トランプのジャック
マジで今月映画観てないな。
空想の世界と俺の距離は容易に遠ざかり、胃袋は重く、現実には慣れ切っていく。
家族のもとに送ったイチゴは箱の中でぶつかって一部傷んでいたらしい。
このやり方で行けるとフルーツ屋からは聞いていたのだが、そううまくはいかないようだ。
人手を介して遠方まで2日で荷物を届けることができるこのロジスティクスのあり方には感服するほかないが、潰れたイチゴは許してくれない。
俺は寒い雨の4月15日を傘をさしたままとぼとぼ歩き、ミスタードーナツおかわり自由のホットコーヒーを経年劣化した内臓に流し込む。
五臓六腑が温まり、肩の荷が卸される。
家に帰ってからはデパートで購入したチキンと西友で買った野菜を煮込んだミネストローネ、賞味期限前で安くなっていたクルミロールパン、みかんの缶詰などを食べる。
嫁はんは20代最後の夜を過ごす。
ビールを飲んで、ジントニックを作って、明日を迎えんとす。
「実は『相席食堂』が好きなんだ」
嫁藩の突然の秘密の暴露にくすくすと笑って、俺、風呂を沸かす。
ダウナーな話題には耳を取り合わない。
それは、共感能力があるからではなく、その反対だ。
トランプのジャックは上下対象のようでいて、そうではない。
セブン
夜まで酒を飲んだうちの夫婦は2人ともつかれていた。
その顛末をamebaブログ公式に書きたいが、ママタレントではないので、只バタバタとして、嫁はんは朝食も取らずに飛び出し、俺は家にいたということだけ書いておく。
何かを精緻に、繊細に取り扱い過ぎればいいというものではない。
何にMPを使い、何にHPを使うかをはっきりと下しかできればいいのだが、と思っていると遠くからパーソナル測定アプリを持った巨大な鳥がやってきて僕らのもとへ大きな〇〇〇が飛来したので、その中に家を作って住むことにしたのだが、、。
だいたいちいかわとかもストーリーラインだけで言ったらこういう感じやからね。
線と表現とアウラに宿るものはいくら努力したって手に入れられないのではないか。
あるいは、数年単位で続ければみにつけられるのかもしれないが。
ようするに、数カ月の研修で寿司職人にはなれるけど、いいすし職人になれるかはその後の経験にかかっているという話。
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お昼に『セブン』見てたら寝ちゃった。
滑稽
取材仕事をした。
いろいろと不都合もあったが、まあ仕事は日常の営みであり、それらを完璧に遂行できるほど俺たちの人間ができているわけがないので、とにかくできることはクヨクヨと反省することではなく通過点として、次の営みを始めることである。
とはいえ、何も振り返らないと俺が増強(アップデートとは言いたくない)されないので、こうして日記を書いているわけだが。
初対面の人との酒席は楽しく、何度も会うごとに人間のコンテンツ力は減っていく。
だから、俺にはイツメンができない。
人間を映画や漫画のように扱っており、しかもそれらにほとんど愛がないのだ。
だから酒をおごってもらったりすると申し訳なく思う。
若い俺に皆優しいが、年を取ってから若者に優しくする予定なんて俺には一切ないのだ。
儒教の文化は美しいと思う。
しかし、合理的ではない。
俺はほっといたら世の仕組みをハックしようとしてしまうので(それが賢いというわけではない、要するに社会がコンピュータだとしたら俺はウイルスなのである)、世の中の仕組みにただ乗りする気満々だ。
それに、人にも。
マクドナルドで俺がごみを捨てようとすると、お盆を受け取って代わりに処分してくれる店員さん。
俺はこんな偉そうなことができる人間ではないのにな、と思いながらごみの処分を任せる。
といっても金持ちではなく、只小市民の中で生活に不自由してないくらいだと思う。
だから、こういう格差みたいなのを憂うこと自体も滑稽である。
社会の評価
どうかんがえたってマックのコーヒーが一番安いに決まっているのだ。
関西人ぶるために無理にマクドという略称を使っていたあの頃の俺。
今もかばんにはいらないものをたくさん詰め込んでおり、主にPCの重量ですぐに疲れてしまうよ。
暑い季節がやってきた。
昨日は丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニーで『元やくざの弁護士』の回を見た。
こういうのを見て「元悪人の癖に!」と反発する気持が亡くなり、「はあ~偉い人やわア」と思うようになった。
不良が改心したからといって普通に悪いことをせずに生きている奴より褒められるのはおかしいという説はこち亀の著作権侵害を添えながら頻繁でSNS等で取りざたされるのだが、
結局我々の無意識は損得勘定に従って誰かを褒めたり褒めなかったりといったジャッジを下しており、意識はそれに理由をつけるだけ。
元々悪いやつが更生した例はどんどん称揚した方が、単純な彼らは追従して結果社会が良くなるけど、普通のやつはほっといても普通のままで害をなさないから。
などと言っていると、無敵の人化する例だって出てきかねないので、「自分を大事にする」みたいな価値観が生まれているのだが、あまりにそちらを強調し過ぎると、「じゃあ、自分を大事にするために嫌な労働はしませんよ」という俺みたいな寝そべり族的マルクス主義者が出てきてしまうので、そのあたりバランスが難しい。
