことに成功する。

 

ほぼ、レスラーと博士が物語を動かしている。

リノとヴィンスは狂言回しに過ぎなかったのだ。

これには脱力してしまった。結局俺たちが勘定していた2人はただ逃げただけだったのか。

穴を掘って埋めるような話である。

原作もそうなのかもしれないが、これじゃああんまりだよ。

 

無たふ風

拭いているのに吹いていないと同じ、無風の風を無たふ風(ムタフカズ)と呼ぶ(嘘)。

正にそういうドライブ間の映画であった。

走ってるのに気持ちいい風が当たらない違和感である。

 

ただ、以下のポイントはしっかりよかった。

 

・かわいいキャラ・街のデザインセンス

・町全体のゴミゴミした空気感

柄本時生の声優上手かった

 

草彅剛の声も正直違和感があったな~。

けだるい感じを出してたんだろうが、単に下手な感じに聞こえた。

 

最後にこの映画を一言で表すと、

鉄コン筋クリート』のドラマ性が薄いバージョンである。

でも、デザインはかわいいよ。

さくらももこさんとのぶみのこと

さくらももこさんがなくなったので、というわけではなく『さくらえび』を読み返した。

いや、嘘だ。さくらももこが死んだから読み返した。

『○○の○○』や『あのころ』3部作ももちろん読んでいるのだけれど、僕はこの本が一番好きである。

さくらももこと友達と息子の日常が基本的に短い文章で場面場面を切り取るように綴られている。

ヒロシが鯉を買ってそのズボラさからすぐに全滅させてしまう話、ポスターにサインをして警備員に怒られた話、歯医者に行く話、息子にさくらももこだとばれないようにする話。

自身が総編集長となって創刊した雑誌『富士山』に掲載していたエッセイだからか、その筆致はほかの記事にもないほどゆるい。

文字数も少なく、「神経衰弱」というエッセイなんて、300字に満たないほどだ。

でも、『ちびまるこちゃん』ファンの目を気にすることもなくただ自分の日常を日記のように書くそのモードが、僕は好きだった。

いわば、メジャーデビューしたバンドがインディーズレーベルから趣味全開で出したアルバムのようなものである。セールスは見込めないが、ファンはそちらのほうが好き。

そんな気持ち、わかるでしょう?

 

さて、その僕がこよなく愛するさくらももこのエッセイに絵本作家ののぶみさんが登場することに読み返して気が付いた。

のぶみといえば、インターネットではすこぶる評判が悪い。

 

はたらきママとほいくえんちゃん

はたらきママとほいくえんちゃん

 

 このレビュー欄の双極性障害のようなありさまをみよ。

 

このありさまを見ても、以下の記事のようなレビューを見ても、とてものぶみさんが僕が好感を抱くような思想を持っているとは思えなかった。

www.cyzowoman.com

 

その彼が、『さくらえび』に出てくる「のぶみくん」なのか。

逆デジャヴ。といえばよいのか、ともかく不思議な感覚である。

 

『さくらえび』のなかで「のぶみくん」がでてくる話は3つ。

『みんなで怒られた話』と『のぶみくんの金券』と『本間さんのダンナさん』。

 

『みんなで怒られた話』は、前述のポスターにサインをして警備員に怒られた話だ。ここで、サインをするポスターがまさにのぶみの絵本の紹介用のポスターなのである。

『のぶみくんの金券』はそのタイトルに名前が冠されていることからわかる通り、彼がオリジナルの金券を作ってさくらももこに渡す話しだ。この話もとても短い。

『本間さんのダンナさん』でのぶみは当時の彼女に指輪を送ってうれし泣きさせる。

 

この作品を読んでいた中学自分の僕は、「さくらももこの変な友達の1人」として彼のことをとらえていただけで特に好悪の感情はなかった。

 

で、今も実はそんなに好きでも嫌いでもないんだけど、伝聞で伝わってくる情報からは「どうもいけすかないやつ」という感じがする。

 

さくらももこが『さくらえび』で描いた彼は絵本作家らしいちょっと浮世離れした善人。

現在ネット上の評判でわかる彼はちょっとやばい思想を持って特定の層に絵本を売りつける宗教家もどき。

 

そのいずれも、真実なのだろうな、という気がしている。

 

『さくらえび』のほかに、彼のことをさくらももこが描いたエッセイはありますか?

