裸で独りぼっち

愉快な毎日の記録

2017年29号ジャンプ感想

『巻頭グラビア 中井りか

この人あんまり美少女じゃなくない?

なんや儂の好みとちやうだけかもしれんけど。

 

とりあえず濃すぎるキャラは置いといて今日はさらっとオーガニック♡

 

という謎のキャッチコピー。

なんなん。この人のイメージカラーなん?

 

まあグラビアのキャッチコピーだいたいわけわからんけど……。

 

『BUNGO』

こちらのカラーページキャッチコピーは

 

成長は独りにしてならず

 

にもかかわらず、BUNGOが動機との紅白戦でただ一人のBチームとして対決する展開。

 天才のつるべ打ちマンガなのに、まだあんまり破綻を感じないのはどうしてだろう?

 

東京グールRe

東京グールは読みにくくてもはや読んでないからいうことがないな。

 

・専門的中二用語が多い(『黒山羊』『CCG』など)

・キャラがやたら多い

・表現が抽象的・詩的

 

上の3つが悪い。いや、いい部分でもあるとは言え読みにくい。

毎回初めに専門用語一覧を作ってくれ。

Twitter画展もええけども。

 

キングダム

キングダムは史実に基づいてるし毎回そつがないからいうことがないな。

 

うまるちゃん

なんか今回は面白かった。

たぶん俺は物語にシンプルで明確な目的がないと楽しめないんだろうな。

今回は「うまるがタイヘイのパスワードを突き止める」という目的が設定されていたからすごく読みやすかった。

結局うまるのパスワードでした、ていうのが手っ取り早く良い話+キャラ萌え展開にするにはよいと思うんだけど、結局答えは「DOMATAIHEI」。

つまりこの漫画は妹萌えマンガのようで、兄自体は特に通常を逸脱した家族愛、ましてやれない感情めいたものなんて抱いてやしない。

これはうまるちゃんをはじめからずっと読んできた人には当たり前のことかもしれないんだけど、だからこそ、ずっと見てられる清潔感がこの漫画にはあるのではないか。

とどのつまり、「妹」とタイトルについてはいるが、この漫画は妹マンガではなく、キャラマンガなんだね。

 

ゴールデンカムイ

冒頭のハナイグチ(キノコ)の印象しか残らん。ここ最近のホモ、というか薔薇なネタにはとてつもない「趣味」を感じるな。

 

源君物語

おっぱいがでてた。それだけ。

 

うらたろう

ばらばらになった恋人の人体を集めるという。よく考えると『どろろ』の亜種みたいな話だな。

 

ヤンジャンには思想がない

ヤンジャンの漫画って全部「娯楽」っていう感じがすごい。

いや、漫画は全部娯楽なんだけど、特に作者の我が感じられないというか、「自己表現」というより「読者を楽しませたい」という作品が「週刊少年ジャンプ」以上に多い気がする。

別に良いけど、一個くらい強烈な思想を感じさせる漫画を実験枠で入れてみても良いと思うな。

 

 

ヤングジャンプ 2017年 6/29 号 [雑誌]

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いつか言いたい『Char 視線』―はだかになるだけがおまえのとりえさ

はだかになるだけがおまえのとりえさ

 Charというミュージシャンがいる。

ギターの名手として有名で、自身で歌唱、作詞、作曲などもこなすマルチプレーヤーだ。

有名ナンバーとしては『smorky』や『気絶するほど悩ましい』があげられるだろうか。

 

 

 

ともかく、そのうち『Smorky』と同じく『Char』の名を冠したセルフタイトルアルバムのうちの一曲、『視線』を俺は世間に広く紹介したいのだ。

 

 

タイトな演奏力が光るアルバムの中で比較的ゆるいムードを醸すこの曲の唄いだしの歌詞はこうである。

 

 おまえはいつだって ねむってるときだって

オレの視線を 気にしてるんだろう

 

 なんて自意識過剰な奴だ。

だが、この次こそがパンチラインである。

 

裸になるだけが 女じゃないのに

 

ここから軽快なフレーズがかき鳴らされる。オーイエー。

これが、2017年に発売されたと考えてほしい。

フェミニストが怒り狂って抗議の電話をいれるのではないか。

 

だが、ご機嫌なCharは手加減などしない。

 

細腕にナイフじゃ 虫も殺せやしない

ましてこのオレには ハモノは役立たず

 強い・・・!

いろんな意味で強い。

強烈な男性性である。

こんなセリフを堂々と言えるのは範馬裕次郎か冴羽獠くらいではないか。

 

そして、最後の歌詞でボルテージは最高に達する。

 

裸になるだけが お前のとりえさ

 

……結局それだけがとりえなんかい!