社会の評価というのはこうした絶妙な集合的無意識によって成り立っているのだと思う。
というと、ユング的というか、だんだんとオカルト的な領域に入っていきそうだなあ。
一つおいしい仕事がなくなって少しがっかりだが、同時に仕事は嫌いなので、少し解放感。
そういう私。
このブログは
ベイビー、僕を壊してくれよ。
これは銀杏ボーイズ『SEXTEEN』のAメロ。
ふと思い出した言葉を、それでもそのまま口に出したり書きつけたりせずに、頭の中で取捨選択したうえで適切な言葉を推敲して文章にするのが我々の理路である。
でも、その法を破る実験がこのブログである。
ような気が何年も書いているうちにしてきた。
多分現代アートで自動筆記とかが取り扱われるのも、意識をなるべく排除して無意識に任せる実験みたいな意識があるんじゃないかと思うが、本当にトンチンカンなことを言っている可能性もあります。
一件、成長はしないもののおいしい仕事先からの連絡が亡くなったので、俺には時間ができたはずだ。
有効活用しなければならない。
目指すはとりあえず年商1000万。
そうなると法人化はするだろうけど、人を雇うことは考えもつかない。
俺は法律とかしらないし、係争に巻き込まれるめんどくささを想像するとほんとにウンザリしてしまう。
でも、必要に駆られて、「今の状況なら必要だ」という意識の下、人は人を雇用したり雇用されたりするのかも。
まあ、雇用なんて、絶対的な契約ではなく、「人が人にものを頼む」という基本構造があって、そこに不平等を解消するためのルールが後からくっつけられるだけなのだ。
この世界のルールが俺の生まれる前からあったもんだから、ついついアプリオリなもののように思ってしまうけれど、そうじゃないんだぞ。
陰摩羅鬼の春
海苔とワカメが上手く消化できません。
ノリと若さでうまく乗り切っていきたいものです。
…くだらん。
でも、こういうのもさくらももことかナガノみたいなチャームのある漫画絵でかいたら、なんだか癒される感じのポンチ絵になるんじゃないかしら。
と書きつつ、もうすでに「ちょっと違うな?」と思い始めている。
朝寝坊と空腹と疲労感。
嫁はんの三大大敵を以下に追い出すかが勇者(主夫)の役目だというのに、それを軽視して俺は今日もスライムをかるだけ。
いわれなければうちの掃除をしないので、ハウスダストでくしゃみがでる。
しっかりしろ。
陰摩羅鬼という妖怪がいる。
どういう妖怪だったかは今思い出せないのだけれど、「おんもらき」というそのオノマトペ的な名前の愉快さは俺の脳裏にこびりついていて、時折思い出す。
ググってみよう。
陰摩羅鬼、陰魔羅鬼(おんもらき)は、中国や日本の古書にある怪鳥。経典『大蔵経』によれば、新しい死体から生じた気が化けたものとされる[1]。充分な供養を受けていない死体が化けたもので、経文読みを怠っている僧侶のもとに現れるともいう[2]。
俺は宗教を怠っており、社会参加を軽視しており、嫁はんと現実に甘えている。
嫁はんは現実との格闘に疲れ、またその戦いがやってくる夜に向けてコンディションを整える。
俺はそれの邪魔をする。
自転車で遠くに行こうよと言ってみたり、嫁はんの苦手な人込みに桜をみるためという口実で誘い込んだり。
桜を見に行ったその場で、俺が陰摩羅鬼に連れ去られたら、みんなどんな顔するだろう。
なんて行き当たりばったりの考えが浮かぶのは、昨日『ギャグマンガ日和GB 6巻』を読んだからだ。
八時半、ガスト、俺、解剖図
「…なんちゅうか、君といると、仕事がすすまんのよ」
言ってしまった。
黒いママチャリのタイヤをシャーと走らせて、コーヒーショップへ向かうは夜の8時半。
俺にできるのは、嫁はんを置き去りにすることだけだ。
***
結局、ガストに入ってしまった。
ドリンクバーを注文して、店内中央の席に居座る。
サイズのわりに重くてかなわんノートPCを広げ、下らん原稿を書き進める。
おもしろい原稿は人生をかけなければ書けない。
金を稼ぐ手段であってはならないという信仰などはないし、金という駆動力がなければ俺なんて毎日散歩して屁こいて寝てるだけなのだが、効率と労力は常に矛盾するし、俺はどうも生産管理の方がアーティストよりも向いているようだ。
なんていうと、工場でスキルと目端と努力を持って働いている人に怒られるだろうな。
お昼はカラオケ店でラジオを撮った。
俺は何がしたいのか。
遊ぶように生きたいのか、仕事がしたいのか、尊敬されたいのか、安心したいのか。
多分そのすべてが欲しいので、例え足が8本あるタコだったとしてもこなせないような領域に指を伸ばして、ダヴィンチの人体解剖図のようになっている。
そろそろあったかくなってきた。
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一応原稿を書き上げて、帰路に就いたのは10時半。
家に着くと、嫁はんはふとんにくるまって眠ってしまっていた。
一度抱きしめると「むにゃ」といい、二度抱きしめると「あっちに行け」と言われた。
ひとりで浴槽につかり、俺は眠る。