 

 

さくらえび (新潮文庫)

さくらえび (新潮文庫)

 

 

三谷幸喜『ラヂオの時間』93点 『カメ止め』より好き

三谷幸喜の映画は言うほどやで、と映画に造詣の深い有名人であるところの

ライムスター宇多丸水道橋博士がいうので、なるほどそうなんだなと思って

三谷幸喜をただのエキセントリック眼鏡おぢさんと捉えることにしていたんだけど

実際のところラヂオの時間をみたら、面白かった。

やっぱりちゃんと作品をみないで伝聞で判断するのはよくないです。

でもこの世の作品全部をみれるわけではないので、結局のところ今後もそうしますが。

 

www.amazon.co.jp

ストーリー

都内随一のラジオ局、ラジオ弁天。その第一放送フロアはざわついていた。

生放送のラジオドラマ、放送まで一日を切っていながら、トラブルが続発しているのだ。

ドラマの作者、鈴木みやこ(鈴木京香)は脚本に自らの境遇を重ねている様子。

主演女優の千本のっこは後輩女優のバーター出演であることにへそを曲げ、役の名前を変えろだの職業を変えろだのと口出しをしてくる。

主演俳優の浜村錠は千本のわがままのみが通ることに不満を覚え、自分の職業もパイロットにしろだのと徐々に我を表しだし、曲付きの構成作家バッキーさんは脚本の役に入り込み過ぎて話を壊す。

そんな状況をまとめようとするプロデューサー牛島(西村雅彦)もまた、組織の中でその場しのぎの調整に甘んじることになり、ディレクター工藤(唐沢寿明)も不満を抱えつつもニヒリズムに陥っているのだった。

果たして、トラブル続きのラジオ生放送を成立させ、リスナーを感動させるものを作ることはできるのか――。

 三谷幸喜と私の最初の出会いといえば、朝日新聞木曜夕刊で掲載されているコラム『三谷幸喜のありふれた生活』であろうか。

和田誠挿画のそのエッセイは星新一愛読者の俺にとってちょっと興味を惹かれるものでありつつも、”三谷幸喜”個人に刺して興味がないため、読み進める気が起きない。

その程度の者であった。

その後、彼が著名な映画監督・脚本化であることは知り、『THE 有頂天ホテル』『マジックアワー』などの作品についてはCM等を通して名前は頭にインプットされていたのだが、結局映画がそれほど好きではなかった学生時代、見ることはなかった。

 

そして、映画をある程度見るようになった社会人時代も、『清須会議』は歴史ものに興味がなく、『ギャラクシー街道』は明らかに地雷のにおいがしたので結局見に行かなかった。

清須会議』『マジックアワー』『ステキな金縛り』などについてはちょうど聞き始めたライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフルの過去回でゴリゴリに酷評されていたということもある。

 

しかし、この度Amazonプライムでなんか見ようかなと物色していたところ『ラヂオの時間』が見つかり、その評価の高さ(☆4.5)とおそらく『カメ止め』(2018)ブームに便乗してのAmazonのチョイスのお手並み拝見、という気持ちもあったもので視聴してみることにした。

その結果、存外面白かったのである。

 

何が面白かったのかというと、コメディと登場人物の背景がきっちりリンクしているところである。

主演女優のワガママで役名をメアリー・ジェーンにして舞台をNYにするなんて普通はいかれた話だが、女優がバーター契約の腹いせで嫌がらせしているとすればギリギリ納得がいくし、そこから逆算して舞台をNYにするのもありうる。

そしてそのわがままに号を煮やした相手役の俳優が自分にもわがままを言わせろというのもあり得ない話ではないし、その結果壊れた話を作家本人ではなく謎の脚本家に依頼することもありうる。

なぜそう(ありうると)感じられる課というと、ドミノ倒しのようにそれぞれの動機がつながって、成立しているからだ。

それは、伏線ではない。

むしろ、行き当たりばったりのライブ感に満ち満ちており、その場しのぎゆえにまた戻せないか相談したり、ほかの人に責任を押し付けて一番楽な選択肢に逃げたりといったこともある。

だからこそ、どんどん自体が混迷を深めることがリアリティをもって伝わるのだ。

この点、『カメ止め』の前半の違和感がすべて背景に理由のある伏線だったという構造とは大きく異なるが、だからこそシチュエーションコメディとしての出来としてはこちらに軍配が上がる。

『カメ止め』が成功した理由としてなんと言っても上映37分で映画の景色ががらりと変わるその構成の驚きがあると思うのだが、よく考えたらそれはコメディ性を薄れさせる弱点でもあるのだ。

ラヂオの時間』では実際の放送内容は丸々形となって見る(聴く)ことはできない。

断片的にトラック運転手(渡辺謙)が聴いている様子が挿入されるだけだ。

多分、実際に聞いたらこんなCMがたびたび放送されるような壊れた放送、炎上や祭りは起こるにしても人を感動させるものにはならないはずだ。

だけど、そこは断片的なものにすることで、ギリギリ嘘を成立させられている。

 