思わずそう突っ込んでしまうが、それほど嫌な気持ちはしない。

自慢じゃないが、俺は相当男女平等を原則として考えているタイプのリベラル人間である。

それにもかかわらず、これほど男尊女卑的な歌詞を全く不快におもわないどころかちょっと憧れさえする。

 

いったいこれはどうしてだろう?

 

その答えは、この曲から想起される圧倒的な洒落たイメージにあるかもしれない。

この曲のMAD動画を作るなら、俺は迷わずルパン三世の名場面をリミックスするね。

ルパンと不二子の洒落た(オシャレなではなく洒落たというところがミソだ)関係に思いをついはせてしまう。

 

……この曲とは違い、圧倒的にルパン<不二子のバランスではあるが。

 

とにかくその洒落た関係をベースにこの歌詞を味わうと、この曲にある視線というのが男→女への見下し、というよりは、圧倒的な慈しみを感じさせるのだ。

 

裸になるだけが おまえのとりえさ

 は「月がきれいですね」とは全く逆ベクトルながら全く同じ距離感で「I love you」を表現しているのである。

 

いつか言いたいセリフである。

 

 

Char

日本に帰化したパキスタン人のフリースタイルあるある

モヘンジョ・ダロが頻繁に出てくる

 

 

パキスタンを知るための60章 エリア・スタディーズ

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『モダンタイムス』における野蛮とその乗り越え

『モダン・タイムス』はチャーリーチャップリンにより1936年に制作されたコメディ映画である。あらすじは以下の通り。

 大工場の労働者チャーリーはベルトコンベアーで流れてくるナットを占めるだけの単調な仕事の中で精神に変調をきたし、職を失い、警察に連行される。刑務所を出て出会った孤児の少女と出会ったチャーリーはいつしか愛し合うようになり、二人の家を建てるためにまた働く。レストランで働くある日、浮浪罪により少女が逮捕されそうになり、逃げた二人は新しい世界を求めて手を取り歩き始める。

 この映画が機械文明による人間性のはく奪を批判するものであることは冒頭の一文

人間の機械化に反対して個人の幸福を求める物語

や、羊のモンタージュ による労働者=羊の群れの示唆からも明らかである。


この機械文明を神話/啓蒙の分類に当てはめると啓蒙に当てはまるだろう。アドルノが野蛮と化した啓蒙として名指ししたのはナチズム、スターリニズム、アメリカの文化産業であるが、この文化産業と双子のような関係として『啓蒙の弁証法』では機械文明は名指しされている。

娯楽とは、後期資本主義下における労働の延長である。娯楽とは、機械化された労働過程を回避しようと思う者が、そういう労働過程に新たに耐えるために、欲しがるものなのだ。

その大きな共通点として、すべての人を一律に扱う点、こちらからの働きかけを許さず一方的に影響を与えるのみである点が挙げられるだろう。文化産業としてはラジオと映画がその代表的な例として挙げられている。現代ではテレビもそうであろうし、ネットも双方向の働きかけが可能とはいえ『啓蒙の弁証法』の

一人一人の購買者は、いわば自発的に、あらかじめ表示された自分の「レベル」に合せて行動し、彼のタイプ向きに造られた大量生産のカテゴリーにしたがって選ばなければならない。

ホルクハイマ―、アドルノ著 徳永恂訳『啓蒙の弁証法 哲学的断想』岩波文庫、2007年

という一文と、評論家・思想家の東浩紀による

ネットを触っているかぎり、他者の規定した世界でしかものを考えられない。

東浩紀『弱いつながり 検索ワードを探す旅』幻冬舎、2014年

という一文を照らし合わせると、テレビ・ラジオ以上に娯楽産業=機械文明的な特徴を備えているとさえ言えもする。


さて、モダンタイムスにおける機械文明の象徴は監視用テレビモニター、流れ作業、全自動食事機、歯車などが挙げられるだろう。いずれも一方的かつ一律にチャーリーら人間を扱う。このような固有性を認められない職場においてチャーリーは上手く立ち振る舞うことができず、仕事は往々にしてうまくいかない。

 

だが、チャーリーにも特技がある。それはローラースケートと歌である。
チャーリーはデパートの夜勤の場に少女を招き入れ、おもちゃ売り場のローラースケートをうまく乗りこなす。
また後半で少女の口利きでレストランで給仕と歌手をすることになったチャーリー。給仕ではドタバタのミスを繰り広げ、いざ歌う段になり、歌詞を書いていた袖のカフスが飛んでしまう。しかし、チャーリーは即興で適当な言葉を作り、歌を成功に導き支配人に「素晴らしい」とまで言われる。
歌も玩具も、文化産業に位置づけられるものであろう。そして映画も文化産業に位置付けられている。つまり、チャーリー自体が機械文明を批判しつつも文化が産業に堕していることには気が付かない野蛮な啓蒙、映画の象徴であると非難されるという構図も考えられるわけだ。