それに対し『カメラを止めるな!』では「One Cut Of The Dead」が丸々放送される。

その内容がギリギリ成立していたからこそ、みんなよくやったねと上田監督並びに作品を称賛しているのだろうが、やっぱり俺はそこが引っかかった。

「One Cut Of The Dead」、前半37分を見る限りは、ギリギリ失敗作だし、トラブルに対応したことが物語の魅力を押し上げている部分などないだろうと。

 

それに対し、『運命の女』(作中のラジオドラマ)は放送されていないので、トラック運転手が感動するような出来になったといわれてもギリギリ目をつぶれる。

正直変な部分はたびたびあって、「ADがマシンガンはシカゴというめちゃくちゃな理論で脚本をひっかきまわしたこと」とか「途中までどう考えてもへそを曲げていた千本のっこが最後にはラジオの出来に満足していたこと」とか三谷幸喜「やりやがった」と思わないでもない。

だが、そこがごまかそうとされているから、俺みたいに雑に見ると気にならないんだよな。

『カメ止め』は話を丸々放送してしまっているから、おかしな部分が目立ちやすい。『ラヂオの時間』で挙げたような「やりやがった」ポイントはほとんどないのだが、それをごまかせない構造になっているのでやっぱり少し気になってしまうのだ(小屋の前でわざとらしく斧を拾うシーンとか)。

 

あ、そうそう。最後のマクドナルドが宇宙から帰ってくるも、浜村錠がどうしても言葉を発したがらないから何度もアナウンサーが「そしてマクドナルドは走った」といわなければならないところって、『カメ止め』の屋上のシーンで、ゾンビの彼氏が秋山ゆずきに襲ってくるも、空撮のためのピラミッドが成立しないからなんども襲っては止めしなければならないとこの元ネタだよね。

上田監督、やりやがったな←。

 

キングオブコント 2018 かんそう

全体として、今年のキングオブコントはハネない年だったように思います。

去年はにゃんこスターが起こした波乱の年。コントが音ネタに、物語が客受けに駆逐されるか、とハラハラしたものでした。だけど、それは大会自体にドラマを生み出していたのだな、と。

 

・出場者完全?シークレット

・準決勝のネタ2本審査

・最終決戦5組→3組

・準決勝と決勝のネタ変えるの禁止

 

視聴率を獲るために行た上記施策はすべて空回り。出場者はシルエットとリークにより5ちゃんやTwitterで特定されてしまい、決勝の客層・審査員に合わせたネタ選びができないことで2本目がハネない、という結果になったのではないかと。

 

「今年のネタ全部面白かった」

という反応もそこそこあるのを観測していますし、明確にクオリティの低いネタや炎上ネタがなかったというのは確かです。

それでも2011年東京03の「旅行初日にこの空気どうすんだよ!」、2012年バイきんぐの「怒りすぎて逆に反応できなくなってるパターンだ!」のような会場の空気が変わる瞬間はなかった。しいていえばライスが優勝した2016年の空気に近く(それでも「~くれえぃ」はキーワードとしてハネた)普通のネタ番組のチャンピオン大会、くらいの印象でした。

 

とはいえ、良かったのはハナコナベプロ初のチャンピオンとなったこと。それぞれにキャラクターと清潔感があるので、変異委縮することなくバラエティ一周目を終えられたらお茶の間の人気者、とはいわずとも認知度60%くらいにはなれるのではないでしょうか。

 

しかし、驚いたのはハナコの先月の芸人としての給料が0円というニュースです。NHKBSの芸人育成番組『笑けずり』では最後の3組に残り、ナベプロの『お笑いハーベスト大会』では優勝、次世代のお笑いスターを発掘すべく8年ごとに放送される『新しい波24』のメンバーにもなっていたというのに。正直芸人としてバイトせずに暮らせるくらいの収入は得ていると思っていました。

www.sanspo.com

アキナは月収80万、ニューヨークも普通のサラリーマンくらいの収入も得ている、大手事務所でないあかつも月収100万等、なんだかんだ言ってある程度名の知れた芸人はちゃんと稼げるんだな~と思っていたのですが。

世の中の収入の仕組みって理不尽っすね。

 

1組目:やさしいズ「爆弾魔と清掃員」

お笑いオタクの間ではすこぶる評判の良かったやさしいズ。残念ながら1組目ということもあり、あまりハネず、結果最下位となってしまいました。

やさしいズといえばやはりマイルドヤンキーキャラ×やさしい展開という新しさの妙が評価されていると思うのですが、それが会社を爆破したい人と清掃員という「他人の関係性」では生きなかったのではないでしょうか。

やっぱりマイナビラフターナイトで披露したような家族のコントが見たかったですね。

 

2組目:マヂカルラブリー「傘泥棒」

Twitterマヂカルラブリーオタクの人をフォローしているので、自然とマヂカルラブリーには好感を持っています。小レースに挑戦しながら、ゲームアプリ「愛方」を出すなど自由に生きてんな、というのが野田クリスタルの底知れなさですよね。

1回戦からウケを取り続けていた「デスゲーム」が不謹慎なため禁止されることに。そこで急遽作られたのが傘泥棒だというのは大した対応力です。ただ、傘泥棒をとがめだてされる場面でループする設定にフォーカスしすぎたのではないかと自分は思いました。明らかに傘立ての中で一番きれいな傘を触ってもいないのに咎めたてるクレーマー気質なおっさんがループの中に閉じ込められたら、という部分はもっと膨らませられたのではないかと。そう思うと、やっぱり時間のなさがネタに影響した部分がありそうですね。

 

3組目:ハナコ「犬」

 坊主の岡部演じる犬の形態模写一本勝負で臨んだこの作品。

本当に菊田がいらないネタでした。

岡部の演技巧者っぷり全振りのネタだったわけですが、天丼が評価される傾向のあるこのキングオブコントにおいて、評価されやすいネタでもあったわけです。

女性の多い会場の空気もここで味方につけられたのが大きなポイントといえるでしょう。

 

4組目:さらば青春の光「予備校」

 さて、うわさの予備校です。

このネタは昨年から「めちゃくちゃ面白い」と噂に上っており、ラストイヤー宣言がなされた今年満を持しておろされたことはお笑いファンにとって一つの事件でした。

ネタ準的にも、ちょうどいいな、期待できるなと思ったのが自分の最初の感想です。

ここまで性格の良いネタが多かったので、そろそろ性格の悪いネタが欲しくなるところでしょう。こちらも「バイトなのに偉そうにしてるやつが説教する」という状況の天丼であり、決勝用に仕上げられているというのも期待できるところでした。

結果は、ハナコに次いで2位。

その差は一点ですから、まあ納得できるなというのがこの時点の感想です。

 

5組目:だーりんず「かっこつけ払い」

おととし「童貞」連呼で世間の不評を買っただーりんず。

本年は下ネタ一切排除、シチュエーションとフレーズで笑わせるネタを用意してきました。

オーソドックスな会話劇ながら「かっこつけ払い」「パニック会計」などのフレーズがはまれば大きくウケる見込みのあるネタだったのでしょうが、いかんせん決勝の場に対しての対策は薄かった。

そもそも「かっこつけ払い」自体劇中で言及されていた通り芸人あるあるみたいなところがあり、お笑いファンならばビートたけしがアリとキリギリス(でしたっけ?)にやったエピソードを思い浮かべてすんなり飲み込めるでしょうが、会場のF1層にしっかり実感を持って伝わったかどうか。

 

6組目:チョコレートプラネット「デスゲーム」

勝手にタイトルを付けましたが、よく考えたらこれもデスゲームネタだな。

このネタが、一番僕と審査員やTwitter短評を行っていたお笑いファン(深爪など)と意見がずれたポイントです。

松尾がギャーギャー騒ぐネタはチョコプラのネタの中で「静かにしろ」などいくつかあるのですが、理不尽なヒステリーにあっているような気がしてそもそも僕は気分がよくない。それに、長田扮する殺人鬼(ジャグジー)もあんなんで焦るくらいならサクッと殺しちゃえば良いだろという気がします。

また、この設定ってSawを知らないと飲み込みづらいし、そういう前提が必要な時点でどうなんかと。

長田が部屋に入ってきてもう1人のゲームマスターが現れた時点でオッとは思いましたがそれがなんらかの伏線回収になるわけでもなし。

ロッチの「試着室」もそんなにはまらなかったので異常に評価されるネタが自分には合わないようです。もしくは会場の臨場感があってこそ伝わるネタなのかも。

 

7組目:GAG「居酒屋のバイト」

5ちゃんの下馬評では落ちた風潮が強かったのに二を開ければ受かっていたGAG。

正直ネタのファン向け感(3人のキャラを飲み込んでからのほうがずっと面白い)があんまり好きじゃなかったのですが、今回のネタは好きでした。

やっと3人にはまってきたからかもしれません。

ただ、あのギャグマンガのナレーションがごとき説明調のツッコミはそれも織り込み済みでの面白さを狙ったものだとは言え、優勝するともやるレベルの洗練されていなさだとも感じます。

癖になったらうまいんでしょうけど。基本的には初見で面白いものを評価する大会だと思うので。

今回も「非リア向けのネタ」とか、山ちゃんの応援コメントは種明かししすぎではないかと思いました。ただ、前回と違ってマイナスには働いていなかったと思います。

宮戸さんもなぜか抱ける感じがちゃんと出ていました。

 

8組目:わらふぢなるお「空質問」

目の付け所がシャープですね。

以前まいなびラフターナイトでも披露していたネタですが、絶妙にあるあるであり、日本語の難しさを思い知らせてくれるネタという意味で、言葉のネタの頂点クラスにあるものだと思いました。