 しかしその構図は『モダンタイムス』には当てはまらない。

なぜなら、いずれの場合もチャーリーの振る舞いは画一的な再生産を行っていないからだ。ローラースケートは目隠しをして、深夜のデパート内で乗りこなす。歌は歌詞を適当にでっち上げ、即興の身振りとともに披露する。そして初のトーキー導入を意味のつかめない歌にて行う。その点で、『モダンタイムス』は「あらかじめ決められた隠語の徴しを帯びて」 いない。すなわち、古い図式に縛られてはいないのだ。


啓蒙の弁証法』では目新しい効果こそ古い図式に縛られているともいわれているが、適当にでっち上げられた自然は、やはりあらかじめの図式に縛られているともいえないのではないだろうか。


これはコメディという物語自体こういった即興的な要素やお約束の崩しがあると思うので、そう考えると笑いにこそ啓蒙を野蛮にさせない鍵があるのではないかという考えが浮かぶが、文字数の都合上一度ここで筆をおきたい。

 

 

モダン・タイムス [DVD]

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無意識のせいだった。

勉強せずに部屋の掃除をこなすというあるある。

 

どっちかといえば人間のはまってしまいがちな心理の沼―失敗としてみんなに認識されていることが多い。

 

だが、部屋の掃除は、長期的に見れば身の入らないままに勉強をするよりも有意義なのではないか。

 

どうせ掃除はしなければならないのだ。

 

もし勉強もしなければならないのなら、掃除をやる気が起きないときに勉強をやってしまえばいいのではないか。

 

と、考えたところでそういえば今までうっかり勉強をやってしまったことはないな、と気が付いた。

 

勉強は、脳みそを使って意識的にしなければならないことだからだろうか。

 

しかし、漢字の書き取りなどは意識的にやることとも言えない。

いや、本当は意識的にやったほうが良いのだが、ほぼ無意識に手を動かすだけでもできる。

 

しかし、掃除に身が入らないから漢字の書き取りしようか、と思ったことなどない。

 

それは、もう、勉強がつまらないものと思い込んでしまっているからだろう、と一応の真実めいたものを仮置きする。

 

ここで、では、つまらないと思ったものに逃避した経験はないものか、と考えなければならない。

 

・・・なかった。

 

無意識のせいだった。

 

 

 

『雨に唄えば』―気の利いた、あまりに気の利いた、

名前しか知らなかったハリウッド黄金期の金字塔的名作。

 

やー。耐用年数長いわー。面白かった。

 

この映画を一言で表すならば、「気の利いた映画」だと俺は思う。

 

気の利いた映画は、サービス精神の旺盛な道化のような映画だ。

 

 

①絵作りの気が利いている

とにかく主人公ドンとその盟友コズモが良く動く。

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彼らは元々音楽家であり、俳優学校で学んだ俳優でもある。

サイレント時代の俳優である彼らは、とにかく動きで語る。

上のキャプチャはダンス公演の最中だが、これほど「悩み事は何もない」表情と動きがあるかね!

この動きの力を生かして、見てて気持ちいこれぞ映画っていう絵がどの場面でも意識されているのだ。

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比較的普通のシーンでも↑こんな風にシンメトリーで画面全体がなんとなく気持ちいい。

なにが「NO」だ!こんなの「YES」である。

 

②つなぎの気が利いている。

ミュージカル映画の欠点は、ミュージカル部分でストーリーが停滞してしまうことだとライムスター宇多丸が言っていた。

確かにミュージカルパートはハマれなかったらめちゃくちゃ眠くなる。

心地よい音楽の中で謎のコンセプチュアルな光景を見せられるわけだからな。

その点、『雨に唄えば』は気が利いている。

たとえば、コズモのコミカルな動き(バク宙もあるよ)がみられる『Make s laugh!』のシーン。

コズモは映画スタジオで歌いながら踊り回り、

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道具係の板を、

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一度はよけるが、

 

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結局後頭部をぶつけ、

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倒れこむ。

このときの歌詞が「一見 優雅にでもオーバーに動いて笑わせ」。

 

動き・歌・ストーリー(歌詞)の三位一体。

このうちのどれか一つでも欠けたら飽きてしまうかもしれない。

 

でも、こうまでやられると飽きる余地がない。

 

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有名な『Sing'n in the rain』のシーン。

 

「雨の中で踊る人間がいたっていいじゃないか」と踊っていたドンは警察に見とがめられる。

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そこでそのまま傘のない通行人に傘を渡し、

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ご機嫌で去る。

 