ただ、ラフターナイトで聞いた時も僕「あれ? 漫才か」と思ったんですよね。そのくらい動きのないネタであり、コントで全く別の人間を演じてやる必要があるのかという疑問はありました。

また、Gyaoの反省会で小峠さんが「サンドさんの事前コメントが良かったよね。わらふぢの見方をドリルみたいにお客さんに教えてくれてて。そういうところが好感度高い理由だろうね」と言っていましたが、それ反則じゃないかとも感じました。

事前Vで有利になるのは、勝負の公平性を大きく妨げますから。

ただ、事前Vという制度がある以上ある程度勝負に影響するのは仕方ないことですし、今回のサンドのコメントは許されるネタの範囲にあったとは思います。

ふぢわらのボケたがりには困ったものだし、BKBが即興BKBのお題くれっていったときの口笛なるおの理解の遅さにはチョコプラとのタレント力の差を感じましたが、だからこそネタで評価されてほしいコンビでもあります。

 

9組目:ロビンフット「彼女の年齢」

これは、僕の中でチョコプラの逆です。

つまりもっと評価されていいだろ、ってこと。

もちろん今回5位ということで当落線上には上がっていたわけですが、個人的には予備校についで2番目だ、と感じました。

ハナコ、さらば、ロビンフットの決勝が見たかったです。そして、検尿、ヒーローが見たかった。やっぱり5位までの審査であれば……。

年齢と干支という話だけをもとにあそこまで話を広げられるのはおじさん芸人とは思えない発想の豊かさですし、BGM(ユーミン)をああいう風にくすぐりとして使うのは、今まであんまり見たことのないものでした。

ただ、どんどん年齢があがっていって96まで行ってしまうと、そこまでいったら自分をごまかすごまかさないの問題じゃないだろとリアリティラインに対する疑問は生じさせました。

 

10組目:ザ・ギース「サイコメトリー

身内に情報を漏えいされたザ・ギース。

Twitterで漏らした作家は干されるだろうなと思っていましたが、尾関が口止めしていなかったのならかなりかわいそうですね。情状酌量されたのかな。

僕は、モニターを使うネタはちょっとずるく感じられてしまう(だからチョコプラの評価が低いのもある)います。それはコントというより映像作品なのではないかと。ただ、それが狭量な見方であり、演芸の発展を妨げる老害の意見だという自覚はあります。

三村が「高佐はいい人のままでいてほしかったな」とコメントしてなんちゅう浅いコメントだとたたかれていましたが、その点には僕も同意でした。

サイコメトリーが凶器から殺人者の思念でなく製造者の思念を読み取ってしまうバカらしさが肝なのに凶器が偽物だったから読み取れなかったとなると、「なんだ、製造者の思念はやっぱりその程度なのか」と理に落ちた結論になってしまい、テンションが下がるんですよね(殺し合いのなかで製造者の思念が浮かび上がるカオスな空間はよかったです)。

 

決勝1組目:ハナコ「彼女を追いかける」

後半がよかったですね。

前半は正直砂浜で追いかけっこをして、彼女に追いつけなかったら面白いよなという4コマ漫画みたいな発想だなと思い、そんなことだからマスオチョップに負けたんだとお笑い格付けを行ったのですが、『OnemoreTime, OnemoreChance』が流れてから、物語に大きく時間的経過という広がりがでた。

そして、「女子むず!!!」というオチ。普通なら捕まった後に菊田が出てきてなんか言うとか3人目という一番の違和感を使ったオチにすると思うのですが、そこを曲げてきたのが功を奏した。

 

決勝2組目:わらふぢなるお「能力者」

正直この系統のネタで2012年のしずるを超えるのは無理だと思います。

能力者大喜利が延々と続く構成も爆発につながりにくかった。

もちろん「痛み→快感」の畳みかけで後半爆発する予定だったのでしょうが、ちょっとセクシャルなにおいがはいると、テレビで爆笑を取るのはむずいですよね。

 

決勝3組目:チョコレートプラネット「意識高い系大工」

ロッチの世界へようこそ、とコカドケンタロウTwitterでいっていました。

意識高い系のネタっていうのが安易なうえにやや古くなっている気がして僕は好きではありません。

ただ、そのなかでは角度がついていたし、安易に意識高い系をディスるネタでもなかったので、結構好きでした。

スムージーで釘がスムージーに入る下りの下らなさはなんというか、「好き!」ですよね。

ただ、わらふぢ以上に畳みかけの余地がなかったですから、どう考えても決勝のネタではなかった。

それを本人たちも自覚していたと思います。

ああ、ここでこそ「クイズ」とか「静かにしろ」がやれたらなあ。

ただ、最後の「マボロシ~」はさすがでした。タレント能力高いわあ。

 

 

Hanako (ハナコ) 2018年10月26日号 No.1165[無敵の大銀座! ]

Hanako (ハナコ) 2018年10月26日号 No.1165[無敵の大銀座! ]

 

 

サンドウィッチマンの軌跡本『復活力』 77点

 

復活力 (幻冬舎文庫)

復活力 (幻冬舎文庫)

 

 仙台の本屋ではこちらが大平積みである。

「~力」とはあるが、なんらかの知見や自己啓発を目的とする記述は一切ない。

完全に便乗タイトル。だが、「~力」ブームは永遠に続くなあ。

というか、スタンダードで無難に売れやすいんやろな。

 

伊達幹みきおと富澤たけしM-1優勝までの軌跡が交互に語られる本。

コンビのそれぞれの証言が交互に見せられる構成は例えば浅草キッドの『キッドのもと』も同じだった。

 

キッドのもと (ちくま文庫)

キッドのもと (ちくま文庫)

 

 ただ、あちらは水道橋博士がマジで「書けるひと」なので、読み味としてはこちらの方が大幅に劣る。

まず、サンドウィッチマンの2人とも一人称が「僕」なのだが、富澤はともかく伊達に「僕」は似合わない。

また、2人の文体が大体同じなので、読んでる途中で、「あれ? ここはどっちの証言なんだっけ?」とわからなくなってしまうことがあった。

その点、『キッドのもと』は押韻諧謔まみれの水道橋博士の文と、聞き起こしで構成されたであろう玉袋筋太郎の文がはっきりと峻別されていてよかった。

 

なんだか、『復活力』を貶めて『キッドのもと』を持ち上げるような書き方になってしまったが、『復活力』が悪い本か、といわれるとそれは違う。

 

この本は2008年に、M-1優勝の翌年に出版された『敗者復活』に関末インタビューを加えて加筆修正したものだ。

 

そのため、全編にM-1優勝にいたるまでの軌跡がその当時のリアリティを失わないままにつづられている。

 

なんだか、まだ自信なさげでふわふわしている。優勝前のスターでない漫才師のリアルがここにある。

 

それが、この本の魅力である。

 

つい先日、AmazonプライムM-1 2007 の決勝を見返した。

その時のサンドウィッチマンの印象は、めっちゃボケるやんというものだ。

今田耕司「めっちゃ受けてたねえ、これは決勝もあるんちゃう?」

伊達「いや、ないですないです。だってネタがないんだから」

今田「な、あるやん! 準決勝でやって譚俺見たもん」

伊達「覚えてません」

富澤「覚えてませんね」

 ダメで元々と考えているのか、相当自信があるのか、大舞台に無名から駆け上がってきたのにも関わらず、当時すでにテレビによく出ていたザ・ブングルやハリセンボンよりどっしり構えるチンピラ風の2人。

 

しかし、ダメで元々でも、余裕でもなかったことがこの自伝を読むとよくわかる。

 

敗者復活戦の現場に、富澤はすべてをかけていた。

ピザのネタでは伊達がネタを一瞬飛ばし、危ういところで思い出した。

 

そのようなドラマがあると思ってみるとまたひとしおの面白みがある。

 

とはいえ、

 

・伊達は受からないと思っていた

・富澤は視聴者に受けるんじゃないかという計算ももって優勝直後に伊達に抱きついた

・伊達は、トータルテンボスには負けても納得できたと思っている

 

上記のようにドラマチックではない胸の内も明かされているのが、この本の正直なところである。

『いとしのアイリーン』漫画版 感想 85点

昨日映画版『いとしのアイリーン』を見ていたく感動したので早速漫画喫茶ポパイにて原作(全6巻)を読破した。

その感想をここにメモしておきたい。

hadahit0.hatenablog.com

映画と漫画とと一番大きな違いは、テーマの絞られっぷりだ。

映画のほうがテーマが絞られており、漫画のほうがテーマが多様であり、悪く言えば散漫な印象だった。

これは、映画という2時間の娯楽と年間単位で更新される漫画という媒体の違いとしてア・プリオリなものであり、漫画実写化作品は基本的にその方針で制作される。

そのため、吉田恵輔監督の映画化方針は誠に正しいものであったといえる。

 

また、特に新井英樹の場合、確信犯的に(誤用のほうの)テーマを四方八方に散らばらせるという作劇方法をとっている。

そのため、そのファンの多さや素材の身近さに反し、2018まで実写化が遅れたという側面も大きいだろう。

 

今の連載マンガって、第1話で主人公が何を目指すかわかるものじゃないと読者が食いつかない。俺は死んでもそれは描きたくないから、「もうマンガを描く意味がないよな」ってここ2週間くらい本気で考えていて。