この行為の持つ意味は2つ。

 

土砂降りの雨の中で傘がなくてもいい位にご機嫌だということ。

土砂降りの雨の中で人に傘を上げたいくらいにご機嫌だということ。

 

さらに、土砂降りの雨の異化効果でより、ドンのご機嫌さは際立つ。

 

ことほど左様に、ミュージカルシーンに細やかな気遣いが施されている。

ミュージカルシーンがただの歌や踊りにとどまっておらず、その一挙手一投足にストーリーがある。

 

映画というコミュニケーションがあるとすれば、これほど饒舌なものはあるまい。

だからこそ、一回見ただけの俺の理解は、きっと30%にも及んでいないはずだ。

 

もっかい見なきゃ。

 

 

雨に唄えば (字幕版)

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『紀州のドン・ファン 美女4000人に30億円を貢いだ男』―エロいおじさんの可愛さは最強だ。

2016年2月22日。27歳の自称フリーモデル宮原真理容疑者(27)が6000万円を窃盗した疑いで逮捕された。被害者は和歌山県在住の資産家男性(74)。宮原容疑者と男性はデートクラブで出会い、交際していたという。

 

「1億円くらいは紙切れみたいなもんなんで私にとっては……」

先日、6000万円を交際相手に盗まれたことで話題になった和歌山県田辺市在住の男性が、ワイドショーでの大胆発言で話題となった。

不動産屋金融業を営む男性は、瀟洒な一軒家で記者の質問に答えた。

ダブルベッドの横に置かれていた黒いバッグの中には、200万円相当の札束が。さらに箪笥にも現金1000万円以上が無造作に収納されていた。さらに壁には2億8000万円のルノアールや、5000万円のシャガールが。まさに大富豪といった金満ぶりを見せつける野崎氏はなぜ女性に6000万円を奪われてしまったのどろうか――。

 

ドン・ファンとは、17世紀スペインの著名なプレイボーイのこと。イタリアでは、ドン・ジョバンニと呼ばれる。

様々な劇の題材となっており、あのモーツァルトもオペラの題材とした。

 

紀州ドン・ファン

いかにも傲岸不遜なプレイボーイのイメージだが、「私は美女とエッチをするために知恵を絞りお金を稼いできました」という1文からわかるように、本書であらわになるそのキャラクターは憎めない小心者のスケベおじさんだ。

 

だからこそ、女にもてるというのが真実味をもつ。

 

色欲魔は、可愛い。

 

志村けんなんてとんだプレイボーイのスケベ人間だが、バカ殿は国民の茶の間に受け入れられている。

視聴率はどうあれ、問題にならない。

放蕩者の浮気話や風俗話はカワイイ。

いやいや、ゲス不倫バッシングを忘れたのか。

とツッコミが入るかも知れないが、あれは若いやつが不倫した上格好つけて謝ったのが過ちだと俺は思う。

 

―いや、スミマセン、スケベな気持ちに勝てませんでした。

 

と言っていかにもスケベなおじさんが頭を下げたら、そう叩かれまい。

 

スケベな人間のくせに、スケベらしい要望や振る舞いをしていないのが、世間の怒りを煽ったのだ。

 

スケベなくせにスケベらしさ(=かわいげ)がない、エセスケベめ、と。

 

さて、ホンモノのスケベである野崎氏は、コンドームの訪問販売を皮切りに、欲求不満の奥様に「体験版」を提供しつつ、利益を伸ばしてのし上がっていく。

 

いや、フランス書院a,k,a黒いペーパーバックかよ笑

という現実である。

 

その訪問販売がうまくいったのも、持ち前の可愛げ(=スケベ心)がうまく作用したおかげだ。

 

グッチ先輩という、スーパーバイザーの見事なアドバイスが野崎氏を救うのだ。

その詳細についてはここでは伏せるが、「わが社の上司にグッチ先輩が欲しい」というのが俺の正直な気持ちである。

 

コンドームの成功を皮切りに金融業、株式投資とどんどん手を広げる野崎氏。

 

それと同時に女子大生、CA、ホステスとどんどん手を出す野崎氏。

 

彼の口説き文句は「ハッピー・オーラ、ハッピー・エレガント、ハッピー・ナイスボディ。あなたとデートしたい、エッチしたい」

 

そして、シカトされてからの「俺と付き合ったら40万円上げるよ」。

 

おいおい!結局金の力やんけ、と突っ込んでしまうあなたはスケベ失格だ。

 

野崎氏はそんなこと織り込み済みである。

 

エッチできれば、幸せで、オールオッケー。私が健康なのもエッチのおかげ。

 

ここに至った人間は、可愛くて、故に最強だ。

 

スケベの凄みを感じた読書であった。