──確かに、新井先生の作品は1話時点ではストーリーの全貌が何もわからないものばかりです。

「一体何の話?」って思わされる物語を描くのも読むのも好きだから。読者に「ついてこい」って言うのは傲慢なのかもしれないけど……。

映画「愛しのアイリーン」特集 新井英樹インタビュー (4/4) - コミックナタリー 特集・インタビューより引用

 

natalie.mu

 

映画は、原作の1~2巻と5~6巻をメインに構成し、3~4巻はエピソードをかいつまむにとどまっている。

そこで描かれるのは、岩男とアイリーンが「キス→シコシコ」にいたるまでの距離の詰め方である。

また、フィリピンパブの関西弁の女、マリーンや岩男の勤務するパチンコ店の社長といった映画ではあくまで物語の一部でしかなかったキャラクターの考えや背景がより描かれている。

 

特に描かれるのが、偏見や差別についての話だ。

 

ヤクザの塩崎にタンゴを踊らされ、唇を奪われるアイリーン。塩崎が去ったあと泣きはらし「ヒンディ ナマン ニラ マウウナワアン ワン ナサ カロオバン コ。(みんなにはどうせわかるはずない!! こんな気持ち)」と大声を上げる。

しかし、マローンに「アカラ コ バ マッグカサバ タヨン ダラワン マッグフホットゥホットゥ ナン ペラ サ マガ ハポン(あんたもあたしらも日本人から金搾り取ってる仲間じゃなかったんですか)」と鼻で笑われる。

 

庇護者であり被害者であったはずのアイリーンにあった「私は商売女ではない」という思い。それがまろーんに見抜かれることで、お金と性の交換という岩男とアイリーンの始まりが居心地悪く提示される。

 

これは映画にもあったシーンだが、よりアイリーンと岩男の不器用な恋愛と岩男のモンモンが長々と描かれる分、より意味が分かりやすく伝わってくるのだ。

 

さて、そうとは言いつつ、おれは映画よりも10点以上点を低くつけた

結局それは、テーマが散らばりすぎて感動に注力できなかったからだ。

また、岩男が塩崎(ヤクザ)を殺してしまうのは5巻の後半であり、映画に比べてウエイトがだいぶ小さい。

また、岩男と愛子の情事が漫画のほうではだいぶバリエーションを持って描かれる(これは愛子の事情もまた映画より詳細に描かれるため)。

人を殺してしまったという重さで追い詰められ狂い行く映画の岩男とヤクザを10メートル以上放り投げ、でかすぎるマラで愛子に「腰が止まらない~~」と言わせる岩男。

安田顕は体格が岩男と違いすぎて演じ切れるか不安に思ったというが、その現実味こそが、映画では切実に、プラスに作用したと思う。

映画終盤のアイリーンとツル子だけの生活について、長すぎるという不評をいくつかの感想サイトで目にしたが、その”長すぎる感じ”も時間を観客が自在にコントロールできない映画独自のものであり、作品の切実さを提示する上ではプラスに作用していると思う。

とはいえ、

最後に最後に与えられた映画にはない「救い」

カッコつきの救いではあるが、「親子愛」と「夫婦愛」が暴走し、衝突した作品の帰結として非常に美しく、こちらはリアリティが現実から浮遊した漫画でしか描かれえないものだったと思う。

その意味で、ラストシーンをカットした吉田監督の判断はまた英断であった。

 

 

激愛

激愛

 

 

 

 

 

『いとしのアイリーン』97点 国際結婚露悪露愛映画

irene-movie.jp

新井英樹の漫画は『キーチ!!』を立ち読みしたことしかない。

あとは『ワールドイズマイン』を少々。

いずれも面白かったが、ほかの作品にも続編にも手を伸ばす気にならないのはやっぱりその露悪的とすらいえるリアリズムが「しんどい」からだ。

今回、映画というルドヴィコ療法的装置で強制的に鑑賞した『いとしのアイリーン』。

脳がガツンとやられた。

 

ストーリー

新潟の農村で年老いた父、母(木野花)と暮らす宍戸岩男(安田顕)42歳。

パチンコ屋で勤務する岩男は、同僚の愛子(河合青葉)にほのかな恋心を抱くが

幻想を砕かれ、失意のままに仕事を休み、フィリピンへ旅立つ。

その旅は、いきつけのフィリピンパブ店主の口添えで参加したフィリピンお見合いツアーであった。300万の金を投資し、大家族の娘、アイリーンを手に入れた岩男。

2人で家に帰ると、父は命を落としており、葬式の真っ最中。岩男を溺愛する保守的な母は「そんな嫁は許さ”ね”ぇ”」と、アイリーンに猟銃を向ける。

天真爛漫なアイリーンは母の頭が冷めるまで岩男とホテルを転々として暮らすことに。金で買われた結婚ながら、2人の間には愛のようなものが芽生えつつあったが、母はアイリーンに執着するヤクザ塩崎(伊勢谷友介)と結託し、アイリーン追い出しを画策するのだった。

 昨日も結婚にまつわる映画(タリーと私の秘密の時間)をみた。

hadahit0.hatenablog.com

『タリー~』も子育てのどうしようもない側面を映画いている傑作だったが、日本の映画が描く結婚のどうしようもなさも、負けていないぞ。

――全くモテない男が、金を頼りに途上国に行き、嫁を購入する

正直バブルっぽい話で、今の日本だと賃金格差的にそろそろ追い付かれてきてるんじゃないのという気もするのだが、十数年前には確実にそこらへんに散らばっていたリアルだ。

それを汚いと批判することは簡単だが、「金のための結婚」も「家のための結婚」も「愛による結婚」に引けを取らない数、この世に存在していただけわけだし、なんなら「愛による結婚」と銘打っていてもそれらの要素が絡んでくることは人が家族を作る限り免れ得ないであろう。

そのような「汚い結婚」であっても愛が生まれないとは限らないし、愛が生まれなくても「子ども」は生まれる。そして、子どもというのは愛なんて不確かなものよりずっとリアルな命の奇跡なのである。

 

――物語の前半では、そう思っていた

だが、この物語、それを序盤でぶっ飛ばすような人間の深みへどんどんハマってゆくのである。

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※中盤のかなりのネタバレ

ヤクザにアイリーンをさらわれた岩男は2人を追い、塩崎を猟銃で殺してしまう。塩崎の死体を土に埋めるアイリーンと岩男。

帰ってきた二人は、母親を押しのけて初めてのセックスをする。

塩崎が消えたことにヤクザは気づいていた。死体は上がってこないものの嫌がらせとして「人殺し」と落書きされる岩男の車、家。

追い詰められた岩男は愛子を強引に抱き、ずるずると関係を続ける。家に帰ったらアイリーンに「オマンコさせろ」と3,000円を投げつけ、金がないことからバイト先のおばさんに体を売る。アイリーンと交流していた若い坊主をボコボコにする。そんな岩男は夜な夜な森に向かい、木にナイフで一心不乱で何かを刻んでいた。

 人を殺してしまった岩男は、死への興味から生(性)に狂ったように執着し、救いを求めることになる。一度はつながりあったように見えたアイリーンにも金を投げつけてオマンコさせろと強要する始末。

この時間がつらい。岩男は主人公で、優しいが不器用なところがあって、俺みたいだな、と感じていたが、そんな奴が大嫌いな人間になってしまっている。そして、そんな情けなさも俺みたいかもしれない。

――だって金を払ったんだから、俺には権利があるはずだ。

そう思わないで今までずっと市民でいられたという自信が俺にはない。

 

かといってアイリーンが天使であり聖母なのかというと、そうではない。

 

終盤、アイリーンはすべてを見捨ててフィリピンに帰ろうとするし、それを義母に「姥捨て」と指摘され「そうじゃない!」と自らが良き人間であるという幻想を守ろうとする。

 

塩崎に「お前の結婚は売春とどう違うのか?」と問われ、「――心は売ってない!」と答え、徐々に岩男と愛をはぐくんだアイリーンはしかしやはり綺麗で無邪気なままでは居てくれないのである。

 

欲、ドロドロ、我。

 

結婚とか愛とか、そういうコーティングはそれらを覆い隠すメッキでしかないよと、新井英樹に言われているかのようだ。

 

しかし、この映画が人間の汚さを描くものか? と問われるとそうではなく、やはり「愛についての映画だ」としか最終的には言えない。

 

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キャスト/スタッフ

監督:吉田恵輔

…ヒメアノールも見なくてはならないな、と思わされた。

岩男:安田顕

チームナックスは全員順当に評価を獲得していくなあと思う。

アイリーン:ナッツ・シトイ

…オーディションの部屋に入るなり顔見知りのプロデューサーに抱き着いた天真爛漫さに制作陣は「アイリーンがいる!」と採用を決めたそう。「おかさんおかさんおかさん!」と演技のアイリーン性には、原作未読の俺も確かにアイリーンはこの人以外考えられん後思わせた。

母 宍戸ツル:木野花

…役を受けたときの感想が「この役は体を壊すな」というものだったそう。いずれの感想サイトでも評判の高い狂演だった。

愛子:河合青葉

…雰囲気エロかった。感想サイトであったがフィリピーナが乳首出してるのに愛子が出してないのはちょっと良くないと思う。事務所NGとかならしかたないが。

主題歌:奇妙礼太郎「水面の輪舞曲」

…この映画終わりで聞くとかなりしみた。ていうか奇妙礼太郎って英語だとSTRENGE REITAROなんや…。シェイプアップ乱かよ。

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愛しのアイリーン[新装版] 上

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